最終話.戦闘終了
二二〇三年七月二十九日 一六五二 OSK 上層部 車両操車場
軽い衝撃と共に小和泉の身体が揺れた。
エレベーターが一階に到着し停止しただけだ。何も異常は起きていない。
しかし、そんな静かな衝撃すら小和泉には耐えられないようだ。
バランスを崩し倒れ込みそうになった。相当、体が弱っている。
エレベーターの扉がスムースに開くと、戦闘音が小和泉を包み込んだ。
視界は歪んでいる。はっきりと見えない。
複雑に絡み合う剣戟、咆哮、悲鳴、機械の作動音などから大隊規模の戦闘であろうと予測を立てた。
シールドの一部分が青く点滅するが、ひび割れて読めない。
―ここは何を表示する処だっただろうか。―
普段の小和泉であれば、配置を覚えている為、即座に何の信号か判断できただろう。
だが、今の小和泉にはそれを考える能力がなかった。九久多知に網膜モニターへ表示させることすら失念していた。
―まあ、いいさ。前へ、進もう。KYTへ、帰ろう。―
小和泉の頭にあるのは、KYTへの帰還だけだった。それだけしか考えられなかった。
小和泉がエレベーターから降りると、周囲から複数の人影らしきものが駆け寄り、力任せに押し倒された。
それに抵抗する力も無く、反抗する意思もおきない。人影にされるがままだった。
なぜなら、彼から一切の敵意を感じなかったからだ。
逆に救命の意志を強く感じたくらいだった。
四方から持ち上げられ、そのまま、どこかに仰向けに降ろされる。何が起きたか分からない。手を上げようとしても固定されているのか、動かす力も無いのか、小和泉の身体は自由が利かなかった。
小和泉は寝かされるに任せ、虚ろな視界の中、朧気な風景が後方へと流れていくのを眺めていた。遅ればせながら、小和泉は己が置かれている状況を把握しつつあった。
―ああ、担架に乗せられたのか。なら、友軍に合流できたのかな。―
小和泉は、目だけを動かし、人影を確認しようとするも黒い影にしか見えない。輪郭もぼやけている。
担架が停止すると、床に置かれ周囲から人が散り、代わりに二つの影が走り寄ってきた。
二人は、九久多知の装甲を全て開放し、小和泉の肉体を無遠慮に触り始める。
もう、身体の全てが痛く、どこをどの様に触られようが気にならなかった。
いや、感触がないというべきだったかもしれない。
―ああ、衛生兵の二人が応急処置をしてくれているのか。―
ようやく二つの影を人間であると認識ができた。
全ての思考が鈍い。体も指一つ動かない。されるがままでしかない。
この様な事態に陥るのは、生まれて初めてのことだった。だが、不快感は無い。
懸命に小和泉自身の命を救おうとしていることは、何となくだが理解できた。
新たにやってきた二つの影の内、一人だけはっきりと姿を視認できた。
ショートカットのクールビューティの女性士官だ。もう、顔しか判別がつかない。
どんな装備を付けているか見えない。
小和泉の手を強く握りしめ、涙を流していた。
旧姓 東條寺 奏。今の名は小和泉 奏。小和泉の戸籍上の妻だった。
「やあ、奏。遅くなってごめんよ。ちゃんと君の処に帰って来たよ。皆も一緒だよ。」
小和泉は、大事に保管していた皆の認識票を取り出すと、奏の手に握らせる。
奏の手にしては大きく武骨な掌だったが、気のせいだろう。
そして、背中の違和感でもう一つの土産を思い出した。
「そうそう、背中にね人工知能のコツアイを背負っているから後でおやっさんに、いや、義父さんに渡してくれるかい。何かの役に立つと思うからね。」
奏は涙をポロポロと落としながら頷く。
「ああ、僕は精一杯、悔いなく、自由に、そして好き勝手に生きたよ。
皆には迷惑ばかりかけたね。
道場とか、部屋の整理とか、後のことは姉弟子にでも任せるとしようか。
みんなのお陰で、僕は本当に自由に生きることができたよ。
可愛い嫁さんたちに囲まれて幸せだよ。
ごめん、もっと話したいのに疲れちゃったよ。少し眠るね。おやすみ。」
小和泉はそう言うと静かに目を閉じた。この後、小和泉の目が開くことは無かった。
小和泉の周囲では、衛生兵が輸血や点滴を次々と替えていた。
だが、その医療行為は焼け石に水であることは誰の目にも明らかだった。
「大尉、目を開けて。自分の声が聞こえますか。」
衛生兵が手荒く小和泉の頬を叩く。
だが、小和泉から何の反応も返って来ない。
「心臓停止を確認。電気ショック用意。二、一、〇。点火。」
