97.長蛇作戦 作戦全容
二二〇三年一月二日 〇七一一 OTU 最下層 医療プラント
「この娘は、何に特化した防人なのかな。」
小和泉は、育成筒を観察しながら長へ質問した。
「隠形。この子であれば、死神ですら、存在に気が付かぬだろう。」
隠形、つまりかくれんぼだ。どうやら自身の存在を消すか、隠すのが上手い防人なのだろう。さらに敵意や殺意も消すことができれば、なおさら恐ろしい存在になることは想像できた。
「格闘やナイフは、得意じゃないのかな。」
「問題無い。達人である。全ての技量において、他の防人を凌駕しておる。その中でも隠形は、抜きんでている。」
「そうなんだね。」
小和泉は育成筒の中を覗き込んだ。防人特有の長髪が水中を揺蕩い、顔が見えなかった。体つきは無駄な脂肪や筋肉は無く、柔らかそうな筋肉で構成されていた。少年もしくは少女の双丘は、少し膨らんだ位だった。
食料事情の悪さのせいか、発育はあまり良くない。
小和泉の周囲には居ない長髪の薄幸の少年少女だった。性別が良く分からないのは、育成筒の透明カバーが劣化し透明度が悪い為だった。あれが付いているのか、いないのか、観察できなかった。
日本軍に所属している者は、全員が短髪だ。ヘルメットや複合装甲を纏うのには、不便だからだ。髪をまとめれば、ヘルメットは被れず、長髪のストレートでは複合装甲の可動部に喰い込んでしまう為だ。桔梗の様にショートカットでも小さい三つ編みで飾るのが精一杯のおしゃれだった。
ゆえに見慣れぬ長髪の少年少女に惹かれるものがあった。
小和泉は育成筒に設置されているディスプレーを見た。
個体名:カゴ
状態:治療中 骨折三か所 打撲多数
栄養状態:劣
睡眠学習:近接戦闘術
開放時間:二月三日 午前九時
かなり旧式の育成筒だった。恐らく地下都市が建設された当時のままなのだろう。
逆に仕組みが単純であり、小和泉にも取り扱いが出来る代物だった。
長が言う通り、骨折と打撲傷の治療で育成筒に放り込まれている様だった。
同時に水中スピーカーを使用した古典的な睡眠学習も並行して行っていた。
そして、蓋が開くのは一ヶ月後で間違いなかった。
小和泉は、長の話に嘘は無いことを確認した。
小和泉は、ふわりと振り返ると、背後にいた長を抱きしめた。
抱きしめられた長の体が、痙攣を起こす。小和泉は、長の耳に口を寄せて囁いた。
「この子は僕が貰い受けるよ。掟では、一筋の血脈は残されるだったかな。良かったね。じゃ、お休み。」
長の体が一瞬跳ね上がると、痙攣が止まった。小和泉が手を離すとその場へ俯きに崩れ落ちた。
小和泉が握っていたコンバットナイフには、大量の血液が付着し、床へ滴り落ちた。
長の体の中心から床の上に赤黒い液体が、じわりじわりと広がっていく。
小和泉は、コンバットナイフについた血を長の貫頭衣できれいに拭うと鞘に仕舞った。
頭痛と眩暈が小和泉の脳髄を揺らし始める。
「さてと。僕も血を流し過ぎたのかな。応急手当よりも育成筒に潜り込んだ方が良いようだね。あ、その前に。」
意識の混濁もまもなく始まりそうな気配だった。呼吸を浅くし、脳に負担をかけ、無理やり覚醒させた。
小和泉は、少女が眠る育成筒のディスプレーを操作し、続いて、自分が潜り込む育成筒の調整を行った。効果があるかどうかは分からないが、保険をかけておく必要はある。
睡眠学習:近接戦闘術 小和泉錬太郎への盲目的隷属
隣の育成筒のカバーが開き、小和泉は転がり込んだ。頭上にぶら下がる空気マスクを装着する。
タイマーでセットしていた育成筒のカバーが閉まり、上から培養液が注ぎ込まれてきた。
マスクからは睡眠導入剤の匂いがした。
―さて、これで生き残れるのか。殺されるのか。どうなることやら。みんな迷惑かけてゴメンね。―
そこで小和泉の意識は途切れた。
二二〇三年一月二日 一〇三二 長蛇トンネル
長蛇トンネルの出口に設置された第八大隊司令部は静まり返っていた。
応援に来ていた工兵隊や憲兵隊は、作業完了と共に撤収していた。
司令部に居るのは、菱村とその側近、そして鹿賀山と東條寺だった。
