59.追及
二二〇二年十一月二十三日 〇六〇六 KYT 士官寮
東條寺は、下腹部の痛みで目が覚めた。
―痛い。あれ、どうしたのかしら。まだ、月のものが来る日じゃないし。―
見たことが無い寝室のベッドでバスローブ一枚着ているだけだった。この部屋には誰も居なかった。ベッドサイドには、小和泉と桔梗の写真が飾られている。
―ここは、桔梗准尉の寝室かしら。―
寝ぼけていた頭が急速に覚醒し始める。
風呂場で小和泉に初めてを奪われ、気絶した事をハッキリと思い出した。
―え、ひどい。結婚するまでは誰にも許さないつもりだったのに…。あんな、あんな好色漢に奪われるなんて許せない。絶対に許さない。―
東條寺は、恥ずかしさと悔しさと自分の迂闊さにベッドの上で悶えた。
―鹿賀山大尉に行くなと言われたのに、考え無しだった。少し考えればこうなるのは自明の理。私は馬鹿だ。でも、責任は取ってもらう。結婚して頂きます。―
東條寺は、持ってきたスーツケースを開け、手早く着替え、身だしなみを整える。
鏡に姿を映し、制服の着用に問題は無いかを確認した。
そこでいつもの不健康な顔の自分ではなく、頬に赤みを差した健康な顔をした自分が映し出されていることに気がついた。
―え、これが私…。そういえば、悪夢も見ず、熟睡したのは一年ぶり。それに今は死の恐怖を感じない。どうして。―
東條寺は、痛む下腹部をさすりながら考え込んだ。
筋肉のこわばりも無くなり、頭の回転もスムースだ。昨日までは靄にかかった様な状態だった。しかし、今は薬の必要性も感じない程、晴れ晴れとしていた。
―嫌!狂犬に襲われて晴れ晴れするなんて嫌!冗談じゃない。
…でも、責任をとって入籍してくれるなら、別に問題ないかな。
以前から気になっていたし。同期の半分も結婚しているし。
違う。私はそんな女じゃない。絶対に責任を取らせる。場合によっては憲兵にだって突き出す。―
考えがまとまらぬまま、寝室を後にした。
東條寺が寝室を出てダイニングに行くと、桔梗は朝食の準備を進めていた。
テーブルには三人分の食器が並べられていたが、小和泉の姿は無かった。
「桔梗准尉。中尉はどこか。」
「少尉殿、おはようございます。錬太郎様はご自身の寝室で就寝中です。」
「部屋はどこか。話がある。」
「〇六三〇に起こしに参りますので、先に朝食はいかがでしょうか。」
「いえ、今すぐ話があります。」
「さようですか。私の寝室の隣です。」
「分かった。」
東條寺は、テーブルの上に置かれていたフォークを無意識に鷲掴みすると、すぐに踵を返し、小和泉の寝室へと向かった。そして、ノックをせずに扉を勢いよく開け放った。
部屋の中から雄と雌の薫りが漂ってくる。思わず、確認の為に桔梗へと振り返った。
「はい、昨晩は錬太郎様と褥を共に致しました。」
桔梗は、余裕の笑みを浮かべる。
その笑顔を見て東條寺は嫉妬心を覚えた。しかし、小和泉の為に嫉妬をしているなど知られたくなかった。表情を強張らせながら、すぐに小和泉の部屋へ入り扉を閉めた。
―私が嫉妬…。そんな馬鹿な。私が小和泉中尉に好意を抱いているというの。人にやさしく、敵には厳しい人だけど、女たらしだわ。女であれば、兎女ですら性欲の対象にする獣だもの。私が好意を抱くはずない。―
寝室に入ると営みの後の薫りがさらに濃密となった。小和泉が寝ているベッドの布団には無数の皺が入り、大きな染みが出来上がっている。
その光景に東條寺の自覚の無い嫉妬心が燃え上がる。
勢いよく小和泉の掛布団を捲りあげた。東條寺の予想通り、小和泉は何も着ていなかった。
「起きなさい、小和泉中尉。昨日の弁明を聞きます。」
東條寺は腹の奥底から声を出した。声を張るのは一年振りだった。
「やあ、おはよう。東條寺、いや、奏。昨日は楽しかったね。」
小和泉は、ベッドから身体を起こし、東條寺へ朝の挨拶を交わした。もちろん、急所を隠したりなど一切しない。堂々とベッドサイドに座った。
「誰が名前で呼ぶことを許しましたか。そんな覚えはありません。」
「何を言っているのかな。自分から奏と呼んでと言ったじゃないか。忘れたのかい。」
その言葉で東條寺の昨夜の記憶が、ますますハッキリとしてくる。確かに東條寺自身が、奏と呼んで欲しいと願ったことを思い出した。東條寺の頬が紅潮する。