小和泉の身体が電気ショックにより跳ねる。傷という傷から血が飛び散った。
「心臓停止中。復帰確認できず。」
衛生兵が第八大隊副長へ報告を上げる。
「報告は正確にあげろ。」
「小和泉大尉の心停止を確認。蘇生処置を行うも回復せず。蘇生見込みありません。蘇生処置を継続しますか。」
「大隊長に確認をとる。現状維持で待機。」
「了解。」
「大隊長、小和泉大尉の心停止を確認。蘇生処置を行いますか。」
第八大隊副長が菱村へと確認をとった。
菱村の両手には、たくさんの認識票が握りしめられていた。そこへ視線を落とし、口を強く閉じていた。頬には、水気が乾いた後が残っていた。
その手の中の認識票は、全て知っている名前だった。そして、もっともこの世で見たくない名前があった。
認識票に刻まれている名前は、東條寺 奏。菱村の愛娘の名前だ。結婚式を挙げたばかりで、認識票の更新が行なわれていなかった。現在の名前は、小和泉 奏。
今、認識票を託してきた青年が夫であり、義理の息子となる。その息子に直接渡されたのだ。
その事実に間違いや誤解を挟む余地は無い。
認識票が回収されたということは、ある事実を告げている。
だが、それを認めたくない気持ちが強く、そして大きかった。
菱村の目の前には、担架に寝かせられ、複合装甲「九久多知」の原形を留めないボロボロに傷ついた小和泉の姿があった。
素人が見ても助からないことはわかった。
「副長、助かる見込みはあるのか。」
副長は黙って首を横に振る。
「そうかい。最期に義父さんか。狂犬にそう呼ばれる日がいつか来るとは思っていたが、こんな形で、それも、これが最初で最後なのか。」
菱村は小和泉の顔を覗き込む。その表情は、安らかだ。小和泉の中で何かを成し遂げたのだろうか。
「狂犬のう。お前の中では、成し遂げたのか。後悔はないのか。だから、悔いのない表情を浮かべているのか。
そういうことなのだな。ならば、逝かせてやろう。
無駄な延命で苦しませる必要もねえ。
娘が、いや、娘達が待ってやがる。
これ以上、離れ離れに、するのは、酷ってもんよ。」
菱村の掌に力が入る。たくさんの認識票が野戦手袋を突き破り、皮膚に喰い込んだ。
ポタリ、ポタリと床に血を落としていく。まるで涙の様だ。
「了解。」
副長は、今まで聞いたことが無い、恐ろしく低く静かな声で返事をした。
そして、命令を衛生兵へ下した。
「衛生兵、延命中止。休ませてやれ。」
副長の声は、先程と打って変わり、平坦な声色となっていた。
「了解。」
衛生兵は、副長の命令に従い、治療行為を終了した。このまま、放置しても確実に死へと向かう。だが、副長の命令は『休ませてやれ』だった。
衛生兵は、一本の注射器を取り出し、小和泉の左腕に挿した。そして、薬液を静脈へ注入していく。
その薬は、全身の痛みを即座に消し去り、全ての筋肉を弛緩させ、停止させる。
脳の活動さえも止めてしまう。
数秒で命を奪う。日本軍に常備されている安楽死の薬だった。この薬を投薬されれば、助かる方法は無い。最後の手段であった。
小和泉の呼吸は、すぐに止まった。衛生兵が最終確認を行った。
「大尉の生命活動停止を確認。一七一七、戦死です。」
衛生兵が小和泉に関する最後の報告をあげた。
二二〇三年七月二十九日 一七二〇 OSK 上層部 車両操車場
第八大隊は、車両操車場に散らばる資材をかき集め、トーチカを築いていた。
そのトーチカを盾に迫り来る月人との攻防戦を繰り広げていた。
敵の規模は、一個大隊。
対して、第八大隊は、名ばかりの大隊であり、最初から二個中隊と一個小隊しか存在しない。
その一個小隊こと831小隊は既に存在しない。
そして、元からあった二個中隊も一割以上の消耗をしていた。
つまり、敵の数は倍以上であった。
「副長、あの奥の扉の向こうが地上で間違いねえな。」
「はい、そうです。無線の回復を最優先していますが、現状、反応がありません。」
「返事があるまで続けろ。それが俺らの生命線だ。」
「了解。友軍との通信を最優先で続けます。あと、小和泉大尉ですがどうしますか。」
副長が確認しているのは、死体を持ち帰るかどうかであった。
必要な物は、認識票とコツアイだけのはずだった。肉体は、撤収の荷物になるのだ。
「実はな。総司令部から小和泉の肉体と九久多知は可能な限り持ち帰れという密命を受けているんだわ。」
