68.第二十五次防衛戦 油断
二二〇二年十一月二十五日 一八一六 KYT 居住区下層部
小和泉と鉄狼は、三階建のアパートの二階の一室で向かい合ったままだった。先程と違う光景は、月人の死体が床に数体追加されている事だった。
鉄狼との戦闘音を聞きつけた近くの月人が襲い掛かってきたところを小和泉は、的確な射撃により刹那で倒していた。
逆に言えば、刹那で倒さなければ鉄狼に隙を見せてしまう。それは、小和泉の命を失うことを意味していた。
その余りにも早い射撃速度に鉄狼は、手を出すことに躊躇いを感じている様にも見えた。
―どうやら、鉄狼にも強さの度合いがある様だね。もしかすると、こいつは初陣かな。どうも戦場の空気に馴染んでいない様だね。―
小和泉は鉄狼と対峙しながら、その様な感想をもった。
余計な事を考える余裕など、鉄狼と対峙した中では今まで無かった。
常に追い込まれる逆境の立場だった。鉄狼の次の一手、二手を考えることに集中をしていた。雑念を持つ余裕は無かった。
しかし、目の前に立つ鉄狼は、小和泉への攻撃を躊躇っている。
―銃が恐ろしいのかな。奴らの獣毛には効かないことは知っている筈だよね。脅威にならないと思うのだけど。―
小和泉は、効果が無いことを知りつつアサルトライフルを鉄狼の胸に照準をつけた。
銃口が鉄狼の胸に向いた瞬間、鉄狼は半歩下り射線から逃れようとした。しかし、思い出したのだろうか。すぐに逃げる事を止め、小和泉を睨みつけた。
その眼は血走り、オモチャで馬鹿にされたかの様な怒りが溢れていた。
―決まりだね。実戦経験が無いね。だけど、力が無い訳では無い。そこは間違えたら駄目だ。慎重に進めよう。―
小和泉は、思わずを気を弛めそうになった自分自身に言い聞かした。
小和泉は、牽制としてアサルトライフルの引き金を引いた。
銃口から小指の先ほどのレーザーが発射され、鉄狼の胸を穿つ。予備動作の無い動きだった為なのか、脅威を感じなかった為なのか、鉄狼は一歩も動かずに受け止めた。着弾点にほんの少しの煙が立つが、鉄狼の肉を焼くどころか、獣毛を焼く事すらできなかった。
それは、小和泉も鉄狼も分かっている事だった。だが、戦闘経験の少ない鉄狼には効果は十分だった。鉄狼の視線が小和泉から着弾点へと移る。
その隙に小和泉は鉄狼との間合いを瞬時に詰めながら、アサルトライフルの銃身を握りしめ、右から鉄狼の顎へと銃床を叩きつける。
鉄狼は死角からの一撃に反応できなかった。狼の尖った顎先にアサルトライフルは直撃し、鉄狼の頭部が肩につかんばかりに揺すられる。
小和泉は間髪入れず、左から同じ様に銃床を叩き込もうとしたが、鉄狼に銃を右手で受け止められた。即座にアサルトライフルに対して何の未練も感じずに手放し、下から右掌底を鉄狼の顎に打ち込む。効果を上げるために右肘に左手を添え、さらに打撃力を上乗せしている。
両腕による打ち込みと複合装甲で上昇した筋力による打撃力は絶大だった。鉄狼の巨体が宙に浮く。小和泉は止まらない。打ち出した右手を素早く引き、その遠心力を利用して右後ろ回し蹴りを鉄狼の鳩尾へと深く蹴り入れた。だが、蹴り足は肉体には潜り込まず、固くなった獣毛に弾かれる感触を足裏に感じた。
小和泉は、宙に浮いた敵に反撃は出来ぬと思い込んでしまった。とくに初陣の鉄狼ということで油断をしたのかもしれなかった。
鉄狼は後ろへ蹴り飛ばされながらも小和泉の右足首を両手で握りしめた。それにつられて小和泉も一緒に床へと引き倒され、鉄狼の腹の上に立膝の状態になった。
「ぐっ。」
小和泉の口から珍しく痛みを堪える呼吸が漏れた。
鉄狼は、床に寝ころびながら小和泉の右足首を全力で握りしめた。複合装甲から表面のセラミックがギシギシと割れる音が聞こえ、内部の人工筋肉がプツンプツンという音と共に断裂していく。
