64.第二十五次防衛戦 居住区無残
二二〇二年十一月二十五日 一五〇一 KYT 居住区下層部
菱村大尉率いる32中隊は、最前線に駆り出された。到着した時には、菱村達が知っている街並みは無くなっていた。
本来の階層は、高さ二十メートルの天井に白色の強化セラミックスを使用した三階建ての建物が四車線道路を挟むように均一に並び市民の憩いの場として一区画が緑化公園として点在していた。
主要道路沿った天井からの照明が昼間の様に照らしていた。朝六時にゆっくりと点灯し、夕刻六時にゆっくりと消灯することにより太陽を表現していた。
広大な地下都市に幾つもある通風口からは、空気清浄した気温二十三度、湿度六十%のそよ風が吹き込み、緑化公園には、樹木に偽装された排気口が設置され、空気清浄機と空調機へ戻され、地下都市内を空気が循環していた。
定期的に都市内の埃を除去するため、消火も兼ねた天井のスプリンクラーから散水され、溜まった埃を排水溝へ流し込んでいた。現在は、戦闘による優位性を保つ為、スプリンクラーは日本軍より行政部へ停止の依頼がされ、機能は止められていた。
行政区画、軍区画、病院区画、居住区閣などの使用用途により、多少の構造の違いはあったが、これが地下都市の基本的な構造だった。
幸い派遣された地区に、菱村率いる32中隊の縁故者は居なかった。
もしも隊員の中に縁のある者が居れば、相当な精神的な不安に襲われた事だろう。
武装無制限による砲撃の為、強化セラミックスで建てられた三階建の建物群は、無残にも崩壊し巨大な瓦礫を居住区に積み上げていた。
要所に配置された公園の樹々は、炎で燃え上がり緑は失われていた。
道路の側溝は、人間の血か、月人の血か分からぬ赤い血が、途切れることなく溢れんばかりに流れ続けている。
どうやら、建物群の中には月人から逃げ遅れた民間人が多く居た様だ。地下都市の強力な換気装置をものともせず、血と肉の生々しい匂いと様々な物が焦げた不快な臭いが充満していた。
だが、日本軍が無制限砲撃をしなくとも生きている人間は居なかったであろう。ここは先程まで月人の占領地区だった。つまり、民間人は、月人に皆殺しされたと見做されていた。
月人が人間を生かしておくことは無い。条件反射とも呼べるレベルで必ず襲い掛かる。
対抗する術をもたない民間人では、一瞬で事切れたことは想像に難くなかった。
今も友軍が十字砲火を途切らせることなく、攻撃を続けている。
無数の光線が布地の様に交差し、時折、榴弾がアクセントの様に弾ける。その都度、街並みは破壊され、日常は非日常へと転換していった。
そこが菱村の今回の戦場だった。
「野郎共。施設や設備を壊してもお咎めなしだ。ドンドン火砲をぶち込め。遠慮するだけ、自分に火の粉がかかるぞ。徹底的に破壊し、隠れている月人を撃ち殺せ。不用意に遮蔽物に近づくな。敵が隠れているかもしれん。必ず、遮蔽物は先にぶっ壊せ。いいな。」
「第一小隊、了解。」
「第二小隊、了解。」
「第三小隊、了解。」
「第四小隊、了解。」
「撃ち方始めろ。」
菱村の号令と共に、月人が潜むと思われる遮蔽物へ榴弾を次々と撃ち込み始める。榴弾により遮蔽物が撃ち砕かれ、隠れていた月人が吐き出される。
続々と遮蔽物から叩き出された月人は即座に十字砲火により、肉袋と化していった。
「よし。その調子で撃ち込め。周囲の索敵も疎かにするな。背後や天井から敵が来てもおかしくないからな。」
と、菱村は言いながらも戦術ネットワークの地図を確認する。菱村達32中隊は、L字型前線の曲がり角に展開していた。左右両翼とも友軍優勢で進んでおり、不意打ちの恐れは無いと思えた。しかし、戦場に絶対は無い。もしもを想定し、動くのが指揮官の務めだった。
「おい、第二小隊、弾幕薄いな。補給はすぐにできる。ケチるな。もっと撃て。」
「居住区ですので、目標が民間人か見極める必要はないでしょうか。」
「ない。即座に撃て。総司令部は、民間人は居ないと判断している。誤射があれば、総司令部の責任だ。」
「了解。弾幕、密に致します。」
―勝てる戦場で部下を失う方が痛い。悪いが生き残りの者は運が悪かったと諦めてくれや。―
さすがに声に出すのはまずい為、菱村は生き残っているか誰かに心の中で詫びを入れた。
「大尉。三百メートル圏内に敵影は無いようです。前進させますか。」
