5.戦闘予報 記録更新
二二〇一年九月二十六日 一一二一 KYT南南西十五キロ地点
五日目、つまり任務の最終日は、通信ケーブルも予定通りに前日に敷設完了し、空のリールが二台の装甲車の後ろにくっ付いているだけだった。無線機のビーコンを頼りに地下都市へ帰還するのが今日の作戦行動になる。
初日に月人と遭遇した以外は、順調だった。しかし、帰り道は予定通りに行かない様だ。
「隊長、正面一キロに温度センサーに感有り。人型が十体以上重なっている。正確な数字は判読不能。地表の割れ目に潜伏の模様っす。」
助手席に座っていた菜花が報告を上げる。
「全車停車。戦闘準備。二号車はどうか?」
小和泉の号令一下、部下達が銃眼にアサルトライフルを突っ込み、巡航態勢から戦闘態勢に入る。
「二号車も状況同じ。敵勢力判読できません。」
桔梗が即座に返事を返してくる。
「さて、井守准尉。どう考える。」
「待ち伏せでしょうか?こちらは装甲車二台あります。正面からの攻勢で問題無いと思います。」
しばらくして覚せい剤の投与も止め、正気に見えるが、まだ普段より気は大きくなっているようだ。そこは、こちらが注意しなければならないだろう。
「確かにそれでも勝てるだろうが、損害が出る恐れがある。装甲車を造る資材は簡単に手に入らない。少しでも壊す訳にはいかない。安全策を考えてみろ。」
井守が目をつぶる。戦術教本を思い出しながら考えているのだろう。
「後退しつつ、発砲。距離を一定に保ち殲滅します。」
「ふむ、悪くはない。だが、安全策では無いな。増援が来る可能性がある。我らは、無事に帰還する事が最終目標だ。ここは逃げる。」
「は?敵前逃亡でありますか。それは理解できません。交戦を進言致します。」
やはり薬で気が大きくなっている様だ。
「いくら装甲車が二台あろうが、こちらは八人。敵は未知数。殲滅したところでメリットも無い。貴重な装甲車を無事に持って帰ることが優先すべきだろう。交戦を進言するならば、その利点を述べよ。」
「敵を一匹でも減らすことにより、次のKYT防衛戦に優位となります。」
「優位にはならんな。あの程度の集団は、砲台陣地の一撃で消滅する。誤差の範囲だ。」
「では、四日前の攻撃は何でしょうか。あれこそ、こちらに気付いていないのであれば、放置すれば良かったのではないでしょうか。」
「そこだ。敵がこちらに気付いているか、いないかだ。ここが大きく違う。不意打ちであれば、ほぼ間違いなく安全に殲滅できる。しかし、今回は待ち伏せだ。もしかすると包囲されている可能性も有る。そこまで考えたか。」
「いいえ、気がつきませんでした。申し訳ありません。少尉の仰るとおりです。包囲されている可能性まで考慮しておりませんでした。」
「だが、准尉の言う通りにした方が最善の場合もある。」
「では、どうされるのですか。」
「くくく。我が分隊の別名を知らんのか。」
知的な表情で話していた小和泉の顔が、凶暴化していく。
運転席と助手席に座る菜花と鈴蘭が、顔を見合わせてクスクスと笑う。
「失礼を承知で申し上げます。…狂犬部隊であります。」
「その通り。ならば、取る道は一つ。正面突破で逃げる。」
「さ、先程の私の考えと同じではありませんか。」
「ルートや行動は同じ様に見えるが、作戦目標が決定的に違う。准尉は攻勢重視で月人を殲滅したいのだろうが、俺は逃げの一手だ。別に月人を撃ち漏らそうがここから逃げられれば良い。包囲されているかもしれないのに下るのは、それこそ罠かもしれんぞ。」
「今来た道を戻れば、問題無いのでは。敵は居ませんでした。」
「我々が通過後に背後へ回られたかもしれんぞ。」
「その様な事を言い出せば、際限がありません。」
「そうだ、敵は狼と兎。獣だ。獣の考える事など人間には理解できない。ならば、シンプルに考えれば良い。正面に穴を開けて、走り抜ければ良い。殲滅する必要も無い。」
「その様な戦術は、教本にはありません。」
