98.暗躍再び
二二〇三年一月二日 一〇四五 長蛇トンネル
モニターは赤色から黄色となり、兵士達の興奮状態が下がってきたことを表していた。
興奮状態が醒めるのは促成種が早く、自然種はもう少し時間がかかる様だった。しかし、確実に心拍数は落ちてきている。正気に戻ったと判断できるであろう。
「話を続ける。この作戦を考え、実行したのは、第八大隊隊長の菱村である。貴様等はパイプラインを作っただけだ。殺し方を考え、液体酸素を流し込むポンプのスイッチを押したのは俺だ。貴様らは誰一人として人間を殺していない。実際に都市の住民を殺したのは俺一人だ。
貴様らは何も知らぬただの手足だ。責任を感じる必要は無い。憎むなら、俺を憎め。恨むなら俺を恨め。怒りをぶつけるなら俺に怒りをぶつけろ。
悩む必要は無い。世紀の人殺しは俺だ。この菱村だ。それを忘れるな。
全部隊、突入用意。一一〇〇突入開始。以上。」
菱村はマイクのスイッチを切った。
副長が差し出すコーヒーを受け取った。
―どうせなら、娘っ子から欲しいもんだな。―
と思いつつも、黙って一口飲んだ。甘味料が入っているはずのだが、全く甘みを感じず、ただただ苦いだけだった。
二二〇三年一月七日 二三一五 KYT 暗室
気が付けば、そこは真っ暗だった。真の闇が全てを覆っていた。何度来ても、部屋の大きさも形も分からなかったし、自分自身が部屋の何処に立っているかのも分からなかった。
―この暗室には慣れない。気分が悪くなりそう。―
真の闇に居ると、平衡感覚を失い、気が狂いそうになる。しかし、こちらの都合で暗室を出ることは許されない。無理に出たとしてもここが地下都市の何処にあるのかするか知らない。自分の部屋に帰れる保証は無い。
いつもながら、突如、暗室に立たされ、報告をさせられる。それには前触れは無い。
―さて、今回は何を聞かれるのでしょうか。―
いつもの様に、大人しく質問されるのを待った。
「O2計画、撤収時に育成筒を一本回収したと報告がされておる。だが、医療プラントには育成筒二本分の空き区画があった。実際に回収したのは何本かね。」
中年男性の声が、スピーカーを通して問うてきた。その声にはノイズが混じり、変声機を使用している可能性が高かった。
「私が知る限りでは、回収された育成筒は、一本しか見ておりません。二本目の存在は、知りません。」
若い女性の声が答えた。
「貴様は、最下層の医療プラントには立ち入っていないのか。」
「はい、立ち入っておりません。8312分隊とは別行動をとっておりました。当時は下層に居たと思われます。」
「では、地下都市OTUから装甲車が現れた時の状況を説明せよ。」
「8312分隊より小和泉大尉を発見回収の報告あり。後刻、地下都市の車両用出入口より装甲車が出現。台車を牽引しておりました。その台車には間違いなく育成筒が、一本だけ固定されておりました。」
「中の人物は、確認しておるのか。」
「中に収容されている人物は、小和泉大尉に間違いありません。この目にて確認を致しました。」
「他の部隊が育成筒を回収しておる可能性は、あるのではないのかね。」
「無いと思われます。OTUより第八大隊が撤収時に台車を牽引していたのは、8312分隊のみでした。」
―なぜ、二本目の育成筒に拘る。何が入っていた。VIP、そんな存在がOTUにいる訳が無い。そうか。それが不明だからこそ、私に聞いているのか。こいつらも何も知らないのか。―
女は、上の者の第二の育成筒への好奇心に興味をもった。
「他に報告すべきことはあるか。」
「ありません。」
「よろしい。通常任務に戻り給え。」
男が告げた瞬間、女の顔に風が当たった。刺激臭がかすかに含まれた空気を肺の奥まで吸ってしまう。たちどころに意識が刈られる。全身の力が抜け、その場に崩れ落ちた。