副官の提案通り、敵影は十字砲火により無くなりつつあった。だが、戦術ネットワークの地図を見て菱村は、動かない事に決めた。
「いや、まだだ。両翼の友軍が前進してからだ。友軍の後方二百で追従する。」
「了解しました。ここは慎重に進めるわけですね。」
「大胆な作戦は、狂犬に任せることにしたよ。どうやら世代交代の時代が来た様だからな。」
「御冗談を。最も苛烈な戦場に身をさらされるのがお好きな方が弱気な事を仰るとは。」
「いいかげん、俺も退役しても良い年だろう。」
「退役されても、暇を持て余しになられて、一週間も経たずに復帰されるのではないですか。」
「おいおい。戦闘馬鹿の狂犬と一緒にするな。こう見えても平和を愛する親父だぞ。」
「では、そういう事にしておきましょう。それにしても狂犬、いえ小和泉大尉をお気に入りの様ですね。」
「俺に娘がいたら、婿にしたいぐらいだ。」
「娘さんがおられなくてよかったです。」
「狂犬の悪癖のことか。英雄、色を好む。問題ねえ。俺も若い時は似たようなものだ。」
「なるほど。菱村だけで無く、白河など名字の違うご子息が多い理由がよく分かりました。友軍、前進開始。後方二百にて追従開始します。」
「任せる。」
無駄口を叩きつつも状況の変化による切り替えは一瞬だった。32中隊は進撃を開始した。
二二〇二年十一月二十五日 一六一六 KYT 居住区下層部
戦闘予報。
防衛戦です。侵入者を掃討して下さい。
死傷確率は10%です。
小和泉は、網膜投影された戦闘予報を見つめ、公園の大木に偽装された換気口に一人、息を潜めていた。この辺りは、まだ月人の占領区域であり、日本軍の攻撃はまだだった。
部下達は、第二控室に全員待機しており、小和泉にだけ命令が下された。
総司令部からの指定ポイントにて待機を始めて、十分程経過しようとしていた。
総司令部に第一目標こと鉄狼を確認したという報せが入ったのだ。
情報確度は高いと判断された。相対している第三大隊では第一目標の排除は不可能であると判断が下され、鉄狼撃破の実績がある小和泉が投入された。
小和泉は、単身での作戦を希望し、総司令部も承認した。ただ、菜花だけが随伴を希望し、最後まで反対を続けていたが、桔梗の説得と小和泉の命令により待機に従った。
換気口の下には月人の小隊が、民間人の死体を嬲り遊んでいた。
ある兎女は長剣を男の腹に何度も何度も刺すことを繰り返し、狼男達は男の死体を空中に蹴り上げ、落ちてきた処を地面に落ちるまでに拳を何発入れられるかを競い合っていた。
―ふむ、死体の血肉の臭いで僕の臭いも消えているようだし、排気口の網の上にいる為、奴らには僕の体臭は届いていないか。さて、鉄狼はどこかな。―
小和泉は、換気口の隙間からファイバースコープを差し込み、網膜モニターに表示させていた。三百六十度見まわすが、兎女か普通の狼男しか見当たらない。
この様な惨状を見ても小和泉の心は、揺るがなかった。月人との戦場の日常風景だった。目新しい行動ではない。兵学校や士官学校に通えば、一番にこの映像を見せつけられる。
月人とは解りあえない。月人に降伏の概念は無い。月人は捕虜をとらない。どちらかが死ぬまで戦うしかない。
兵学校で現状と同じ様な映像を入学と同時に一日中見せつけられ、その現実を最初に叩き込まれる。それにより学校の訓練を死ぬ気で乗り越え、決して敵前逃亡をしない兵士を日本軍は生み出してきた。
小和泉は左手の複合装甲の篭手を開き、古典的な物理キーボードを展開させた。
『宛 総司令部。
発 特科隊 小和泉大尉。
月人小隊発見。現在地へ集中攻撃求む。なお、第一目標は確認できない。第二指定ポイントへ移動する。』
声を出せない状況では、物理キーボードで信号を発信する。これならば無音を維持することが可能だった。
「こちら、総司令部。現在地確認。十分後に砲撃を行う。流れ弾に注意せよ。」
総司令部からは音声通信で返信が入った。
『了解。』
小和泉はキーボードで短く返信すると、近くの樹木の陰を利用し、静かに公園を去った。
月人達は、小和泉がすぐそばに居た事に微塵も気付かなかった。そして十分後、榴弾の嵐が降り注ぎ月人達は肉塊と化した。
その頃には小和泉は二区画離れた別の公園の排気口に潜り込み、周辺偵察を始めていた。




