84.長蛇作戦 思索
二二〇三年一月一日 一七四四 長蛇トンネル
第八大隊司令部の装甲車内では、参謀連の熱い討論が繰り広げられていた。
撤退。援軍要請。生き埋め。水攻め。火攻め。ガス攻め。
古来より使用された様々な案が出された。
ただ一つ検討されなかったのは、兵糧攻めだった。食料プラントを持ち、今まで自給自足をしてきた敵に兵糧攻めは意味が無いからだ。
菱村は、のんびりとコーヒーを飲みながら、参謀連の討論を眺めていた。
周囲から見れば、この様な状況でも落ち着いた頼れる上官に見えただろう。
内心では、攻めあぐねている現状に、落ち着かないでいた。だが、長年の経験により、部下を落ち着かせるために演技をしていた。
―意見は出るが、どれも決め手に欠け、具体的効果が見えてこねえな。案外、生き埋め案がいいかもしれねえな。外壁をすべて塗り固めて、都市内部に閉じ込めてしまえば脅威じゃなくなるだろう。都市を塗り固めるのが、現実的でなければ、この長蛇トンネルを塞げばいい。こっちの方が楽だな。―
この案も完全ではないことを菱村は理解していた。抜け道や地表から出入りは可能だろう。ゆえに脅威がなくなるわけではない。完全に地下都市OTUを隔離することは、不可能であることを理解しているからだ。
―水は、目の前にふんだんにあるが、扉から流し込んだところでせいぜい地下区画の何層かを水浸しにするだけだな。それに地下都市は、漏水や湧水対策は万全だ。多少の水の流れ込みは予測済みだろう。これも却下だな。―
菱村は、マグカップに口をつけるが、コーヒーは流れ込まなかった。いつの間にか、マグカップの中は、空になっていた。
「副長、お替りくれや。」
副長に空のマグカップを手渡すと思索の海にもう一度潜った。
―火攻めは、案外効果がありそうにみえる。だが、坑道や洞窟ならば効果はあるだろう。しかし、地下都市となれば、火災に対しても対策はしているだろうなぁ。熱を感知した時点でスプリンクラーが稼働する。それに耐えて燃え広がるかと言えば、無理があるか。構造物に可燃物を使うのは、地下都市ではご法度だ。地下で火災が発生すれば、一大事だ。酸欠や一酸化炭素中毒で死者が多数でやがる。ゆえに換気システムも万全だろう。ならばガス攻撃も無意味だな。―
副長が差し出すマグカップを受け取り、一口啜る。口の中に苦みが広がった。
―何か、見落としは、ねえのか。過去の戦いにヒントは、ねえか。人類の歴史は、戦争の積み重ね。必ず、地球のどこかで戦争を続けてきたじゃねえか。今回と同じ状況があってもおかしくねえ。何か、何か手があるはずだ。―
菱村は、参謀連の討論にヒントを求めつつ、己の記憶を探り続けていた。
二二〇三年一月一日 一八〇八 OTU 換気口
小和泉は、身体を捻る事も出来ない程、狭い直径五十二センチのパイプの中に居た。パイプの中は、地下都市建設以来、一度も掃除をしたことが無いのだろう。埃が数センチ積もっていた。
そこには、ネズミと思われる足跡がついているだけで、他の物が通った痕跡は見当たらなかった。
壁に鉄格子とフィルターが張られた換気口を見つけたのは、二十分前だった。
城壁をよじ登ること十二メートル。銃剣にイワクラムの電力を流し、ヒートソードモードにし、丹念に鉄格子とフィルターを切り裂いた。
換気口に潜り込むには複合装甲は邪魔だった。着用したままでは、中に入ることすらできない。複合装甲を脱ぎ、ヘルメットと野戦服姿になった。アサルトライフルも長すぎて取り回しができない。その為、機関部を外し、ハンドガンモードにして腰のベルトに挟んだ。後は、胸に愛用の自前のコンバットナイフを下げた。
