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30 仲睦まじい二人



「おはようございます、陛下。よい朝ですね」

「……おはよう、クロード。本当に良い朝ね」


 満面の笑みで朝の挨拶をした先生に対し、応えた女王陛下の美貌は引き攣っているように見えた。



 私が夢の中に乱入したボスから呼び出しを受け、アンの家で女王陛下と真夜中の対面を果たした、その次の朝のことである。

 部屋の扉の向こうで夜警をしていた近衛師団副団長ダン・グレゴリーのノックによって、私はようやく先生の抱き枕の任を解かれた。

 とはいえ、さっさと身支度を整えた先生が、宣言通り私のベッドの撤去をダンに命じてしまったため、今夜以降も――先生曰く無期限に、抱き枕役を担わなければならないらしい。

 私はそんな事実に脱力し、先生のベッドにぐったり寝転がっていた。

 それをチラ見したダンが顔を赤らめて気まずそうにする。何だか誤解を招いたような気もするが、もはや訂正する気力も無かった。

 後日、先生の思惑通り私達が同衾しているという噂が立ち、「毎晩相当お盛んらしい」とかいう下世話な注釈が付いてゲンナリするのは、また別の話。

 ベッドでごろごろしているうちに、私はウトウトし始める。結局昨夜はほとんど寝ていないのだから、眠くなるのも当然だろう。

 ところが、私の完璧な体内時計――特に、時間にうるさい腹の虫が朝飯を食わせろと騒ぎ始めればそうもいかない。

 眠気と食い気では後者にパワーバランスが傾きまくっている私は、仕方なくのろのろと起き上がって、ベッドの傍らに立った先生を見上げて口を開いた。


「先生、ごはん」

「うん、俺はご飯じゃないんだけどね。バイトちゃんのその言い草、世の奥様方が旦那にイラッとくるNGワードの一つだから気を付けて」

「先生、私にイラッとしてるんですか?」

「いや、してないけどね」


 そんな不毛な会話の間も、私のお腹はグーグーと声高に叫ぶ。


「アンの家で食べてきたんじゃなかったの?」

「食べてきましたよ。アンのカンパーニュと女王陛下秘蔵のパストラミビーフ、おいしかった……。でも、それはそれ、これはこれですもん」

「……へえ? 女王陛下? その話、詳しく聞こうじゃないか」

「話せば長くなるんですってばー」

 

 こうして、私はやっと昨夜のことを洗いざらい先生に話すことになったのである。

 その後、先生はいつものように私室の簡易キッチンに立つのではなく、身支度を整えさせた私の手を引いて廊下に出た。

 やってきたのは、王族の私室がある棟の一階テラス――女王一家が毎日朝食を取る場所である。

 私を連れていきなり現れた先生ことクロード殿下に、すでに席に着いていた女王陛下と王配殿下は、それこそ豆鉄砲を食った鳩のような顔をした。

 そんな中、我に返るのが一番早かったのがアルフ殿下だ。

 彼は、犬だったらちぎれんばかりに尻尾を振っていそうな顔をして駆け寄ってくると、先生と私のために椅子を引いてくれた。


「兄上! どうぞ! こちらに!」

「ああ、ありがとう」

「あ、あのっ! 私も、お隣に座ってもよろしいですかっ?」

「どうぞ。好きにお座りよ」


 許しを得たアルフ殿下は、いそいそと先生の右隣の席に着く。ちなみに、私は相変わらず先生の左隣が定位置だった。

 先生ことクロード殿下がこうして家族の食卓に現れるのは、実に五年ぶり。

 件の、暗殺未遂事件以来だという。

 先触れもなかったというのに、先生と私の前にはすぐさまカトラリーが並んだ。

 それを用意した侍女頭は何だか嬉しそうで、焼き立てのパンを自ら担いで駆け付けた総料理長なんて目尻に涙まで浮かべていた。

 女王一家の朝食は、テーブル一杯に様々な料理が並んだビュッフェスタイルで、食事の最中は給仕を置かずに自分達で好きなものを取り分け団欒を楽しむらしい。

 とはいえ、先生は何もそんな家族の団欒を求めてやってきたのではない。


「おや、陛下。目の下に隈が。昨夜は夜更かしでもなさったのでしょうか?」


 冒頭の挨拶に続いて、先生が笑顔のままそう告げる。

 紅茶のカップをソーサーに戻そうとしていた女王陛下の手が揺れて、カチャンと小さく音を立てた。

 何も知らない王配殿下とアルフ殿下は不思議そうな顔をする。

 それもそのはず。実際は、女王陛下の目の下に隈なんて見当たらなかったからだ。

 