「お、覚えていません。それよりも責任を取って下さい。」
「責任って何かな。」
「わ、私の初めてを奪っておいて、知らぬふりは止めて下さい。」
「初めてだから、とても優しくしてあげたでしょう。何か問題でもあったかい。」
「大ありです。大問題です。」
「でも昨日の昼食会で何でもすると言ったよね。」
「確かに言いましたが、限度があります。」
「何でもに限度も制限も無いよ。無制限を表す言葉だよ。」
「常識の範囲で考えて下さい。一泊するだけで純潔を奪うなんてありえません。責任を取って下さい。」
「奏からのお願いだったよ。で、責任って何かな。」
「名前で呼ぶのは止めなさい。それとお願いはしていません。責任とは結婚です。私は、結婚するまで純潔を守ると決めていたのです。結婚しなさい。」
「やだ。」
「え。」
「結婚しないよ。」
あっさりと小和泉は言い放つ。固い貞操観念を持つ東條寺は、小和泉が罪悪感を持っていると信じ切っていた。小和泉の言葉が理解できなかった。
東條寺の頭に血が上る。右手に強く握りしめたフォークが掌に喰い込む。
反射的に右手が動いた。小和泉の心臓へと向かう。
だが、小和泉は余裕をもって東條寺が怪我をしないように優しく右手を払いのける。
士官学校で授業を受けた程度の格闘術など小和泉にとっては児戯に等しい。小和泉の脅威にはならない。
「うぉぉぉぉぉ。」
再び、東條寺がフォークを掴んだ右手を腰だめに構え、全身で小和泉へ体当たりを行う。
小和泉は避けもせず、東條寺を優しく抱き留めた。いつの間にか、二人の間には枕が挟まれ、フォークは枕に深々と刺さっていたが、貫通まではしていなかった。
小和泉は、フォークの刺さった枕を壁際に投げ捨て、東條寺にやさしく足払いをかける。足を滑らせた反動で東條寺は、小和泉にお姫様抱っこをされる形になった。
「離して。いや、汚らわしい。」
東條寺は、手足を暴れさせ小和泉の抱擁から逃れようとするが、力の流れを読み取っていなし、その場から逃れられない。
「やれやれ。歳の割にはお転婆さんだね。」
「まだ二十五歳です。歳の割とは聞き捨てなりません。早く、降ろしなさい。」
小和泉は、東條寺のうるさい口を自分の口で塞ぎ、中へ侵入させる。
小和泉の舌使いに東條寺の抵抗が徐々に弱まり、力尽きた。
「…はぁはぁ。けだもの。」
「けだもので大いに結構だよ。飾ったりなんか、僕はしないよ。さて、落ち着いたかな。」
「落ち着きましたから、降ろしなさい。」
「もう刺さないかい。」
「それは貴方次第です。」
小和泉は、苦笑いをしながら東條寺を解放した。東條寺は、立ち上がろうと足を踏ん張るが思ったよりも力が入らなかった。少しふらついてしまった。小和泉のキスにあてられたようだ。
「さて、僕は、奏と結婚しないよ。何も悪いことはしていないじゃないか。お互いの合意のもとの行為だし、奏だって楽しんでいたじゃないか。僕にどの様な責任があるのか説明してくれるかな。」
「私は合意した覚えはありません。背中を流すことしか約束をしていません。私の操を奪ったのであれば、それに相当する対価を要求します。その対価が結婚です。」
「なるほど、奏の主張は良く分かったよ。では、反証だよ。」
小和泉が端末を操作すると壁に映像が流れた。それは昨日の風呂場での攻防だった。
「もう少し先かな。ああ、この辺りだ。」
早送りを止め、通常再生に戻した。東條寺は、昨日の映像があるとは想像もしていなかった。
そして映像には間違いなく、東條寺から小和泉を求める発言が流れてきた。
「嘘よ。私がこんな猥褻な言葉を口に出すなんて有り得ない。合成よ。」
恥ずかしさなのか、怒りなのか、東條寺は顔を真っ赤にして叫ぶ。
「加工している時間は無いし、そんな機材は無いよ。奏の性格から怒鳴り込んでくると思い、記録しておいたんだよ。」
小和泉は、東條寺の指摘を涼しい顔で受け流した。
「け、け、消しなさい。早く削除しなさい。防犯カメラを悪用しないで。」
小和泉は素直に壁に写し出された映像を消したが、データは削除しなかった。
「さて、これで僕の無罪は証明されたね。というか、気づいていないのかい。」
「何の事か分かりません。ですが、責任は取って下さい。今から行政府へ婚姻届を出しに行きます。」
「行かないよ。」
「行きます。」
二人の押し問答は、三十分以上続いた。




