75.帰宅
二二〇二年十一月二十七日 一五十二 KYT 特科隊ハンガー
特科隊ハンガーに戻った小和泉達は、しばらくのちに正式な辞令と命令書を受け取った。それは、先の会議通りの内容と説明が無かった部分の補足だった。
鹿賀山は、ハンガーに全員を招集し、第八大隊の発足と地下水路の調査を告げた。
実戦部隊に所属する者は、静かに命令を受け止めた。
だが、研究職にある者は寂しげな表情を浮かべていた。理由は単純だった。実戦部隊に配置換えとなった第八大隊には研究部門は必要ない。その為、特科隊解体とともに研究部への帰還を命じられたのだ。
研究職の面々は、特科隊の自由な風が気に入っていた。突飛な発想を実験してもお咎めも無く、資金も潤沢にあった。その裏では鹿賀山が苦労して都合してくれていたのだが、研究者たちはその事実を知らなかったし、知ろうともしなかった。
東條寺が研究者の暴走を止めようとしたが、鹿賀山は、暴走を止める必要も告げる必要も無いと判断した。意図した研究から思いがけず、予期せぬ産物が現れることがある。
万が一ではあるが、その様な事を鹿賀山は期待していた。
研究部に戻れば、与えられた課題を淡々と研究を続けるだけとなる。如何に面白い発明や発見を思いついたとしても分厚い論文を提出し、成功の見込みがあると判断されない限り、研究をさせてもらえることは無かった。そして必要な論文も本来の業務時間外に書かねばならない。
実質的に己の望む研究ができないことに等しかった。
それが、研究者達が寂しげな表情を浮かべる理由だった。本人達も軍属であるため、命令に対する拒否権が無い事は理解していた。
「では、急ではあるが荷造りを始め、即座に各配属先へ異動するように。解散。」
特科隊の隊員達は、それぞれの持ち場へ荷物をまとめる為、四方八方に散って行った。
二二〇二年十二月三日 二〇〇三 KYT 士官寮 鹿賀山自室
鹿賀山は、数日ぶりに士官寮の自室へと帰ってきた。引っ越し作業と会議の連続で第八大隊のハンガーにほとんどの時間を費やしていた。ようやく、仕事の目途がつき、士官寮へ帰宅できた。鹿賀山が住んでいる士官寮は、小和泉とは別の階層だった。
こちらの階層は、佐官専用の士官寮であり、家族が一緒に住めるように最低でも4LDKの広さがあった。独身である鹿賀山にそんな広い部屋を寮として、日本軍よりあてがわれていた。ちなみに小和泉の部屋は2DKの単身者向けだった。
鹿賀山が玄関の扉を開けるとそこには日本人形の様な白い肌の美少女が一人立っていた。
「お帰りなさいませ。清和様。」
「ただいま。ウネメ。」
ウネメと呼ばれた少女は、黒い長髪を頭頂部付近でゆるく丸めた団子結びの髪型にし、家事の邪魔にならない様にしていた。丈の長い水色のワンピースに白いエプロンをつけていた。
鹿賀山の家政婦として父親から四年前に贈られた十九歳の促成種の少女だった。
独り暮らしを始めるにあたり、親としての気づかいだったのだろう。士官勤務は忙しく、家事に時間が取れない事を想像していた鹿賀山は、素直にその心遣いを受けた。
ウネメは、来年には成人年齢に達するはずなのだが、見た目は四年前からほぼ成長せず、ほっそりとした体型を維持し、幼く見えた。
ウネメは無言で鹿賀山の鞄と制帽を受け取り、主の為に道をあける。鹿賀山はそのまま廊下を進み、ダイニングの食卓に座った。食卓は、きれいに磨き上げられ、照明を反射していた。
ウネメは、鹿賀山の書斎に机と制帽を片付けると手際良く食事を食卓に並べていく。
今日の献立は、肉じゃがを主菜とした和食だった。ウネメが出す料理にはレトルト食品や冷凍食品の類は出ない。全て手作りだ。鹿賀山の体調と栄養と好みだけを考え、味付けした料理を出している。
食材は自然食材など望めないため、合成食材であることは目を瞑るしかなかった。
「いただきます。」
