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24 先生の私的制裁



 足下が凸凹としていて、穴の中はお世辞にも歩きやすいとは言えなかった。

 作られた当初はそうでもなかったのかもしれないが、雰囲気的に整備されなくなって久しいと見える。

 ひたすら続く闇に、さしもの私も辟易し始めていた。

 それに加えて私を悩ませる事象に対し、アルフ殿下がおずおずと口を開く。


「さっきから、その……腹が随分と賑やかだが、大丈夫なのか?」

「大丈夫か大丈夫じゃないかで言うと、全然大丈夫じゃないですね。お腹空いて死にそう……。気が滅入りそうなんで、この穴を脱出したら食べたいもの、言い合いっこしましょ?」

「それだと、余計に腹が減るのでは……」

「確かに空腹感は増しますけど、食べたいものを食べるまで死ねないって前向きになれます」


 そんなものか、と神妙な顔をして頷いたアルフ殿下は、ハンバーグ! と男子小学生並みの第一希望を叫んだ私に、少しだけ恥ずかしそうに続いた。


「ミ、ミモザ、サラダ……」

「骨付きカルビ!」

「シュパーゲル……」

「リブステーキッ!」

「ビーツのスープ」

「ローストビィィィィフッ!!」


 暗い穴の中に、互いの声だけが虚しく響く。私とアルフ殿下は顔を見合わせ、同時に眉を寄せた。


「お前が食べたいものって、肉ばかりじゃないか!」

「アルフ殿下こそ野菜ばっかり! 草食動物ですか!?」


 ぎゃーぎゃーと喚き合う声の間に、ぐーぐーと私のお腹の音が合いの手みたいに入る。

 マッチは残り三本になったが、出口はまだ見えない。

 壁にまた一つ木の扉を見つけたが、向こう側から施錠されているのか、それとも穴が崩れて土でも詰まっているのか、とにかく押しても引いても開く気配がなかった。

 この先、どれだけ続くか分からない闇の中、しばらくは温存することにしたマッチをポケットにしまい、私は薄らと見えるアルフ殿下のシルエットを振り返って言う。 

 

「アルフ様、どうか先には死なないでくださいね? 出来ることなら、人肉の味は一生知りたくないので」

「そっ、それは何か? 万が一ここで先に死んだら、お前は私を食うかもしれないってことかっ!?」

「否定はしません」

「いや、否定してくれっ!!」


 お腹は空いたし歩きにくいし疲れたし、大事なことだからもう一度言うがお腹が空いた。

 今更だが、石垣に空いた穴から地下へと転がり落ちた際に、私もアルフ殿下も全身土塗れになっている。

 右の膝小僧がヒリヒリするのは、どこがで擦り剥きでもしたのだろうか。

 何だか永遠にこの闇から抜け出せないような気がしてきて、私はひどく心細くなった。

 先生、と呟いたのは無意識だ。

 だから同じ時、兄上、とアルフ殿下の口が動いたのも偶然だが、互いの手を握る力が増したのは必然だった。

 励まし合うように、私達は小さな子供みたいにぎゅっと手を繋ぎ合う。


 その時だった。


 バンッ! と大きな音とともに、突然背後から光が差し込んでくる。

 驚いて振り返れば、今さっきどうやっても開かなかったはずの扉が開いていた。

 そして、私とアルフ殿下が眩しさに顔を顰めつつ光の中に見つけたのは……


「――二人とも、無事かい?」

「せ、先生っ!!」

「あ、兄上っ!!」


 現れたのは、先生だった。

 背後から光が差し込んでいるために、思わず手を合わせてしまいたくなるくらい神々しく見える。

 そんな後光を背負った先生は、ぽかんとして立ち尽くす私達を眺めて、ほっと一つ安堵のため息を吐いた。

 そして、「無事みたいだね」と呟いて、ほのかな笑みを浮かべる。

 その笑みは、固まっていた私とアルフ殿下を解凍するのに十分な温かさを持っていた。


「うわーん、せんせー!!」

「あ、あにうえー!!」


 ぱっと繋いでいた手を離した私とアルフ殿下は、我先にと先生に駆け寄り飛び付く。

 先生はぎょっとしつつも、先に飛び付いた私は難なく受け止めたのだが……


「うっ……おい、待て。何でアルフまで? お、重っ……この! 図体ばっかりでかくなって!」


 今世の先生とアルフ殿下では、後者の方がいくらか背が高い。

 野菜好きらしい彼が、何を食べてそんなに大きくなったのかは知らないが、とにかく私とアルフ殿下を二人いっぺんに抱き留めるのに、先生は体格的に少々無理があった。

 当然私達を支え切れず、先生は後ろにひっくり返りそうになるも、ふいに扉の向こうから伸びてきた手がその背中を支える。


「クロード様、私を振り切るのはご勘弁ください。護衛役が形無しでございますよ」


 苦笑いを浮かべてそう言ったのは、新たに近衛師団長となったモアイさんことモア・イーサン。

 片手には明るい光を放つランタンが提げられ、肩には黒と灰色のツートンカラーのカラス――私の姉役を自負するハトさんの銀色の足環が付いた足が乗っていた。

 おそらくは、先生が私達のもとに辿り着くのにハトさんが一役買ったのだろう。

 一方、ハトさんもモアイさんも眼中にないらしいアルフ殿下は、ひたすら先生に縋り付いてめそめそしていた。


「ううっ、兄上っ……もう、永遠にお会いできないのかと……」

「何を大げさなことを。だいたいここは、有事に備えて昔の王族が作った脱出用の隠し通路だぞ。何故、その存在を知っているはずのお前が、知らないはずのロッタに手を引かれて先導されているのかな。普通は逆だろう?」

