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36 先生を殺す夢



 殺傷能力は低いが、十中八九毒が塗られているため掠っただけでもアウト。

 それは何も、投げナイフに限ったことではない。

 カインを地下牢から出して、先生や私を襲わせたのはザラだった。

 そして、王配殿下を斬りつけた剣はもともとカインの物だったが、先生の左脇腹を突き刺した小型のナイフはザラが用意したものだ。

 つまり、先生はまたもや毒に冒されてしまったのである。


 事件に関し、王宮では即座に箝口令が布かれた。

 先生ことクロード殿下が床に伏していると知れ渡れば、アルフ殿下を国王に担ぎ上げたがっている連中が、ここぞとばかりに動き出す懸念があったからだ。


「先生……」


 カインに刺された先生は、モアイさんによってすぐさま私室に運ばれた。

 その後、騒ぎに気付いて駆け付けた副団長ダン以下近衛兵達が侍医を呼びに走り、大広間にいた女王陛下やアルフ殿下にも次々と知らせが行った。

 カインに背後から右肩を斬り付けられた王配殿下も重傷だったが、応急処置をしただけで先生の側を離れようとしない。

 先生の味方という立場から王配殿下を見極めて欲しい、と私は先日女王陛下から依頼されていたが、彼の心配そうな表情は我が子を思う父親のそれ以外には見えなかった。

 ザラに対して言った通り、他の男の子供を身籠った女王陛下と結婚すると決めた時、王配殿下は生まれてくるその子の父親になる決意した――そうするに至る理由があったのだ。

 博愛主義でも綺麗事でも、ましてや偽善でもない。

 彼は、自嘲を浮かべて言った。

 

「私も、もともとは非嫡出子でね。生みの母は、先代のボスウェル公爵の愛人だったんだ」


 つまり、兄である現ボスウェル公爵とは腹違いであるらしい。どうりで、全然似ていないはずだ。

 ただしその事実は公にされておらず、王配殿下はボスウェル公爵家の正式な次男として育てられた。

 父の正妻は、幼い彼をそれはひどく苛めたのだという。その気持ちも分からなくはないが、とにかく肩身の狭い幼少時代を過ごしていたパウル少年を、いつも庇って助けてくれたのが兄だった。


「血の繋がりは大事かもしれないが、一番ではない。それよりも、私という弟が生まれたことが嬉しい――兄はそう言って私を愛してくれたんだ。だから、私も同じだけの愛情をクロードに注いで育てようと決めたんだよ」


 王配殿下は潤んだ緑色の瞳に先生を映し、震える声でそう言った。

 彼は、心から先生を心配していたのだ。

 だから、いきなり現れた私という存在を怪しみ、とにかく正体を探ろうと独自に動いていたらしい。

 地下牢までわざわざ足を運んでカインの話を聞いたのも王配殿下自身。彼とてカインの話を全て鵜吞みにするつもりはなかったが、大陸中に知れ渡ったマーロウ一家の名が出たことで焦りが増した。

 モアイさんのお披露目茶会では鎌をかけようとして先生に論破され、一度は引き下がったものの、その後もこっそり私の動向を観察していたという。先生の悪口を言っていた連中に、蜂の巣爆弾をお見舞いしたところも目撃されていた。

 そんな王配殿下を、ザラはどこからか見ていたようだ。彼女は、王配殿下が血の繋がらない息子を疎んじていると思い込んでいたのだろう。

 仮装舞踏会が始まる直前、大広間に向かう彼を待ち伏せして人気のない場所へと誘導し、アルフ殿下が次の国王となれる手筈を整えたから、その暁にはモーガン家を重用してくれ、と売り込んできたらしい。

 それがついさっき、私が大広間のバルコニーから目撃した、白樫の木の下での出来事だった。

 奇しくもその時、肝心のモーガン夫妻は、先生に向かって必死で自分達を売り込もうとしていたのだから、なんとも皮肉なことである。


「いったいクロードに何をしかける気なのか確かめねばと、ザラの提案に乗ると見せかけて詳細を尋ねたんだ。そうしたら、いつの間にか牢番を懐柔していたらしく、カインを煽って牢から出したと言うではないか」


 ザラは娼館時代に培った手管で牢番を手懐けたらしいが、長い牢生活で鬱憤がたまっていたカインを焚き付けるのも簡単だったに違いない。

 茂みからナイフを投げたのは、先生をその場に足止めさせる、なおかつ護衛のモアイさんを引き離すため。

 そもそもカインに正体を明かしていなかったザラは、全ての罪を彼に着せる算段だった。

 そんな彼女にとって、カラスのハトさんの登場は完全に計算外のことだっただろう。

 ハトさんに散々攻撃されて、堪らず茂みから飛び出した結果、モアイさんに取り押さえられるに至ったというわけだ。

 そのザラは、カインとともに近衛師団に拘束され、現在厳しい尋問の最中にある。

 彼女を囲っていたモーガン家の当主も取り調べられるだろうし、親類ということでボスウェル公爵家にも少なからず嫌疑が掛かるだろう。

 ただし、王配殿下が語るボスウェル公爵の人柄を鑑みれば、彼がザラに加担しているとは思えなかった。

 王配殿下とボスウェル公爵――先生が自分を追い落とそうとしているのではないかと疑念を抱いていた人達に、私は白の判定を下すつもりでいる。

 けれど、それを報告しようにも、肝心の先生の耳が私の声にも反応を示さなくなっていた。


「私には庇うなとか言ったくせに、自分が私を庇ってこんなことになるなんて……ずるいですよ」


 すっかり取り繕うのをやめた私が、先生、先生、と彼を呼ぶのに周囲の人々は不思議そうな顔をするも、「彼女は兄上を先生のように尊敬しているから」と、アルフ殿下が勝手に説明してくれた。