「戦術は、状況によって変わる。教本通りの状況などある訳が無い。教本通りに進めるのであれば、自然種が指揮を執る必要は無い。促成種でも指揮が執れる。臨機応変、深読みが必要とされるからこそ自然種が士官になるのだ。准尉も早く教本から卒業できる様に経験を積め。だが、その前に死ぬなよ。お前の教育には大金と時間がかかっているのだ。代わりは無い。」
「わ、わかりました。善処致します。」
井守の表情は、納得していない。しかし、判断する材料と経験が無いため、これ以上の反論ができない様だ。
「桔梗軍曹。聞いていたな。正面突破だ。」
「了解。準備できております。」
「では、一号車の左に付け。併進して突破する。アサルトライフルは左側面に集中。機銃は正面。一号車側には不要。全力で直進せよ。速度、車間距離は、一号車が合わす。一号車は逆に火力を右に集中。一号車の機銃は、臨機応変に動く。鈴蘭、あれだ。出来るな。」
「問題無し。ベタ付き。了解。」
―相変わらず、管制官の様な返事だな。まぁ、そこが他の子と違った可愛い処でもあるのだけれども。―
と小和泉は思った。小和泉にとって、この程度の状況は問題にならない。
「さあ、准尉。右側面を菜花伍長としっかり守ってくれよ。俺は機銃で全周を担当する。菜花、准尉がヘマすれば容赦はいらん。修正してよし。」
「了解」
菜花と井守が右の銃眼にアサルトライフルを突っ込む。
小和泉は、機銃を榴弾モードに設定する。
網膜に映された照準をズームして見ても敵影は見えない。だが、敵が隠れている割れ目は装甲車で問題無く渡れる幅だ。
温度センサーに切り替えても敵が動いた気配は無い。全周を確認するが敵影は発見できなかった。小和泉は機銃を起動させ、安全装置を解除する。
他に判断材料は無い。小和泉は迷う事なく作戦を開始した。
「全速前進。」
装甲車が勢いよく飛び出し、軽くシートに押しつけられる。一号車が二号車の速度にピタリと合わせ、幅を寄せていく。車間は二十センチも無い。この幅であれば、月人が入り込む余地は無い。
だが、鈴蘭は二号車の運転の癖を読み取るとさらに幅を詰めた。車間は、十センチしかない。無線越しに二号車の運転手が息をのむ声が聞こえる。
「二号車運転手、前だけ見ろ。横は忘れろ。一号車に任せれば良い。勝手に避ける。」
すかさず、桔梗のフォローが入る。
「全車、装甲に高電圧流せ。」
これで月人が装甲車に触れた瞬間に感電死することになる。
「最高速度、到達。」
鈴蘭が涼しい顔で報告を入れる。
荒野を時速八十キロで疾走する。装甲車は、激しく揺れて傾き、隣の装甲車に激突するのではないかと思うほど、一瞬近づくが、涼しい顔で鈴蘭がハンドルを微調整し、車間を維持する。
「攻撃開始。」
小和泉も機銃の引き金を軽く引く。月人が潜伏する割れ目に榴弾が五発吸い込まれていく。
眩しい閃光と同時に土煙が上がり、爆発を起こす。あの中は、肉片と血だまりで一杯だろう。
生き残りの月人が割れ目からわらわらと溢れ出す。先の榴弾で大半を削れば儲けものくらいに小和泉は考えていたが、予想を超えた数の月人が割れ目から出現する。
ざっと、二十匹はいるだろうか。ならば、割れ目の奥には数倍の敵がいる可能性もあるし、見えているのが全てかもしれない。出来れば、そうであって欲しいが、戦場において、希望は得てして叶わない物だ。
小和泉と桔梗は、月人の集団へ対し榴弾を次々に撃ち込み肉塊に変えていく。しかし、懸念していた事態になった。戦区モニターには、装甲車の四方に月人の反応が表示され、戦闘予報が更新された。
戦闘予報。
総力戦のち撤退戦になるでしょう。
死傷確率は30%です。
小和泉が今まで見たことが無い最悪の戦闘予報だ。その数字は、戦闘予報が導入されて以来の記録更新だった。
死傷確率が30%を超える場合は、壊滅であると士官学校で教わる。確かに二個分隊八名の内、三人も死傷者が出れば戦闘どころではない。
ほぼ戦力半減だ。撃ち続けている弾幕が半分になるということを考えるだけで恐ろしい。
月人の接近を容易にしてしまうだろう。敵が薄い場所を目がけて、逃げの一手を打つしかないだろう。