「私のロッタも、昨夜は無作法者に夢の中を荒らされたとかで眠れなかったのだそうですよ」

「そ、そう……」

「先日、アルフと共に何者かの襲撃に遭ったばかりで心労も絶えないというのに、何とも惨いことをする」

「……」


 先生はこれみよがしに私の肩を抱き寄せると、口を噤んだ女王陛下を冷ややかに見据えた。

 彼は、女王陛下が自分に内緒で私を呼び出したことももちろん気に入らないが、私が狙われていると知りながら夜中に一人で行動させたことにたいそう腹を立てていた。

 五年前、ボスのクーデターをきっかけに娼館に売り飛ばされたザラ・マーロウは、その後美貌と根性を武器に伸し上がり、現在さる金持ちの愛人となっている。

 その金持ちというのが、実はヴェーデン王国に居を構えるモーガン家の当主――ボスウェル公爵夫人の妹の夫で、私が先日近衛師団長候補から蹴落とした、フィリップ・モーガンの父親だったのだ。

 ザラのそもそもの目的が、パトロンであるモーガン家の勢力を拡大することで、そのために跡取り息子のフィリップを出世させようと考えたとすれば、点と点を線で繋ぐことができる。

 フィリップのために近衛師団長の席を空けさせようとしたザラは、ますはカイン・アンダーソンとミッテリ公爵令嬢を唆し、先生ことクロード殿下を暗殺させようとした。

 ザラはもともと、ネロ・ドルトスへの憎しみをその息子である先生にも向けていたのだ。先生が死ねば復讐にもなるし、モーガン家の親戚であるボスウェル公爵家の血を引くアルフ殿下が国王となって一石二鳥。

 私を暗殺役に選んだのは、私がたまたまヴェーデン王国の近くで先の任務を終えたばかりだったから、あるいは成人を前にして功を焦っていたので騙しやすいと踏んだから――それとも、ボスに目をかけられているのが今でも気に食わないからか。

 ザラ本人から供述を取ったわけではない現状では推測に過ぎないが、彼女が私の動向を探っていたという事実だけは裏が取れているらしい。

 私が以前ダン・グレゴリーに酒を飲ませまくった、城下町の片隅にあるあの寂れた飲み屋の店主情報である。

 とにかく、暗殺が成功して先生が死のうとも、失敗して私が囚われようとも、ザラにはどちらでもよかった。

 前者の場合は王太子を守れなかったとして、後者の場合も不審者をみすみす王宮に侵入させたとして、カインは責任を追及されて近衛師団長をクビになるはずだったのだ。

 ところが、先生は死なず、私も囚われることがなかった。

 近衛師団長の席は空いたものの、肝心のフィリップはスキャンダルを起こし、近衛師団長候補どころか近衛師団自体を辞める羽目に。結果、モーガン家はボスウェル公爵家から見放される寸前の、たいそう苦しい立場となっている。

 私がザラに唆されたと思われるアルフ殿下とともに人気のない場所に行き、ナイフで狙われたのはその後だ。

 つまり、フィリップの失脚に私が関わったことがザラにばれていて、その恨みから直接的に命を狙われ始めたと考えるのが妥当だろう。

 そんな私を夜中に一人きりでアンの家まで呼び出し、そうして一人で帰した女王陛下に、先生は心底腹を立てていた。同じ理由から、近衛師団長モアイさんにも、ボスにも――何より、不用心が過ぎる私に対しても。


