50.第二十四次防衛戦 鉄狼、序盤戦
二二〇二年十一月十八日 〇八二一 KYT 深層部S区
「あれが狂犬か。なるほど、名付け親はセンスがあるな。普段は大人しい飼い犬だが、スイッチが入れば狂暴な犬になるわけか。
しかし、一号標的を前にして、一切の恐怖を感じていないように見えるな。狂犬は、どういう神経をしているのだ。奴は自然種のはずだな。」
菱村は、32中隊の司令部から小和泉の攻防を凝視していた。先程までの好青年の面影は無い。殺人機械を目にしている気分だった。
「はい、小和泉中尉は自然種で間違いありません。今回参加している特科隊の自然種は、小和泉中尉のみです。他の隊員は促成種です。」
副官がコンソールを操作し、菱村の疑問に答える。
「自然種が、月人と対等に格闘できるものなのか。いくら複合装甲で地力が底上げされているとはいえ、普通は無理だろう。月人に対抗するために促成種が誕生したのだぞ。」
「ですが、小和泉中尉の戦歴を確認しますと間違いなく月人を白兵戦で百匹以上倒しております。また、部下の菜花軍曹も同じ様に百五十匹以上の戦果を上げています。旧1111分隊は、異常、失礼致しました。特筆すべき武力を持つ分隊のようです。」
「いや、異常で間違いない。どこの隊も好んで白兵戦はしない。中距離での射撃戦が基本だ。狂犬の賞罰の欄はどうか。」
「確認致します。これは酷い。いえ、凄い。報奨七回、懲罰十三回。懲罰理由は、戦闘中における月人への凌辱行為等です。何を考えているのでしょうか。」
「己の欲望に忠実なのだろう。だが、日本軍において最強の分隊の一つであることには間違いないだろう。ゆえに上層部もこの異分子を軍から排除できないのだろう。その代わり、最前線に常に身に置くか、危険な実験部隊に配属されることになったのだろう。」
「ですが、小和泉中尉にとっては、希望通りになっているのではないでしょうか。」
「余程、月人と格闘戦をしたいのだろう。理解不能だな。」
「全くです。本官も理解できません。よく上官も切り捨てないものです。」
副官の一言に菱村は、初めて小和泉の上官に興味をもった。
「ちなみに上官は誰だ。」
「現在は、鹿賀山大尉です。正確には、士官学校の卒業訓練課程終了後は、たらい回しにされたようですが、ここ三年間は鹿賀山大尉が常に実質的な上官です。」
「実質的とはどういう意味だ。」
「佐官級の上官の下でも小和泉中尉を管轄していたのは、鹿賀山大尉です。どうやら、どの部隊に送られても鹿賀山大尉が監督している間は、割と大人しい様なので本来の指揮官が鹿賀山大尉に丸投げをしていた様です。」
「つまり、この帰月作戦中の上官は俺だが、大人しくしているのは特科隊の鹿賀山の指揮下にあるからか。」
「その様に考える事も出来ます。」
「わかった。下って良い。」
「では、下がります。」
副官は敬礼をして、菱村から離れていった。
―狂犬に鈴をつける男、鹿賀山か。いや、違うのか。小和泉が仕出かした事を揉み消しているのか。ゆえに公式書類では、大人しくしている様に見えると考える事も出来るな。ふむ、一度会うか。どの様な人物か知る必要がありそうだな。―
菱村の中で突如、鹿賀山と言う男が現れ、興味の対象となった。
副官達は、菱村と小和泉の二人に畏怖を感じていた。
二人は、一号標的である鉄狼により全滅する恐れと日本軍総司令部に見捨てられる可能性を全く考慮に入れていない。
生還できることが当たり前として、作戦を進めている。
その自信や根拠はどこにあるのか。
副官には、生還する方法が分からない。長年、仕えてきた菱村大尉の判断を信じるしかない。そうやって、今まで生き残ってきたことは事実なのだ。
菜花は、小和泉が十手を自由に振るえる様に左手側に立ち、鉄狼の背後を取るべくゆっくりと気配を消し移動していた。
