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28 ロッタにしかできないこと



 世間は広いようで狭い。

 そんなことわざを、私はまさにこの時体感していた。


「えーと、えーと、つまりですね……女王陛下はもともとアンとお知り合いで、その伝手からこの家でボスと会うことになって、私はそこに呼ばれた……ってことで、あってますか?」


 確かめるように言う私に、ボスと女王陛下は涼しい顔で頷いた。

 上座に女王陛下が一人で座り、その向かいに私とボスが並ぶ形でリビングのテーブルを囲んでいる。

 モアイさんは護衛らしく、まるで彫像のように女王陛下の側に立っていた。

 一方、会合の場として自宅を提供しているアンは、真夜中にもかかわらず鼻歌まじりで窓辺の鉢植えに水をやっていた。

 鉢で満開になっているのは、千年に一度だけ咲くという魔女の花だ。

 その根を煎じて飲んだらしいボスが、先ほど実際私の夢の中に乱入してきたのだから、人の精神に干渉する強い力があるという話は眉唾物ではなかったのだろう。

 花弁を口に含めばあらゆる未練を断ち切ることができるとも言われているが、見た目は何の変哲もない花である。

 薄青色をした五枚の花弁の真ん中に黄色い副花冠を持つその姿は、皮肉なことにまったく正反対の意味を持つ花――私の前世の記憶にある勿忘草にそっくりだった。

 テーブルには、アンが焼いたカンパーニュと一緒に、女王陛下持参のパストラミビーフと年代物のワインが並ぶ。

 私がそれを遠慮なくモリモリ食べる光景を肴に、ボスと女王陛下はワインをちびちびやっていた。

 女王陛下がアンと懇意になったのは、ネロ・ドルトスがヴェーデン王国を追放された直後のこと。お忍びで森の魔女の家を訪ねたことがきっかけだという。

 父親である前国王から厳しく堕胎を迫られていた弱冠十八歳の女王陛下が、毒も薬も作る魔女の家の扉をたった一人で叩いた理由は、とてもじゃないが聞けなかった。

 アンはただお茶とお菓子でもてなしてゆっくり話を聞いただけだったが、やがて女王陛下はお腹の子を産む決意を固めた。

 しかしながら、父王からはどうあっても許しが降りる気配がない。かくなる上は、王太子の位を捨てて祖国を出奔するか――そんなことを考えるまで追い詰められた時、ふいに救いの手が差し伸べられる。

 その手の主こそ、現在の女王陛下の夫であり、ヴェーデン王国の宰相を務めるパウル・ヴェーデン王配殿下。

 それ聞いた時は、さすがに少々腑に落ちない心地がした。


「パウル様は確か、もともと陛下の許嫁でいらっしゃいましたよね。陛下がネロ様とできちゃったことで、パウル様は思いっきり面目を潰されたはずなのに……?」

「そうね。けれど、パウルは度量の大きい男だったわ」


 私の率直な質問に苦笑しつつ、女王陛下は昔を懐かしむような顔をする。

 女王陛下と王配殿下はもともと幼馴染で親友だった。婚約は彼らの父親――前ヴェーデン国王と前ボスウェル公爵が決めたことであり、当初二人の間に恋愛感情はなかったようだ。

 実際、女王陛下が近衛師団長のネロと通じたことに憤ったのは王配殿下本人ではなくその父親で、ネロを処刑しろと騒ぐ彼を宥めて追放だけに留めたのが、現ボスウェル公爵である王配殿下の兄だったという。

 前国王が女王陛下のお腹にいた先生を堕胎させようと躍起になったのは、庶子を国王とすることを問題視したというよりも、結局は名門ボスウェル公爵家の面目を保つためだった。

 そのため、王配殿下とその兄が当時のボスウェル公爵であった父親を説得し、先生の誕生を容認したことで、前国王も渋々引き下がったという経緯がある。

 

「パウルと義兄上に、私は恩も引け目もある。クロードはボスウェル公爵家が重用されるのをよく思っていないようだけれど、私としては父達に迎合せず味方でいてくれた彼らを信頼しているの」

「だから五年前、クロード様の暗殺未遂事件があった時も、パウル様やボスウェル公爵を捜査の対象になさらなかったんですね。クロード様ご自身は、ご自分の出生にお二人が尽力なさったことをご存知なんですか?」


 私の問いに、女王陛下はもちろんと頷いたが、すぐに沈痛な面持ちになってふるふると首を横に振った。


「だが、クロードは納得しなかった。人の考えなど時間の経過とともにいくらでも変化するものだと言って……」

「僭越ながら申し上げれば、クロード殿下のご意見にも一理ございます。二十五年前は親友であらせられる陛下とその御子に同情的であったとしても、ご自身の血を引くアルフ殿下の誕生によって、王配殿下ならびに公爵閣下の考えが変わったとしても不思議ではございませんからね」


 僭越ながらと断りながらも、どこか居丈高に言うのはボスだ。

 ボスは、ネロ・ドルトスを慕い敬愛していた。だから、さっさと彼を過去のことにして別の家庭を築いた女王陛下に対し、少なからず思うところがあるのだろう。

 敵意とまではいかなくても、好意的とは到底言えそうにない眼差しをしている。

 そのせいで、女王陛下の側に控えているモアイさんは明らかにボスを警戒していた。

 かつての恋人の最期について、女王陛下はすでにボスから聞き及んでいるようだ。

 一番不安で心細い時に味方をしてくれた王配殿下やボスウェル公爵を、盲目的に信じてしまう女王陛下の気持ちも分かる。

 けれども、だったら先生の気持ちにはいったい誰が寄り添ってあげられるというのだろうか。

 何だか胸の奥がもやもやして、私は食事の手を止める。パストラミビーフに付いていた粒胡椒が奥歯で潰れて、ピリリと口の中に刺激が走った。

 

