57.予測通りの来訪者
二二〇二年十一月二十二日 二一〇五 KYT 士官寮
小和泉と桔梗は、小和泉の部屋のダイニングで向かい合い、食後のコーヒーを楽しんでいた。
桔梗の作る料理は、小和泉の好みである和食を中心にしたメニューだった。
小和泉の骨の回復を高める為、今日の夕食は、目刺しやちりめんじゃこ、わかめの味噌汁といったカルシウムを摂取することを目的としたものだった。
全て合成食材だが、本物と質感や味に大差は無いと言う。だが、天然物を食べたことが無い人類には、その違いを感じる術は無かった。
質素な夕食だったが、そこには桔梗の小和泉への思いやりが込められていることがハッキリと判った。小和泉の早期回復を望むメニューだった。
二人は何も語らず、時折視線を交わす。音楽も放送も流していない状況で静寂が二人を包み込んでいた。
この落ち着いた雰囲気が桔梗は大好きだった。この世界には、小和泉と桔梗の二人しかいないかの様に感じられた。
だが、その至福の一時が無粋な電子音で破られた。小和泉の部屋を誰かが訪問して来たらしい。
士官寮の入口にあるインターホンの電子音が、テーブルのタブレットから鳴り響く。
桔梗は、ため息を一つつくとタブレットを掴み、インターホンに出た。カメラに映っていたのは、ショートカットのクールビューティーの東條寺少尉だった。制服にスーツケースを提げた姿が映し出されていた。まだ、こちらの回線は繋いでいない。
「錬太郎様、東條寺少尉がお見えです。如何なされますか。」
「画像を見せてくれるかな。」
桔梗は、小和泉にタブレットを渡した。そこに映る画像を見た小和泉の口許がにやついた。
―やはり、そうなされますか。では、準備を致しましょう。―
桔梗は、小和泉と東條寺の会話を最後まで聞かなかった。すぐに浴室に向かい、風呂の準備を始めた。
桔梗が風呂場の掃除とお湯はりを終え、ダイニングに戻ると、東條寺は桔梗の隣の椅子に座っていた。そして、じっとテーブルを見つめたままで動く気配は無かった。桔梗が居ない間も会話は無かった様だった。
小和泉は、静かに、そして面白そうに東條寺の第一声を待っていた。
桔梗は、三人分のコーヒーを新たに用意しテーブルに並べた後、椅子に座り、小和泉と同じ様に静かに東條寺の声を待った。
小和泉と桔梗は落ち着いたもので、東條寺が存在しないかの様にコーヒーを啜り、寛ぎ始めた。
―少尉も自分から虎穴に入られるとは、冷静ではない様ですね。というか、何か不自然さを感じます。眼に艶があると言えばよろしいでしょうか。そうそう、今の内に外部ネットワークと遮断しておきましょう。近所迷惑になっては困りますから。―
静寂の中、桔梗はタブレットを手に取り、外部ネットワークとこの部屋のネットワークを遮断していく。これにより、映像配信や通信ができなくなり、小和泉の部屋は情報の孤島となった。
―さて、あとは錬太郎様の行動次第です。何をお望みになられることやら。まぁ、お察しはしております。―
桔梗は、何食わぬ顔でコーヒーを啜り、小和泉の瞳を見つめた。それに気づいた小和泉は、無邪気な瞳で桔梗を見つめ返した。
「夜分遅く押し掛け、誠に申し訳ありません。単刀直入に申します。本日、泊めていただけないでしょうか。」
長い沈黙を保っていた東條寺がようやく貝の様に閉じていた口を開けた。その顔は、恥ずかしさの為か紅潮していた。余程、鉄狼を恐れていることが知られるのが恥ずかしいのだろうか。
「泊めるのは構わないけど、理由は聞かせてくれるかな。」
小和泉は昼間の会話を思い出し、何故ここに東條寺が来たか理解しているにも関わらず聞いた。東條寺の目に微かに涙が浮かんでいたためだった。
