335.〇三〇七二一OSK攻略戦 戦友たち
二二〇三年七月二十九日 一六二三 OSK 中層部 居住区
小和泉は咳き込み、血を吐いた。再びヘルメットの中が鮮血に染まる。
咳き込む痛みが、失神状態から現実へと引き戻した。
「はあはあ。」
小和泉は何度も浅い呼吸を繰り返した。深呼吸をすると痛み、血が喉から溢れそうになるのだ。だが、身体は酸素を欲する。痛み耐えつつ、浅い呼吸を何度も何度も繰り返す他なかった。
ようやく、呼吸が落ち着いた小和泉は、胡坐の姿勢から立ち上がろうとするが、上手く身体が動かない。
上半身を支えきれず手をついた。胡坐を解く力すら小和泉に無かった。
そこへ目の前に一人の女性が現れた。
懐かしい顔だ。短髪、筋肉質、高身長の女性だ。肉食獣を思わせる凛々しい目をしている。
ヘルメットはしていない。野戦服だけだった。
女性は手を差し伸べる。小和泉は迷わずその手を取り、優しく引き起こしてくれるに身を任せた。ようやく、小和泉は立ち上がれた。
「ありがとう。菜花。」
久しぶりに見る菜花の顔に小和泉の顔が綻ぶ。身体の痛みも少し引いたような気がした。
菜花は小和泉に寄り添い肩で支えると地表へと歩き始めた。小和泉の歩みを補助してくれるようだ。
目が霞み、ヘルメットのシールドの汚れも相まって、小和泉の視界はボンヤリとしたものであった。
そんな中、通路をゆっくりと歩むと、また一人の女性が小和泉を待っていた。
こちらもヘルメットもせず、戦闘服だけを装備している。左腕に衛生資格を表す医療のイを図案化した『ヰ』のエンブレムをしている。
童顔でやや背が低くスレンダーボディの少女だ。
少女は小和泉に駆け寄り跪くと、九久多知の腹部装甲を開けた。
その瞬間に溜まっていた血が零れ落ち、床一面に血溜まりを生み出す。
すかさず、少女は手に持っていた粉末を傷口へ振りかけ着火した。
小和泉の傷口が派手に燃え上がるもすぐに火は消えた。傷口を焼いたことにより、出血箇所が塞がる。だが、相当酷い火傷を負うことになった。出血が続くことを考えれば、生存率が上昇したことには間違いない。応急手当としては、悪くない手法だろう。
無論、痛い。熱い。キリキリした痛みにヒリヒリした痛みが加わる。
―だが、死ぬよりはマシだ。多智ならば、治してくれる。―
小和泉は、主治医である多智の腕前を信じ、その痛みを受け入れるしかなかった。
腹部装甲を閉じると菜花の反対側から小和泉を支えた。
これで二人の女性に挟まれ、支えられることとなった。
「ありがとう、鈴蘭。これで生き残る可能性が増えたよ。」
衛生兵の鈴蘭だった。救急用具も無い中、今出来る応急手当てをしてくれたのだ。
三人はKYTを目指し、ゆっくりとした歩みを再開した。
通路を曲がると小和泉は月人と鉢合わせてしまった。敵は三体。
探査機器が故障していたのだろうか。気が抜けていたのだろうか。どちらにしても、探査が疎かになっていた事実は変わらない。
だが、小和泉は動けない。歩くことすら命懸けなのだ。
小和泉は対処方法を考えようとするも考えがまとまらない。意識に靄がかかり、自分自身が立っているのか、歩いているかの判断すらつかない。
だが、敵の動きも緩慢だ。コマ送りの様にゆっくりとこちらへ振り向き、長剣を上段へとかかげる。
―ああ、兎女だったのか。種類も判断つかないや。よく見えないよ。―
そのまま兎女にされるがままに襲われるものだと、小和泉は他人事の様に思っていた。
―何か、一矢報えればな。―
と考えてはいたが、反撃の手段は浮かばない。それどころか防御の方法すら浮かばなかった。
そこまで小和泉の思考能力は落ちていた。
そこへ光弾が背後から放たれた。兎女達の顔面に着弾し動きを止める。
光弾の連射は止まらない。隙を晒していた兎女達に容赦なく光弾が浴びせかけられる。
兎女達は、獣皮を焼かれ、筋肉を焼かれ、悶え苦しむ。急所が露出すると光弾はそこへ集中攻撃を行い、兎女達を屠った。
光弾を一発も外さぬ、精密射撃であった。
背後から人が軽やかな足取りで正面へと回り込んできた。
ヘルメットと野戦服の気密部分に髪を挟まぬ様に短く切った髪にお洒落として右側に流す小さな三つ編み。常に小和泉の傍に寄り添い、助け、補ってくれた女性だった。
「さすが桔梗だね。良い射撃の腕前だったよ。」
桔梗は小和泉に褒められ、にっこりと恥ずかしそうに微笑む。
