49.第二十四次防衛戦 再会
二二〇二年十一月十八日 〇八〇〇 KYT 深層部S区
「作戦開始。」
菱村の声が帰月中隊の無線に響いた。
大扉が、左右にゆっくりと開き始め隙間から焦げた臭いが漂ってきた。
射線を得た装甲車や兵士達が扉の隙間から大広間へ全力射撃を始める。数十条の光線が大広間へと静かに吸い込まれ、周囲を明るく染め上げる。
扉が大きく開くにつれ、射角が広がり攻撃範囲を広げていく。
床に転がる消し炭の塊は、もれなく銃撃され、細かく粉砕されていく。
扉が完全に開くと中の様子がハッキリと分かった。
全体が煤で汚れているが、大広間とエレベーターが破壊された形跡は見当たらない。
帰月中隊司令部の装甲車は、横倒しとなり、壁にぶつかり大破していた。
爆心地である発射台は、影も形も無かった。床に大きな円形の煤だけがそこが爆心地であることを物語っていた。驚くべきは、大広間の堅牢さだった。二度にわたる地中貫通弾の爆発を物ともしない耐爆性。爆発物を扱う鉱山であってもここまで堅固に造る必要は無い。
かなりの重要施設であることを意味していた。
帰月中隊により隅々まで銃撃されるが、動く気配は一切無かった。二度にわたるロケットの爆発により大広間に居た生物は一掃されたのだろうか。
「銃撃止め。飛び出してくる敵に警戒。」
菱村の一声で銃撃がピタリと止む。銃撃により舞い上がった煤が、大広間の視界を悪くしていた。
月人の飛び出しに備え、誰も射撃姿勢を崩す者はいなかった。
煤の飛散が落ち着き、視界が晴れると床一面に炭が散らばっていた。
帰月中隊司令部の装甲車は、横倒しとなって天井から壁にぶつかり、厚みが半分程にひしゃげていた。装甲車には外気から身を守る気密機構は装備されているが、耐爆仕様にはなっていない。月人の攻撃は白兵だ。月人の爪や剣を防ぐ程度の軽装甲しか施されていない。
装甲車の機動性を阻害する重りになる様な重装甲は、最初から想定されていない。爆風で原型を留めなくなるのは、当然の結果だった。
車内にも業火が入り込み、乗員を焼き尽くしたことは間違いないだろう。
白兵戦部隊は、慎重に大広間へと進出していく。さすがにこの行動には、菱村はついて来ない様だ。指揮官らしく32中隊司令部に残っている。
小和泉と菜花は、白兵戦部隊の後ろをついていく。大広間に入ると歩みを進める度、足裏からジャリジャリと炭が潰れる音がし、時折、兎女が使う長剣を踏み付ける。この炭は、月人共の死骸だろう。
だが、奥に進むにつれ炭の感触が変わった。炭を踏み付けても潰れず、足の裏に固い感触が返ってきた。固い感触は複合装甲やアサルトライフルの残骸だった。
やはり、日本軍の増援が来ていた様だ。人間は炭になってしまい、増援の規模は分からないが、ライフルの数から少なくとも歩兵一個中隊は派遣された様だった。
狭い空間での日本軍と月人の戦闘は激戦だったことだろう。しかし、今は仲良く炭となってしまい判別することは不可能だった。
白兵戦部隊はゆっくりと帰月中隊司令部だった装甲車の残骸を取り囲む様に包囲を縮めていく。大広間で隠れることができ、敵が潜む可能性があるのは装甲車付近だけだった。
この状況で生き残りが居る訳が無いと、誰も思わなかった。菱村が警戒しろと言っているからだ。今まで中隊長の命令を実行して間違ったことは無かった。ならば、警戒することは絶対に必要な事なのだ。それが徒労に済むのであれば、笑い話で終わるだけだ。
その様に実行し、今まで微々たる損害で戦争を生き残ってきた。日本軍総司令部より菱村中隊長の命令を順守すれば、生き残れる。それが32中隊の総意だった。