「か、隠し通路……? 聞いたことがあるような……ないような……」

「まったく、お前は相変わらず抜けているな」


 心底呆れたという顔をしながらも、先生は珍しく温情を見せた。

 ぎゅうぎゅうとしがみつく私のついでみたいに、頬を濡らしたアルフ殿下が縋り付くのを許したのだ。

 お茶会の会場に私の姿がないことに気付いた先生は、アルフ殿下に伴われていったという給仕係の目撃情報を元に、モアイさんと二人で捜索を始めたそうだ。

 そこへハトさんが飛んできて、隠し通路の入り口となった石垣まで彼らを案内してくれたという。

 隠し通路の構造自体は先生が把握していたので、経過した時間から私達の大体の現在地を予測して、それに一番近い横道を通って迎えにきてくれたのだ。

 一方、私を狙ったと思われるナイフは、犯人によってすでに回収されたのか見当たらなかったらしい。

 ただ、ハトさんはその人物と接触しており、彼女の鋭い鉤爪には黒くて長い髪が何本も絡み付いていた。

 それを見たアルフ殿下が、はっとした顔をする。


「黒……長い髪……お、女――! そう、女だっ! 思い出した! 私を唆したのは長い黒髪の女だったっ!!」

「……どういうことかな?」


 眉を顰める先生に、アルフ殿下は包み隠さず事実を告げた。

 私という得体の知れない女が、敬愛する兄を誑かしたのではないかと不安に駆られていたこと。

 その思いを何者かに利用され、私を人気のない場所まで連れていく役を負ってしまったこと。

 そして、私を狙ったと思われるナイフが飛んできたこと。

 

「誓って、彼女に危害を加えるつもりはありませんでした。けれど、結果的に危険に晒してしまったのは紛れも無い事実。――誠に、申し訳ありませんでした」


 アルフ殿下は真摯に謝罪の言葉を述べてから、私にまで旋毛が見えるくらいぐっと俯いて続ける。


「全ては私の咎です。かくなる上は、どのような処罰でも受ける覚悟でおります」

「へえ……どのような処罰でも、ねえ……」


 先生は、氷のような目でアルフ殿下を見つめていた。

 そのあまりの冷たさに、ここぞとばかりにとんでもない厳罰を下すなんて言い出すのではないか、と私は不安に駆られる。

 短い間とはいえ、真っ暗闇で手を繋いで励まし合った仲だ。私としては、アルフ殿下に対して少なからず情が移っていた。

 それに、度を超えた私的制裁は周囲の反感を買うばかりか、嫡出子であるアルフ殿下を担ぎ上げたがっている連中を刺激しかねない。

 今後のためにも、ここでアルフ殿下を排斥するのは得策ではないだろう。

 そう考えた私は先生に思いとどまってもらおうと、まずは注意を引くためにしがみつく両腕に力を込めた。

 思いが通じたのか、先生はちらりとこちらを一瞥してから、私の背中を宥めるみたいにポンポンと叩く。

 かと思ったら、私を片腕に抱き直してアルフ殿下の正面に立った。

 そうして――


「回りくどいのは嫌いなんでね。これで、チャラにしてやる」


 俯いたことで少しだけ低くなったアルフ殿下の銀色の頭に、先生はいきなりゲンコツを振り下ろしたのである。

 ゴンと鈍い音がして、キャンと子犬みたいにアルフ殿下が鳴いた。

 そのまま足下に崩れ落ちた彼を、私はたまらずプギャーする。


「ぶふっ! ちょっ……そこ! さっき天井で打ってタンコブが出来てたところっ! ぶふふふっ……」

「――人のことを笑っている場合かな?」


 まさかもまさか。今度は、私がキャンと鳴かされる番だった。

 完全に油断していたところに、先生からデコピンを食らったのである。

 理不尽な仕打ちに私が涙目で睨めば、先生はそれをふんと鼻で笑った。


「そもそもどうして、自分に対して明らかに好意的ではなかったアルフについていってしまったのかな? 君には危機管理能力というものが備わっていないのだろうか?」

「だって……米粉カップケーキ、ころりん、すっとんとんだったから……」

「うん、やっぱり食べ物が関係していたんだね。そうだろうと思った。ところで、非常用に持たせていたクッキーは?」

「この穴に落ちて即行、アルフ殿下と仲良く半分こしました。おいしかった」


 さっき食べたクッキーのサクサクの食感、練り込まれたオレンジピールのさわやかな香りとほのかな苦味を思い出し、私の頬は自然と緩んだ。

 と同時に、またもや空気を読まないお腹がやらかす。

 ぐーっ、と盛大に響いた音に、はー……と先生の深い深いため息が続いた。


「まあ、とにかく。無事でよかった。幸いまだ騒ぎにはなっていない。さっさとここを出て着替えて、茶会に戻ろう」

 

 先生は左手で私の肩を抱いてそう言うと、右手をすっとアルフ殿下に差し出す。

 その手をきょとんとして見つめる彼に、先生は呆れた顔をしながらも幾分優しげな声で言った。


「お前ももうすぐ成人を迎えるのだろう? いつまでも、私が手を引いてやるわけにはいかない。――今日だけだぞ」

「あ、兄上っ……」


 アルフ殿下は慌てて先生の手を取り、まるで二度と離したくないとでもいうようにぎゅっと握った。

 その頬を一筋、キラキラとした雫が伝う。

 痛々しいほど純粋で美しいその煌めきは、モアイさんが持つランタンの灯りを反射して、なおさら輝いているように見えた。



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