そして、疲労で判断が遅れ包囲される。最後に待つのが全滅だ。それが30%の損耗率だと士官学校では教えている。
そして、戦友を戦場に見捨てることは、軍全体の士気を落とす。
困難な作戦も何があっても仲間や友軍が助けてくれる。そう信じられるからこそ、過酷な死地へと突入できる。
ゆえに軍では、怪我人だけではなく、死体であろうとも戦友や友軍の回収を重んじている。
―戦闘予報の死傷確率30%かあ。致命的な数字じゃないか。―
死亡宣告を戦闘予報にされたも同然だ。
小和泉の口許が薄い笑みを浮かべた。
「こ、こ、こ、小和泉少尉、死傷確率30%です。恐ろしい数字が出ましたが、これはよくある事なのでしょうか?」
薬酔いをしている井守が呑気に小和泉に聞いてくる。
この状況なら薬でラリっている方が幸せなのかもしれないと、小和泉は思った。
「従軍以来、初めての高確率だ。記録更新だろう。しかし、下らず、前進で正解だっただろう。後進していれば、更に確率が跳ねあがっていたはずだ。今頃、背後の集団に不意打ちを受けていたな。」
小和泉はさも状況を読んでいたかの様に答えるが、内心は、博打に勝っただけだと考えていた。
「さすが、少尉です。この状況も見越しておられたわけですか。尊敬致します。」
「尊敬は生還後にしてくれ。まずは前方突破だ。」
「了解致しました。」
前方は、榴弾を撃ち込んでいるにもかかわらず、目視できる二十匹から数が減らない。地下から補充でもされているのだろうか。側面と後方の敵も近づいてきているが、こちらは最高速度で荒野をとばしている。装甲車が止まらない限り、追いつかれる心配は無い。
時折、重たい装甲車が跳ね、照準がずれる。
今は、左右と背後の敵は考慮に入れなくてよい。
「まずは前だ。前の敵を減らせ。残り一キロだ。それまでに蹴散らせて通り抜けるぞ。」
装甲車から機銃とアサルトライフルが静かに光を撒き散らし、月人へ死を与えていく。しかし、一向に敵の数が減らない。削る数と補充される数が均衡している様だ。
割れ目まで二百メートルに近づくと前から迫ってくる月人の集団の後ろから投石攻撃が始まった。
装甲車の天井や前面に拳大の岩がガズン、ガズンとぶち当たる。岩ごときでは、装甲車の複合装甲には効果が無い。傷一つ付かない。
前から走ってくる月人は、小和泉と桔梗の機銃掃射により片っ端から息絶えていく。
装甲車は月人の折り重なる死体の上を走る様になり、揺れが激しくなると同時に速度も落ちた。
二号車の新人運転手に死体を避ける曲芸走行は期待できない。ここは愚直に真っ直ぐ走り抜けるしかなかった。
地面の割れ目が目の前に迫る。幅二メートル。この六輪装甲車ならば十分に渡れる。迂回する必要は無い。しかし、敵に装甲車の弱点である底を見せることになるのが気にかかる。
底は軽量化の為、他の部分より装甲が薄くなっており、電圧システムも張り巡らされていない。
装甲車が割れ目を跨いだ瞬間、あらかじめ用意していた外部兵装のスイッチを押す。
本来は上部に発射する三連榴弾筒が百八十度反転し、割れ目へと車体の左右側面から各三発が撃ち込まれ、光と熱の奔流が割れ目を流れていく。これでかなりの数を減らしたはずだが、まだまだ、割れ目から湧いてきた。予想以上に数が多い。
月人が太い鉛筆の様な丸太を持っているのを小和泉の照準の隅に映った。
激しい打撃音の後、併走しているはずの二号車の姿がふいに消えた。機銃を後ろに回すと、小和泉の目に割れ目の上で停車した二号車の姿が見えた。
「一号車、百八十度回頭。二号車を援護。」
鈴蘭が素早く前後輪を反転させ、その場で百八十度回転させる。凄まじい横への重力よりにシートベルトが身体を締めつけられ、一時的に呼吸が止まる。
装甲車は、割れ目から数百メートル離れた位置に停車した。
「二号車に敵を近づけさせるな。撃ちまくれ。二号車、状況を送れ。」
