76.それぞれの夜と朝
二二〇二年十二月三日 二一四六 KYT 士官寮 鹿賀山自室
鹿賀山はリビングのソファに寝ころび、クラシック音楽の音声通信を流していた。曲名は知らないし、興味も無い。
装甲車の機械音や戦闘音に日頃から晒されている身体には、数百年前に作曲された静かな曲が心の乱れを整えてくれる様な気がした。
「清和様、お風呂のご用意が出来ました。本日は、如何なされますか。」
浴室から準備を終えて出てきたウネメが、鹿賀山へ尋ねた。
「そうだな。連日の会議で肩が凝ったな。今日は揉んでもらおうか。」
そう言いながらソファから立つと、ウネメが鹿賀山の制服のボタンを一個一個外していく。
その間、鹿賀山は直立不動で一切動かない。全ての着衣を剥され、全裸になると浴室へと入った。
浴室は子供等と一緒に入れる様に作られている。その為、大人二人が入っても洗い場も浴槽も狭さを感じさせなかった。
洗い場の腰掛に鹿賀山が座り、正面の鏡を覗き込んだ。睡眠不足のせいか、目のくまが酷い。かなりストレスが溜まっている様だ。自分自身が疲労に気付く事が出来ない程、鹿賀山の神経は疲労していた。
それは、無理も無いことだった。小隊司令として主にデスクワークが中心だった人間が、小隊長として最前線に出るのだ。最前線の勤務は、久方ぶりになる。
どうしても現役で戦っている小和泉をはじめ、第八大隊の兵士達の動きに合わせるのに無理があった。兵士の勘を取り戻すには、しばし時間がかかりそうだった。
遅れてウネメが浴室に入ってきた。
鏡に映ったウネメは、白い寸胴型の薄い布地に肩紐が付いた湯着を着ていた。湯着の為、体型はハッキリとは判らないが、凹凸が少ない事だけは分かった。
「失礼致します。」
ウネメは、鹿賀山へ湯をかけると石鹸で泡立てた小さな掌で大きな肩を揉みはじめた。
「あぁ、ウネメの肩もみは俺のツボを心得ていて、気持ちいいな。」
「お褒めに預りありがとうございます。では、更に頑張らせて頂きます。」
ウネメの小さな掌が首筋や腕の筋肉をほぐしていく。一揉み毎に鹿賀山の快楽中枢を刺激していく。
同時に筋肉のこわばりが取れ、血行が高まっていくのを実感する。
「第八大隊へ異動になった。」
鹿賀山は、軍事機密に引っ掛からぬ様に言葉を選びながら、ゆっくりとマッサージを続けているウネメに話し出した。
「今回は実戦部隊だ。俺も最前線で戦うことになる。前線の後方に居るわけではない。死傷確率が確実に跳ね上がる。もしかすると、これが最後になるかもしれない。そうなった場合は、父の元へ行け。悪いことにはならないはずだ。」
「清和様が月人ごときの手にかかることはございません。ウネメはそう信じております。」
「買い被りだな。俺は小和泉の様に強くない。人より少し頭が回るだけだ。しかし最前線では役に立たんよ。あそこは、体力と運が必要だ。」
「清和様のお知恵は、万人の兵士に匹敵致します。そうウネメは信じております。」
「まぁ、よいか。第八大隊へ異動したため、今まで以上に家を空ける。後、緊急呼集も頻繁にあるだろう。一人にするが、危険を感じる前に避難しろ。後顧に憂いがあっては、仕事に専念できん。」
「ウネメの身を案じて下さるとは、うれしゅうございます。少しでもそのお心に報いませんと。」
ウネメはそう言うと鹿賀山の怒張したものへと小さく白い手を伸ばした。
二二〇二年十二月十日 〇六四四 KYT 士官寮 小和泉自室
小和泉と桔梗は、いつもの様に朝食をとりながら時事ニュースを知るために映像通信を流していた。
小和泉と桔梗は半同棲しているため、二人が居るのは当然だった。
ただ、日常と違ったのは三人目がダイニングに居ることだった。
