67.第二十五次防衛戦 驕りと怠慢
二二〇二年十一月二十五日 一八〇六 KYT 居住区下層部
戦闘予報。
防衛戦です。敵の浸透に警戒して下さい。
死傷確率は20%です。
順調に進軍していた第三大隊は、両翼の端から戦線が崩壊し始めた。
右翼最前線に展開していた341小隊は、突然の視界の消失に理解が追い付かなかった。
「くそ。バイザーが汚れた。」
「誰だ。煙幕を焚いた奴は。何も見えんぞ。」
「火災の煙がこちらに来たのか。視界不良。敵の接近に注意しろ。」
兵士達が口々に騒ぐ。だが、消灯による暗闇であるとは想像の範疇を超えていた。
戦闘中に月人が有利となる状況を味方が引き起こすはずが無いと思い込んでいた。
無線にくぐもった悲鳴が混じり始める。
「どうした。3412分隊、応答しろ。バイタルサインが無いぞ。何があった。報告しろ。」
瓦礫の影にへばり付いていた小隊長が3412分隊に問いかけるが、反応が返ることは無かった。
小隊長は、3412分隊が展開している方向にアサルトライフルを向け、照準用カメラの映像を網膜に投影したが、闇が広がりかすかに公園が燃える炎が遠くにちらつくだけだった。
交戦の光は、何も見えなかった。
「ええい。何も見えん。何が起こっている。」
「小隊長、これは日没では。」
隣を固める副長が、天井を見上げつつ報告を上げる。
その言葉を受け、兵士達が一斉に天井を見上げた。本来は主要道路の頭上に点灯している筈の格子状の照明が全て消えていた。
「そんな、馬鹿な。」
小隊長の呟きが兵士達の思いの全てだった。だが、小隊長が呆けたのは一瞬だった。
「全員、暗視モード起動。敵は目前まで来ているぞ。乱戦だ。」
小隊長は、部隊に指示を出すと同時にヘルメットの側面にある暗視装置のスイッチを入れ、少しずつ光量の増幅値を増やしていく。
それに伴い、ヘルメットのバイザーに暗視装置の画像が表示され、ゆっくりと霧が晴れる様に戦場の輪郭がハッキリとしてくる。
暗視装置の増幅値を適正値で止めると同時に目の前に長い二本の耳が小隊長の網膜に映った。
反射的にアサルトライフルの引き金を引くが、銃身を上に持ち上げられ天井へレーザーが吸い込まれていき、照明器具が爆発を起こした。
同時に臍のあたりに鈍痛が走る。すぐに灼熱が追いかけてきた。ヘルメットの中が真っ赤に染まる。
「くはっ。」
小隊長の腹に長剣が生え、背中からは刃先が飛び出していた。柄を見ると毛玉が剣を捻るところだった。
腹の痛みがさらに激しくなり、灼熱が業火に変わる。
複合装甲の隙間から大量の鮮血が下半身を濡らしていく。出血量の増加に反比例し、小隊長の意識が薄れていき、足から力が抜け地面にゆっくりと倒れ伏した。
次々と兎女どもに串刺しにされる部下の姿が、小隊長が最期に見た光景となってしまった。
左翼最前線に展開していた311小隊も近い状況であった。大きな違いは、敵である月人が狼男であることと、311小隊の小隊長の状況判断が的確だったことだった。
「停電だ。落ち着け。奇数分隊、前方へレーザーをバラ撒け。弾幕を切らすな。偶数分隊、暗視装置起動。起動後、弾幕を張れ。」
混乱を起こしていた311小隊は、小隊長の命令により冷静さを取り戻し、命令を即座に実行した。
頼りなくなったまばらなレーザーの数が闇へと吸い込まれていく。銃砲が半分に減った為だ。
しかし、暗闇のままでは夜目が効く月人に対抗できない。
かと言って、全員が一斉に暗視装置を起動させれば、その隙に敵に蹂躙される恐れがある。
時間があれば、もっと良い方法を思いついたかもしれないが、咄嗟の判断としては上出来であろうと小隊長は考えた。
小隊司令部もこの間に暗視装置を起動させ、増幅値を適正に合わせ視界を確保した。
視界がセンサーの範囲内しか描画できないため、肉眼より視界が狭くなるのは仕方がないことだった。
どうやら盲撃ちでも効果があった様だ。小隊長のモニターには、隊員のバイタルサインに変化は無い。今のところ浸透を許していない様だった。
「偶数分隊、射撃開始します。」
副長が小隊長へと報告を上げる。一時的に火箭が増え、光の帯が陣地より伸びていく。
「奇数分隊、暗視装置起動。」
その命令と共に美しかった光の帯は消え失せ、荒い櫛の目の様な儚げなレーザーに戻ってしまった。
「3112より報告。月人、正面より左翼へ移動中。弾着、追尾中。」
「司令部了解。追撃を続けよ。奇数分隊、着剣。白兵戦用意。飛び込んで来るぞ。迎え討て。」
「3111了解。」
「3113了解。」
各分隊長より了解の無線が入った。
小隊長の視界にも月人が映った。狼男だ。数は十匹以上。3111分隊の四名では心許なかった。
「司令部要員、援護射撃開始。3111と接敵する前に数を減らせ。」
「了解。射撃開始します。」
