85.長蛇作戦 菱村の誤算
二二〇三年一月一日 一八一八 OTU 長蛇トンネル
「報告。兵士に損害発生。八名死亡。死因は頚椎骨折。背後からワイヤーを首にまかれ、自重で折られた模様。」
司令部の通信士が、悲鳴に近い損害報告を上げた。
「くそ。俺の大切な部下が。月人と違って嫌な敵じゃねえか。ジワジワ削ってきやがる。で、誰か攻撃の瞬間を見てるのか。敵の正体は分かったのか。」
菱村の表情に、珍しく憤怒が刻まれていた。これは己の無能さに対する怒りが溢れたのだ。
「目撃者無し。」
通信士の報告は、予想通りだった。
「おい、ガンカメラに姿位は映っていないのか。」
「残念ながら、当該時刻前後の映像を確認しましたが、闇しか映っておりません。」
ガンカメラには、軽量化の為に暗視装置はついていない。菱村の脳裏にまさかという思いがよぎった。
「てめら、現場では灯火管制をしてるのか。」
「はい、灯火管制を実施中であります。」
「馬鹿野郎。敵は闇に潜むのが得意な連中だぞ。それにこちらの場所は、ばれてる。灯火管制なんて意味がねえ。さっさと明かりを煌々と点けて、闇を消しやがれ。」
菱村が語気を荒げた。こんな単純な指示を出し忘れただけで損害を出してしまった。改めて、指揮官の責任を感じた。
「隊長、申し訳ありません。私の失態です。明確な指示を出しておりませんでした。」
副長が頭を下げる。唇を強く噛み、血が流れていた。
「いや、俺の責任だ。俺の部下なら言わずとも判ると思い込んでいた。城攻めに思考を割き過ぎていた。今、逝った奴等には詫びようがねえ。」
菱村の顔に疲れが見えた。今まで、どんな苦戦であろうが飄々と受け流していた古参だったが、この戦いはあまりにも勝手が違い過ぎた。
菱村達、いや日本軍が培ってきた月人との戦闘の常識は、通用しなかった。
「そういえば、常識とは青年期までに形成される偏見とか言った奴が居たか。細かいとこは違ったか。ええい、それはどうでもいい。常識にこだわり過ぎだ。手前らも常識を捨てて考えろ。敵は月人じゃねえ。」
菱村は、参謀連へそう言い捨てるとこの状況を打開すべく長考に入った。
二二〇三年一月一日 一八二八 OTU 城壁
鹿賀山達831小隊は、慌ただしく照明の手配をしていた。装甲車から外した灯光器数基を死角が出来ぬ様にお互いに向けあい、小隊が待機している城壁から闇を消し去った。
「こんな単純なことに気づかぬとは、思考硬直が起きているな。他に為すべきことは無いか。」
鹿賀山は、士官である東條寺と桔梗と井守の三人に尋ねた。
「ワイヤートラップを周囲に張るのは、如何でしょうか。上手くいけば、敵の接近を知ることができます。」
最前線が長い桔梗は、即座に答えた。
「小和泉大尉が、戻って来た時に罠にかかりませんか。」
東條寺が心配そうに発言した。
鹿賀山と桔梗が、思わず顔を見合わせた。
「東條寺少尉。小和泉がそんな罠に引っ掛かる奴ならば、可愛げもあるんだが…。それは考慮しなくて良い。」
「はい、連太郎様、失礼。分隊長には無意味な罠です。」
鹿賀山も桔梗も、小和泉がその様な初歩的な罠にかかるとは思っていなかった。
ましてや、発案者は桔梗だ。戦闘に関しては、小和泉が一から戦闘技術を叩き込んだ。桔梗の考えを、小和泉が予測することは簡単だった。
「こ、小和泉大尉が、避けうる罠であれば、敵も同じく、避ける可能性は、高いのでは、ないでしょうか。」
井守は、状況が急変した異質な戦場の気配に飲み込まれたのか、声が上ずっていた。緊張、いや精神が限界まで張りつめている様だった。
「落ち着け、井守准尉。貴官達に意見を求めたのは、私だ。それに対して発言することは、当然の権利である。問題無い。良く提案してくれた。」
鹿賀山は、井守を落ち着かせる為に優しい声で話しかけ、軽く肩を叩いた。
今までと違う戦局に皆が、初めて向き合っている。逆に井守にしては、落ち着いている方であろう。
「はっ。恐縮であります。」