「こちら二号車。月人がタイヤと装甲の間に金属製の杭を打ち込んだ模様。その為、右二番タイヤがロックし割れ目にはまりました。現在、装甲の高電圧で撃退中。右二番タイヤをパージして杭を外します。装甲を破られる恐れなし。」
桔梗からは、落ち着いた声が無線から流れてくる。
「怪我人は?」
「怪我人無し。ただ、月人が予想より多すぎます。現在も増加中。この地下に基地があるかと推測されます。」
「わかった。こちらも可能な限り援護する。タイヤパージを急げ。」
「了解。」
一号車と二号車は、苛烈な勢いで月人を殺していく。しかし、背後に回っていた別働隊も合流し、数が減らない。
桔梗が言う通り、この地下に基地があるのだろう。
「鈴蘭。ビーコンを地面に撃ち込み、座標を記録。」
「了解。ビーコン発射。地面に展開確認。信号受信。座標記録完了。」
これで月人の基地の一つを特定した。どの部隊が派遣されても問題無く、ここに辿り着けるだろう。小和泉は司令部へと無線を繋げる。
「司令部。こちら1111分隊。」
「こちら司令部。報告せよ。」
「帰還途中、月人の基地とおぼしき場所を発見。現在、交戦中。ビーコンおよび座標を記録。転送した。なお、二号車が擱座。現在、復旧中。死傷者は無し。」
「座標を確認した。応援を求むるか?」
「当隊のみで対応可能。二号車、復旧後すぐに当戦区より離脱する。なお、当戦区の攻略戦の必要を具申する。月人の数、百匹を超え、現在も増加中。脅威度極めて高し。脱出後に再度連絡を入れる。」
「司令部了解。無事の帰還を祈る。」
小和泉は司令部との無線を切った。遠く離れた司令部と無線が出来るのも少しずつ通信ケーブルと無線機を敷設してきたお陰だ。これからもこの通常偵察は、重要視されるだろう。
桔梗は割れ目を無事に渡れると確信した瞬間、装甲車が割れ目の直上で下からの突き上げと共に急停車した。
高速走行から停止状態までほぼゼロ秒だったため、身体が前に吹き飛ばされそうになるが、シートベルトに何とか助けられた。しかし、今の強烈な急制動は自然種であれば、ベルトによって肉体が引き千切られていただろう。身体強化された促成種であればこそ耐えられた衝撃だった。
二号車に小和泉が乗っていなくて良かったと桔梗は安堵した。すぐに気持ちを切り替える。
「状況報告。」
「右二番タイヤロック。前進不能。」
「圧力センサーに感有り。金属の棒状の物がタイヤと車体の間に挟まり、固定されています。」
「周囲より月人接近。囲まれました。高圧電流にて撃退中。」
小和泉ならこの状況をどの様に乗り越えるだろうか。桔梗は、過去の記憶を漁り、すぐに結論を出す。敵の直上に長々と居る訳にはいかない。
「右二番タイヤ、パージ。杭が外れた瞬間にフルスロットルで前進。」
「了解。パージ開始します。」
「手が空いている者は、一匹でも多く月人を屠れ。」
「了解。」
これで良いはずだ。小和泉ならタイヤ一つ処分してでも隊員の命を優先するはずだと桔梗は信じていた。
愛する人の声が無線を通じて聞こえてくる。
「二号車に敵を近づけさせるな。撃ちまくれ。二号車、状況を送れ。」
小和泉だ。危険を顧みず、数百メートル先で待ってくれている。促成種を捨て駒にして、逃げる自然種の指揮官がいる中、小和泉は待っていてくれる。桔梗は心の中で必ず、小和泉の胸の中に戻ると決意した。
「こちら二号車。月人がタイヤと装甲の間に金属製の杭を打ち込んだ模様。その為、右二番タイヤがロックし割れ目にはまりました。現在、装甲の高電圧で撃退中。右二番タイヤをパージして杭を外します。装甲を破られる恐れなし。」
桔梗は、落ち着いた声で話せたか少し心配だった。小和泉に不安を少しでも感じさせたくない。
「怪我人は?」
「怪我人無し。ただ、月人が予想より多すぎます。現在も増加中。この地下に基地があるかと推測されます。」
「わかった。こちらも可能な限り援護する。タイヤパージを急げ。」
「了解。」
小和泉は、逃げずに待つと言ってくれた。絶対に小和泉の下に帰る。ポーカーフェイスを保ちながら、桔梗は決意を固くした。
「パージ完了!」
「アクセルを底まで踏め!月人を踏みにじれ!全速前進!一号車へ向え!」