小隊司令部分隊は、小隊長と副長と兵士二名の四名しかいない。小隊長は、小隊を把握しなければならない為、実質三名が射撃を開始するだけだった。だが、援護射撃が無い状況と比べれば、無いよりはマシであった。一匹にレーザーがかするだけでも敵の戦闘力は落ちる。そうすれば、死傷確率は1%でも下がるのは間違いない。
「よし、現状維持。持ちこたえろ。我々が耐えれば、味方もすぐに持ち直す。数分の頑張りっ。」
小隊長の意識はそこで途絶えた。
小隊長の首は曲がらぬはずの背中を向き、崩れ落ちた。
副長は、左腋から貫手を喰らい、心臓を潰された。
兵士の一人は喉笛を噛み切られ、もう一人は両腕を引き千切られ、痛みに悶え苦しんでいたがすぐに顔面をバイザー越しに踏み潰され、動かなくなった。
311小隊は、右翼から回り込んでいた狼男の別働隊に気付かなかった。左翼の狼男は陽動部隊だった。
小隊司令部分隊を倒された311小隊は脆かった。背後からの不意打ちにより次々とバイタルサインが消えていく。
不意打ちに気がついた分隊は、振り返ると同時に陽動部隊に蹂躙された。
数分後には、311小隊のバイタルサインは全て消えてしまった。
囮戦術を月人が使うことは歴史上初めてだった。昨年あたりから戦略を使用することから戦術も使用する可能性があることは十分に考えることはできた。
だが、日本軍総司令部は月人を侮っていた。大敗を喫したにも拘らず戦闘教義を変更していなかった。
外見から獣風情の知力しかないと思い込んでいた。原始的な戦闘方法しか知らない野蛮な敵だと考えていた。
総司令部の驕りと怠慢が311小隊をこの世から消滅させた。
月人が大隊内に浸透し、銃砲撃が加えらず、血みどろの白兵戦と化した。
本隊後方の二百メートルを維持していた32中隊の菱村大尉は、軍と行政府の致命的ミスに唖然とした。だが、戦闘経験が豊富な32中隊は、すぐに持ち直した。
「全隊、暗視装置を起動。視界が狭くなる分、戦友を補佐しろ。小隊単位で円陣を組み、周囲の警戒を厳にしろ。ライフルの出力を下げ、敵らしき者は全て撃て。出力を下げれば、味方の装甲は貫かん。月人は悲鳴をあげる。それで敵味方の判断をしろ。」
菱村は部下へ矢継ぎ早に指示を出していく。
暗闇の地下洞窟での戦闘経験は、32中隊には充分にある。中隊長の菱村が指示を出さなくとも、小隊長達は実行していただろう。
だが、今回の失敗はその思い込みが引き起こしたものだった。だからこそ、菱村はあえて指示を出した。
「隊長、各隊の円陣への組換え完了しました。次の行動を起こせます。」
副長が小隊長からの報告を取りまとめ、状況を報告する。
「おう、御苦労。さて、32中隊はどう動くべきか。」
「焼夷弾を月人占領区に撃ち込みます。これにより、月人への攻撃と照明確保を同時にできるかと考えます。」
「ふむ、その手でいくか。公園の火災を行政府はスプリンクラーで消す気は無いようだし、味方の援護になるか。」
「はい。あと希望的観測ですが、追随する部隊があると考えます。」
「よし、止める理由は無い。派手にぶちかませ。」
「了解。全隊、迫撃砲用意。弾種、焼夷弾。目標、月人占領区。撃ち方自由。」
副長が中隊無線で命令を下す。
準備ができた部隊から砲撃が始まり、遠くで焼夷弾が起こす火災が見えた。次々と小隊が焼夷弾を撃ち込んでいく。盛大な火災となり、地下都市を燃やす。
この様な大火災は、一度も地下都市で起きたことは無い。地下都市での火災は、窒息と隣り合わせの非常に危険な災害だ。本来あってはならない事のなのだ。
この階層に民間人は避難していない。軍は毒ガスや放射線防護もできるフル装備で呼吸に問題は無い。この二点があってこそ取り得た作戦だった。
火災を背景に月人の姿が黒く浮かび上がる。特徴的な耳の形で人間ではないとシルエットでわかる。
まだ、月人に浸透されていない部隊が十字砲火を浴びせ、薙ぎ倒していく。
32中隊のやり方を真似する隊が幾つか出てきた。迫撃砲が撃ち込まれる度に火災が広がる。
「これ以上は、危険だな。32中隊は焼夷攻撃中止。通常攻撃へ切り替え。全員のヘルメット着用と気密を再確認。窒息なんかで戦死は許さんからな。」
「了解。全隊へ徹底します。」
副長とその部下達は、全隊員の生命信号と装備状況を確認していく。戦闘中の小隊に負担をかける必要は無いため、中隊司令部の装甲車の端末で確認をしていく。
「隊長。一名の気密を除いて問題ありません。」
「誰だ、その馬鹿は。」
「隊長。ご自身のバイザーを降ろして下さい。」
菱村のヘルメットのバイザーは、上に開いたままだった。都市内戦闘だった為、菱村はバイザーを上げたまま戦闘指揮をとっていた。
「うん。ははは。そうだな。すまんすまん。」
菱村はヘルメットのバイザーを降ろした。
「全員の気密を確認しました。」
「よし、押し返すぞ。」
「了解。」




