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26 因果な話



 はっと気が付いた時には、周囲の光景は前世の事務所から真っ白くて何も無い空間に変わっていた。

 血に塗れていたはずの私の身体も綺麗になっていて、もちろん痛みも無くなっている。

 私はのろのろと上体を起こすと、傍らに膝を付いたボスをまじまじと見つめた。


「……因果なものだ」

「えっと……?」

「いや……お前が案外血腥い夢を見ているものだから少々驚いた。大事ないか?」

「大丈夫ですよ。だって夢ですもんって……えっ、ボス? これが私の夢って分かってるんですか!?」


 単なる夢の中の登場人物かと思ったら、意外や意外。ボスはとんでもないことを言い出した。

 森の魔女ことアンが、本人曰く千年も転生を繰り返しながら育ててきた魔女の花。

 それが、先日ようやく咲いたのだという。

 魔女の花には人の精神に干渉する強い力があり、開花し切った花弁を口に含めばあらゆる未練を断ち切ることができる。また、根を乾燥させて煎じて飲めば、精神を肉体から引き離すこともできると言い伝えられている。

 おそらくは、向精神薬的な作用を及ぼす強力な毒を有していると思われる、というのが先生の見解だった。

 そんな、はっきり言って劇薬にも等しいものをボスは口にし、その結果今こうして私の夢の中に入り込んできたというのだ。


「じ、実験台になったってことですか? ボス自ら!?」

「感傷的な話には興味はないが、花の作用自体は面白そうだと思ってな。半信半疑だったが、まさか本当に人の精神の中に入り込めるとは……」

「精神に入り込むって何ですか、それ!? プライバシーの侵害も甚だしいですよ! ボスのえっっっち!!」

「そうは言うがな。お前の頭の中、半分以上食い物のことが占めていて、色っぽさなど皆無ではないか」


 ボスの言うとおり、白いばかりと思っていた空間の所々に食べ物の映像が浮かんでいた。

 今朝食べた、白いご飯と塩鮭、青菜のおひたし、卵焼き。塩鮭は、厳密に言えば鮭ではなく鱒だったが、細かいことは気にしないのが私の長所である。

 昼食はそんな鱒ときのこのパスタ。シソにそっくりなハーブを散らして、和風な味わいに仕上げられていた。

 夕食は、肉じゃがだった。醤油がないので塩肉じゃがだが、味付けがあっさりしている分、ホクホクのじゃがいもと甘い玉ねぎの素材の旨味が感じられる逸品だ。

 副菜は、具沢山の茶碗蒸しとキュウリの浅漬けだった。

 白飯をどんぶり三杯おかわりしても「作り甲斐があるね」と許容してくれる先生の笑顔はプライスレス。

 間食は、とにかくたくさん。

 私のそんな赤裸々な食生活を、ボスは呆れた顔をして眺めている。

 

「少なくとも、お前を空腹にさせないという約束は守られているようだな」

「おかげさまで。ハトさんもやたらといいご飯をもらって羽根ツヤ最高になってますよ」

「それは結構なことだ。では引き続き、ヴェーデン王国にはお前達の腹を満たしてもらうとして――クロード殿下に関係して、お前の耳に入れておきたいことがあってな」

「はあ、人の夢に押しかけてまでですかー?」


 口を尖らせる私に構わずボスが語り始めたのは、それこそ彼がさっき口にした通り、何とも因果な話だった。



 マーロウ一家の先代のボスは、悪の権化のような人間だった。

 義理も人情もない。彼の前では、弱い者は暴力と搾取に堪えるしかなかったのだ。

 不本意ながら私も十五歳までは彼をボスとして戴いていたので、その悪逆非道っぷりを目にする機会は数え切れないほどあった。おかげでメンタルは鍛えられたが、だからと言って先代のボスに感謝する気なんて起きるはずもない。

 そんな男を父に持ちながらもレクター・マーロウがまともに育ったのは、ひとえに母親のおかげらしい。

 いずこかの没落貴族の令嬢で、借金の形にマーロウ一家に売られながらも矜持を失わなかった強い人だ。

 母の影響でひたすら父に対して失望していた幼いレクター少年は、ある時、人生の指標となる人物と出会う。

 それが、ヴェーデン王国から追放されたばかりのネロ・ドルトス――元近衛師団長であり、今世の先生の実父だった。今から二十五年前の話である。

 大陸中に名を轟かせる高名な剣士で、傭兵としても引く手数多だったらしいが、愛する人も我が子も、そして平民出にとっては二度とないキャリアも失った当時のネロは失意のどん底にいた。酒に溺れては喧嘩に明け暮れ、ならず者が集まるマーロウ一家に流れ着いた時には、すっかり凋落して見る影もなかったという。

