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25 先生は妬いている



「私生児を国王に戴かねばならんとは、まったくもって嘆かわしい。由緒正しきヴェーデン王国の名折れだな」

「女王陛下も罪なことをなさる。いっそクロード様をお産みにならなければ、こんな憂いもなかったものを」


 王宮の隅にある白樫の木の下で、若い男が二人、先生ことクロード殿下を貶める会話をしていた。

 これは、決して珍しいことではない。

 こと貴族の間には、女王陛下の私生児である先生が次期国王となることに不満を抱いている者が少なくなかった。

 白樫の木の下で話し込んでいる二人の男は、宰相を務める王配殿下の下で働く文官だ。

 他人を貶めるのに夢中の彼らの顔は、とてもじゃないが育ちがいいように見えないものの、身なりからしてそれなりの家の出なのだろう。

 確か昨日、作成した書類の不備を先生から指摘され、無能だの穀潰しだの散々に扱き下ろされていたから余計に憎しみが募っているのかもしれない。


「――いっそ、死んでくれればいいものを」


 男の一人が、そう呪詛を吐く。

 私はぎゅっと眉根を寄せつつも、隣で駆け出そうとしたアルフ殿下に足を引っかけて止めた。

 つんのめりつつも何とか持ち堪えた彼が、ギッと鋭く私を睨む。


「なぜ止める! 兄上に対する暴言の数々、とてもじゃないが許してはおけないっ!!」

「許さなくていいですけど、今ここでアルフ様が出ていって、先生に対する不敬罪であいつらをしょっぴくとして、結局どれくらいの罰を与えられます? たぶん、数日の謹慎くらいが関の山でしょ?」

「まあ、それは……確かに。だが! 謹慎の不名誉は、連中の経歴にとっては痛手になるはず……」

「それで先生が逆恨みされて、これ以上ヘイトが集まっても困るんですよ」

 

 先生の悪口を言う者達に行き当たったのも偶然なら、その直前にばったりアルフ殿下と会ったのも偶然だった。

 私が今世の先生と再会し、ヴェーデン王国の王宮に住まうようになって半月。

 アルフ殿下と二人で隠し通路を散策してからは十日が経つ。

 先生ことクロード殿下は、相変わらず女王陛下や王配殿下、そして父親違いの弟であるアルフ殿下と一緒に食卓を囲むことはないが、厨房を仕切る総料理長や身の回りの世話を一任されている侍女頭とは、以前よりもずっと濃密に関わるようになっていた。

 それもこれも、私の忙しない腹を満たしたり、王太子の婚約者としての体裁を整えたりするためである。

 総料理長や侍女頭にとって私は、五年前の暗殺未遂事件から心を閉ざして人を寄せ付けなくなっていたクロード殿下が、自分達のことを以前のように頼るようになったきっかけ、という認識なのだろう。

 私が彼の側にいることを心から支持してくれているのがよく分かる。

 この時もちょうど、午後のお茶用の茶葉を選びに総料理長を訪ねた帰りだった。

 私に会う度に抱え切れないほどの食べ物をくれる彼は、孫にたらふく食べさせるのが生き甲斐の田舎のおじいちゃんおばあちゃんみたい。

 クロード様と一緒に食べなさい、とお茶請けのお菓子をいっぱい持たせてくれていた。

 一方、宰相を務める王配殿下に師事するアルフ殿下も、ちょうど休憩時間だったらしい。

 厩舎に愛馬のご機嫌窺いに向かう途中でバッタリ私と遭遇し、お互いに挨拶を交わそうと口を開いた刹那に聞こえてきたのが、冒頭の男達の台詞だった。

 私は、ぐぎぎ……と悔しそうな顔をして彼らを睨むアルフ殿下に、両手に抱えていたお菓子の山を預ける。

 そうして、戸惑う彼の耳にこそりと囁いた。

 

