95.長蛇作戦 満身創痍
二二〇三年一月二日 〇五四三 OTU 最下層
小和泉は、仮眠をとる暇も無く、防人達に襲われ続けた。
防人達の攻撃は、必ず複数で行われ、小和泉が有利な状況は一度としてなかった。
体に染みついた体捌きと技が、反射的に防人の攻撃を躱し、跳ね除け、斃し続けてきた。
既に何十人の防人を屠ったか、小和泉も覚えていない。
死を覚悟すること幾度。だが、諦めることは絶対に無い。常に、か細い蜘蛛の糸の様な生の可能性を手繰り寄せてきた。
ゆえに、小和泉は生き延びている。
延々と交通塔の階段を降り続けた。そして、小和泉の目の前から階段が消え、床だけが広がった。
ついに、地下都市OTUの最下層へたどり着いた。
―なぜ、最下層へ来たかったのかな。自分でも分からないな。別に城壁で待機していても、良かったんだよね。寄り道して、ここの住民とかも調べてみても良かったかな。もしかしたら、僕好みの良い子が居たかもね。惜しいことしたかな。―
熱病から覚めたかの様に、小和泉は冷静になり、邪まな心を持つ程の余裕が生まれてきた。
―そういえば、潜入する必要があったのかな。うん、思い出せないな。興奮物質でも脳に分泌されていたのかな。―
今となっては、何が小和泉を突き動かしたのか分からない。
分かっている事は、生き残る方法を考えることだった。
―まぁ、楽しかったから良しとしよう。さて、桔梗達のもとへ帰ろうか。―
小和泉の脳裏に桔梗達の笑顔が浮かぶ。それが、小和泉を動かす原動力だった。
さすがの小和泉も五体満足では無かった。徹夜の格闘戦により疲労困憊している。
野戦服は、擦り切れ、破れ、防人の返り血と小和泉からの出血でどす黒く変色している。
さらに埃にまみれ、荒野迷彩が施されていた形跡を見ることはできなかった。
肋骨には数か所ヒビが入り、左手の前腕部外側の骨も折れている様だった。その部分がコブの様に赤く腫れ上がっていた。
全身には擦過傷、打撲痕、切傷痕が無数に入り、内出血している箇所は、青く変色していた。
出血した部分は、すでに血は止まっている。服についた血は、乾いて赤黒くなっていた。
一番の大きい怪我は、左太腿に縦に突き刺さったナイフだった。幸いにも神経や血管を避けた様で、痛みを我慢すれば、歩行はできる。だが、行動力は大幅に制限されてしまった。走ることは無理の様だった。
そして、ナイフを抜く事はできなかった。もしかするとナイフ自体が切断した血管を蓋している可能性があった。抜いてしまえば、刃の蓋は無くなり、大量出血する可能性を考慮する必要があった。ゆえに小和泉は、ナイフを抜く事をしなかった。
歩く度に刃が筋肉に食い込み、痛みを感じた。
―ちょいと敵を甘く見過ぎたかな。結局、外へ戻れず最下層に誘導されたのかな。―
さすがの小和泉も今頃になり、少しばかりの反省をしていた。
小和泉は撤退を何度か試みたが、その都度防人達に妨害され、最下層へ追いやられた。
―戦術で勝って、戦略で負けている状況かな。遊びが過ぎたか。いつも頭脳労働は、鹿賀山任せだからね。ま、せっかく一番下まで来たし、観光でもしていきましょうか。―
楽しければそれで良いという生き方をしてきた小和泉は、すでに気持ちを切り替え、この状況を楽しむ余裕を持ち始めた。
小和泉は、真っ暗な交通塔から抜け出し、所々に照明が点る薄暗い最下層の区画へと踏み入れた。
暗闇の交通塔を出ると巨大な通路が、一本だけ真っ直ぐに外壁まで伸びていた。他の階層では四方八方に道が伸びていたが、最下層の幹線道路は、一本しか無い様だった。
大型トラックが楽に通行できる様に広めの二車線道路と両側に歩道が整備されていた。
最下層は、プラントの塊なのであろう。その為、階層に建物を建てるのではなく、階層をプラント毎に天井から床まで壁で仕切る構造となっていた。
恐らく壁の向こうは、多層構造になっており、さらに複雑な壁や床の配置となっているのだろう。
もしも、どこかのプラントで火災や事故が発生しても、その隔離区内で損傷や損失が抑えられ、他の区画に被害が及ばぬ様になっているのだろう。