「可哀想な、ロッタ。ほら、たくさん食べて元気をお出し」

「……いただきます」

「おや、いつもみたいにがっつかないんだね。緊張しているのかな? よしよし、じゃあ、私が食べさせてあげようね」

「い、いえ! おかまいなく! 自分で食べ……むぐっ!?」


 先生は笑顔を浮かべつつ、それはもう、はちゃめちゃに怒っている。

 その証拠に、私の口に強引に突っ込まれたのはパクチーだった。コリアンダーでも香菜でもコエンドロでも呼び方は何でもいいが、とにかく私にとっては前世でも今世でも嫌いな食材ワースト一位殿堂入り。理由を問われれば、カメムシ臭いからとしか言いようがない。

 先生だってそれを知っているはずなのに、私が一度口に入れたものは吐き出さない主義なのを逆手に取って、随分とひどい仕打ちをするものだ。

 私は悔し紛れに、机の下でこっそり彼の向こう脛を蹴った。


「そんなクセの強い野菜が好きなのか? 変わってるな?」


 なんて、感心したような顔をするアルフ殿下の向こう脛も、足が届くものなら蹴ってやりたかった。

 私は涙目になりながら、ひたすらパクチーをシャクシャクする。

 と、ここで、思わぬところから救いの手が差し伸べられた。


「ほら、こちらもお食べ。今朝生まれたばかりの卵で作ってもらったオムレツだよ」


 向かいの席――女王陛下の隣からそう言って、こんもりとお皿に盛られていたオムレツを取り分けてくれたのは、王配殿下だった。

 どうにかこうにかパクチーは飲み込んだものの、口の中に残った味と香りに辟易していた私の目には救いの神のように映り、思わず両手を合わせたくなる。

 実際、王配殿下の後ろから朝日が差し、まるで後光を背負っているみたいだから、よけいにありがたい存在に見えた。なむー。


「私はこれに目がなくてね。君も気に入ってくれると嬉しいよ」

「ありがとうございます! いただきまあすっ!」

 

 私は両手で恭しくお皿を受け取ると、隣に座った先生からの冷たい視線もどこ吹く風、いそいそとフォークを握る。

 目にも鮮やかな黄色い表面は、ツヤツヤとしていて弾力があった。プスリとフォークを突き刺せば、中からトロリと半熟の卵が溢れてくる。

 口の含んだ瞬間、それは舌の上で蕩け、卵本来の甘味とわずかな塩味、そして芳醇なバターの香りが一気に口の中に広がった。

 さすが、王配殿下が勧めるだけある。

 おかげでテンションが上がりまくった私は、先生が怒っていたことも忘れて、その口にもオムレツを突っ込んだのである。

 

「ほら、せ……クロード様も! ふわふわでトロトロで卵の味が濃くっておいしいですよ!」

「んぐっ」

「ね? おいしいですよね? ねっ!?」

「……まあ、新鮮な卵だし? 総料理長が作ったものだからおいしいのは当然だけど?」


 先生は眉間に皺を寄せたものの、育ちがいいので口に含んだものは吐き出さない。

 おいしいと言いつつどこか悔しそうなのは、料理男子として総料理長にライバル心を燃やしているのだろうか。

 アルフ殿下は、兄が口にしたオムレツに興味津々だ。

 先生の牽制に顔を引き攣らせていた女王陛下も、苦笑いを浮かべて再び紅茶のカップを手に取った。

 私が自分と先生の口にせっせとフォークを運んでいると、お皿はあっという間に空に。

 すると、王配殿下がすかさずオムレツを追加してくれた。

 それを繰り返すこと、五回。わんこそばならぬわんこオムレツである。

 先生の味方という立ち位置から王配殿下を見極めてほしい、と昨夜女王陛下に頼まれたが、今なら私は手放しで彼を合格判定してしまいそうだった。


「君達は仲睦まじいのだね」


 オムレツをシェアする私と先生を眺め、王配殿下がそう呟く。

 まったく同じ台詞を、彼は以前、モアイさんのために開かれた茶会の席でも口にした。

 けれど、困惑を滲ませていたあの時とは違い、この時の王配殿下の声は柔らかく、そして私達を祝福してくれているように聞こえた。




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