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戦闘予報 -死傷確率は5%です。-  作者: しゅう かいどう
二二〇二年

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58.浴場攻防戦

二二〇二年十一月二十二日 二一五五 KYT 士官寮


東條寺は、身体を清めた後、湯船に身体を沈めていた。

―こんなにリラックスしてお風呂に入るのは、あの作戦以来かしら。―

ずっと影に怯え続け、委縮していた筋肉が解きほぐされていく。お湯に久しぶりに浸かった為か、身体が火照り、肌は桃色に色づいていた。

昨日まで恐怖により、湯船に浸かる時間は取れなかった。ずっとシャワーだけで済ませてきた。それも軍にあるシャワー室に誰かが居る時しか入れなかった。

トイレも誰かが行く時について行った。

無理に仕事を作り出し、残業を口実に司令部に残った。士官寮に帰れば、ひとりぼっちだ。

亡霊達が東條寺の周囲に現れる。助けてくれる友人や恋人は居ない。

一人でいることは耐えられない。精神が破壊されそうになる。

キャリア組になると決めた時に全て仕事を優先し、友人達は離れていった。もっとも、産まれて二十五年間、恋人が居た事など一度も無いのだが。

そして、眠る時は仮眠室を使用した。他の士官の寝言やいびきでうるさいが、逆に東條寺へ安心感をもたらした。

その様な生活を続ける内に着替えや私物は、小さめのスーツケース一つに収まる様になり、士官寮に帰ることは無くなった。

目的はただ一つ。一人になる時間を無くすためだった。

―軍の施設から外へ出たのは一年振りかしら。よく一人で中尉の家まで来られたものだわ。もう何も考えられない。分からない。怖い。あの兵士達の様に死にたくない。

人の温もりが恋しい。人の暖かみが欲しい。―

東條寺の恐怖心が、いや精神が壊れかけているからこそ、小和泉の家に行かせたのであろう。

平常時の東條寺であれば、一人で小和泉の家に来る事はしなかっただろう。


―そろそろでしょうか。―

台所で洗い物をしていた桔梗が気配の変化に気付いた。背後から楽しそうな気配を放つ小和泉を感じる。

桔梗の想像通り、衣擦れの音の後、風呂場へと軽やかに向かう足音が聞こえた。

桔梗が振り返るとテーブルの上には、無造作に脱がれた制服と下着が置かれていた。先程まで小和泉が着ていた物に間違いなかった。すぐに制服をハンガーにかけ、洗濯物と分けた。

―錬太郎様らしいです。あえて行かれますか。お優しい事です。―

すぐに風呂場から軽い悲鳴が聞こえた。状況は考えなくとも手に取る様に分かった。

桔梗が東條寺を助けに行くことは無い。小和泉に背くことはありえない。心からの忠誠を誓っている。

他の女性とどの様な関係を結ぼうが問題は無い。小和泉に捨てられなければ良かった。

あとはどの様な扱いをされても良かった。小和泉の下で促成種である短い生涯を遂げる事だけが桔梗の小さな唯一の願いだった。


「え。小和泉中尉。入浴中ですが、何かご用でしょうか。」

風呂場の扉を開けた小和泉と東條寺の視線が絡み合う。

男女が完全な平等のもとで働く軍では、更衣室、シャワー、トイレなどに男女の区分けは無い。

戦場でその様な区別を行う余裕は人類には無いのだ。

その為、東條寺に羞恥心は無く、自然に用事があるのだろうかと考えた。ゆえに何も隠す素振りもせず堂々としていた。

東條寺の裸体は、デスクワークが多い為か筋肉量が前線の兵士より少なく柔らかな曲線を描いていた。小和泉の予想よりスタイルが良かった。普段は、キャリア組を演じる為に身体を締め付ける下着でも着用しているのだろう。