白兵戦部隊は、大盾を前面に展開し装甲車を取り囲んだ。敵の奇襲に備え、警戒を行い隙は無い。
戦術ネットワークに白兵戦部隊の調査報告が上がった。
『熱センサー使用するも装甲車が高温を帯びており、判別不能。その他の場所に体温は感知できず。装甲車周辺への警戒を要す。』
小和泉には、当たり前の状況だった。ゆえに最初から温度センサーの電源すら入れていなかった。
小和泉の後頭部にチリチリと感電したような感覚が走った。この感覚がある時は、敵襲の前触れであることが多かった。
錺流の姉弟子である二社谷の無慈悲な修行により、弛んでいた感覚は、本来の感覚を取り戻し鋭敏となっている。
「菜花、敵が来るぞ。十手を構えろ。」
小和泉が警告を発する。
「了解。」
菜花は、小和泉の雰囲気から無駄口を叩かず、背中に担いでいた六十センチ程の棍棒を構える。
菱村は棍棒と表現していたが、正しくは十手だ。部外者に説明する必要は無かったので、小和泉は、その場で訂正や補足をしなかった。
二人のやり取りを見た32中隊に緊張が走り、その場で静止した。
小和泉は十手を抜き、ゆっくりと足音を立てず、静かに装甲車の正面へと向かう。
小和泉の動きに合わせて、白兵戦部隊が道を譲る。小和泉の身体からは、闘争心や殺気などは一切漏れていない。それにも関わらず、兵士達は背後から近づく見えない意思に身体を操られるかの様に道を開けていた。小和泉は、白兵戦部隊の間を何も無いかの様に通り抜け、装甲車の真正面に堂々と立った。菜花も小和泉の背後に付き従っている。
誰も一言も発しない。無線も沈黙を保っている。小和泉が次にどう動くのか、皆が注目をしていた。この場を支配しているのは、紛れも無く小和泉だった。
大広間に肉を叩く低い音が鳴り響いた。
その音で、初めて小和泉が、装甲車の窓から十手を真っ直ぐ打ち込んでいたことに、菜花を除いた全員が気付いた。
小和泉の手には、懐かしい堅い感触が還ってきた。
装甲車の中には、十手を腕の堅い獣毛で受け止めた通常の狼男より二回り大きい狼男が居た。
業火による火傷一つ無く、獣毛が焦げている処すら無かった。
全身が煤で汚れているのは、仕方がないことだろう。
「よう、鉄狼。久しぶりだな。今度は逃げないぜ。最後までやり合おうか。」
以前に遭った鉄狼とは限らないが、小和泉には同じ奴だと感じられた。
小和泉の声は、いつもの人懐こい明るさは無く、低く冷たいものだった。
「ウォー。」
鉄狼の返事だったのだろうか。一声だけ鳴くと狭い運転席の窓を易々とくぐり抜け、小和泉の前に降り立つ。着地の瞬間に小和泉の十手が首を突くが、固い獣毛に阻まれる。
すぐに十手を手元に戻し、半歩小和泉は下がった。すぐに先程まで小和泉の頭があった場所に鉄狼の拳が通り過ぎた。
比較的獣毛が薄そうなヘソを突くが、鉄狼の拳に十手を弾かれる。弾かれた反動を利用し、小和泉は鉄狼の鼻づらに左回し蹴りを放つ。鉄狼は、自身の堅さを信じそのまま蹴りを顔面で受けた。強靭な首の筋肉は、小和泉の蹴りをしっかりと受け止め、微動だにしなかった。
小和泉は、複合装甲越しに効果が無い事を感じた。その足を鉄狼は、噛み千切ろうとするが、すでに足は戻しており、牙は空を切る。
鉄狼の横面が無防備に小和泉の目前に晒される。誘いだと感じた小和泉はあえて見逃し、自分の間合いを取り直す。
―焦る必要は無い。ゆっくりと攻防を楽しもうじゃないか。―
小和泉の口角が上がる。周囲の者は、その表情の変化だけで寒気に襲われた。