小和泉の下へ絶対に全速で辿り着く。絶対に死なない。悲しませない。その思いを乗せ、桔梗は吠えた。
小和泉が無線のやり取りをしている間に、二号車は車内からの操作でタイヤのパージに成功していた。
タイヤとボディに挟まれていた杭がタイヤと一緒に割れ目へと落ちていく。
「アクセルを底まで踏め!月人を踏みにじれ!全速前進!一号車へ向え!」
桔梗の命令が無線機を通じて聞こえる。
六輪駆動、いや五輪が駆動し割れ目を乗り越え、装甲車の前に居た月人を押し潰す。
月人を撥ね飛ばしながら、二号車が一号車へ全力で接近する。
「一号車、百八十度回頭。離脱する。」
「了解。」
この間も二台の装甲車は、全ての銃器の砲身が焼けつく程、弾を撃ち続けている。月人の死屍累々が出来上がっていくが、月人の戦意は一向に衰えない。逆に仲間の死を見ることで興奮しているかの様だ。
割れ目から数度の小爆発が起きる。
二号車が離脱時に手榴弾を割れ目に落として来た様だった。
これが、離脱の決め手となった。桔梗の機転が上手くはまり、月人の追撃を振り切った。
装甲車は、二台併走する形に戻り、月人の基地らしき割れ目が遠く離れていく。
月人には遠距離を攻撃する手段は無い。それとも人類に知られていないだけかもしれない。
ようやく、レーダーから敵影が消える。
「全車へ。戦闘終了。全周警戒続行。三十分この速度を保ち、巡航隊形に移行する。」
「一号車、了解。」
「二号車、了解。」
戦闘予報が切り替わる。
戦闘予報。
索敵のみとなるでしょう。
死傷確率は5%です。
どうやら、無事に切り抜けた様だった。二号車の前輪である一番タイヤをパージする羽目になっていれば、おそらく二号車はあの割れ目から抜け出すことが出来なかっただろう。
そうなれば、イワクラムによって電力を供給できても、装甲の高電圧発生装置が持たなかったであろう。高電圧は途切れ、割れ目の奥深くへ引きずり込まれ、四人の隊員と装甲車を失う処だっただろう。
そうなれば、一号車も割れ目に突入し部下の救出に臨まなければならなかった。その場合の結果は分かっている。全滅だ。頭で分かっていても軍規が、戦友の救出を規定している。それほどに軍人の命を重要視している。人も希少な財産なのだ。
この規定を無視して帰還すれば、軍法会議が待っている。今回の状況では、撤退してもお咎めはないかもしれないが…。
ほんの数メートルの杭のずれが生死を分けたと考えられる。
小和泉は、ようやく喉が渇いている事に気付いた。久しぶりの心躍る戦いだった。ベルトにつけた水筒の水で喉の渇きを癒す。
身体に水分が染み込み、ようやく、危機を脱したと脳が判断し、肩の余分な力が抜けた。
「1111分隊より司令部。応答求む。」
「こちら司令部。1111分隊、状況はどうか?」
「敵陣離脱。人的被害なし。二号車、右二番タイヤパージにより喪失するも走行に支障なし。他の被害なし。通常隊形にて巡航速度を維持し、帰還中。」
「状況了解。これより司令部が状況を引き継ぐ。1111分隊は、無事に帰還する事を優先せよ。以上。」
「1111分隊、帰還を優先する。」
二二〇一年九月二十六日 一八〇九 KYT 第一歩兵大隊司令部
「1111分隊が一時間前に帰投し、装甲車からの戦闘データ及び画像を解析に掛けました。その結果、今迄の月人に無い行動が確認されました。金属杭を装甲車に撃ち込んでおります。」
司令部の下士官の一人、東條寺少尉が鹿賀山大尉に戦闘速報をあげる。
東條寺 奏は、二十四歳のショートカットのクールビューティーの自然種の女性だ。鹿賀山の副官を務めている。
「剣を造る技術や月から地球へ到達する技術があるのだ。杭を造る事は、おかしくないと思うが。」
「はい、大尉のおっしゃるとおりであります。ここで問題なのは、装甲車への対抗手段を持ったという事実です。」
月人の思考に変化が出てきたということを言いたいのだろう。