地下都市OTUのハッキングに成功し、監視カメラや各種センサーの掌握に成功していた。
監視カメラの映像は、司令部のモニターに表示されていた。
居住区の一角では、路上に首に両手を当てた人影が多数倒れていた。すでにこの状況となって一時間経過するが、誰一人身動きする者は居なかった。
一定時間で監視カメラの映像が切り替わる。映し出される画像は、どこも同じ様な物だった。
「酸素濃度、予定通り低下しました。通常値を確認。突入可能です。」
第八大隊の副長が菱村に報告を上げた。
「現時点で情報封鎖を解除。俺が説明する。」
いつもは陽の気配を放つ菱村の表情は、暗く険しかった。
初の人間同士の接触に話し合いは一切無く、殺し合いから始まり、虐殺で幕を閉じた。
日本軍に人間を殺した者は、ほぼ居ない。敵は月人だからだ。
何の躊躇いも無く、戦争ができたのは敵が宇宙人だからだ。
今回の敵は人間だった。その事態を知っているのは、ここに居る司令部要員と日本軍総司令部だけだった。
だが、黙っている訳にはいかない。地下都市を占領する為には、突入する必要がある。
突入すれば、道端に転がっている死体を見れば、一目瞭然だ。
敵は人間。
人殺し。殺人。殺害。皆殺し。殺戮。虐殺。
様々な言葉が、一人一人の兵士の心を掻き乱すだろう。
だが、知らずに突入すれば、兵士達が最前線で混乱を起こすことは明白だった。
事実を先に伝える必要性があると、菱村は考えていた。
戦闘予報。
制圧戦です。不意討ちに注意して下さい。
死傷確率は5%です。
第八大隊のネットワークに新しい戦闘予報が上がった。
副長が戦術ネットワークの情報封鎖を解除した為だ。それを合図に菱村は、マイクのスイッチを入れた。
「全兵士に達す。O2作戦の全容を開示する。傾聴せよ。」
菱村の声色は、普段と全く違った。どこかの親分の様なざっくばらんな話し方では無い。日本軍士官としての威厳と謹厳実直さを感じさせた。
「突貫工事で建設したパイプラインにより液体酸素を流し込み、地下都市を過剰な酸素濃度まで上昇させた。
酸素を流し込んだ理由は、地下都市の空気センサーによる緊急換気を行わせない為である。
毒ガスや一酸化炭素等は、センサーに検知され、即座に強制排出される。だが、酸素は空気中に存在し、生物に必要不可欠であり、検知されても強制排出はされない。
これにより、地下都市内部の生物は、酸素中毒となり、全滅したと考えられる。
現在は、液体酸素の流入停止から時間が経過し、通常濃度となっており、危険は無い。
都市の構造上、酸素が行き渡らず、生存している敵がいる可能性は否定できない。
制圧時には、不意討ちに気をつけよ。
なお、敵の正体であるが…。人だ。そう、人間だ。我々と同じ人類だ。」
菱村はそこで言葉を切った。
兵士達がその言葉を理解する時間を取った。
司令部の複数のモニターが赤く明滅する。兵士達の心拍数が急激に上昇したのだ。
やはり、人を殺すということに衝撃を感じない者は居なかった様だ。
この状態で話を続けても耳に入らないだろう。菱村は、少し待つことにした。
赤く喚くモニターをよく見ると一ヶ所だけ緑色のままの平静さを保った部隊があった。
部隊名は8312分隊だった。
―狂犬の部隊か。奴の部下らしい。状況を正確に把握しているのだろう。それとも経験があるのかもな。
いや、あったな。帰月作戦で七本松大佐達を殺したのは、俺と狂犬部隊か。なるほど、8312にとって、平常勤務と変わらないという事か。狂犬め。一体、部下へどんな教育をしてやがる。
一方では、奏なぞ、昨晩から何度吐いたことやら。母親似の美しい顔が、病人の様に青白くなってやがる。軍人としては、精神が少し細いか。この経験で強くなれば良いが。いや、早く軍から離れるべきだな。―
菱村は、東條寺の顔を改めて見た。寝不足と作戦立案の衝撃により、精神的に参っている事が誰の目に明らかだった。目の下には隈が出来、肌からは血色が無くなり、食事もとっていない為、頬がこけていた。普段の美しさが悲しみにより失われていた。




