333.〇三〇七二一OSK攻略戦 袋叩き
二二〇三年七月二十九日 一五四五 OSK 中層部 居住区
小和泉の闘志に隻狼は反応しなかった。
いや、できなかった。
左足を潰され、満足に歩みを進めることができなかったのだ。
小和泉は好機と捉え、間合いを詰め隻狼の喉へと十手を突き入れる。
隻狼は小盾を構え十手を弾くが、大咆哮を上げた。その咆哮は、恫喝ではなく叫喚の様に感じられた。
小和泉の右足が隻狼の左足を踏み抜いていたのだ。治まりかけていた痛覚が、再び最大限に稼働する。脳を焼く痛みが直撃していることだろう。
一度、止まりかけていた血は再出血を起こし、周囲へ鮮血を撒き散らす。その血は、小和泉の右足を汚していく。
十手の突きは陽動。
十手を防ぐ小盾の動きを利用して隻狼の死角を作り、怪我をしている左足を踏み抜き、傷口を広げるのが本命だった。
それが綺麗に嵌まり、隻狼は痛みの咆哮を上げたのであった。
隻狼の小盾を掲げる腕が弛む。小和泉は見逃さない。十手を力一杯、隻狼の無防備な左脇腹へと横殴りに叩きつけた。
左目を失っている隻狼に十手は見えなかった。筋肉を固めることもできず、筋肉が弛んだ状態のまま渾身の十手を受け止めた。
小和泉の手には、獣毛をかき分け、筋肉へと潜り込む十手の感触が伝わる。潜っていくその先では硬い物が待ち受けていた。小和泉は構わず、力を更に込め、十手を振り抜く。
硬い物に一時的に十手を阻まれるが、九久多知の増力装置が働くと抵抗を失い、隻狼の奥へと喰い込んだ。十手の侵入を阻んでいた肋骨が折れたのだ。
効果は十分と判断した小和泉は十手を抜こうとするが、ピクリとも動かない。万力で締め付けられたかの様に十手は固定された。
隻狼が痛みを堪えながら、無理に筋肉を締めたのだ。小和泉の判断は少し遅かった。
肋骨を折られ、肺と心臓に十手が届く直前で、隻狼は筋肉を締めることによって小和泉の攻撃を止めた。
だが、左の肋骨数本の骨折は軽傷ではない。重傷だ。上半身の動きを阻害するに十分な傷であった。
隻狼の口からは、歯と歯とがこすれ合う音が大きく響き、白い泡が涎と共に口元を汚していた。
小和泉と隻狼の視線が正面からぶつかり合う。
その瞳の輝きから危険を察知した小和泉は、十手を諦め手放し背後へ飛びずさる。
だが、隻狼の方が刹那早かった。右拳が小和泉の胸を真っ直ぐに抉る。空中に居る為、流すことも受けることもできなかった。
隻狼の拳を無防備なまま胸部装甲で受け止めてしまう。
複合装甲が衝撃吸収をしようとするが、小和泉自身が空中に飛んでしまった為、小和泉の身体は大きく打ち飛ばされた。
衝撃は凄まじかったが、後ろへと飛ばされた為、小和泉が怪我をすることは無かった。
そのまま外周の月人の肉壁へと叩きつけられる。
吸収できなかった衝撃が、小和泉の全身に跳ね返り打撃となって襲う。
腹の傷が大きく刃に抉られたかの様に痛み、全身の筋肉に電撃が浴びせられた様な痛みが走る。意識が瞬間的に飛ぶ。だが、失神は死を意味する。
小和泉は、舌を軽く噛み、気を強く持ち、即座に正気を取り戻した。
迎撃体勢を整えようとするが、それは許されなかった。全く身体が動かなかったのだ。
小和泉の身体は、月人達によって完全に固定されていた。
肉壁を構成していた月人達が、小和泉の四肢を、胴体を、首を、頭を無数の屈強な腕で絡み取り、締め上げる。
小和泉は、月人の肉壁に大の字に縫い止められてしまった。
小和泉は、月人達の腕々を引き剥がすため、全力を出すが剥がれる気配は無い。九久多知の増力装置では、十数匹の月人の筋力には太刀打ちできなかった。所詮、元の筋力の三倍しか増幅できない。人間の筋力を軽く凌駕する月人に叶うはずがなかったのだ。