「アルフ様、あちらの木の上にご注目ください。何が見えますか?」

「何がって……もしかして、蜂の巣のことか?」

「そうです。あれをですねー……こうしてー……ああしてー……こうじゃ!」

「あっ、馬鹿! そんなことをしたらっ……」


 私はYの形をした木の枝にゴム紐を張った武器を取り出すと、手頃な小石を拾ってセットする。

 いわゆるパチンコ――スリングショット、なんてカッコイイ別名はあるがパチンコで十分である。

 狙うは、白樫の木にぶら下がっている大きな蜂の巣。

 はたして、ビュンと風を切って飛んだ小石は、木の枝と蜂の巣の結合部分を見事に撃ち抜いた。

 蜂の巣はそのまま、先生の悪口に夢中だった男達の頭の上へと落下する。

 そのとたん、ブウンという不気味な羽音とともに、巣の穴という穴からおびただしい数の蜂達が飛び出してきて、白樫の木の袂は一瞬黒いモヤに包まれたみたいになった。

 ギャーッと悲鳴を上げて、男達が逃げ出す。しかし気の立った蜂達は、猛然とそれを追い掛けていった。

 清々した私は、呆気にとられた様子のアルフ殿下の腕からお菓子を取り返す。


「アルフ様。こういう時は何と言うべきか、ご存知ですか?」

「いや……何と言えばいい?」

「ざまぁ、です」

「ざ、ざまぁ……?」


 とはいえ、心臓にボーボーに毛が生えている先生は、あんな有象無象の言うことなんて微塵も気にしないだろう。

 そう思って肩を竦める私に、アルフ殿下がふいに首を傾げた。


「気になったんだが、お前が兄上のことを先生と呼ぶのはなぜだ?」

「……呼んでました? 今? 先生って?」

「呼んでいた。それに、隠し通路に兄上が迎えに来てくださった時も呼んでいた」

「そうですかー……呼んでましたかー……」


 自分では気を付けていたつもりだが、アルフ殿下の前ではどうにも素が出てしまうようだ。

 それはきっと、彼が裏表のない人間だからだろう。

 しかしながら、私と先生の関係を一から説明するのはめちゃくちゃ面倒くさいし、そもそも前世なんてものを信じてもらえるかも分からない。

 そういうわけで、私はにっこりと微笑んで当たり障りの無い答えを口にするのだった。


「クロード様のことを先生みたいに尊敬しているから、たぶん無意識に出ちゃったんじゃないでしょうか」

「なるほどな! 気持ちは分かるぞ! 兄上は立派な方だからなっ!!」


 バカワイイという言葉は、アルフ殿下のためにあるのかもしれない。





「――アルフと随分親しくしているみたいだね」


 山盛りのお菓子を抱えてやってきた私を執務室に招き入れた先生は、休憩と称してお茶を淹れつつそんなことを口にした。

 フライングでイチジクとクリームチーズのパイを頰張っていた私は、モグモグと口を動かしながら大きく瞳を瞬かせる。

 

「私に対するアルフ様の態度が軟化しただけで、以前とさほど変わっていないと思いますけど?」

「それにしては、随分距離が近かったように思うけど? 二人で、何の内緒話をしていたのかな?」


 ここに来る前にアルフ殿下とバッタリ会って、先生の悪口を言う不届きもの達に制裁を加えているのが、執務室の窓から見えていたらしい。

 紅茶をカップに注いだ先生は、そのまま私の真向かいに腰を下ろすと、テーブルの上に身を乗り出して顔を近づけてきた。

 コツンと額同士がくっ付き、至近距離から瞳を覗き込まれる。

 先生の青い瞳の中に私の赤い瞳が映り込み、まるで青空の中に夕日があるみたいで不思議な感じがした。

 

「先生、もしかして……私がアルフ様と一緒にいたのを見て、妬いているんですか?」

「……そうだと言ったら、どうする?」


 先生は両目を細めて、質問に質問で返す。

 私はそんな彼の両手をぎゅっと握り締め、俄然声を弾ませた。


「どうするって――そんなの、応援するに決まってるじゃないですか!」

「えっ……」

「もー、先生ったら、さっさと素直になっちゃえばいいんですよ! アルフ様の方はあんなに先生のことが大好きってアピールしてるんですから、先生もちゃんと好きだよーって言ってあげなきゃ!」

「いや、そうじゃ……そうじゃなくて。バイトちゃんに妬いているわけじゃなくてね……?」 


 何故なのかは分からないが、先生は頭を抱えてしまった。

 しかも、アルフ殿下に対しては別段何も伝えることはないと言う。

 それを聞いた私は、ほんと素直じゃないんだから、と肩を竦めるのだった。





 その夜のことである。


 私は珍しく、夢を見た。


 いや、夢を見ること自体は珍しくない。ただそれが、今世ではなく前世の、しかも最期の瞬間の夢だったのだ。

 見覚えがあり過ぎる、十二坪の事務所の光景。

 そこにいきなり押しかけてきた男は、応対に出た私の胸を問答無用で撃った。

 男はしばらくその場に留まって、床に倒れ伏した私を見下ろしていたようだったが、やがて先生がいる部屋の奥へ向おうとする。

 その足に縋って歩みを止めようとしたのは無意識だった。

 私自身、命を賭して守ろうとするほど当時の先生に思い入れがあったわけではないから、きっととっさの行動だったのだろう。

 しかし、敢え無く振り解かれた私は、床に転がり動けなくなった。拳銃で撃たれたことよりも、固い床に打ち付けた額の方がずっと痛かったのを思い出す。

 それから、先生と男の間で何があったのかは分からない。

 冷たい床の上で、私の意識はゆっくりと遠のいていき、どうやら自分は死ぬらしいというのを漠然と感じていた。

 痛みは、すぐに分からなくなった。

 ただ、寒くて寒くて、そしてひどく心細かったのを覚えている。

 そんな時、ふと、温かくて大きな掌が、私の頭を労るように撫でてくれた気がした。


 ここまでは記憶の通り。

 しかし、夢の中の私はこの時、現実ではできなかったことをする。

 冷たい床から顔を上げ、頭を撫でてくれる手の主を見上げたのだ。

 そのとたん、私ははっと息を呑む。

 それこそ心臓が止まってしまいそうなくらいびっくりした。



「――ボ、ボス?」



 床に膝を付き、憂いを帯びた顔で血塗れになった私を見下ろしていたのは、マーロウ一家のボス、レクター・マーロウだったのだ。




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