88.長蛇作戦 小和泉の渇望
二二〇三年一月一日 二〇〇一 OTU中層 交通塔
小和泉は、最下層に降りる為、交通塔へ向かっていた。階層間を移動するには、交通塔を利用しなければならないからだ。
最下層に重要施設が集中しているのが、地下都市の特長だ。表層部では、月の欠片の直撃や至近弾を受けた時に、損害を受ける恐れがある。
月の欠片が、強固な表層部を打ち抜いても上層部で衝撃を吸収する設計となっている。その為、発電設備、食料生産設備や医療設備等の重要施設は、最下層へ配置されるのが、自然な流れだった。
最下層へ行けば、外部との連絡手段もあるだろうと、小和泉は気軽に考えていた。
建物や障害物によって生じる闇には近づかず、照明が当たる場所を選んで歩いた。
それは、直前まで気配が察知できない敵の不意打ちを避ける為だった。
それゆえ、真っ直ぐに交通塔へ向かう事をせず、あみだくじの様に折れ曲がりながら進んでいた。
小和泉が慎重に歩みを進めた為か、敵に襲う気が無かったのか、何も起こる事無く、交通塔の前に到着した。
交通塔は、地下都市を上下に貫く巨大エレベーターの集合体である。
目の前に直径百メートル程の円筒形の巨大なセラミック製の壁がそそり立ち、小和泉に覆いかぶさる様な威圧感を与えた。
交通塔の内部には、人用から車載用まで様々な大小のエレベーターが幾つも並び、まとめられている。もちろん階段も用意されている。
巨大な地下都市KYTには、交通塔は五本あったが、ここ小規模な地下都市であるOTUでは、この一本しか交通塔は見当たらなかった。この一本で物流を賄えるのであろう。
―どうせ防人達に、遠くから見張られているのだろうな。ならば、交通塔を使って最深部を目指そうか。―
非常階段や非常用エレベーターは、どこか別にあるのだろうが、初めて訪れる小和泉にその場所を知る由も無かったし、探すつもりも一切無かった。
小和泉が悩むことは、ほぼ無い。考えることは、可能な限り他の者に任せることにしていた。
小和泉は、交通塔の大きく開いた出入口の前に立った。
大型トラックが数台すれ違うことができる幅と高さがあった。
入口の中には、照明は一切無く、暗闇が広がり、奥まで見通せなかった。
天井の照明の光は、交通塔の内側を照らすことは不可能だった。
「さて、絶好の待ち伏せポイントだよね。防人は居るのだろうね。今から行くから、ちゃんと、もてなしてくれるかな。楽しみにしているからね。」
小和泉は闇の中へと呼びかけると、自然な足取りで交通塔の中へと足を踏み入れた。
小和泉は、交通塔の中に入るとすぐに足を止めた。目を闇に慣らす為と敵の気配を探る為だった。
耳を澄ますと空調のモーター音と空気の流れる音だけがかすかに聞こえた。
―さすがに足音や衣擦れの音は聞こえないか。さて、どこから来るかな。―
目も闇に慣れ、周囲の状況も見えてきた。
大小様々な大きさのエレベーターが林立し、壁際には、コンテナが数個置かれた広場だった。
交通整理する数台の巨大モニターが天井からぶら下がり、床には通行区分を表す白線が幾本も書かれていた。
エレベーターやモニターは、通電しておらず、光点は何も無かった。
全てのエレベーターのドアは閉まっていた。その為、壁に開いた一つの穴が目立った。
―あれが、階段の入口かな。―
小和泉は、壁の開口部に近づいた。横六メートル、縦三メートルの四角い穴は、小和泉の予想通り、階段の入口だった。
階段は、横幅三メートルあり、複合セラミックス製だった。直角に折れ曲がることを繰り返すことにより、上層か下層へと進むことができる。
そして、照明の類は無い。エレベーターホールよりも濃い闇が広がっていた。
夜目を鍛えた小和泉でも、階段の段と手すりの輪郭を見るのがやっとだった。