小和泉も鉄狼に気取られれぬ様に危険ではあったが、見た目が派手な技を繰り出し注意を引いていた。
これは、試合でも決闘でも無い。ただの殺し合いだ。一対一や正々堂々などが顔を出す余地は無い。敵より一手でも優位な状況に運び、圧倒する。それが殺し合いの正しいあり方だと小和泉は考えでもあり、錺流の基本だ。
ゆえに鉄狼を小和泉と菜花の二人で挟み撃ちにする事に何の躊躇いも疑問も持たない。
死ねば、それで何もかも終わってしまうのだ。敵を殺さなければ、明日を迎えられない。
鉄狼の強烈な拳を小和泉は十手で受け止めるが、片手では止め切れず、棒身を左手で握り両手で受け止めた。いつもは受け流すのだが、それは銃剣やアサルトライフルの強度が足りないからだ。
今、使っている十手であれば、折れたり、曲がる事は無い。刃こぼれの心配も無い為、受け方の自由度が上がる。それは攻撃の自由度も上がるということになる。
真正面から受け止めると小和泉の身体は、受け止めた姿勢のまま後ろへ数十センチ流された。複合装甲からゴムが切れる様な音が何度も聞こえる。人工筋肉の繊維が断裂する音だった。
―俺と十手は、鉄狼の拳に耐えられても装甲がもたないか。戦術変更。回避優先。複合装甲の増力機構が耐えられないのであれば、避ければよい。―
鉄狼の力は小和泉の予想を超えていたが、それは誤差の範囲だ。即座に思考を切り替えた。
小和泉はすぐに十手の棒身を傾け、鉄狼の拳の流れを変える。鉄狼の拳が下へと流れ、顔面が小和泉の真正面へ落ちてくる。十手の柄で顎を強烈に打ちつける。さすがに不意を打たれたのか鉄狼の首が傾く。だが、傾く角度が浅い。これでは脳震盪どころか、打撃のダメージすら与えていないだろう。そのまま、勢いを止めず半歩踏み込み、右肘の追撃を入れる。
さらに鉄狼の首が傾くが、効果はほぼ無いと判断した。
菜花が絶妙なタイミングで無防備となった鉄狼の脇腹へ十手を叩き込む。
鉄狼の意識が菜花に向く。その瞬間を小和泉は逃さなかった。左掌底を鉄狼の顎を下から突き上げる。掌底は綺麗に決まり、鉄狼の身体が数センチ宙に浮く。体を浮かすことは、身体の自由を奪うに等しい。殴ろうが蹴ろうが体重の乗っていない打撃に効果は無い。また、こちらの攻撃を避ける事も物理的に不可能となる。
小和泉の十手が下から鉄狼の金的を叩き潰す。顔を天井へ向かせられている鉄狼にとっては死角。かばう術は無い。小和泉の十手に固い感触が返るが、それだけで終わった。何かを潰す感触は全く無かった。鎧の様な獣毛に阻まれ、十手は金的に達しなかった。
菜花も浮いた瞬間に十手の棒身の先端を脇腹に全力で突き入れるが同じく獣毛に阻まれた。
折角のチャンスだったが、小和泉達は活かせなかった。
鉄狼は地面に降り立ち、顎をさすっている。さすがに数発強烈な打撃を受け、痛みは感じている様だが、ダメージを与えたとは言えない。
小和泉と菜花は鉄狼から離れ、己の間合いに戻った。
―序盤は、こんなものか。やはり鉄狼は固いな。徒手空拳ならば、こちらの手足がもたない。十手を用意しておいて正解だったな。さて、前回は不意を打たれ、他の月人も居り、救護者も居たため、実力が出せなかった。いや、実力を出せなかったのは、自身の驕りのせいか。今回は勝つ。いや、違う。確実に殺す。―
小和泉は、呼吸を整えつつ鉄狼を考察する。
実際に攻防を行えば、速度と筋力は恐るべきものだが、モーションが大きく何をするのか先読みできる。攻撃を回避することは簡単だ。問題は、鎧のように固い獣毛だ。これがこちらの攻撃を無効化している。
比較的獣毛が薄い脇腹も急所である金的も打撃を与えることができなかった。
ならば、出来る事は後二つ。その状況に持ち込めば良い。
小和泉の中で攻防の道筋が組まれていった。




