37.第二十四次防衛戦 舞、陥落
二二〇二年十一月十七日 一八一一 KYT 南部戦線
「休息の件は、理解致しました。現場の判断が正しい事もあります。その件は、中尉殿の意見、いえ前線の現実を受け入れます。しかし、規律の弛みは別問題です。」
舞は、二つ目の持論、いや軍の建前を持ち出してきた。
小和泉にとって、いや旧1111分隊や古参兵にとっては、答えは出ている。舞の戦闘経験の浅さにより理解できないだけだ。月人と嫌になる程、戦闘経験を積めば自ずと理解出来る。
だが、今はその様な猶予は無い状況。戦闘中なのだ。言葉に出して理解させるしかない。
「部隊内での規律の弛みにも理由があるんだよ。」
「どの様な理由でしょうか?」
「起床や就寝まで気をつけを休みなく続けられるかい?もちろん、食事や排せつは許可するよ。」
「不可能であります。この場合、度を超えた体罰とみなされます。」
「何故だい?」
「十二時間以上にわたり同じ姿勢を強いることは、心身に不調をきたし、日常行動もとれなくなります。」
「そうだよね。その口調だと三時間位ならできるのかな?」
「三時間であれば可能だと思われますが、その後の行動にはかなりの制限がかかります。」
「人間は、自然種であれ促成種であれ、同じ姿勢を取り続けたり、精神を緊張させ続けることは不可能な生物だよね。日常の偵察任務では、三日から一週間は狭い装甲車の中で共同生活をするんだよ。今も狭い装甲車にいるよね。その間、舞は規律を守り続けてきたのかい?」
「はい、今迄の部隊では下士官として偵察作戦中、部下を日本軍の規律のもと、行動して参りました。」
「では、作戦終了後に疲労困憊だっただろうね。」
「はい、日頃の訓練が足りないばかりで申し訳ありません。しかし、仕事を全うしたという実感は持てました。」
「なるほど、舞の思考パターンが良く分かったよ。生真面目なのだね。そう言うのは、馬鹿兵曹って呼ばれて部下から嫌われるって知っていたかな。舞って、短期間に色々な部隊を渡り歩いたのじゃないのかな?」
「今のお言葉は聞き捨てなりません。確かに多数の部隊を経験したことは事実ですが、発言の撤回を希望致します。」
「撤回はしないよ。事実だからね。戦闘中じゃなければ、舞の過去の部下に確認しても良いくらいだね。」
「それは、本官に対する侮辱にあたります。憲兵隊に訴えることも考慮せざるを得ません。」
「別に訴えても良いけど、僕には勝てないよ。そもそも作戦終了時に疲労困憊している原因は何かな?本気で考えたことがあるかな?」
「体力不足だと認識しております。」
「なぜ、体力不足に陥ったのかな?他の隊は同じ様に偵察任務が終わった後、疲労困憊なのかな?」
「いえ、本官所属の隊だけでした。つまり、練度不足だと考えます。」
舞の頑固さ、頭の固さに菜花が思わず失笑する。桔梗と鈴蘭はポーカーフェイスだが、小和泉には呆れているのが見てとれた。
愛は状況をどの様に納めたらよいか、最初からアタフタとするばかりだった。
「緊張は一時間もたないということと、同じ姿勢を長時間維持できないと舞自身が言っていたじゃないか。つまり、そういうことだよね。」
「つまり、本官が緊張状態を作戦中、常に部下に強いていたということを仰りたいのでしょうか?」
「そうだよ。」
「疲労困憊の原因は練度不足ではなく、本官の指揮のためということでしょうか?」
「その通りだね。」
「では、部隊の転属が人よりも多かったのは、部下より苦情が出ていたということでしょうか?」
「さすがに理解力が高いね。」
「この規律の無い状況は、長時間の作戦行動を完遂するために敢えて生み出しているということでしょうか?」
「ギスギスした職場で働くのは、誰でも嫌だろうね。気疲れするからね。上官から指摘された事は、無かったのかな?」
「いえ、幾度かありましたが軍では規律が重要だと説得して参りました。」
「古参の士官ならば、馬鹿兵曹の受け入れは拒否するはずなのだけど。なるほど、新米士官の部隊ばかりに配置されたのじゃないかな?」