井守は、敬礼し、その後は貝の様に口を閉ざした。小心者の井守にとって、精一杯の勇気だったのだろう。
「確かに敵の行動を鑑みれば、井守准尉の意見は順当であり、考慮すべきである。ワイヤー以外の別案はあるか。」
「いっその事、対人地雷を設置しては如何でしょうか。小和泉大尉は、対人地雷の存在を知っていますが、敵は知らないのではないでしょうか。赤外線センサーならば、敵には見えません。戦術ネットワークに地雷のマーカーを上げておけば、友軍は罠にかからないでしょう。」
東條寺が、意外にも過激な罠を提案してきた。こういう提案は、小和泉の部下から上がって来る事が多かった。
ここでいう対人地雷は、指向性対人地雷を指していた。壁面や杭に固定し、赤外線センサーやワイヤースイッチに触れた瞬間に起動し、水平方向六十度の範囲の円錐形に散弾を約千発打ち出す地雷だ。
起動のタイミングは、零秒から十秒後まで自由に設定できる。また、有線または無線による遠隔操作で起動させることもできる。
月人への効果は抜群であり、今までに最前線で数え切れぬ程の月人を殺傷してきた。威力は、複合装甲を散弾が抜かない程度に弱められている為、自然種には脅威にはならなかった。しかし、複合装甲を着用していない促成種には、身体をズタズタに叩き壊す恐ろしい兵器であった。
「よし、光と闇の境界線にワイヤーを張りつつ、地雷を設置。起動は、赤外線で零秒だ。」
「つまり、ワイヤーは地雷から注意を逸らすため、と考えてよろしいでしょうか。」
理解が追い付ていない井守の為に、東條寺が鹿賀山へあえて助け舟を出した。
「その通りだ。すぐに作業にかかる。各員に通達。」
「了解。各員に通達します。」
東條寺達は敬礼し、部下達へ命令を下した。
8312分隊と8313分隊は、城壁通路の左右に分かれ作業に取り掛かっていた。
桔梗が、菜花と鈴蘭と協力して床から数センチの高さにワイヤーを張っている時、直通通信が入った。送信主は、小和泉だった。
「桔梗です。」
菜花と鈴蘭に気取られぬ様に作業を続けながら、小さく返事をした。
「頼みがあるんだけど、いいかなぁ。」
小和泉の落ち着いたいつもの声を聞き、無事を確信した桔梗は安堵した。
「通信ケーブルの長さが限界でね。これから通信できなくなるから。欺瞞よろしくね。」
「お一人で、先走り過ぎではありませんか。偵察行為は十分だと思われます。お戻りになられたら如何でしょうか。」
「え~。まだ一度も接敵してないよ。せめて敵の姿は、拝ませて欲しいかな。」
「錬太郎様がその様な危険を冒す必要はございません。一度お引きいただければ、うれしく思います。」
「だって、そこに居ても待機だけで面白くないよ。」
「わかりました。では、延長ケーブルをお届けします。通信途絶は、危険性が高すぎます。」
「心配してくれるのは嬉しいけど、邪魔になるし、いらないかな。でね、ヘルメットも置いていくから。」
小和泉の単独行動という暴走は、今に始まった事ではない。
―戦闘狂の悪い病気が出てしまいましたか。もう、止められないですね。―
桔梗はため息をつきつつ、小和泉のお願いを聞き入れることにした。
小和泉が死傷する事は、桔梗の現実には存在しないからだった。
ただし、小和泉の姉弟子である二社谷だけが、この世で唯一、小和泉を害することができる存在であると認識していた。
「かしこまりました。生体モニターを常にグリーン表示に固定致します。」
桔梗は端末を操作し、小和泉の生体モニターを通信から切り離し、無事を表すグリーン表示に固定する。続いて、小和泉の心拍数や血圧を過去一時間分のデータが無限ループする様に設定した。
これにより、何も知らない第三者が見れば、小和泉が死んでも健常である様に見える。
「…錬太郎様、設定、完了です。お早いお帰りを。」
「桔梗、ありがとうね。」
小和泉の最後の声の後、通信が途絶した。
小和泉の頼みとはいえ、命綱を切ったことは、小和泉を盲目的に信頼している桔梗ですら、一抹の不安を感じた。




