35 黒幕の言い分
「ロッタ、この役立たずがっ!!」
突然の罵倒に、私は一瞬縮こまる。
ザラがマーロウ一家で幅を利かせていた頃は、日常的に聞いていた金切り声だ。
実は、まあまあなトラウマだったりする。
「ほんと、使えない子ねっ! お前が王太子の暗殺に成功していれば、何もかもうまくいったはずなのにっ!!」
私を睨み据えて吐き捨てるようにそう言ったザラは、さらにナイフを取り出して投げつけてくる。
その鬼気迫る形相に怯みそうになったものの、モアイさんが再びナイフを剣で打ち落としてくれた。
すかさずハトさんも、鋭い爪とくちばしでもってザラに襲いかかる。
「きゃあ! やめっ、やめろっ、この馬鹿鳥っ! ローストチキンにするわよっ!!」
「ガアー!!」
かつて風切り羽根を毟られそうになったことをまったく許していないハトさんは、ザラに対して容赦のない攻撃を繰り出す。
その隙に、モアイさんが彼女の両手を後ろ手に拘束し、地面へうつ伏せに押さえつけた。
ザラの企みにどこまでの人間が関わっているのか。蜥蜴の尻尾切りにさせないため全容が見えるまで泳がせていたものの、こうなっては致し方ない。カイン・アンダーソンと同じ、王太子に対する暗殺未遂の現行犯だ。
往生際悪くぎゃあぎゃあと喚き散らす彼女の眉間に、ハトさんのくちばしが強烈な一撃を加えて黙らせる。
こうして、ひとまずは一件落着。
私の目の前に立ち塞がる先生の背中も、わずかに緊張が解けた――と思った、その時だった。
「――クロード!!」
鋭く、今世の先生の名を呼ぶ声が聞こえ、ザラが現れた茂みの辺りから何者かが飛び出してくる。
アルフ殿下と同じ、銀色の髪と緑色の瞳の壮年の男性――王配殿下だった。
私はついさっき、彼がザラとこっそり会っている現場を目撃したばかりだ。
ザラとグルである可能性が高まった人間を先生に近づけるわけにはいかない。
私はナイフを逆手に持ち直し、先生の脇を擦り抜けて、王配殿下にその切っ先を向けようとした。
ところがである。
「――えっ?」
恐ろしいことが起きた。
先生の背中によって私からは死角になっていた場所から、剣を振り上げた人影が現れたのだ。
しかもそれは、カイン・アンダーソン――先生ことクロード殿下暗殺未遂事件の首謀者として拘束され、地下牢に繋がれているはずの男だった。
なぜカインがここに?
一体誰が、彼に剣を与えたのか?
次々と涌き上がる疑問に構っている暇はなかった。
カインの持った剣が、先生目がけて振り下ろされたからだ。
けれども、私はすでに前方から駆けてくる王配殿下に狙いを定めて地面を蹴っているため、すぐさま方向転換するのは難しい。
(間に合わない――先生が斬られるっ!!)
そう絶望しかけた時だった。
「――ぐっ!!」
事態は思いがけない展開を見せる。
なんと、寸でのところで王配殿下が先生を抱き込み、身を挺して庇ったのだ。
先生を正面から袈裟懸けに斬ろうとしたカインの剣は、王配殿下の右肩の骨に引っかかって一瞬動かなくなる。
はっと我に返った私は慌てて身を翻し、柄を握るカインの手をナイフで切り付けた。
「ええいっ!」
「うわっ!!」
カランと音を立てて、カインの剣が地面に落ちる。カインは右手を押さえてその場に踞り、私は足下に転がった剣を遠くへ蹴った。
一方の先生は、自分に覆い被さる王配殿下の身体を抱き留め、呆然と呟く。
「どうして……どうして、あなたが〝私〟を庇うんだ……」
「はは、どうしても、何も……親が子を守るのは、当然のことだよ……」
だらりと垂れ下がった王配殿下の右腕から、ポタポタと血が伝い落ちる。地面には瞬く間に赤い水溜まりができた。
慌てて駆け寄った私は自分のスカートの裾をナイフで切り取り、先生がそっと地面に座らせた王配殿下の肩に当てて止血する。
上手い具合に刃が骨に当たって止まったおかげで、腕を切り落とされずに済んだのは幸いだった。
痛みと出血によって王配殿下の顔色は良くないが、少なくとも致命傷ではないだろう。