作戦や対抗策を考えることができる月人が現れたことを意味している。これは、数十年にわたる月人との戦争における新しい変化だ。それも人類にとって危険な進化と言っても良い。
東條寺は、そう言いたいのだろう。鹿賀山は、その事実に気がつかぬふりをし、話を続ける。部下を育てるには答えを与えてはいけないと、鹿賀山は考えていた。いつも部下から答えが出るのを待っていた。
「そうか。今まで無敵であった装甲車が、初めて破壊されたわけだ。今後、割れ目を渡る時には中を確認する必要がでてくるな。」
「下手をすれば、割れ目を迂回する必要もあります。荒野に無数にある割れ目を避けていくのは、非常に非効率です。」
「こちらが取れる手段は、何が考えられる?」
「無限軌道の戦車の投入。または、装甲車に榴弾または気化爆弾を曲射できる発射筒を設置、などでしょうか。」
「戦車の無限軌道ならば、杭を無効化でき、割れ目への曲射で中に潜む月人を殲滅するという事か。これは、対策委員会を立ち上げて検討する必要がありそうだな。」
「小官も委員会の必要性を感じます。」
「ところで、ビーコンの場所へ偵察に出した112小隊の状況はどうか?」
鹿賀山は、今回の状況を重く考え112小隊を偵察隊として、小和泉からの通信の後すぐに配備していた。
東條寺がコンソールを操作し、モニターを確認する。
「ビーコンから三キロ地点にて、偵察中。月人の割れ目への出入りが激しいとの事です。なお、112小隊のみによる戦闘の場合、死傷確率は70%と出ています。5%に抑えるには一個大隊が必要という戦闘予報が出ております。」
四個分隊(四名編成×四個分隊=十六名)で一個小隊。四個小隊で一個中隊。四個中隊で一個大隊の編成になる。つまり二五六名の兵士と司令部小隊十数人が攻略に必要という事になる。これは、鹿賀山の裁量を超える作戦になる。
「正確な敵の数は分かったのか?」
「現状では、数百匹としか分かっておりません。月人の出入りが激しい為、基地もしくは駐屯地があることは間違いありません。」
「もう少し、偵察を続ける必要があるな。112小隊は何日出ていられるか?」
「糧秣は一週間もちますが、人間の精神的に三日でしょうか。交代要員は設定済みです。大尉の承認を頂ければ、招集がかかります。」
「では、東條寺少尉に命ずる。今の内容をまとめて、具申書を書いてくれ。俺の名前で出して問題無い。」
「では、大尉のお名前をお借り致します。その方が上層部の方々に読んで頂けそうです。」
「俺の名は、そこまで評価は高くない。少尉こそ、ここで自分の名で具申しても良いのだぞ。内容が良ければ、昇進のチャンスだ。俺が添削してやる。」
「私は内勤が合っております。外勤は、運動能力に劣る小官では味方の足を引っ張るだけです。小官の能力を発揮できる今の地位を希望致します。」
「欲が無いな。俺は上を目指す。そうなれば、少尉も引き上げるからな。」
「小官もですか?」
「俺の意図を忠実に読み取れる副官は、現時点では少尉しかいないだろう。と持ち上げておいて、少尉が副官を続けてくれると俺は楽が出来る上、出世も出来る。」
「大尉は真面目なのか、ふざけているのか、よく分かりません。エリート軍人一家の士官とは思えない発言です。」
「そうだな、奴と出会わなければ、ただの堅物だっただろうな。」
「奴?」
「あぁ、忘れてくれていい。では、具申書を頼む。」
「了解。」
東條寺が敬礼をし、離れようとした時に鹿賀山は大事な事を思い出した。
「少尉、忘れていた。」
「何でしょうか?」
東條寺がこれ以上に話を詰める必要があっただろうかと怪訝な表情を浮かべている。
「悪いがホットコーヒーをブラックで頼む。最優先で。」
東條寺がため息を一つついた。
「了解です。特急で重油の様に濃いものをお持ちします。」
東條寺が給湯室へと消えて行った。
さて、今夜は家に帰れそうに無さそうだ。司令部がやるべきことが山ほどある。速度が戦局を左右する。敵前線基地の存在を全部隊に周知する必要もある。
鹿賀山は東條寺の入れた濃いコーヒーを一口飲み、気持ちを引き締めた。




