92.長蛇作戦 是非に及ばず
二二〇三年一月一日 一九二〇 長蛇トンネル
鹿賀山と東條寺は、長蛇トンネルの出口に設営されている第八大隊司令部へ時間通りに出頭した。
会議が行われるのは、装甲車の脇に設置された荒野迷彩が施された簡易気密テントだった。
空気圧で自立したテントの気密室をくぐり、中に入った。
十畳ほどの広さの居室には、折り畳みの机と椅子が車座に置かれていた。
中央に菱村が座り、周囲を副官と司令部要員が占めていた。
鹿賀山が気になったのは、そこに二人の異分子が居た。複合装甲の上から黒帯をたすきがけしていた。黒帯は、憲兵であることを表している。
計画案の打ち合わせに憲兵が参加することは、まず無い。部屋の隅で立つことはあるが、会議の席に加わることは、鹿賀山の軍歴の中でも記憶には無かった。
―会議ではなく、何か軍法会議なのだろうか。ならば、憲兵が参加してもおかしくないか。では、被告人は誰だ。心当たりは奴だが、今回は呼ばれていない。
ならば、俺と東條寺が被告なのか。
違うな。証拠集めの重要参考人か。いや、証人と言った方が早いか。
心当たりは、東條寺の件か。事情は小和泉から寝物語に聞いている。
だが、東條寺から俺に小和泉の件による訴えは来ていない。本人は、口では小和泉を嫌っているが、内心は受け入れている様に見えたのだが…。それとも、憲兵隊に直接、訴えていたのだろうか。―
鹿賀山の脳裏には、疑惑と小和泉の姿が浮かんでいた。
入口側に空席が三つあった。どうやら、そこが鹿賀山と東條寺の席の様だった。
「おう、すまねえな。敬礼なんぞいらん。二人とも座れ座れ。」
鹿賀山達が敬礼の仕草を見せた瞬間、菱村が制した。
「では、失礼致します。」
二人は、椅子に座りヘルメットを脱ぎ、机に置いた。
「おや、狂犬はどうした。留守番か。」
菱村が面白げに鹿賀山に問うた。
「小隊長代行として、前線に置いてきました。頭脳労働である会議には役立たたないと判断しました。」
鹿賀山は、あらかじめ用意しておいた答えを返した。この質問は想定済みだった。
「まぁ、狂犬だからな。戦いには役立つが、立案には不向きか。
確かにそうだな。よし、解った。」
何か含みがある様な言葉だと鹿賀山は感じた。
―全てを知った上での発言だろうか。―
話しを逸らす為に、鹿賀山は、単刀直入に切り込んだ。
「御用件は何でしょうか。」
それと、居心地の悪い軍法会議であれば、さっさと終わらせたかった。
「可愛い娘っ子に会いたくてな。」
そう言うと、菱村は東條寺に手を振った。
「公私混同です。そこにおられる白河憲兵少佐に訴えましょうか。」
東條寺にしては、珍しく、キツイ視線と言葉で返した。普段であれば、この程度の言葉に動揺する事は無い。
「悪い悪い。怖い兄ちゃんに言いつけるの止めてくれねえか。せっかく計画が採用され、開始されているんだ。実務面の詳細を詰めようじゃねえか。」
「計画開始でありますか。まだ、概要しか案に上げておりませんが。あまりにも、即断即決すぎませんか。」
鹿賀山は、菱村の言葉に耳を疑った。同時に、小和泉の東條寺への狼藉、つまり、軍法会議では無い事に一安心した。
そして、言葉を続ける。
「東條寺少尉による少し前に上げた計画案が既に開始されているとは、異例、いえ異常ではありませんか。憲兵隊も会議に参加し、何が起こっているのでありますか。」
鹿賀山は、会議の参加者の顔を見回す。皆、冷静であり、落ち着いていた。何かの思いつきや錯乱、緊急事態発生では無い様だ。
「なぁ、鹿賀山よう。落ち着こうや。副長、説明を頼む。あぁ、簡潔にだぞ。」