痛みは感じない。床は怪我をせぬ様に柔らかい素材で出来ている。
―この薬、改良して欲しい…。―
そこで女は、意識を完全に失った。
二二〇三年一月二十二日 一四二〇 KYT 日本軍立病院
小和泉は、背中に鈍い痛みを感じ、目をゆっくり開けた。
あまりの眩しさに目を閉じ、もう一度ゆっくりと目を開いた。
白い天井、白い壁、横に並ぶ二人の女性が目に入った。だが、焦点は合わない。輪郭と色がわかるだけだ。
身体は重く、四肢は固定されたかの様に重い。肉体が動くなと命じているかの様だった。小和泉は、その忠告に素直に従い、身体を起こすことを諦めた。
「すまないね。寝すぎた様だね。ピントが合わないよ。状況を教えてくれるかな。」
どうやら長い間眠っていた様だ。小和泉の喉は乾いて貼り付き、声を出すのに苦労をした。
「鈴蘭です。長蛇作戦から二十日経過。一月二十二日、一四二〇日本軍立病院の病室。身体状況、多智先生より後刻説明あり。」
鈴蘭は、相変わらず管制官の様にハキハキと簡略に小和泉の問いに答えた。
その脇ですすり泣く声が、混じり始めた。どうやら東條寺の様だ。
「作戦の成否と損害は。」
恋人である部下達や戦友達の安否が気になった。小和泉は、戦友達に興味が無い訳では無い。人並みに心配もする。
ただ、心を砕く比重が恋人達へ多く占めてしまうだけなのだ。
「作戦成功。831小隊に損害無し。第八大隊は、損耗率三%。軽微。」
「皆、どうしている。」
「看病の当番制を実施。現時間の当番は、鈴蘭。東條寺少尉は、自己都合。」
「そうか、心配かけて済まなかったね。どうしているというのは、看護じゃなく仕事だけど。」
「第八大隊は、長蛇トンネルに設けられた前哨基地、通称、長蛇砦にて警備任務中。本日は、831小隊は休暇。」
「そうか。僕が眠っている間に大きな事件、作戦はあったかい。」
「無いわ。この馬鹿。早く覚醒しなさいよ。」
ハキハキした鈴蘭の声ではなく、心から心配している女性の声が間に入った。
この涙声は、東條寺だろうか。まだ、小和泉の焦点は定まらなかった。
「おや、クズから馬鹿に昇進かい。ありがたいね。僕に心の底から惚れたのかな。」
小和泉は、東條寺を茶化した。
「ば、ば。も、黙秘します。とりあえず、水を飲みなさい。」
東條寺は言葉に詰まりながらも反撃してきた。
小和泉の口に吸い飲みが挿しこまれた。そこからゆっくりとやさしく、水が流れ込んでくる。
久しぶりにからからに乾いた喉を通過する水は、小和泉の四肢に活気を吹き込んでいく様だった。
吸い飲みが口から抜かれた。小和泉は深呼吸をした。消毒液の匂いが呼吸器を刺激し、萎みきっていた肺が大きく広がる様に感じた。
脳に新鮮な酸素が大量に送られ、意識が覚醒してくる。
固まっていた目の筋肉もほぐされ、徐々に焦点が合ってくる。
優しげな微笑を浮かべた鈴蘭と、涙をポロポロ流し、眼を真っ赤にしている東條寺をようやく見ることが出来た。
「鈴蘭、ただいま。奏、悲しませて悪かったね。泣き顔を見るのは初めてかな。」
「おかえり、隊長。」
「うるさい。こっち見るな。馬鹿。」
鈴蘭は微笑んだまま言葉を返し、東條寺はすぐに制帽で顔を隠した。
小和泉は、賭けに勝ったことを実感した。
育成筒に籠った間に生き残りの防人に殺される危険性があった。だが、育成筒に入らなければ、あの場で死んでいた可能性は高かった。
己の命をチップにしたギャンブルに小和泉は勝ったのだ。
安心感が体を支配すると、今まで大きな痛みを感じなかった身体が悲鳴を上げはじめる。
節々の関節や全身の筋肉が、小和泉のオーバーワークに異議申し立てを上げる。
さすがの小和泉もこの申し立ては、無視できず表情を苦痛に歪ませ、脂汗を全身に掻き始めた。