鉄狼の握力が、複合装甲の限界を超えたのだ。凄まじい圧力が小和泉の右足首にゆっくりと集中していく。
小和泉は胸に装着されている特注のコンバットナイフを居合抜きの要領で鉄狼を薙ぎ払った。
そのナイフは、通常より太い柄を持ち、後端部に直径二センチのリングが付けられた一風変わった物だった。
小和泉の狙いは、獣毛が無い両目だった。この部位であれば、堅牢な獣毛に阻まれる事は無い。
鉄狼は思わず手を離し、慎重に後ずさりをしながら距離を取った。
ナイフは空振りしたが、敵の手から逃れるという目標は達成した。
小和泉は立ち上がり、自然体で鉄狼と相対した。
モニターには、複合装甲・右足首破損、防御無効、身体機能増幅不可の文字が並ぶ。
小和泉の肉体は、強く捕まれただけで怪我は負っていない様だ。痛みは若干残っているが、しばらくすれば消える様な程度であり、痛みは知覚から外せる為、動く事には問題無かった。
しかし、身体機能増幅不可という事は、右足首だけ筋力や瞬発力が地力の三倍に増幅されない。
他とのバランスが取れず、戦闘に支障がでることは明らかだった。
―さて、防御力が無いのは無視できるけど、筋力のバランスが取れないのは不味いね。仕方ない。増幅機能だけOFFにしようか。―
鉄狼は余裕があるのか、状況が分かっていないのか、強烈に殴られた顎を撫でていた。そして、捻じ曲げられた首の様子を左右に曲げながら、自分自身の調子を確かめ始めた。
脳震盪を起こしている可能性も考えることができたが、一度だけ脳を揺らしただけでは、脳震盪を期待するだけ無駄だろう。
この隙に小和泉は増幅機能の解除を行い、複合装甲の重量を全身で受け止めた。
増幅機能が複合装甲の自律機能を兼ねている為、複合装甲は、二十キロ程の重い鎧と化してしまった。
―幼稚園児を背負う感じだね。この程度なら動くのに問題はないかな。さて、腕力とかの増幅が無いけどダメージが通るかな。まぁ、機械が壊れたから帰りますで帰してくれないけどね。
第一ラウンドは敵が優勢だったね。第二ラウンドで終わらしたいね。―
小和泉に悲壮感や絶望感は無かった。屋外の放射線や粉塵まみれの外気では無い。ここは地下都市内の正常な空気が保たれている。屋外では複合装甲の気密性が重要であり、屋内では複合装甲に頼る必要は小和泉には無かったが、装着をしていたのは、鉄狼の爪や牙から防御する事は可能だったからだ。
小和泉は、半身で構えた。
鉄狼から見て、人間の急所は見えないはずだ。戦闘技術の無い初陣の鉄狼ならば攻めあぐねる可能性が高いと小和泉は踏んだ。
小和泉の予測通り、鉄狼の動きがおかしくなった。右に揺れ、左に揺れ、こちらの様子を窺っている。今までの鉄狼達の絶対強者であるいう威圧感を全くこの鉄狼から感じることが無かった。
この様な弱気な鉄狼は見たことが無い。この為、小和泉の勘が狂ったのだろう。
―敵の強さに己の力が左右されるとは、姉弟子にばれたらまた半殺しにされるかな。やれやれ。道場は別の階層だし、おそらく無事だろうね。まぁ、姉弟子なら月人程度なら軍に頼らず自分で始末するかな。化け物だもんなぁ。―
呑気に小和泉は、姉弟子の事を思い出していた。
だが一般人から見て、小和泉も十分に化け物と言えた。
促成種であれば、筋力と敏捷性が自然種より五倍以上に増幅され、心肺機能も強化されている。ゆえに月人を超える運動能力を持つため、複合装甲を装備する必要がなく、ヘルメットと関節部等の要所しかプロテクターをしていない。
だが、自然種は遺伝子操作が行われていない為、生来の能力しか持っていない。
それにもかかわらず、小和泉は月人の屍の山を築いてきた。
訓練においても菜花を複合装甲無しで打ち負かしている。小和泉の身体能力は高いが、それが常人の域を飛び出している訳では無かった。
ただ一つ、幼い頃より身体に沁み込んだ錺流武術が小和泉の命を守り続けていたのだ。