「はい。現状報告及びO2計画案を日本軍総司令部に提出。総司令部は、計画には否定的であったが、行政府が情報を掴み、介入してきた。
行政府として、至近距離に敵拠点が存在することは、看過できないとのことだ。
それにより、行政府は日本軍を全面支援すると申し出があり、実施可能な部分は、既に動き出した。
この計画案が採用されたのは、地下都市OTUへの被害が出ない事。敵を殲滅できる事が評価された。
ここに憲兵隊が派遣されたのは、計画遂行の為の増援である。先の防衛戦にて共闘した部隊が派遣された為、連携は、ある程度取れると考えている。
この後、工兵隊及び専門家も到着する予定だ。」
副長が状況説明を続けるが。
「長げえよ。もっと短くだ。」
菱村の横槍が入った。副長がため息を一つついた。
「目の前の人類は、好戦的。また、暗殺者の側面もあり、枕を高くして眠れない。
さらに人口の急増は、地下都市に負担が大きい。養えない。
ゆえにOTUの住民は殲滅する。
しかし、地下都市の設備は、そのまま無傷で欲しい。
その条件に合う攻略計画が提示された。ゆえに行政府は飛びついた。以上だ。」
副長は、菱村の要望に応え、説明を端折った。
この説明の方が、鹿賀山にも東條寺にも分かりやすかったと同時に、内容に驚いた。
そして意外にも、それを冷静に聞いている自分自身が居るとは想像もしていなかった。
東條寺は、狼狽をしているのが目に見えてわかった。
自分が考えた攻略計画が、虐殺計画にすり替わってしまっている。まともな精神の持ち主であれば、動揺するのが普通なのであろう。
「説明、ありがとうございます。状況は把握しました。
しかし、住民殲滅とは行き過ぎではありませんか。つまり虐殺です。
住民を失神に留めることが、可能な計画です。初期の計画案通りに進めるべきと考えます。
同じ人類を殺す事には、反対です。数十年ぶりの人類の邂逅です。
話し合いの機会を持つべきではないでしょうか。」
鹿賀山は、菱村の考えを読むべく、視線を真っ直ぐに据えた。
「そうだよな。普通は話し合いや人類同士の出会いに喜ぶべきだろうな。
だがよ。いきなり、ぶっ殺された奴には、どう説明するんだ。俺には無理だぞ。
向こうから拳を振り上げてきやがった。俺は、素直に殴られる趣味はねえんだな。
殴られる前に、殴り返す。それが俺のやり方よ。」
菱村の掴み処のない表情は、変化しなかった。淡々と述べるだけだった。
「それでは、戦闘狂の小和泉と同じではありませんか。」
「そうかい。似てるとは思ってねえんだが。」
菱村は、頬の傷跡を撫でた。
「お言葉ですが、隊長。お若い頃の隊長と、小和泉大尉は似ておられます。
我々と月人の群れに突撃し、蹂躙してきたではありませんか。
そして、ついた渾名が『獣狩り』ではありませんか。」
副長から初めて菱村の過去の一部を鹿賀山は聞いた。
菱村が、小和泉と同じ様な二つ名を持つことを知らなかった。
「よせやい。十年以上前の話じゃねえか。今じゃ、知ってる奴なんぞ、居ねえよ。」
「本官と第八大隊の古参は、忘れません。その頬の傷も我々を守るために体を張って下さった証です。尊敬をこめて『獣狩り』と呼ばせて頂いておりました。」
副長が、珍しく熱く語る。過去に菱村に命を救われたことが有った様だ
「もうその話はいい。でな、ここで倫理的な話をしても意味がねえんだ。
軍は、命令を下した。ならば、軍人はどうすべきだ。」
菱村が、鹿賀山の目を凝視する。
「命令に従うのみです。」
士官学校で、散々叩き込まれてきたことだ。命令に反抗する事はあり得ない。魂に刻み込まれている。
―是非に及ばずか。―
鹿賀山は、幾度となく行ってきた様に、感情を凍らせることにした。




