55.菱村の思惑
二二〇二年十一月二十二日 一一五八 KYT 特科隊第二控室
暴走する整備分隊を抑えるために、特科隊の責任者である鹿賀山もプレハブ小屋へ行かざるを得なくなったが、プレハブ小屋の効率の良さを実感してしまった。
最新情報も戦闘ネットワークに即座に上がるため、不便さは感じない。新兵器の仕様変更や改良も即座に現物を前に検討ができる。実験の為に屋外へ出動するのも時間がかからない。
鹿賀山が総司令部の控室に固執する理由が無くなってしまった。
頭が柔らかい鹿賀山は、方針を変更し司令部をプレハブ小屋に移転させてしまった。
整備分隊は、喜々としてプレハブ小屋の拡張工事にさらに取り組むことになった。
実験部隊の性格上、能力が優秀である隊員達が車両を自損することは無く、遠征中も戦闘部隊が簡単な整備を済ませてしまい、整備分隊は暇を持て余していたのが、全ての元凶だった。
鹿賀山は、整備分隊の暴走を抑える為、苦肉の策として新兵装の提案を許可する様になってからは、整備分隊の妄想は、別方向に向かい、暴走はようやく治まった。今のところ、整備分隊からの提案は上がっていない。
だが、鹿賀山の脳裏に許可を出してはいけない一線を超えたのではないかと危惧する囁きがあった。
そして、総司令部の一角に設けられた正式な特科隊の控室には、常駐する者は居なくなってしまった。
総司令部も鹿賀山の説明に納得し、追認する形となり、総司令部の控室を第一控室、ハンガーの控室を第二控室と正式に呼称することになり、今の状況に落ち着いた。
第二控室は、三十人の事務机と椅子を並べてもまだ十数人は収容できる広さがあった。各部署を区切るのは壁ではなく低めのパーテーションだった。その為、小隊員の意見交換はスムースに行われ、人間関係は良好だった。
壁や天井は、プレハブ剥き出しで断熱材や壁紙も貼られていない。地下都市ゆえに空調は完備されている為、断熱材は不要だった。
その第二控室へ客人が来る事になっている。
鹿賀山、小和泉、東條寺、桔梗は、その人物が現れるのを待った。
一二〇〇と同時にノックと共に扉が勢いよく開かれる。
「邪魔するぜ。32中隊の菱村だ。」
そこには数日前まで行動を共にした野戦服姿の菱村大尉の姿があった。左手には古風な唐草模様の風呂敷を提げていた。副官は連れていない。菱村一人での来室だった。
―あの風呂敷は、まだ現存していたのか。―
小和泉達は驚き、菱村の趣味を疑った。もちろん表情には出さない。ただ、東條寺だけ瞼が不自然に瞬いた。
―私服姿は、どの様な格好なのだろうか。―
小和泉はそちらの方にも興味を持ちつつも守備範囲外の為、すぐに興味を失った。
第二控室に残っていた者が起立し、敬礼を送る。その中には小和泉達の姿も含まれていた。
その光景を見て菱村も敬礼を返した。
菱村が敬礼を解き、鹿賀山達の下へ歩み寄ると兵士達も敬礼を解き、昼休みへと入っていった。
「ようこそ、菱村大尉。特科隊司令の鹿賀山大尉です。」
鹿賀山が右手を差し出すと菱村は固く握り返した。
「急に押し掛けて悪いねぇ。気が短いもんでな。」
「ようこそお越し下さいました。まぁ、お座り下さい。プレハブ小屋の為、応接セットはありませんが。」
鹿賀山は事務椅子をすすめ、五人が車座になって事務椅子に腰掛ける絵面となった。
「狂犬こと小和泉中尉と桔梗准尉の事はご存知でしょう。あと、こちらは私の副官の東條寺少尉です。以上が特科隊の士官となります。」
「少尉の東條寺です。以後、お見知りおき下さい。」
東條寺が菱村と握手を交わす。
小和泉と桔梗は、すでに面識があり握手は省略した。
「コーヒーと緑茶をご用意できますが、どちらがよろしいでしょうか。」
桔梗が菱村に飲み物の好みを確認する。
「気にするな。土産を持ってきた。仕出し弁当と茶だ。昼食でも摂ろう。」