―非常灯位はあると思ったんだけどね。ライトを持ってきた方が良かったかな。―
ライトの類は、複合装甲とアサルトライフルに装備されているが、小和泉は外壁に置いてきた。
―やれやれ、闇夜の決闘かぁ。面倒だな。―
小和泉は、面倒だと思いながらも、躊躇いなく階段を降り始めた。
二二〇三年一月一日 二〇一四 OTU下層 交通塔 階段
小和泉は、濃い闇の中を一層一層、静かに階段を降りていく。
その足取りは、しっかりしたもので、身に纏わりつく様な濃い闇の中を、照明無しで歩いているとは思えなかった。
―やれやれ。気配を感じない敵は、厄介だね。月人は殺気の塊だから、すぐに捕捉できるのだけど、防人はどこにいるのかな。―
小和泉は、防人が襲ってこない事に落胆していた。
廃墟を漁れば、松明を作製する事も造作ない。だが、あえて防人達が襲いやすい環境を整えていた。
小和泉は、月人ではなく、人類との戦いを渇望していた。
人同士の殺し合いは、小和泉には経験が無かった。この先もある様に思えない。最後の機会かもしれない。その様な機会を逃したくなかった。
月人が強敵であることは間違いない。だが、身体能力のみを武器とした猪突猛進が主戦術だ。
攻防の妙を楽しむ余地は無かった。戦場では、効率良く勝利する事を求められる。そうでなければ、日本軍に被害が出てしまうからだ。
戦争において、その様な個人の我儘は、一切許されない。
だが、今は違う。ここに居るのは、小和泉只一人。日本軍に迷惑をかける恐れは無い。
日夜、鍛え続けた技量を試せる絶好の機会だ。
小和泉を即死させることができる技量をもつ人類と今後巡り合わせる事などないだろう。
今しか本来の力を発揮する機会は無い。
そして、防人に斃されても悔いは無い。兵士の一人が戦死するだけだ。
ただ、桔梗達が悲しむことが、唯一の心残りだ。
しかし、人は必ず死ぬ。絶対に死ぬ。不死などはあり得ない。存在しない。夢想だ。
死因は、病、事故、事件、戦争等と幾らでもある。小和泉にとっての死は、早いか遅いかの違いでしなかった。
その想いが、小和泉にとって不利な状況を生み出す愚行へと、突き進ませていたのかもしれなかった。
小和泉が階段の踊り場に足を着けた瞬間、脳天に矢じりを刺される様な感覚を感じた。
無意識に身体は、前に転がり即座に態勢を立て直した。
目の前に黒い影が、天井より落ちてくる。その手にはナイフが見えた。
どうやら、小和泉の頭蓋をナイフで割るつもりだった様だ。
小和泉は、すでに影へ右前蹴りを放っている。着地で硬直している影のこめかみを狙った。
だが、影は地面に沈み込み、小和泉の足の下に潜りこんだ。威力は低いが、小和泉はそのまま踵を落とした。
影は独楽の様に回り、踵落としを避け、小和泉と距離を取った。
二人は、踊り場で二メートル程離れ、向かい合う形となり、動きが止まった。
「やっと来てくれたね。君達って本当に気配が読めないね。ここまでハラハラさせてくれるなんて嬉しいよ。」
小和泉の無表情が、歓喜に弛む。小和泉の待ち人だ。
暗い中でも、正体はハッキリと解った。貫頭衣に長髪。そして特徴的な長い四肢。間違いなく防人だった。
だが、防人は口を開かない。ナイフを小和泉に向けるだけだった。
「君は貫手でなく、武器の使い手なのかい。防人にも色々な種類がいるのかな。」
小和泉は、防人に語り掛けるが、答えは返ってこなかった。もっとも小和泉も答えを期待していた訳ではない。
防人は、右手に持ったナイフを真っ直ぐに何度も突き出し、小和泉の急所を狙ってくる。
だが、フェイントが入っていない攻撃は単調で軌道も読みやすく、小和泉は最低限の動きで避け続けた。
小和泉は、防人に隙を作らせるべく、正拳突きや回し蹴りを織り交ぜる。
しかし、小和泉の攻撃も空を切り、互いの牽制が続く緊張状態となった。