 それでも、五歳のレクター少年の純真で理知的な瞳に映った自分の姿に恥じ入って、すぐさま酒を断つ決意をしたというのだから、性根までは堕ち切っていなかったのだろう。

 もしかしたら、その手に抱くことも叶わなかった我が子を彼に重ねたのかもしれない。

 それからみるみる往時を取り戻したネロにより、マーロウ一家の中でも変化が起こった。それまで虐げられるばかりだった弱い立場の者達が、彼を頼って身を寄せるようになったのだ。

 さすがは、平民の出でありながら近衛師団長に大抜擢されただけある。その統率力に惚れ込んで、幹部の中にもネロに傾倒する者が出始めるのにさほど時間はかからなかった。

 そうなると、面白くないのが先代のボスである。

 このままではボスの座を奪われるのではと危機感を募らせた結果、ついにネロを罠にかけ殺してしまう。

 彼に心酔していたレクター少年をだしにして呼び出し、その目の前でのことであった。

 それが二十年前のこと。


「――あの時、私は必ずやこの手で父を殺すと誓った」


 ボスは、今まで見たこともないくらい暗い目をしてでそう告げた。

 しかし、すぐにいつもの落ち着いた眼差しに戻ると、私に向かって柔らかい声で続ける。


「私に、ロッタを育てるよう勧めたのがネロだ。いつか人の上に立つのなら、か弱き命に寄り添う経験も必要だと言ってな。思えば、あれが彼の遺言となった」


 実の親に捨てられた私はネロの進言によって生かされ、二十年もの時を経て、彼が一生会うことも叶わなかった実の子である先生ことクロード殿下のもとに辿り着いた。

 先生とは前世を共有しているばかりか、今世においても何とも不思議な縁で結ばれているようだ。

 ボスが以前対面した際に、ネロと面識があることやその最期について語らなかったのは、先生が実父に対していい感情を持っていないことが明らかだったからだという。

 そこまで告げると、ふいにボスが立ち上がった。

 そうして、私の食欲塗れの世界をバックに、相変わらず涼しい顔をして告げる。


「クロード殿下抜きで、お前と会いたがっている方がいる。これから、アンの家まで来なさい」

「こ、これから!?」


 ボスは言いたいことだけ言うと、こちらの返事も聞かずに消えてしまった。

 私は一人きりになってしまった空間でしばらくポカンとしていたが、ふと目の前を横切ったもの――今日の午後のお茶請けに総料理長がくれたイチジクとクリームチーズのパイに釘付けになる。しかもそれは私の願望を反映しているのか、お布団みたいに巨大だった。

 とたんに、ぐーっとお腹が鳴る。

 夢の中なのに胃の辺りが切なくなって、これはきっと現実でもお腹が空いているに違いないと思った刹那。

 私の意識は一気に覚醒する。


「ううーん……おなかすいた……」


 瞼を開けた時、現実の世界は夢の中とは対照的に真っ暗だった。

 闇に目を凝らして時計を見れば、時刻は午前二時を少し回った頃。

 こんな丑三つ時に呼び出して、幽霊にでも遭遇したらどうしてくれる、とぶちぶち文句を垂れつつも、私はベッドを抜け出し身支度を整える。

 半月前の再会以来、私は王宮の三階にある先生ことクロード殿下の私室に居候してきた。

 部屋の扉の前では今宵、近衛師団副団長のダン・グレゴリーが警護に当たっている。彼に気付かれずに忍び出すならば、バルコニーから出て外壁を伝って降りるしかないだろう。

 ボスの命令は絶対だ。来いと言われれば、それがたとえ真夜中であろうと行かねばならない。

 ところで、まあまあ貞操観念の高いヴェーデン王国では、婚約者同士の婚前交渉には寛容ではあるものの、節度は求められる。早い話が、結婚式を挙げるまでは毎晩イチャイチャし過ぎるなってことだ。

 私と先生に関しては、便宜上婚約者ということになっているだけなので、ベッドを共有したのは結局最初の夜だけだった。翌日には、侍女頭の指示で私のベッドが用意され、先生の強い希望で彼のものと並べられることになって、今に至る。

 そういうわけで、今夜も隣のベッドでは、すうすうと先生が寝息を立てている。

 先日、近衛師団長候補を偵察する目的で一昼夜留守にした際、置き手紙だけで済ませたのをしこたま叱られたことを思い出す。

 けれども、気持ち良さそうに眠っているのを起こすのは忍びないし、夢の中のボスは先生抜きで私に会いたがっている人がいると言っていた。


「先生が起きる前に、帰って来られればいいんだけど……」


 私は悩みに悩んだ末、結局先生に何も告げずに出掛けることにしたのだった。





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