鹿賀山は一言だけ発し、一人で黙々と夕食を進めていく。ウネメは、鹿賀山の傍らに立ち、適時、お茶を入れたり、ご飯のお代りをよそっていく。
会話は無く、鹿賀山が動かす食器の音だけが広々と掃除が行き届いたダイニングに響いた。
これが、鹿賀山家の日常風景だった。
ウネメが来た当初は、鹿賀山も一緒に食事をしようと勧めたが、使用人である者が主と一緒に食事を摂ることは出来ないと頑なに拒否し今に至る。
他の点に関しては、鹿賀山の希望を聞いてくれるのだが、食事に関してだけは、妥協をしてくれなかった。妥協できない理由は、主が求めるタイミングでお代りや調味料の提供ができないということだった。プロの家政婦としては、納得できる理由ではあったので、鹿賀山はその状況を受け入れることにした。
その為、鹿賀山はウネメが食事している姿をこの四年間、一度も見たことが無かった。
そして、不思議な事がもう一つあった。鹿賀山が帰るのは非常に不規則だ。一体どの様にして食事を用意しているのだろうか。
何度、尋ねても秘密ですと言って、教えてくれなかった。
「なぁ、ウネメ。」
「はい、なんでしょうか。清和様。」
「何度も聞くが、どうやって食事の手配をしているんだ。俺が帰宅するかどうかわからないだろう。」
「乙女の秘密でございます。」
ウネメは、にこやかに返す。
「しかし、俺が帰宅しないのに作ったりするのは手間だし、食材が無駄になるだろう。」
「御心配には及びません。その様な些事で清和様の御心を乱すつもりはございません。清和様は、家主としてドッシリ構えて下されば、よろしゅうございます。」
「家主ではあるが、俺とウネメの二人暮らしだぞ。もっと手を抜いて良いぞ。」
「いえ、それは家政婦として看過できません。清和様のご命令でもご容赦下さいませ。」
ウネメは。相変わらず十九歳とは思えぬ言い回しで答えた。だが、笑顔から童顔の可愛らしさが零れた。
鹿賀山は食事を終え、腹休めをしていた。ウネメも鹿賀山の向かいに座り、鹿賀山の言葉を待った。
「先の戦闘後、通信だけで安否確認し、放置して済まなかったな。」
鹿賀山は、先の防衛戦後の初めて帰宅だった。
第八大隊の設営の準備の為、特科隊ハンガーと第八大隊ハンガーを往復し、事務室で仮眠をとる毎日だった。
家族や使用人等の安否は、戦闘後に通信で全員無事を確認していた。だが、顔を合わせるのはウネメが初めてだった。
「いえ、使用人であるウネメの安否を確認して下さっただけで充分でございます。それよりも婚約者であられる薫子様にはお会いになられましたか。」
「いや、会っていない。会おうと連絡はしたが、断られた。」
「薫子様は、お医者様でいらっしゃいます。怪我人の治療でお忙しいのでしょう。そこまで、頭が回りませんでした。誠に申し訳ありません。」
ウネメは、静かに背筋を伸ばしたまま、頭を下げた。
「気にしなくて良い。ところで戦闘中は、どこへ避難していたのだ。」
「どこにも行っておりません。普段通り、この部屋を管理させて頂いておりました。」
ウネメの澄ました顔に鹿賀山は頭を抱えた。
「頼むから避難してくれ。ウネメは戦闘ができない促成種だ。いわゆる愛玩種なんだぞ。敵に遭えば簡単に殺されるぞ。」
「その様な状況にはなりえません。清和様が都市を守備されておられます。ウネメに被害が及ぶ筈がございません。」
ウネメの表情は真剣だった。心の奥底から鹿賀山を信じていた。
「俺は万能じゃない。失敗する事も多々ある。次からは避難してくれ。」
「大丈夫でございます。清和様と小和泉様が、一緒に戦われる限り敗北はございません。」
そう言い切るとにこやかにウネメは微笑んだ。
―俺はウネメに盲信される程、何かを成し遂げたのだろうか。それに現実として、日本軍は敗北したのだ。今、月人が攻めてくれば、防衛する余力は無い。次は蹂躙される。―
鹿賀山は、自己の考えに強い不安を感じた。
そして、同時に人類の存続は、自分達の世代が最後になる様な気がしていた。