「そうですか。撤退が面倒になりそうですね。」
「だが、兵士どものカメラに息子の姿が映っちまった。言い逃れはできねえよ。持ち帰るぞ。」
「了解、一個分隊に大尉の身柄を預けます。」
「おう、任せる。」
副長は通信士の元に屈み込み、状況確認と小和泉の回収の手筈を始めた。
二二〇三年七月二十九日 一七四五 OSK 上層部 車両操車場
戦闘予報。
攻城戦です。
まもなく正門が開放されます。
潜入中の友軍の救出を最優先して下さい。
死傷確率は5%です。
突如、菱村のヘルメットのシールドに戦闘予報が表示された。
これは日本軍の戦術ネットワークに接続したことを意味する。全通信が回復したのだ。
おそらく、正面の門が開いたことにより遮断されていた電波が流れ込んできたのだろう。
同時に友軍が門の隙間からOSKへ進攻する姿が肉眼で確認できた。
「野郎共、挟み撃ちだ。さっさとこの場所からずらかるぞ。」
この戦場の大勢は決した。第八大隊の役目を終えたのだ。
二二〇三年七月二十九日 一八〇一 KYT 日本軍総司令部
地下都市KYTの下層部のどこかにあるとされている日本軍総司令部は、いつもと変わらぬ時間が流れていた。
ひな壇となった総司令部の正面の画面に表示される表や数字が刻々と変わる。
それは、日常の光景であった。
「OSKへの再進攻を確認。第三大隊と第八大隊合流。」
「第八大隊の消耗率六割。大隊機能を消失。一個中隊に相当。」
「831小隊全滅。生存者無し。」
「小和泉大尉および九久多知の回収を確認。」
「第八大隊、KYTへ撤収を開始。第三大隊、撤収援護中。第八大隊の撤収を確認後、OSKより離脱開始します。」
「第三大隊へ次回進攻のための土産を忘れるなと伝えろ。」
「了解。第三大隊へ命令を送信。」
「第三大隊からの受領を確認しました。」
司令部付の士官達が次々と報告を上げていく。だが、そこには感情は乗っていない。
何も日常と変わらない。変化する数字を読み上げ、状況を報告しているにすぎない。
彼等にとって、戦場は遥か彼方の現実に過ぎない。
「閣下。開発部の別木室長より九久多知の実験は継続可能と報告がありました。」
「ふむ。他に特別なことはあるか。」
「ありません。通常通りであります。」
「終業時間だな。私は休む。後は任せる。」
「御意。」
そういうと総司令官は席を立ち、総司令部より退出した。
この部屋では、何もかが数字でしかない。数字の増減を確認するだけだ。
血も汗も何も出ない。その匂いを嗅ぐことすら無い。危険を感じることすら無い。
兵士達の生き様、いや、死に様を知ることは無い。
そんな日々が続いていくだけだった。
二二〇三年七月二十九日 一七一七 KYT 中層部 金芳流空手道場
二社谷は、普段は着ない空手着を身に付け、道場にて門下生に稽古をつけていた。
いつもであれば、普段着で稽古をつける。戦闘とは、日常でおこるからだ。
しかし、その日は空手着を身に付けるべきだと感じた。
根拠は無い。だが、二社谷は、戦場を生き抜くために直感を大切にしていた。
それは、小和泉の生命活動が終了した時間だった。
道場で空手の指導を行っていた二社谷は、小さな変化を体内に感じた。
それは温かく、強く、逞しいものであった。
二社谷は、やさしく下腹部を撫で、両手で押さえた。
そして、慈愛ある声で呟いた。
「お帰り。錬太郎。」
あとがきという名の雑記
長期にわたり、ご愛読、誠にありがとうございました。
最終回まで完走できましたのは、読者の皆様のお陰でございます。
連載開始に中学一年生の方が高校三年生になる年月が経過しました。
時の流れとは恐ろしいものです。
皆様にとっては、待ち遠しい一週間だったのでしょうか。
それとも一瞬の日々だったのでしょうか。
私にとっては一瞬でございました。
驚くことにこの間、高熱を出して寝込み、車に撥ねられて寝込み等をしていたにもかかわらず、一度も休載をしておりません。こればかりは、自分自身を褒めてあげたいと思います。
最終話に是非があるでしょう。良ければ、ご意見を下さいませ。
私自身は良い終わり方をしたつもりなのですが…。
さて、物語を終わらすことに抵抗もございました。
これ程のポイントを頂き、PVも恐ろしい程、たくさん頂きました。
感想やレビューを頂く度に背筋に電撃が走り、恐る恐る開いておりました。
皆様に支持されているのに終わらせても良いのだろうか。