小和泉も堂々と風呂場に入り、扉を閉めて鏡の前に座った。

「背中の一つでも流してあげようかと思ったのだけど、もう済んだ様だね。」

そう言いながら、小和泉は髪の毛を洗い出した。

「中尉。恋人同士でもないのに、家庭で混浴はしないと思いますが。」

「一般的には、そうだろうね。でもここは僕の家だから、僕の常識が優先されるんだよ。」

「これは非常識と言いませんか。」

「常識は人の数だけあるんだよ。例えば、朝食の前に歯を磨くか、後に磨くか。どちらが正しいのかい。」

「先ではないでしょうか。睡眠中に増殖した菌を洗い流し、食事を摂る事による体内への菌の侵入を防ぎます。」

「それも一理あるね。でも食後に歯磨きをしないと食べかすが菌の増殖の原因になるよね。」

「はい、それも事実です。食後の歯磨きは軍でも奨励されています。」

「では、東條寺はどちら何だい。」

「食前です。」

「僕は食後なんだよ。常識として正しいのはどちらだい。」

「そ、それはどちらも正しいかと思います。」

「そういうわけで、この時点で常識が二つあるね。ならば、僕が自分の家で好きな時間に風呂に入るのは当たり前だよね。」

「わかりました。では、私が風呂場より出ます。中尉はごゆっくりして下さい。」

東條寺は湯船を跨ぎ、風呂場から出ようとしたところ、小和泉に腕を掴まれた。

小和泉の掌は大きくて暖かく、東條寺の細い腕を包み込んだ。

「東條寺は、昼間に何でもすると言ったよね。手始めに背中を流してくれないかな。体中にヒビが入って、身体を動かすと痛むんだよね。」

東條寺は、小和泉が痛みを感じさせない動きをしていた為、怪我の事を完全に失念していた。

小和泉の身体は、数え切れない程の亀裂骨折を負っており、全治一ヶ月以上であることをすっかり忘れていた。

「あれは、言葉のあやです。真に受けないで下さい。

中尉は全治一ヶ月の重傷でした。全く怪我を感じさせない動きをされていたので失念しておりました。申し訳ありません。そういうことでしたら、身体くらいは洗わせて頂きます。」

「うん、ありがとう。」

小和泉は、東條寺の腕を離すとタオルで優しく洗われるのに身を任せた。


東條寺は、背中や腕の洗浄が終わるとタオルを小和泉に押し付けた。東條寺の動悸が激しくなり、顔が熱くなってきた。のぼせてきたのだろうか。

「では、お先に失礼致します。」

「まだ、前を洗ってもらっていないよ。」

「そちらは、ご自身でお願い致します。または桔梗准尉をお呼び致しましょうか。」

「いや。君にお願いしたいんだよ。桔梗は、今頃、君の寝間着などを用意していると思うよ。」

東條寺は、少しためらった。小和泉の顔を見つめると少年の様な目で見つめている。

―下心は無い様ですね。怪我人ですし、悪さもできないでしょう。―

東條寺は、小和泉の事を全く理解していなかった。

小和泉にとっては、この程度の事はスキンシップ程度にしか考えていない。そして、全身のヒビなどは、行動を阻害する要因にはならない。

小和泉が東條寺の方に向き直り、胸を洗い始めた。視界の端に小和泉の急所が入るが変化は無かった。完全に東條寺は、警戒心を解き、気を抜いた。

その瞬間を見逃す小和泉では無かった。


ダイニングで桔梗は、本日の家事を終え、ハーブティーを飲んでいた。

風呂場からは、小和泉と東條寺の攻防が聞こえてきている。

最初は、東條寺の激しい抵抗があったが、少しずつ声の質が変化してきている。

―これは、完全に落ちましたね。外部に通報されない様にネットワークを切断する必要はありませんでしたか。―

数分後には抵抗は一切無くなり、小和泉に全てを任せてしまった様だった。

―意外でした。少尉は、経験が無かったのですね。―

桔梗は、ハーブの香りを楽しみながら、冷静に分析をしていた。妬みや焼きもちの感情は、一切湧いてこなかった。

―錬太郎様もお膳立てがあるとはいえ、わざわざ悪人になるとは、本当にお優しい方です。自身を怒りの対象とする事で精神の決壊を防ぐつもりなのでしょう。―

テーブルに肘をつき、ティーカップの縁をなぞる。先に寝る訳にもいかず、手持ち無沙汰だった。

風呂場での攻防は、激しさを増していた。最初の頃よりも東條寺の悦びの声が多くなっている。

―いっそ、錬太郎様がお呼び下されば、私も馳せ参じますのに。いけずです。―

これが菜花や鈴蘭が相手ならば、桔梗はすでに風呂場の攻防に参加していた。しかし、初体験をむかえた東條寺には、二人きりの方が良いと判断し、自重していた。

―あとで、錬太郎様に可愛がって頂きましょう。錬太郎様は、満足なされないでしょうから。―

どうやら、風呂場の攻防は終わった様だ。唐突に部屋が静まりかえる。

―では、お迎えに参りましょうか。―

桔梗は、バスローブを持つと風呂場へと立った。

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