33 仮装舞踏会(後)
途中まで、番犬よろしく後を付いてきたアルフ殿下は、うっかりどこぞの貴婦人の手を取ってしまい、今は茶色い尻尾をプラプラさせながらダンスの真っ最中である。
私に対してもダンスの誘いは多々あったものの、「主人以外の方と踊ることを禁じられておりますので」と心底申し訳なさそうな顔を作って言えば、その主人というのが王太子殿下であると分かっている人々は容易く引き下がってくれた。
煌びやかで奇抜な衣装を纏う人々の間に紛れることによって、あちこちから絡み付く視線を振り切ることに成功した私は、やがてバルコニーの際まで辿り着く。さっきまでいた上座とは対称の位置にあり、大広間を一望できる場所でもあった。
柴ワンコなアルフ殿下はどうやら新たな狩人に捕まってしまったらしく、さっきの貴婦人とは別の妙齢の女性と踊っている。まったくもって楽しくなさそうな顔をしてはいるものの、さすがは生粋の王子様。女性をエスコートする姿は、例え犬耳と尻尾が付いていても十分様になっていた。
遠くの方では、ボスとアンがまだくるくると踊っている。
最後に先生はというと、何やら年齢層の高い面々に囲まれていた。
先ほど男装の女王陛下と踊っていた貴婦人が、どうやらボスウェル公爵夫人らしい。
ボスウェル公爵夫人は先生の手を握り締め、また別の同年代に見える男女を熱心に紹介しているみたいだった。
「あれは……確か、モーガン夫妻」
彼らの長男フィリップが、風紀を乱したとして近衛師団をクビになったのはまだ記憶に新しい。
さぞかし社交界での肩身が狭くなったであろうモーガン夫妻は、跡取りだったフィリップを勘当してまで名誉挽回に必死だった。
ボスウェル公爵夫人はよほど妹が可愛いのか、そんな妹夫妻を次期国王に取り入らせようと懸命の様子。
先生は薄らと口元に笑みを浮かべてそれを聞いているようだったが、仮面の奥の目は鋭くモーガン夫妻を見据えていた。
そしてそれは、ボスウェル公爵と並んで立っている女王陛下も然り。
何と言っても、前近衛師団長カイン・アンダーソンとミッテリ公爵令嬢に王太子暗殺を唆し、それに始まる一連の事件の黒幕と思われるザラ・マーロウは、このモーガン家当主の愛人なのだ。
モーガン夫妻だけではなく、夫人の姉であるボスウェル公爵夫人、さらにはボスウェル公爵本人まで事件に関わっている可能性は否定できない。
そうして、もう一人。
私は大広間に隈無く視線を巡らせてその人物を探す。
事件に関わっているか否か、ひいては先生ことクロード殿下の敵なのか味方なのか、私が女王陛下より直々に見極める役目を賜った相手――王配パウル・ヴェーデン。
今宵、仮装舞踏会が始まってから彼の姿を一度も見ていなかった。
仮装舞踏会が公務ではないとはいえ、女王陛下が参加しているのに王配殿下が伴わないとは考えにくい。
「いないなー」
近くのテーブルにあった骨付き肉を齧りつつ、私が小さくそう呟いた時だった。
カア、と耳馴染んだ声がしてバルコニーを振り返る。
開放された掃き出し窓の向こう。バルコニーの手すりの上に、見慣れたツートンカラーのカラスが止まっていた。
マーロウ一家の伝言係にして私の姉役、カラスのハトさんだ。
周囲の目を気にしつつバルコニーに出た私は、齧り掛けの骨付き肉を彼女に進呈する。
その時ふと、手すりの向こうに目をやって、はっと息を呑んだ。
銀髪の壮年の男性と長い黒髪の若い女性が向かい合っているのを見てしまったからだ。
「――パウル様と……ザラ」
王配パウル・ヴェーデンと、全ての元凶ザラ・マーロウ。
一番見たくなかったツーショットがそこにあった。
私はとっさにしゃがんで身を隠し、手すりの隙間から目を凝らす。
王配殿下とザラは、王宮の隅にある白樫の木の下にいた。
いつぞや若い男二人が先生を貶める会話をしていた場所であり、かつては蜂の巣がぶら下がっていたあの白樫の木である。
少し前までだったら大広間のバルコニーからは死角になっていたのだろうが、先日他にも蜂の巣がないか点検するついでに周囲の木が剪定されたことで見晴らしがよくなっていたのだ。
大広間のバルコニーからは随分と距離があるため、残念ながら二人がどんな会話をしているのかまでは分からない。
けれども、たまたまバッタリ出会ってハジメマシテの挨拶を交わしているだけ、という雰囲気にはどうにも見えなかった。
ザラが王配殿下の腕に手を添え、そっと内緒話をするみたいに耳元に顔を寄せたからだ。
「えええ……まさか? まさかまさかの、パウル様がグルだった!?」
ザラは、カイン・アンダーソンを近衛師団長から引き摺り下ろしてモーガン家の跡取りフィリップを後釜に据えると同時に、自身が没落するきっかけとなったネロ・ドルトス――その息子である先生ことクロード殿下への復讐を果たすことができる。
一方の王配殿下は、兄ボスウェル公爵の甥フィリップが近衛師団長として重用されることにより王宮内での勢力が拡大し、何より先生を亡き者にすることで実子であるアルフ殿下に玉座が回ってくる。
利害は完全に一致し、二人がグルであったとしても何ら不思議ではないのだ。
