331.〇三〇七二一OSK攻略戦 面倒な機械
二二〇三年七月二十九日 一五〇三 OSK 中層部 居住区
小和泉にとって、最も信頼している攻撃手段は、身に沁みつき、こそぎ落とすことは不可能となった錺流武術だ。
徒手空拳では、攻撃力の点では心もとない。
錺流武術は、武器の現地調達を基本としている。ゆえにナイフもアサルトライフルも有効であるが、隻狼との戦いでは命を預ける気にはならない。
やはり、二十年以上使い続けている十手を頼る。
特に手に馴染んだ十手は、命懸けの相棒としては心強い。
小和泉は右手に持った十手を四回、握り直す。握る場所は間違いが無いか。握り方は正しいか。力加減は問題無いか。そして、相棒は手に馴染んでいるか。
握り直した感触から相棒は問題無いと答える。
―ならば、始める。―
小和泉は十手を背中側に真っ直ぐ床と水平に引き、右足を隻狼に分からぬ様にほんの少しだけ床より浮かせた。必然的に支えを失った身体は、前のめりに倒れていく。
足を踏ん張る、駆け出すなどの予備動作が全く無いまま、隻狼の足元へ小和泉の身体は、重力により加速していく。
これを目の前でやられると、予備動作無しの突然の上下運動により、隻狼の視界から小和泉が消えた様になる。
眼球は左右移動が得意だが、上下移動は不得意なのだ。見失った目標を反射的に左右方向へ探してしまう。
隻狼は首を左右に振り、小和泉の姿を探すが見つからない。
足元にいるとは想像していない。
小和泉の狙いは、急所の一つである足の親指と人差し指の付け根だった。日本軍の戦闘長靴は安全靴になっており爪先を保護しているが、月人は素足だ。急所が剥き出しだった。
ここを十手で押し潰す。これが成功すれば、隻狼の左足を潰したも同然だ。まずは機動力を奪う。
十手の先端が急所に触れる。急所に対する十手の位置ずれは無い。完全に急所を捉えた。
小和泉は全体重をその一点にかける。自身の受け身など考えていない。身体移動による運動エネルギーと小和泉の体重、九久多知の装備重量が一センチ四方の小さな点に圧し掛かる。
十手は、薄い獣毛の上から急所を押し潰し始める。獣毛をかき分け、皮膚を裂き、筋肉を弾け飛ばし、骨を粉砕し、巻き添えを喰らった血管から血が零れ出す。本命である神経の束は圧潰した。
ガツリと硬い感触が十手の先端から伝わり、小和泉の身体が止まった。
十手が足の甲を貫通したのだ。
隻狼は予期せぬ痛みに強烈な咆哮を上げる。激痛による悲鳴だ。この急所は脳に痛みを直撃させる。足の痛みよりも脳が感じる痛みの方が強い。
正確には脳に痛覚は無く、痛みは錯覚なのだが、直接殴られたと勘違いをするほどの激痛を脳は知覚するのだ。激しく頭を締め付ける頭痛が隻狼を責め立て続ける。
痛みから逃れるための隻狼の咆哮は、周囲の空気を振動させ、九久多知を通じて小和泉の肉体も震えさせる。
小和泉は床に無様に顔面から倒れた。攻撃に特化し受け身を取らなかった為だ。普段ならば、床と衝突した程度ならば、衝撃を一切感じない。だが、複合装甲の第一層を失った九久多知は、子供に体当たりされた程度と同様の衝撃を小和泉に与えた。腹の傷の痛みを知覚するが、完全に意識から切り離している。運動能力に支障は出させない。
その様な些末なことを小和泉は気にしない。逆にこの好機を逃さない。
隻狼が痛みに苦しんでいる隙を利用し、足の甲を貫通した十手を一回し周囲を抉り、傷口を少しでも広げ、重傷化させていく。
血管が更に破壊され、周囲に隻狼の鮮明な赤い血が飛び散る。
動脈が破壊されたのだろう。酸素を豊富に含んだ血は鮮やかだ。更に動脈は、心臓から血液を送る圧力、つまり血圧が高く、周囲へと鮮血を飛び散らせた。小和泉の九久多知の上半身にも隻狼の鮮血が降りかかった。
隻狼は痛みの根源を見ることで、小和泉が足元に居ることにようやく気が付いた。
隻狼は両手を組むと、怒りに任せ大槌の様に力強く振り下ろした。小和泉は咄嗟に横へ転がる。
小和泉の頭のすぐ傍へ巨大な大槌の様な拳が振り下ろされ、床に亀裂が入る。
寝た状態が不利とは限らない。小和泉は寝転がったまま、隻狼の両足の間に十手を差し込み、足首に絡ませる。身体を転がし、全体重を十手に掛け、百八十度以上回転させた。
左足を壊された隻狼は、十手の回転力を痛みと梃子の原理により堪えることが出来ず、前のめりに倒れ、四つん這いとなった。
小和泉がその隙を逃すはずがない。