大型トラックが通行する為に高く作られた通路の天井には照明がたくさん埋め込まれている筈だが、ここも三割程しか点灯していなかった。節電というよりもメンテナンスができていないのだろう。故障したまま放置されていると考えた方が妥当だった。
小和泉は、ナイフが刺さった左足を引き摺りつつ、埃がたまった車道を適当に歩み始めた。
小和泉は、幾度となく重ねた戦闘により防人の気配を読むことがある程度、出来る様になっていた。
満身創痍の体では、さすがの小和泉も戦闘を避けたかった。その為、普段以上に周囲へと意識を張り巡らせる。
小和泉の耳に機械の動作音であろう低周波の音が響いた。それ以外には、防人や生き物の気配は感じなかった。もし、近くに人が居たとしても、厚い隔壁が邪魔をして感知できないことも考慮していた。
幹線道路の途中から、最下層に広がる様々なプラント群の隔壁の間に張り巡らされた間道を進み、防人に遭遇せぬ様に奥へと歩みを進めた。
今となっては珍しい金属板の地図が、壁に貼られていることに、小和泉は気付いた。
その地図には、食料プラント、医療プラント、電源プラントの配置が書かれていた。
―医療プラントは、二ブロック先か。近目でありがたいね。まずは治療しますか。しかし、今時、物理地図は珍しいね。モニター表示やナビが、普通なのだけどね。
そうか、防人には技術が無いからアナログの案内板が必要なのか。となると、僕が気付いていないだけで、他にもあったかもしれないね。―
小和泉の目的地は、医療プラントに決まった。
あわよくば、辿り着ければよい程度に考えていたが、運良く地図に出会えたことは幸運だった。
医療プラントで、怪我の手当てができるのは有り難い事だった。
骨折部分や筋肉が露出している部分をギブスで固定し、外気から遮断したかった。その手当だけでも行動の自由度が、格段に上がるはずだった。
小和泉は、足を引きづりつつ、ようやく医療プラントの入口に辿り着いた。
入口には、『医療区画』、『汚染注意』、『許可者以外立入禁止』と観音開きのドアに大書きされていた。ここまで大きく書かれていれば、薄暗くとも見落とすことは無かった。
医療プラントは、衛生管理の為か床から天井までキッチリと壁に囲まれ、完全に隔離されていた。
ドアの上には、東口とプレートが掲げられていた。
それに救急車が入れるような大きさのドアでは無い。それらを考えれば、この入口は何か所かある入口の一つなのであろう。
小和泉は、観音開きのドアをほんの少しだけ開け、耳を澄ます。中からは空調とモーターの駆動音しか聞こえなかった。
防人が潜んでいれば、独特な呼吸音が聞こえる。気配を消す為に一瞬だけ呼吸をし、息を止め続ける。それを繰り返す変わった呼吸法だった。その呼吸の一瞬を聞き逃せば、気配を感じることが出来ない。種を明かせば、単純な気配断ちの方法だった。
だが、いつまでも呼吸を止めることはできない。次の呼吸を待てば良い。
小和泉は、充分に時間を取り、防人が居ない事を確信した。
ドアをもう少し開け、小和泉は中へ体を滑り込ませた。
照明が煌々と部屋を照らす。快適な室温と湿度に保たれ、小和泉の怪我による火照った体を冷やしてくれた。
この区画は、今までの放置された環境ではなく、今もメンテナンスが行われている様だった。
十メートル四方の白壁に囲まれた部屋だった。
小和泉が入ってきたドアの向かい側に、スライド式のドアが一つあった。
他には、簡素な長椅子が壁際に並んでいる。
スライドドアの上にはディスプレーが壁に埋め込まれていたが、電源は来ていない様で、黒いまま何も表示をしていなかった。
人影は無い。小和泉は深呼吸をし、緊張を解いた。
―ここは待合室かな。意外にきれいだね。メンテがされている。ということは、防人達が頻繁に使用していると考えるべきかな。なら、扉の向こうに敵が居るよね。―
小和泉は、スライドドアを透視するかの様に鋭い視線で見つめた。