そして、小和泉の背後へと回った。後方警戒にあたってくれる様だ。
四人となって歩み出した。
突然、音も無く影が目の前に立った。体つきは細いが、胸や尻のあたりに多少の厚みがあった。だが、女性としての特長には程遠い。
小和泉は、その人物が男なのか女なのか区別がつかなかった。
その者は通路を自身の身体を広げて通せん坊をした。
この先には進むなと言っている様だ。そして、右折しろと右への通路を指し示す。
小和泉が、その者の中性的な顔立ちを忘れる筈が無かった。
「やあ、カゴ。この先は危険なのかい。先行偵察ありがとう。
探査が上手くできなくて困っていたところなんだよ。じゃあ、右へ行くよ。」
小和泉はそう言うとカゴは、指し示していた通路の先へと消えていった。
先行偵察を引き続き行ってくれる様だ。
「なんだ。分隊全員が揃ったじゃないか。長い夢を、悪夢を見ていたのかな。当たり前のことなのに嬉しく感じるなんておかしいね。」
小和泉の言葉に三人は声に出さず微笑む。久しぶりに見た笑顔だけで小和泉は満足する。
身体の痛みも和らいだ様な気がする。
小和泉達は歩みを更に進めた。
すると男が一人通路の壁に寄りかかり腕を組んでいた。複合装甲を纏い、ヘルメットの前面を開けていた。
中肉中背の糸目に作り笑顔。時折、上唇を舐める仕草が蛇を想像させた。
意識が遠のきかかっている状況の為か、その者が誰なのか判断するのに少し時間がかかった。
男は自分の足元を指差す。
その先に焦点を合わせようとするが、焦点が合わない。
具合の悪いことにシールドはひび割れ、埃に汚れ肉眼での視界も悪かった。小和泉には指し示す物が何か見えなかった。
すると網膜モニターが作動し、強調表示がされた。九久多知が小和泉の脳波を読み取ったのだろう。
その映像には、通路を横断する様に細いワイヤーが一本張られているのを映し出していた。月人かコツアイの罠だろうか。それとも友軍の物だろうか。
どちら側の物にしろトラップの存在を教えてくれたのだ。
「あいかわらずだね、蛇喰。もっと素直に伝えてくれるかい。でも、ありがとう。」
小和泉がそう言うと蛇喰は、別の通路の奥へと消えて行った。そちらに分隊の仲間がいるのだろう。
小和泉は、指摘されたワイヤーを慎重に跨ぐ。高さ数センチのワイヤーですら跨ぐのが困難だ。足が上がらない。片足になるとふらつく。だが、菜花と鈴蘭に支えられ、何とかワイヤーを跨いだ。
小和泉は何階層、上に上がっただろうか。
もう数えることすらしていない。いや、できない。正気を保つので精一杯なのだ。
―上への階段が無くなれば、地表付近だと考えればいいさ。―
考えることすら億劫だ。
何も考えずに歩く。
―その一歩がKYTへ近づいているのだ。―
自分自身に言い聞かせ続ける。
KYTへ帰る。それが小和泉の原動力だった。
通路を進むと広間に出た。
広間の中央で仁王立ちする男がいた。複合装甲を装備しているが、ヘルメットをしていなかった。
背は高く、頭の良さがにじみ出る秀才顔だった。小和泉が愛した男の一人だ。
法律上、結婚はできなかった。許されるのであれば、皆と一緒に結婚をしても良いと思っていた。
―なぜ、防御力に無頓着なのだろう。ヘルメットをしないなんて危ないよ。ここは最前線なのに。―
そんな疑問も浮かぶが、大したことではない。また出会えたことの方が嬉しかった。
男は広間の片隅を指差す。
その片隅には円筒形の構造物が、床から天井まで貫いていた。
小型の人間用エレベーターだった。
「僕の為に調べてくれたのかい。ありがとう、鹿賀山。これに乗れば良いんだね。」
小和泉はエレベーターの操作盤へと近づき、上昇のボタンを押した。
明かりが点り、籠が上昇を始め、この階に向かっていることを表した。
数秒待っていると正面のドアが左右に開いた。小和泉はたどたどしい足取りで籠に乗り込んだ。
迷わず「1」のボタンを押す。KYTと同じ仕様ならば、一階だろう。これで地表までたどり着くことは出来そうだ。
鹿賀山は乗らないのかと、小和泉は広間に視線を送るが姿はすでに無かった。
―小隊指揮で忙しいよね。一個分隊にかまけている暇は無いよね。残念。―
小和泉はエレベーターの壁に寄りかかり、ドアが閉まるのを見つめていた。
小和泉の体が下へと軽く抑えつけられ、籠が上昇していることを実感した。
KYTへと近づいているのだ。