「はい、配属は新人士官殿の部隊ばかりでありました。」
「新米士官だったら、古参の鬼軍曹に言われれば反論できなかっただろうね。」
「つまり、本官が士官殿の意見を封殺してきたと言われるのですか。」
「他の意味に聞こえたかな?」
「部隊が疲労困憊となり、次の作戦に即座に参加できず、部隊をたらい回しされたのは、本官に責任があるということでしょうか。」
「そうなるね。」
突如、舞の気をつけが崩れ、コンソールに顔を伏せた。
舞は不規則に肩を震わせ、かすかに鼻をすする音が聞こえた。どうやら、全てを理解し、自己嫌悪に陥り泣いている様だ。号泣したいのを我慢し耐えている。舞は、全身から哀しみと憂いを放っていた。
―くくく、少し、虐めすぎたか。だが、いい。それがそそる。作戦中でなければ、もう一歩踏み込んだものを。―
小和泉の下半身に血流が集まり、顔に一瞬あくどい笑顔が覗く。桔梗と鈴蘭は気がついたが、いつものことだと気にもしなかった。
菜花は機銃掃射中の為見逃し、愛は泣きだした舞に気を取られ、気づかなかった。
長い様な短い様な時間が経過し、舞の泣き声が止んだ。入れ替わる様に戦闘音が装甲車の車内に侵入する。
「作戦行動中に取り乱し、誠に申し訳ありませんでした。」
舞は気を付けし、小和泉達に謝った。眼は赤く腫れ、頬や鼻の下は涙や鼻水の跡で汚れていた。しかし、舞の顔は、肩に力の入った生真面目な表情ではなく、憑き物が落ちた様に晴れやかな表情を浮かべていた。
すぐに舞は着席した。心から理解した証拠であった。
「全てを理解致しました。本官が皆を規律で縛りあげ、二十四時間緊張状態にしていたことを認識致しました。確かにその状態では、作戦終了時に疲労困憊になるのは当然の結果であります。
本官の非を認めます。
小和泉中尉のみならず、他の士官殿や兵士達に対してもお詫びを申し上げます。今の規律が緩んでいる状況、失礼、和やかな状況は、あえて戦闘に向けての精神を弛緩させるべき時間であり、戦闘時には適度な緊張を持つということでよろしいでしょうか?」
舞は、自ら正解を導き出した。面倒なロケットの操作と保守を習得できる程だ。地頭は良いのだろう。
―壊れなかったか。面白くない。今回は精神崩壊の方向で楽しむつもりだったが、舞の精神力は、思いのほか強いな。
いや、当然か。鉄狼との戦いで悲鳴一つ上げず、平常心を保ち続けていた。精神力が強いのは判っていたことだ。俺が忘れていただけか。
ならば、愛も同じく精神力が強いことになる。が、あの優柔不断は決断力が無いだけか、それとも行動力か。両方ともと考える方が妥当か。つまらん結果になったな。―
小和泉は、表情や気配に出さないが本心から舞の心を壊し、生き人形にするつもりだった。部隊内での階級第三位というのは、階級が下位になる菜花が動きにくいからだ。
小和泉の部下であり信頼しているのは、あくまでも桔梗、菜花、鈴蘭の三人だけだ。新人の舞と愛は新規の備品に過ぎない。いくら壊れようが替えが効く存在であった。
「よし、理解してくれて嬉しいよ。じゃあ、部隊内では現状のままで良いね」
小和泉は、にこやかな笑顔を浮かべる。誰が見ても好青年にしか見えない。
「はい、中尉殿のご指示に従います。それに、本官の事をここまで真剣に考えて下さった方は初めてです。」
頬を染める舞の言葉に対し、桔梗達の気配に殺気がかすかに混じる。戦闘中だった為、舞と愛は殺気に気がついても気にしなかった。まさか、その殺気が月人ではなく、舞に向けられたものと思いもしなかったのだ。
―ははは。これは僥倖。思いもよらぬ収穫だ。固い奴ほど簡単に堕ちるな。戦闘が終わった後に存分に楽しむことができそうだ。さて、どんな…。―
即座に三方より冷たい視線を小和泉は浴びせられた。しかし、その様なことを気にする様な男ではなかったし、三人も結果は判っていた。
「よし、これで舞も隊に馴染んだね。上手くやっていこうね。」
「はい、隊長。」
小和泉は、舞の笑顔を初めて見た様に思った。