小和泉の意志で動かせる肉体は無い。
小和泉に身体の自由は無い。
隻狼の好きにできる人形と化してしまった。
「くそ。失敗した。空中に逃げるなとあれ程言っていたのに。自分自身がそんな単純な失敗をするだと。頭が働いていないじゃないか。くそくそくそ。
離せ。離れろ。僕は帰らなきゃいけないんだ。」
小和泉は叫ぶ。全身に力を入れる。九久多知の筋力増幅装置は正常に稼働している。だが、月人達による縛めは解けない。解ける気配は全く無かった。
隻狼が左足を引き摺りながら、よろよろと小和泉へ歩み寄ってくる。
一メートル手前で止まると脇腹に挟まっていた十手を抜き取った。
十手から赤黒い液体が糸を引く。
隻狼は十手を無造作に構えると、小和泉の右腕を一度軽く叩いた。
次の瞬間、その部分だけ掴んでいた月人達の腕が消え去り、間髪入れず隻狼は十手を全力で振り下ろした。避ける術は無かった。
岩と岩をぶつけた様な重低音が鳴り響き、九久多知の複合装甲の破片が飛び散る。
複合装甲の衝撃吸収力を越え、小和泉に二の腕に衝撃が痛覚となって襲い掛かる。
複合装甲を纏って以来の初めての痛み。殴られる痛みを初めて味わう。
筋肉が断裂し、骨が折れたかと思う程の衝撃が一点に集中する。
痛みを堪える為、奥歯を噛みしめる。ジャリという音と共に口の中に砂が広がる。
どうやら強く奥歯を噛みしめたことに歯の表面を軽く砕いてしまった様だ。
噛合力が強いとよくあることだ。
小和泉は苦痛の声を上げ、痛みを緩和したかった。だが、隻狼に弱みを見せたくなかった。
隻狼は痛みに負けて叫んだ。せめて、この一点でも勝ちたかった。
どうでもよい自尊心だ。だが、武術家として負けを認めることは許しがたかった。
一時的に拘束を解かれていた右腕は、既に月人達により再び拘束されていた。
小和泉を逃がす隙は与えない様だ。
再び隻狼が小和泉の左腕を十手で指し示す。すぐに月人達の手が離れる。そして、遅れることなく隻狼の十手による痛撃が襲う。
小和泉の脳が痛みに焼かれる。
続いて隻狼は、右足、左足と間断なく容赦なく十手を叩きつける。
その都度、小和泉の全身に衝撃が走り、痛みが神経と脳を焼き切ろうとする。
「くそ、
頑丈な十手だ。
普通の武器なら、
すでに、
折れている
だろうに。
自業自得か。」
小和泉は切れ切れに悪態をつく。己の武器の高性能さに腹が立ってくる。だが、その余韻には浸らせてくれない。
隻狼は、次々と小和泉の一部を指し示し、殴り続ける。
月人達は、指し、避け、殴り、縛るを繰り返す。
小和泉が逃げる隙を与えない。装甲板が次々と粉々となり、周囲に破片を撒き散らしていく。
徐々に装甲を失い、機関部が装甲板の隙間から見え始める。
<第三装甲、剥離。衝撃吸収率六割に低下。>
ヘルメットのシールドに九久多知からの警告が表示される。
「くそ。何か手を。」
三階から生身で地面へ叩きつけられる様な衝撃に耐えながら、小和泉は次の手を模索する。諦めてはいない。
この痛みならば、知っている。修行と称して、姉弟子である二社谷に道場の屋上から何度も何度も地面へと叩きつけられた。こんな無謀な修行を行われたのは、多智の存在が大きい。
医学生である多智に治療を任せたのだ。外科手術の良い練習台だと喜び、引き受けた時の笑顔は忘れられない。多智が名医になれたのは、この時の実地練習が効果を表しているのかもしれない。