「その、鉄狼が、鉄狼が怖いのです。恐ろしいのです。都市内には居ないと頭で分かっています。
しかし、心から恐ろしいのです。私は死が怖いのです。自分の死だけでなく、他人の死も怖いのです。
一年前に私が立案した作戦で中隊規模の戦死者を出しました。今でも彼らの夢を見ます。
彼らは、血塗れで五体満足な人は誰一人いません。ただただ、私を取り囲んで静かに見つめてきます。そして、恐怖の限界が来たところで目が覚めます。作戦以降は、睡眠薬が無いと眠ることも出来ません。帰りに病院へ寄り、処方してもらった精神安定剤を服用してきました。
作戦失敗の原因の一つである鉄狼が死んだと聞いた日は、久しぶりに薬無しで眠る事が出来ました。
ですが、二匹目がいると聞いた瞬間、私の恐怖は一気に高まりました。
ここに来る間にも心臓の鼓動は早く、大きくなり、呼吸も荒くなりました。体も熱くなり、真っ直ぐ歩くのがやっとでした。
怖い。怖い。怖いのです。頭がおかしくなりそうです。
そこで考えました。小和泉中尉がそばに居られれば、鉄狼から私を守って頂くことができます。
今日一日だけで良いのです。私の精神状態が安定する様にそばに置かせて下さい。病院でも今日は、落ち着ける場所を見つけなさいと言われました。
お願いです。私を恐怖から救って下さい。」
東條寺は、自分の恐怖を一気にまくしたてた。普段は、冷静沈着な仕事ができる副官を演じていただけだった。現実の東條寺は、一年前から何も進歩していない弱い人間だったのだ。
恐怖を乗り越えることができず、一年に亘って心の奥底に溜め続け、二匹目の鉄狼の存在に心が決壊してしまった。
〇一一〇〇六作戦が失敗するまでの東條寺は、聡明であり、明敏であり、賢明であり、利発であり、明晰であった。
だが、作戦失敗後の東條寺は、影がまとわりつく様になった。その影を隠す為か無理に明るく振る舞うのだが、今日の昼間の様に空回りしていた。
「理由は分かったよ。桔梗、後は任せても良いかな。」
「かしこまりました。錬太郎様。」
桔梗は、小和泉へ敬礼ではなく、深々と承諾のお辞儀をした。今はプライベートな時間であり、二人の邪魔をしているのですよと桔梗の静かなアピールだった。
「待って。中尉が私を守ってくれないの。」
だが、心に余裕が無い東條寺には通用しなかった。呼び方が違う事もお辞儀で対応した事も気付いていなかった。以前の東條寺であれば、すぐに察したはずだった。
「この部屋に居るということは、すでに僕の庇護下にあるよ。この部屋から出ない限り、君を必ず守るよ。」
「その言葉に偽りは無いですか。」
「あぁ、外敵からは絶対に守るよ。間違いなくね。」
小和泉の言葉に東條寺の肩からようやく力が抜け、すっかり冷めてしまったコーヒーを一口含んだ。
「すいません。取り乱しました。お見苦しい点をお見せし、申し訳ありません。」
素直に東條寺が頭を下げた。気が弛んでしまった為か、コーヒーカップを裾に引っ掻け、テーブルに中身をぶち撒け、制服にも飛び散った。
「あ。申し訳ありません。拭く物を貸して下さい。すぐに片付けます。」
東條寺が、慌てて立ち上がる。制服のズボンにコーヒーが大きく広がっていた。
「少尉。後片付けは私が致します。制服の洗濯を致しますので、お風呂にお入り下さい。」
「ですが…。」
東條寺は、自分の失敗を他人にカバーしてもらうことに慣れておらず、次の行動が浮かばず戸惑っていた。
「桔梗の言う通りにしたら良いよ。この家の事は、桔梗に任せているからね。」
小和泉が優しい声で助け舟を出した。
「分かりました。では、お言葉に甘えさせて頂きます。」
東條寺は少し悩んだ様だが、そう言うと桔梗に案内され、おぼつかない足取りで浴室へと向かった。