脱いだ複合装甲とアサルトライフルの銃身は、鉄格子の出っ張りに引っ掛けていた。下の通路に投げ捨てても壊れないのだが、敵に発見される可能性を考えると放り投げることを止めた。
小和泉は換気口へと静かに頭から入った。狭い換気口では、匍匐前進をしていくのがやっとだった。
中へ入るとすぐに情報接続が途絶えたことに気が付いた。複合装甲とヘルメットを無線接続していたのだが、情報表示をしていた画面が消えたのだ。
―あらら。電波妨害か、電波の競合かな。匍匐したまま後退か。面倒だな。―
狭いパイプ内では、方向転換することはできない。這いつくばった状態のままで戻るしかなかった。小和泉は、埃の上をゆっくりと入口へと戻った。
小和泉は、通信ケーブルを複合装甲から引き出し、ヘルメットに挿した。これにより複合装甲がアンテナとなり、有線にてヘルメットへ問題なく情報接続することを確認した。
小和泉は、ここまでの準備を終えると目を閉じ、外部を探った。静かに作業していたつもりだったが、敵は小和泉の予測より耳が良い可能性がある。念の為だった。
肌に感じる暖かい風。都市内部から外部へと流れている。そして換気口の先から微かに聞こえるモーター音と風切り音。恐らく、換気扇であろう。
敵、いや生物の気配は一切感じない。小和泉の潜入に気づいた者は、居ない様だ。
だが、油断は禁物だった。歴戦の兵士達が成す術もなく、屠られている。もしかすると、小和泉が気付いていないだけで、敵に察知されている可能性はゼロでは無かった。
ならば、簡単なことだ。先手は取られるかもしれないが、その先手を読み切れば良い。
いわゆる他の武術では、後の先と呼ばれる見切りの事だ。
小和泉は瞑想を終え、匍匐前進を静かに始めた。その進みは遅々としたものだった。
静粛、索敵を重視するために速度は出せなかった。だが、小和泉に焦る気持ちは無い。
これが、小和泉の体に刻み込まれた錺流の本来の姿だったからだ。
二二〇三年一月一日 一八一五 OTU 城壁
82中隊所属の二等兵は、緊張の為か喉の渇きを覚え、一時間以上も耐えていた。だが、小休止の命令は出ていない。哨戒任務を続けなければいけなかった。
だが、この濃い闇であれば、他人に水を飲む姿を見られることもないだろうと結論付けた。それほど喉が渇いていた。
ヘルメットのバイザーを上げ、水筒に口をつける。常温の水が、カラカラに乾いた口の中を潤し、いがついた喉を優しく包んでいく。
至福の瞬間だ。二等兵の注意力が消え去った。
その瞬間、二等兵の首に細い紐が食い込み、すさまじい力で引き絞られていく。背中方向に引かれ、足が宙に浮く。全体重が首に巻き付いた細い紐にかかった。
二等兵は声を出すことも、物音を出す暇もなかった。窒息する前に即座に頸椎を折られた。
二等兵の四肢に力が入らなくなり、だらりと全身の力が抜けた。そして、心臓は動くことを忘れ、肺は呼吸することを放棄した。
静かにやさしく床へ降ろされた。二等兵は、意識が残っていた。脳細胞は、まだ生きていた。だが、自分が死ぬことだけはわかった。声も出せず、指一本も動かない。薄れゆく意識の中、眼だけが自由だった。
何が起きたか知りたかった。二等兵は、盛んに周囲へ視線を飛ばした。二等兵の眼に手足が極端に長く、細い胴体をし、蜘蛛を想像させる様な人間の姿を捉えた。服と呼べるような物は身に着けていない。真っ黒に汚れ、ボロボロの一枚布を体に巻き付けているだけだった。右手には、紐の様な物を持っていた。
―こいつが敵か。へ、恨み殺してやるから楽しみにしてろ。―
そして二等兵は、誰にも気づかれず静かに眠りについた。永遠なる眠りへと。