「それで、結局私はどうしてこの場に呼ばれたんでしょうか?」


 そう問いを口にしたとたん、三対の瞳が私に集まる。ボスと女王陛下とモアイさんの瞳だ。

 たじたじとした私は、その三対の中で絶対的な味方であるボスを縋るように見た。

 ボスはワインのグラスをテーブルに置くと、私の唇の端に付いていたらしいパンの粉を親指で払いながら言う。


「お前が身分を詐称して王宮に滞在していたこと、そして今後もそれを継続することを黙認いただく代わりに、女王陛下より新たなご依頼を賜った」

「えっ、女王陛下直々に? わ、私に務まるんでしょうか?」


 思わず口を付いて出た不安に、すぐさま答えたのはボスではなく女王陛下だった。


「ロッタにしか、できないことなの」

「私にしか……ですか?」


 首を傾げる私に、女王陛下もワイングラスをテーブルに置いて続ける。


「ロッタを側に置くようになって、クロードは変わったわ。もちろん、いい方にね。侍女頭や総料理長といった古馴染みの年長者を素直に頼るようになり、ロッタと一緒に食事をとり始めてからは顔色もぐっと良くなった。アルフの話では、クロードが料理を作るらしいじゃない?」

「あ、はい。それはもう全力でご馳走になってます」

「ふふ、最近ではアルフまで時々相伴に与っているとか。モアに聞いたが、ロッタが先にアルフと仲良くなってくれたおかげで、クロードとの距離も縮まったのだそうね?」

「アルフ様は裏表のない方ですから。クロード様も一度懐に入れてしまったものだから、もう邪険にし切れないみたいです」


 一瞬モアって誰のことかと思ったが、モアイさんの正式名称だった。

 先生がアルフ殿下に対して態度を軟化させたのは事実で、女王陛下とモアイさんの目には私が二人の仲を取り持ったように映っているらしい。

 女王陛下の依頼というのは、それを見込んでのことだった。


「私は近々玉座をクロードに譲るつもりでいる。国王となった暁には、宰相を務めるパウルと協力してこの国を動かしていかねばならないわ。けれど先ほど言った通り、パウルを信じずにはいられない私の言葉では、彼が味方であるとクロードを納得させられないの」

「つまり……私に、クロード様とパウル様の仲を取り持てとおっしゃるのですか?」


 確認するみたいに問いながら、私はそれはちょっと嫌だなと思った。

 王配殿下を信じたい女王陛下の気持ちは分かるが、疑いたくなる先生の気持ちも分かるからだ。

 そして、二人を天秤に掛けたとしたら、私は前世の誼みもあって迷わず先生を選ぶ。

 ボスに呼び出されて女王陛下から直々に依頼をされた時点で、マーロウ一家のロッタに拒否権はない。

 しかし、前世を共有し、今世もまた危なっかしい先生の側にいると――あの人の味方でいると決めたのだ。


「いやだ……いやです、できません。申し訳ありません。クロード様の気持ちを蔑ろにしてまで、パウル様と仲良くしろだなんて……言いたくないです」


 私はフルフルと首を横に振ってそう言った。

 ボスに怒られるのは覚悟の上だったが、彼の顔も女王陛下の顔も見るのが怖くて、テーブルに額が付きそうなくらいぐっと俯く。

 ところがそんな私の後頭部に、ボスの叱責も女王陛下の落胆のため息もついぞ降ることはなかった。

 それどころか、やんわりと頭を撫でられる。

 先生の手ともボスの手とも違う、嫋やかな女性の手だった。


「謝らなくていいのよ。ロッタも、無条件にパウルを信用する必要はないわ」

「陛下……?」

「ロッタには、クロードの味方という立場からパウルを見極めてもらいたいの。その結果、ロッタが彼を信用に足ると判断したならば、いずれきっとクロードも心を開いてくれる時が来るでしょう」

「私が、王配殿下を見極める……ですか?」


 先生を出産した後、女王陛下と王配殿下は結婚をした。王配殿下は公私ともに献身的に女王陛下を支え、やがて二人の間に友愛以上の感情が芽生えた証拠がアルフ殿下だ。

 そのアルフ殿下を、前世を思い出し、百戦錬磨の弁護士らしく冷静な目を取り戻した先生は受け入れ始めている。

 女王陛下の言うように王配殿下に真実下心がないならば、私がわざわざ見極めなくたって、いずれ先生が彼を認める時が来るだろう。

 私にできるのは、ただ何が起こっても先生の味方でいること。それだけだ。

 頭を撫でる手が離れたタイミングで、私はそろりと顔を上げる。

 向かいの席からは、唯一先生にそっくりな女王陛下の青い瞳が、優しく私を見つめていた。

 私はそれをまっすぐに見つめ返して口を開く。


「クロード様がヴェーデン国王となることを阻むもの、全部と戦う――そう、宣言しているんです。だから、もしも、万が一、パウル様があの方の敵であると判断した場合は……」

「その時は、私も共に責を負おう。パウルと二人、王国の果てに追いやられようとも文句は言うまい」

 

 きっぱりと答えた女王陛下に、私はもう異議を唱えることはなかった。

 交渉成立。

 ボスと女王陛下が再びワイングラスを持ち上げ、テーブルを挟んで乾杯する。

 私もようやくほっとして、食事を再開しようとしたのだが……


「私から、もう一つ伝えておかなければならないことがある――ロッタ、お前を嵌めようとした人物に心当たりができた」

「えっ……?」


 ボスの口から飛び出した言葉に、カンパーニュを掴もうとした手が空を切った。

 



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