女王陛下は私に対し、先生の味方という立ち位置から王配殿下を見極めてほしいと言ったが、彼女自身はきっと、五年前の王太子暗殺未遂事件と同様に夫を疑ってもいないだろう。
アルフ殿下だって、あんなに一途に先生を慕い、彼が玉座に就いた暁には自分がそれを支えたいと宣言していたのだ。それなのに、実の父が自分を国王にするために兄を殺そうとしていたと知ったら、どれほど傷付くことか。
何より、ただでさえ捻くれてしまっている先生が、世間に失望して心を閉じてしまわないか、私はたまらなく不安になった。
「ど、どうしよう……ハトさん、私、どうしたらいい?」
「カアー」
今すぐあの白樫の木の下へと飛び出していって、王配殿下とザラの密会現場を押さえるべきなのか。
それとも、ご年配の方々に囲まれて薄ら笑いを浮かべている先生をここまで引っ張ってくるべきなのか。
あるいは、ひとまずこっそり女王陛下に耳打ちした方がいいのか。
もしくは、ボスに指示を仰ぐのが得策か。
私は、自分がどうするのが正しいのか判断がつかなかった。
手すりの下にしゃがみこんで頭を抱える私に、ハトさんが心配そうに寄ってくる。
前世の父と雰囲気がそっくりの王配殿下は、絶対に悪人に成り得ない類いの人間だと豪語していた私は、ショックのあまり完全にパニックになっていた。
そのため不覚にも、バルコニーに自分以外の者が出てきたことに、声を掛けられるまで気づくことができなかったのである。
「――そこのあなた。ちょっとよろしいかしら?」
尊大な声は若い女性のものだった。しかも、聞き馴染みがない。
全然よろしくないですし、めちゃくちゃお取り込み中です――そう言いたくなるのをぐっと堪え、私は声の主を振り仰ぐ。
はたして、そこにいたのは煌びやかに着飾った妙齢の女性だった。
しかも、三人。大広間へ戻る道を塞ぐように立ち並んでいる。
それぞれが鳥の羽根やら大輪の花やらで派手派手しく顔周りを飾っている上に、背後から大広間の明かりに照らされ逆光になっているものだから、シルエットがえらいこっちゃになっていた。
私はとっさにハトさんをスカートの影に隠しつつ、三人組を観察する。
これまで一切面識のない相手だった。しかし、彼女達が私に声をかけてきた理由は簡単に想像できる。
先生ことクロード殿下とミッテリ公爵令嬢との婚約が解消されたことは、当然ながら知れ渡っていた。それにより、王太子妃――ひいては未来の王妃の座が空いたと浮かれた女性も少なくはなかったはず。
それなのに、急に現れた私がいきなりその椅子に座ってしまったのだ。認めたくないのも当然だろう。
だから、ちょうどいい具合に先生の側を離れ、人気のないバルコニーに一人きりでいた私を苛めてやろうと思った――イマココ、ってなわけだ。
「まあ、いやだ。そんな品のない恰好で、殿下達のお側に侍らないでいただきたいわ」
「黒猫なんて不吉ですこと。ヴェーデン王国に災いでも呼び込むおつもりなのかしら」
「あら、あなたの瞳……まるで、今宵の月のように禍々しい色をしているのね」
くすくすと蔑んだ笑いを向けてくる彼女達を、私も鼻で笑ってやりたい気分になった。
だって、生温いのだ。どうせ寄ってたかって苛めるのなら、もっとこう、こちらがグサッとくるような嫌味でも吐いてみせればいいものを。
私は手すりの隙間を擦り抜けて外に出たハトさんが暗闇に紛れるのを確認してから、ゆっくりとその場で立ち上がる。
そうして、三人組のお粗末な罵倒スキルを憂えつつ、目一杯悲しそうな顔を作って言った。
「品のない恰好だなんて、あんまりなことをおっしゃらないで。せっかく、クロード様が用意してくださった衣装ですのに」
「えっ? で、殿下が……?」
「それに、クロード様は黒猫がお好きなんですよ。みなさまは、そんなこともご存知ないのでしょうか?」
「そんなことも、ですって!?」
「自分で瞳の色を選べるわけではありませんから。幸いクロード様は、人の生まれ持った色や形を貶めるような心の貧しい方ではございません」
「あ、あなた! わたくしの心が貧しいとでもおっしゃりたいのっ!?」
クロード様はクロード様が、と先生を引き合いに出してのあからさまな挑発に、女子三人組は呆れるくらい簡単に乗ってくる。
そのうち最も沸点の低かった一人が、手に持っていたワイングラスの中身を私に引っ掛けようとした。
おそらく、避けるのはわけがなかっただろう。
けれどもそうしなかったのは、ワインに濡れたことを口実に大広間から抜け出して、王配殿下とザラの密会現場を目撃して混乱した気持ちを整理したかったからだった。
ワインが目に入るのを避けるために、私はその瞬間、ぎゅっと両目を瞑る。
ところがである。
「あれ……?」
いつまで経っても、衣装が濡れる気配がない。
不思議に思った私は、恐る恐る目を開ける。
するとすぐ目の前には、赤いジャケットを羽織った広い背中があった。
「……せ、先生?」
私を背中に庇ったのは、ついさっきまで離れた場所でボスウェル公爵夫人の相手をしていたはずの先生だった。