のしっとザラの頭を踏みつけたハトさんに彼女を任せ、モアイさんがカインを拘束しようと立ち上がる。
とたんにハトさんの足の下から、王配殿下に向けてザラが叫んだ。
「ばっかじゃないの! なんで庇うのよ! そいつが死んだら、あんたの息子が国王になれるっていうのにっ!!」
「クロードも、私の大事な息子だよ」
王配殿下は笑みさえ浮かべ、迷いのない口調で続ける。
「誰がなんと言おうと――たとえ、クロード自身が認めずとも、私は彼の父親だ。陛下と結婚した時、私はこの子の父親になると決めたんだ」
先生がひゅっと息を呑む。
この状況では、さしもの先生も王配殿下が嘘や戯れ言を言っているとは思えなかったのだろう。
王配殿下は、ザラにというよりはむしろ先生に向かって、噛んで含めるように続けた。
「次のヴェーデン国王はクロードだよ。クロード以外なんてありえないし、許さない。私もアルフも、クロードを支えるためにここにあるんだからね」
いつぞや、お互いの顔も見えない隠し通路の暗闇の中で、とつとつと胸の内を吐き出したアルフ殿下と同じ。
疑うべくもない。その言葉が王配殿下の本心だった。
さっき白樫の木の下でザラと何を話していたのかは確かめなくてはならないが、この人が先生を害するはずはない、と私は今度こそ胸を張って言えるような気がした。
当の先生は、まだどこか呆然とした面持ちをしている。
それでもきっと王配殿下の言動は、頑だった彼の心にも大きく響いたに違いない。
先生と王配殿下――家族との関係が一気に好転しそうな予感に、私はほっと安堵のため息を吐き出す。
ところが、事はこれで終わりではなかった。
「――お前の……全部、お前のせいだ……」
ふいに、和みかけた空気を打ち壊すようなおどろおどろしい声が響く。
その場にいた全員が、はっとして声の出所に目を遣った。
犯人は、右手の甲から血を流して地面に踞っていたカイン。
ゆっくりと持ち上がった彼の顔は幽鬼のように青白く、目だけがギョロギョロと忙しなく動いていた。
はっきり言って気味が悪い。
今更ながら、一月近く地下牢に繋がれていた彼はやせ細り、随分とヒゲも伸びていた。着っぱなしのシャツとズボンは薄汚れ、王族の近くに仕えていた華々しい騎士らしさは見る影も無い。
我ながら、よくぞ一目見てカインだと分かったものだと思った。
カインは血の付いた右手を薄汚れたズボンで拭う――かと思ったら、なんと次の瞬間には小型のナイフを握っていた。どうやら、ベルトの後ろに差し込んでいたらしい。
奇しくもそれは、私が最初に先生を刺したものとそっくりだった。
ギョロギョロと動いていたカインの目が、突然ぴたりと止まる。
先生――ではなく、私を捉えて。
身の危険を感じ、とっさにその場を離れようとしたものの、思いがけないものが仇となった。
なにしろ、今宵の私は黒猫のコスプレをしている。ドレスの後ろから垂れ下がった猫尻尾をカインに掴まれてしまったのだ。
(せ、先生の性癖のせいでーっ!!)
衣装を選んだ相手に、心の中で悪態を吐くくらいは許されるだろう。
カインはナイフを逆手に持ち替え、憎々しげに叫んだ。
「お前のせいで、何もかもだめになったんだっ――!!」
「わああん! 逆恨みですよぉっ!!」
絶体絶命である。
私という哀れな黒猫ちゃんが暴漢の手に落ちようとした、その時だった。
ぱっと目の前が陰り、次の瞬間強い力で抱き竦められる。
と同時に、ぐっ、と先生の呻き声が耳元で聞こえた。
庇われたのだと私が理解した時には、モアイさんがカインの右手を捻り上げていた。
しかし、その手にナイフはなく、地面に落ちるような音もしない。
「せ、先生……?」
おそるおそる、先生の身体に手を回す。
とたん、ぬるりと手が滑る感触を覚え、私はひゅっと息を呑んだ。
先生の身体にはカインのナイフが突き刺さり、溢れ出た血が白いシャツと私の手を赤く染める。
しかもナイフが突き刺さっていたのは、これまた皮肉なことに、私が最初に先生を刺したのと同じ左の脇腹だった。