 先生は、静かにベッドに横たわっている。

 その顔は穏やかで、ただ眠っているだけのようにも見えた。

 けれども、彼の部屋に集まった人々は一様に沈痛な面持ちになっている。もちろん、私も。

 それは、ナイフに塗られていた毒が原因だった。


「あらあらまあまあ、随分やっかいなのに当たってしまったわぁ。毒というより、これはもうほぼ呪い……残念だけど、さすがのクロード様も耐性がないわねぇ」


 相変わらずののほほんとした口調で絶望的な言葉を吐いたのは、森の魔女ことアンだった。

 ダンが事の次第を知らせに大広間に行った際、ちょうど女王陛下と歓談中だったため、一緒に先生のもとに駆け付けたのである。

 何しろ、アンは毒のプロだ。曰く、先生を冒しているのは魔女の間では禁忌とされている毒だった。

 それは、前世でも耳にしたことくらいはある、蠱毒と同じようなものだ。

 蠱毒はもともとは古代中国で用いられた呪術の一種で、壷の中に毒虫を詰め込んで食い合いをさせ、最後に生き残ったやつが最凶の毒になる。

 アンの言うように、毒というよりは呪いの要素が強いため、まず解毒剤が作れない。

 しかもそれは肉体ではなく精神を蝕み、ゆっくりじんわり死に至らしめる、すこぶる質の悪いものだった。


「クロード様はきっと今、夢を見ているのよ。いい夢じゃないでしょうね。例えば、人生で一番辛い思い出を何度も何度も追体験させて精神を消耗させる――そうやって殺すのよ」

「どうにかっ……どうにかできないのっ!?」


 淡々と告げられたアンの言葉に、女王陛下の悲痛な声が被せられる。

 今にも崩れ落ちそうな彼女を傍らで支えつつ、アルフ殿下は真っ青な顔をして口を噤んでいた。

 王配殿下なんて傷付いた我が身も顧みず、先生の枕元でその名を呼び続けている。

 私は先生の手をぎゅっと握り締め、しかし一向に握り返してくれる気配がないことにただただ呆然とした。

 モアイさんも侍医も成す術もなく立ち尽くし、まさしくお通夜状態である。

 そんな中、ふいに冷静な声が響いた。


「夢が殿下を殺すというのなら、その夢に入り込んで助けて差し上げればいいのではないだろうか」


 他人の夢に入り込むなんてこと、できるはずがない――訝しむ一同の中、私とモアイさんと女王陛下がはっとした顔をする。

 アンだけはパンと両手を打ち鳴らし、弾んだ声で言った。


「さすがは、レクターさん! そうね、その手があったわ!」


 夢に入り込んで先生を助ける――そんな非現実的な提案をしたのは、マーロウ一家のボスだった。

 彼も、アンと一緒に女王陛下と歓談中に知らせを受けて駆け付けていたのだ。

 アンが千年もの間転生を繰り返してまで育ててきたという魔女の花が咲いたのは、つい先日のこと。

 そして、開花後のその根を煎じて飲めば幽体離脱して他人の夢に入り込める、なんてにわかには信じ難い言い伝えを、実際に私の夢に登場することで証明したのがボスだった。

 私は、女王陛下とモアイさんと顔を見合わせた後、意を決してアンに向き直る。

 すると、彼女は私が何を言いたいのかお見通しの様子で、フォーマルドレスの上に羽織ったいかにも魔女っぽいローブから巾着袋を取り出して言った。


「新しいものができた時は、クロード様に提出する約束だったでしょう? ちょうど持ってきていてよかったわぁ」


 それで、誰が飲むのかしら?

 そう続いたアンの問いに、少なくとも夢に入り込む術があると知っている女王陛下とモアイさんが即座に名乗りを上げようとする。

 けれども、真っ先に声を発したのは私だった。


「――私が! 私が、先生を助けに行きます!」

「ロッタ」


 すかさず、ボスが渋い顔をして私の名を呼ぶ。

 自分は実験台になったくせに、私に怪しい薬を飲ませるのは気が進まないらしい。

 けれどもこの時ばかりは、いくらボスが相手でも譲れなかった。


「私に、行かせてください。先生を一番近くでお支えするって、ボスにも宣言しましたよね? 先生とも約束したんです。ずっとお側にいるって! 先生がヴェーデン国王となることを阻むもの全部と戦うって!」

「それは随分と勇ましいことだな。しかし、人の深層心理に入り込むのは心地のいいものではないぞ? 知りたくないことまで知ってしまうだろう」

「それでも! それでも、私は先生を助けたい!」

「ロッタ……」


 ボスの反対を押し切ろうとしたのなんて、これが初めてのことかもしれない。

 難しい表情をするボスを見て、やはり自分が、と女王陛下とモアイさんが声を上げたものの……


「でも、気心の知れた人じゃないとクロード様の意識自体が受け入れてくれないかもしれないわねぇ。だって、親しくない相手に心の奥を覗かれるのなんて、嫌じゃなぁい?」


 アンがのんびりと告げた言葉に、二人はぐっと口を噤んだ。

 女王陛下は先生の実の母親だが長年確執を抱えていたし、モアイさんはまだ近衛師団長となって日が浅い。

 となると、先生の信頼を一番に勝ち得ているのは間違いなく私だろう。

 

「――私が、行きます」


 きっぱりとそう宣言したとたん、ボスは諦めたようなため息を吐いた。




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