小和泉は隻狼の背後で膝立ちとなり、突き出された尻に向け、十手をまっすぐ力一杯に突いた。
ドンという重低音が発生し、小和泉の右手の突きは止まった。衝撃で小和泉の右腕が痺れ、肩の関節に痛みが走る。九久多知の衝撃吸収機構の低下を改めて痛感させられる。
今まで、複合装甲に頼り切っていたことを思い知らされた。
「まだまだ、修行が足りなかったな。」
と小和泉は過去の様に呟く。
隻狼の小盾が尻を守り、十手を受け止めていた。
小和泉は隻狼の蹴りを警戒し、一度離れた。そして、中段の構えをとり、隻狼の動きを警戒する。
隻狼は十手に打ち抜かれた左足を宙に浮かせ、右膝を軽く曲げ、小和泉の正面に立った。左足からは、降り始めの雨の様に血が零れ、床へと広がっていった。
その立ち方は、空手の猫足立ちに似ていた。恐らく偶然だろう。隻狼が空手を知っているとは思えなかった。
月人の感情は分かりにくい。目が血走る。牙をむき出すなどで人類は敵意を知る。
だが、隻狼の感情は明確であった。
誰が見ても理解し得た。
全身の獣毛は逆立っている。
やや寝ていた耳が直立している。
瞼は開き切り、眼球が血走り、充血している。
口角が大きく上がり、犬歯がハッキリと見えた。
口元から涎がダラダラと零れ落ちる。
両肩が屈辱に打ち震えている。
尻尾が上下に鞭を振るうように激しく動いている。
これらの行動を見れば、激怒していることは疑いようが無かった。
格下に見ていた人間に四つん這いにされ、挙句の果てに肛門を狙い撃ちされるという屈辱。
ここまでの屈辱を与えた人間および月人は存在しない。
左目を奪われた時以上のどす黒い怒りの感情が、腹の奥底から沸々と湧いてくる。
隻狼は、怒りに任せ、右手の爪を小和泉に叩きつける、だが、そんな解りやすい攻撃は、小和泉は十手で受け流し、体勢を崩した隻狼の右肩へと十手を叩きつける。
痛みを与えることは出来た様だが、骨折には至らない。獣毛と筋肉が十手の力を阻害する。
隻狼は打ち据えられたことをものともせず、左拳を下から打ち上げる。狙いは小和泉の顎。
小和泉は頭部をすっと背後に下げることで拳を避ける。
小和泉の視界一杯に隻狼の拳が広がり、通過した。
今、隻狼の左脇が丸見えだ。小和泉は一歩踏み込み、右肘を左脇へと打ち込む。九久多知の硬い装甲が獣毛の薄く筋肉量が少ない脇へとめり込む。
肺を圧迫されたのか、隻狼は息を一塊吐き出し、軽くむせているが隙は無い。片目しかない目で小和泉を睨ね付け、小和泉の追撃を牽制する。
しかし、小和泉の連撃は止まらない。右肘打ちの回転力を活かし、左後ろ回し蹴りを放つ。狙いは隻狼の鼻。鼻は獣毛も筋肉も無く、剥き出しの弱点だ。
だが、小和泉の足裏にガツンという肉と違う硬い衝撃を感じ、勢いを殺された。小和泉は即座に足を畳み、間合いを取る。
先程の十手と同じく小盾で防御された。
両腕の小盾を顔面で合わせ、堅固な守りを現出させていた。
二枚の小盾は、ぴったりと合わさり、本来の形を小和泉に見せた。
それは複合装甲の胸部装甲だった。左胸と右胸の装甲を両手に括り付け、小盾として利用していたのだ。
両方の小盾が合わさることにより、複合装甲の胸部装甲であることがハッキリと分かった。
「くそ。道理で堅い訳だ。月人が複合装甲を使うなんて聞いたことが無いぞ。
ああ、腹の立つ面倒な奴だ。
兎女がアサルトライフルを撃つ位だから有りなのか。くそったれ。
複合装甲の装甲板は、十手や銃剣では破壊できない。盾ごと破壊するのは無しだ。盾を避けて攻撃か。時間のかかるこって。
コツアイの入れ知恵か。ああ、邪魔ばかりする。
人工知能は、俺らで実験をしてやがるのか。何て面倒な機械だ。」
地球を破壊した人工知能コツアイが月人の飼い主であり、人類の本当の敵だ。
コツアイが月人を調教し、罠の概念を仕込み、アサルトライフルの使い方を教え、そして今、複合装甲を盾にするという新しい概念を月人に与えたのだ。
これからは、もっと恐ろしい手段を人類へ施してくるだろう。
現在の人類とコツアイが直接接触してしまった。コツアイは、現状の人類の技術力及び思考を考え、次の手を考えるのだろう。
それは人類を破滅へと導く手段である確率は非常に高いと思われた。万に一つではあるが、共存するということ可能性も無きにしもあらず。だが、それは限りなくゼロに近い未来だろう。
「ああ、本当に面倒な機械だ。」
小和泉は改めて声に出し、吐き捨てた。