その三人目は、基本不機嫌な表情を浮かべようとしていたが、時折、はにかみ、照れ、青ざめたりと百面相をしていた。
三人目である東條寺は、仕事の打ち合わせに寄ったのだが、夜も遅くなり、小和泉の家に泊まることになってしまった。
―どうして、あのタイミングで帰らなかったのよ。また、クズウミに弄ばれたじゃない。
桔梗がいれば大丈夫だと考えた私が浅はかだったわ。桔梗はクズウミの手下じゃない。クズウミの命令に従うに決まっているじゃないの。何故、クズウミの何もしないという言葉を信じたの。
馬鹿馬鹿。私の大馬鹿。―
東條寺だけが、眉間にしわを寄せ不機嫌だった。
一方で昨晩、思う存分、自分自身の欲望に正直に従った小和泉の表情は、晴れ晴れとしていた。身体の奥底から吐き出せる物は、全て、吐き出し、撃ちつけ、満足していた。
また、桔梗も小和泉の手伝いができたと満足げだった。
―いったい、クズウミに何度身を任せるつもりなのよ。どうして流されるの。
あぁ、今すぐ銃があれば、撃ち殺してやりたい。
けれど、小和泉って、手荒い事は一切しないのよね。とても優しく抱擁しくれるし。充足感があるのよね。
はっ、駄目。何を和んでいるのよ。私よ、正気に戻りなさい。―
東條寺の心は、嵐の様にかき乱されていた。
東條寺の無限の思考を遮る言葉が耳に入った。
「では、ここで緊急情報です。数日前に行われた戦闘により一階層が全壊したことが判明しました。現在、行政府により封鎖され中に入ることはできません。
この戦闘により、階層の構造物はすべて破壊され、その階層に居た民間人は全員が死亡したとのことです。番組の調査では死者数が一万人を超えると。」
そこまで男性キャスターが話した瞬間、映像通信は途切れた。真っ黒な画面には『信号途絶』の白い文字が表示されていた。
「行政府の検閲が入ったようです。」
桔梗が予測できる状況を言葉にした。
「情報が遅いわね。ここに来るまでに道端で皆が話しているのを聞いたわ。みんなが知っていることよ。今さら隠しても仕方がないわ。」
東條寺が桔梗の話を繋いだ。もう先程の怒りは、どこかに消えてしまったらしい。
「どんな話だったんだい。」
小和泉は、東條寺が聞いた噂話に興味を持った。
「そうね。箇条書きで言うと、行政府は犠牲者を正確に報告しろ。
身内と連絡がつかない。
行政府の不手際で犠牲が拡大した。
事実を公表しろ。
責任を取って長官は辞任しろ。
行政府は頼りない。解体しろ。
行政も軍に任すべきだ。
こんな感じかしら。」
「きな臭い話だね。軍機に指定されている話が、民間人の間で公然と話題になることは今まで無かったよね。」
「はい、隊長。私の脳に書き込まれた情報にもその様なことは過去にはありません。」
「意図的に誰かが情報を流したというの。クズ。ゴホン。小和泉大尉。」
東條寺は、思わずクズウミと言いかけた。
「だと、考えるべきだろうね。」
小和泉は、東條寺の言い直しに気がついていたが、自分がクズであることを重々承知している。
何と呼ばれようと歯牙にもかけない。
「情報漏洩のメリットは何かしら。誰が得をするのかしら。」
「僕には、わからないよ。それは鹿賀山の領分だね。僕が考える事じゃないよ。」
「本当に戦闘しか役に立たないのね、あなたは。ハァ。出勤したら、鹿賀山少佐に確認します。」
「そうしてくれるかな。僕は、肉体労働が専門なんでね。特に昨日の夜戦の方がね。」
小和泉の最後の一言により、東條寺の脳裏に昨晩の出来事が、今行われているかのように再現される。
東條寺の顔が、みるみる紅潮していく。一方で桔梗の表情は変わらず、涼しい顔をしていた。
「くっ。な、なんで、こんなクズ男に惹かれるの。…悔しい。」
東條寺がぼそりと呟く。
小和泉も桔梗も聞こえていたが、敢えて反応しなかった。