このまま、続けるべきではないだろうか。
悩みました。
次回作を始めた場合、この様に興味を示して頂けるのだろうか。
どんなジャンルを希望されるのだろうか。
もっと格闘を主体にした作品が良かったのか。
それともノクターンに掲載する様な大人のお話が良いだろうか。
いっそ、設定なしで行き当たりばったり、頭空っぽ作品でも書いてみようか。
今ある五つの新ネタを混ぜて一気に書いてみようか。
もしかすると、やりたいことが多いのも理由かもしれません。
戦闘予報のネタは、まだまだあります。西日本統一編。世界進出編。世界統一編。
ですが、このまま続けると終わりが見えず、だらだらと同じことを繰り返す様な気がしました。そこは作者の腕の見せ所で料理次第なのでしょう。
ただ、戦闘予報はあくまでも小和泉錬太郎の物語であると位置付け、一旦ここで終わらせるべきであろうと考えました。
もしかすると、新主人公にて再開するかもしれません。
こんなわがままな作者で申し訳ありません。
本当に読者の皆様に感謝しております。
皆様がおられなければ、一年もたなかったでしょう。
何度も申しますが、感謝しかありません。
希望があれば、設定資料やプロットを公開しても良いかなと思っています。
初期と後期では、大きく変わったことがあります。
月が落ちてきたら、地表が荒廃するだけで済むわけがないやん。
連載中に気づいてしもた。後の祭りやわ。わやくちゃやな。どないしょう。
月行くのに一週間もかかる距離やし。そんなん、簡単に原始的な月人が宇宙空間を来られるわけあらへんやん。詰んだわ。
大西洋に落ちた隕石ですら恐竜絶滅してはる。
人間助かる訳あらへん。頓死ですな。
違う理由、探さなあきまへん。
連載しつつ、二か月後。
よし、これでどや。あかんわ。どこかで見たことあるわ。もう一工夫入れなあかんわ。
さらに三か月後。
よし、これならいけるやろ。あちゃ~。過去の文章と矛盾してはる。
一か月後。
本編考えつつの、同時並行は、きつおす。でもPV伸びてはる。きばろ。
と七転八倒しつつ現在の物語へと辿り着きました。
作者の実体験がかなり入っているのが良かったのでしょうか。話に現実感が出たのでしょうか。
空手、殴る痛みや殴られる痛みを知っている。ちなみに空手を極めると剣が使える様になるそうです。身体操作が似ていると師匠が言っていました。剣道と空手の両方をしている人も似たようなことを言っていました。確かにナイフの間合いは、空手とほぼ同じですから間違いではないのでしょう。無論、私には不可能です。所詮、二段ですから。
鉄道ファン、リニアの話を盛り込めた。ちなみに乗る方が好きです。昔のガタンゴトンが懐かしい。ロングレールは寂しい。
ミリオタ、サバゲーするほど大好き。冬のBB弾は耳を掠めると猛烈に痛いのです。直撃の方がましです。
海外での実銃射撃。ベレッタM92、コルトパイソン357、M16。まあ、観光客向けの火薬を抜いた弱装弾でしょう。反動が余りにも軽かったですから。それでも良い体験にはなりました。
相撲、日本古来の格闘技。力士に勝てるイメージ何てもてません。強すぎます。あの巨体で素早いなんて有り得ないです。顎先を蹴れば脳震盪?無理でしょう。首が極太です。頭揺れないと思います。
車対車とバイク対車の交通事故を五度経験。時速30kmでも衝撃半端ないです。シートベルト・ヘルメット絶対大事。呼吸止まるぐらい抑えつけられました。ベルト無ければ、フロントガラスへ顔面ダイブしていたでしょう。
ヘルメット無ければ、顔面ザクロ化です。アスファルト、マジやすりです。プロテクターがずる剥け。ちなみに全て貰い事故です。信号待ちや渋滞最後尾は、追突されます。注意して下さい。
私に追突した人は、皆考え事をしていたと言います。いやいや、スマホ見てたよね。ドラレコ映ってるよ。と言う訳で100%補償してもらっています。へたな言い訳は通じませんよ。
骨折は30か所を越えてから数えていません。全身麻酔と手術の経験が無いのが、自分自身意外です。運が良いのか、悪いのか。
等の経験が戦闘予報には詰まっています。
私の分身ともいえるでしょう。
そんな戦闘予報を愛して頂き、誠にありがとうございました。
連載は終了しますが、ご意見ご感想は常に受け付けております。
楽しみに待っております。
長い間、ありがとうございました。
そして、お疲れ様でした。