菱村が風呂敷を東條寺に渡す。東條寺は受け取り、風呂敷を広げると中には高級そうな弁当と茶が各七つ包まれていた。
「人数が分からんから多めに持ってきた。余りは適当にしてくれ。」
「ありがとうございます。では早速。誰か高級弁当を欲しい者はいないか。階級は問わん。先着二名だ。では、挙手。」
鹿賀山の一声に整備班の若い者三人と菜花が即座に手を上げる。
「一番は菜花軍曹だな。二番は同着。お前達で自由に決めろ。菜花軍曹、代表して取りに来い。」
「はい、頂きに上がります。」
菜花は浮かれた様子で食堂に行こうとしていた体を反転させ、東條寺から弁当を受け取り、整備班の連中の輪に混じっていった。
「お恥ずかしいところをお見せし申し訳ありません。菜花には後で折檻しておきます。」
小和泉は、菜花の解放的なところが好きだったが、やはり状況は弁えて欲しかった。
「あの娘は、狂犬とペアを組んでいた娘だろう。元気があっていいじゃねえか。」
「恐れ入ります。」
菱村の懐の深さに小和泉は素直に感謝した。
「しかし、最新鋭の武器を開発している部隊の部屋が、プレハブ小屋とは何とも侘しいものだな。」
菱村が第二控室を眺め、しみじみと感想を述べる。
「本来は、総司令部に立派な物を用意されているのですが、こちらの方が使い勝手が良いもので、常駐してしまいました。住めば都です。」
「ふむ、そう言えるのは、良い隊と言う事だな。士気も練度も高そうだ。」
菱村は、小和泉達を見て、何故か嬉しそうだった。
「ところで、先の作戦では、当方の狂犬が、さぞかしご迷惑をお掛けしたのではありませんか。」
鹿賀山が話を戻す。
「いやいや、面白い見世物をしてくれた。生身で鉄狼を倒すとはな。自然種には出来ない芸当だ。人間の可能性を感じさせてくれるねぇ。」
「菱村大尉、それは御内密に。あってはならないことですので。」
鹿賀山が自分の口許に人差し指を当てる。そのポーズを見て、菱村が片手で拝むように謝った。
「ああ、そうだったな。済まねえ。さて、本題だが、お前さんらの経歴を見させてもらった上での提案だ。俺と手を組まないか。」
菱村の提案に鹿賀山達の思考は停止した。
「手を組むとは、どういうことでしょうか。」
鹿賀山が恐る恐ると聞く。
「深い意味は無い。32中隊は、慎重に事を運ぶのを信条としているためか、他の部隊と息が合わん。共同作戦を行った場合にどうもしっくりと来ない。ところがどうだ。今回の作戦で狂犬と手を組めば、歯車がカッチリ合うじゃないか。この様な稀有な事は無い。
で、考えた訳だ。一緒に戦えば、お互いの死傷確率が確実に下げられる。良い話だと思わないか。」
菱村の目が子供の様なきらめきで特科隊の面々を見つめる。
鹿賀山と東條寺は菱村の言葉の奥を読もうとポーカーフェイスで考えていた。
だが、小和泉は豪快に、桔梗は慎ましく笑い出した。
「大尉が慎重な方である事は認めますが、お遊びが過ぎるから他の隊と歯車が合わないのではありませんか。鉱山の扉を開ける芝居は、遊び過ぎでしょう。」
小和泉が、鉱山の大扉を開ける時の時間稼ぎの件を示す。
「確かにあれは…。部下共がな。まぁ、はしゃぎ過ぎたのは認めよう。」
「あれは、見事な時間の引き伸ばしでした。」
報告書と共に映像を見た鹿賀山は、何を差しているのか分かった様だ。隣の東條寺は、キョトンとしている。報告書を見ていないか、覚えていないかのどちらかだろう。
「いや、さすがにはしゃぎ過ぎた。あれでは、疑われるのが普通だろう。部下には今後はもっと上手くやれと言い含めておこう。」
「くくく。やっぱり、大尉は面白い。いえ、上官に対し、失礼致しました。鹿賀山、後は頼むよ。」
頭を使うのが面倒になった小和泉は、事後を鹿賀山に任せ聞き役に回った。