知っている痛みならば、恐れる必要は無い。耐えることは可能だ。弱い骨から折れ、繋ぎ、そして折る。この繰り返しにより、小和泉の骨格は常人より強靭な物へと作りかえられている。この衝撃ならば、骨折には至らない。
隻狼は、一方的に攻め続ける愉悦に浸っているのか、足の怪我を気にも留めず、十手を楽しげに振り下ろし続ける。
小和泉の得物でいたぶる喜びに浸っていた。
隻狼を四つん這いにし、肛門を狙い撃ちし、自尊心を破壊した腹ただしい武器だ。
それをもって敵をいたぶることができる。この様な楽しい遊びは他にないだろう。
隻狼がはしゃぐのも理解できることだった。
小和泉を囲む月人の壁は、中心へとさらに収束し一つの塊と化していた。
六十匹の月人が狭い空間に密集していた。押し合い圧し合いをし、皆が小和泉に触れようとしていた。無論、隻狼の邪魔はしない。
この集団の頂点が隻狼であり、そのものの不興を買う様なことは絶対にしないからだ。
今までの戦場で月人がここまで集合し、寄せ集まったことなど見たことが無かった。
壁の月人達は、リズムに合わせ「ワウワウ」と吠え続け、隻狼を鼓舞する。
隻狼はそれに呼応する様に時より十手を大きく掲げ、月人達の声援に応える。
余程、人類に怨みがあるのだろうか。それとも小和泉に怨みがあるのだろうか。
しかし、複合装甲を装備する小和泉個人を特定する手段を月人やコツアイが持っているとは思えなかった。
人類への恨み。いや、単なる排除が目的と考えるべきなのだろう。
<第四装甲、剥離。衝撃吸収不能。>
九久多知によるこの警告が表示された次の一撃は、小和泉の左肩だった。
衝撃が吸収されない一撃は非常に重たかった。
複合装甲は、衝撃吸収機構を失い、ただの装甲板が残っている鎧へと劣化していた。
衝撃吸収が不能となった九久多知では、衝撃は肩から肺へと浸透し、心臓をも停止させた。
九久多知が即座に心停止を確認し、蘇生処置を施す。
心臓へ電気が流され、すぐに心臓は機能を回復させた。
「はあ、はあ、はあ。」
小和泉はヘルメットの中の小さな空間の空気を目一杯に吸い込む。
「駄目だ。これ以上の攻撃には耐えられない。今ならば可能。後になるほど不利。乾坤一擲。」
小和泉は襲い来る衝撃の中、九久多知へ強く強く願う。
「コツアイを放棄。」
補助腕の存在を知らない月人は、小和泉の背中が急に動き始め、呆気にとられる。しかし、縛めは弛まない。
蠍型機甲蟲の胴体に納められたコツアイは、床へと無造作に転がり落ちた。
そして、小和泉は隻狼を射殺す様に見つめ、命令を下す。
「全手榴弾、投擲。」
補助腕は、九久多知に繋げられた手榴弾を効率良く、月人の中へと落としていく。
全部で五発。この近距離での爆発に第四装甲まで失った九久多知が耐えられるかどうか分からない。例え九久多知が耐えたところで、中身である小和泉が耐えられる保証も無い。
ハッキリしていることは、これ以上、九久多知が破損する程に、手榴弾の爆発に耐えることができなくなることだ。
普通の人間であれば、躊躇いがある筈だ。
しかし、小和泉は最善手であると信じたならば迷わない。躊躇わない。己の身が如何に傷つこうとも恐れない。生き残れば勝ちなのだ。
そこが凶犬と呼ばれる所以でもある。
自爆攻撃は早い程、生き残れる可能性が上がる。装甲を剥される前に。
残り三秒。
これで小和泉が勝つか、月人が勝つか、勝負がつくはずだ。
共倒れの可能性もある。しかし、このまま何もしないことは小和泉が死ぬ未来しかない。
残り一秒。
九久多知は、効率良く手榴弾を撒くことに成功したようだ。手榴弾の落下地点は相乗効果が見込める効率的なものであった。
零。
周囲は、閃光と轟音、爆風に包まれた。




