328.〇三〇七二一OSK攻略戦 脳の悲鳴
二二〇三年七月二十九日 一四一三 OSK 中層部 居住区
小和泉の意識は、朦朧としていた。しかし、獣と化した野生的な感で月人の気配を感じると迂回し、戦闘を避けた。
自身の状態が万全でなく、戦闘に移れば今の出血が更に酷くなることが明白だった。
ここまで一歩一歩、自分の足で地上へと近づいていたが、肉体的限界が迫りつつあることを自覚していた。体が熱い。恐らく発熱しているのだろう。
「くそ。体力の限界か。動作切り替え時に反応が遅れるからしたくなかったけど、九久多知に歩行を任せた方がいいな。
九久多知、歩行補助を開始。操縦者の介入を感じた場合は、操縦者の動作を優先。介入感度は段階3を設定。」
小和泉は音声入力と脳波入力を同時に行った。確実な動作を期するならば、手を上げてヘルメットのタッチスクリーンを操作すべきである。しかし、小和泉にはそれを行う体力が無かった。いや、温存したかった。
復讐心に滾っているが、その気持ちに身体がついてこないのだ。
今は体力を少しでも温存と回復をすることを最優先することを選択した。
その点、音声と脳波の同時入力であれば、体力を消費せずに済み、二重入力であれば、誤入力の可能性は低くなるはずだった。
<歩行補助、了解。介入感度、段階3に設定。
注意。身じろぎ程度では介入されません。介入時は、大きい動作を取って下さい。
装備者は体の力を抜き、複合装甲に身体を預けて下さい。
自動歩行、開始。>
スクリーンに次々と文字が表示された。どうやら、小和泉の思惑通りに九久多知に命令が伝わった。
それを確認した小和泉は、全身の力を抜き九久多知へと寄りかかった。
歩みに合わせて四肢が動き、前へと進み始める。
「まるで糸に吊られている操り人形の気分だ。」
気持ちは悪いが、自力で歩行するよりも格段に体力の消耗は抑えられる。
とは言え、傷口が擦れ、捻じれることに変わりはない。
相変わらず出血を止めることはできない。粘着フィルムが傷口を密閉して血液を零さない為、出血量が抑えられているに過ぎない。一種の圧迫止血法といえるのかもしれない。
出血する空間が小和泉の体内にも既に無いのだ。
粘着フィルムの耐久性が小和泉の命綱になっているとも言える。これが剥がれたり、破れたり、密閉性が無くなった時、一気に体内に溜め込んだ血液が吹き出すことだろう。
そうなれば、急激な血圧の低下による失神。そして、大量出血による失血死が待っているだろう。
こんなペラペラの透明フィルムが、小和泉の命を支え、命運を握っていた。
「血液凝固剤があれば、血止めができただろうに。」
九久多知に歩行を任せたところで、痛みが抑えられる訳では無い。一歩進む毎に痛みが発生し、額に脂汗が浮く。
「こんな状況に陥ったのは、生まれて初めてじゃないか。くそ。腹が減った。喉も渇いた。」
小和泉は朝食から一度も食事を摂っていない。腸に大きな穴が開いている為、飲食を断っていた。時折、水を口に含むが口をゆすぐだけで飲み込むことはしなかった。全て吐き出していた。
内臓の穴が開いた部分から飲食物が漏れることを恐れたのだ。
「音響探査、異常無し。温度探査、異常無し。僕の勘も敵としばらく接触は無いと感じている。ならば、仮眠をとれるか。」
小和泉は、ここまで気を張り続けていた。
心を散々に削られ、傷つき、砕ける寸前まで追い込まれていた。
精神状態は、肉体以上にぼろぼろであったのだ。
そんな中、自動歩行に切り替えた為か、眠気が襲ってきたのだ。
こんな状態で眠くなるはずがないと普通は考えるのだろう。
だが、精神的負荷が、極度に脳を酷使していた。
ホルモンバランスの調整、記憶の整理、感情の抑圧など様々な仕事を粛々と続けていた。
眠気は、脳が休みたいと警告を出しているのだ。つまり、脳の悲鳴だ。脳の活動限界を超えたのだ。
「意外と僕の心は、自分自身が思っていたより弱かったな。
いや、違うな。短時間にかかった精神的負荷が大きすぎた。
三人の妻、親友、戦友、部下。一気に失い過ぎた。
それも無残な最期だった。綺麗な死体なんて無かった。
流石の僕でも殺すのは慣れていても、家族を殺されるのは慣れないよ。ちくしょう。」
それ程までに小和泉の経験は濃い物であった。これが安全な地下都市KYTであれば、自室に引きこもり、悲嘆し苦悩し慟哭することもできただろう。
だが、今は許されない。敵の本拠地の真っ只中だ。
感情よりも生存を優先させなければならない。
死ぬことは簡単にできる。だが、敵以外は誰もそれは望んでいないだろう。
ゆえに小和泉は最期の瞬間まで生にしがみ付く。
効率的な仮眠時間は十五分までと言われている。
それ以上の仮眠は熟睡に切り替わり、咄嗟の事態に反応できなくなる。また、脳の覚醒にも時間がかかってしまう。
ここは無理して起き続けるよりも効率良く仮眠をとるべきだと小和泉は判断したのであった。
「九久多知、十五分間の仮眠をとる。起こしてくれ。」
<了解。自動防衛、起動。十五分後、覚醒。>
小和泉はそう言い返答を確認すると、意識は即座に闇へと落ちた。
十五分後、小和泉は全身に痺れを感じた。ビリ、ビリビリと不定期に痺れた。
小和泉は即座に目を覚ますと同時に痺れは治まった。九久多知による通電による起床信号だった。
弱い電気を身体に流すことで刺激を与え、起床を促したのだ。音声は聞き逃す可能性があり、振動は傷口を広げる可能性があった。一番良い選択に思えた。
小和泉は時計を確認すると気絶から十五分きっかりだった。
「九久多知、おはよう。目が覚めたよ。ありがとう。」
<覚醒を確認。敵反応無し。自動防衛、解除。自動歩行、継続中。>
小和泉は、機械に対し礼を言う必要も無いのに挨拶と同時に述べていた。
小和泉は一人ぼっちだ。会話ができることの有難みを感じていた。それが単なる機械だとしてもだ。
「会話は精神の安定を司るという説がある。それは事実なのかもしれないな。」
小和泉は悲しそうに呟いた。
仮眠の効果は抜群だった。靄の掛かっていた意識は覚醒し、思考がハッキリとし始めていた。
「よし、月人を回避し、日本軍のどの部隊でもいい。合流を目指そう。生きて戻ることが第一だ。」
そう、目標を定めたところでスクリーンに二時方向に発熱体が数体表示された。
「ちっ。迂回だ。十一時方向へ進路変更。」
<了解。十一時方向、進路変更。>
発見される前に逃げる。戦闘などしていられない。身体はそんな状態では無い。
小和泉は、九久多知へ指示をすかさず出す。それに応え、九久多知は自動歩行の角度を修正した。
続いて、十時方向に発熱体が確認された。
「一時方向へ進路変更。」
<了解、一時方向、進路変更。>
九久多知が小和泉の指示に従い一時方向へ移動を開始する。
またも、一時方向に発熱体が確認された。
「停止。近くの掩蔽体に身を隠せ。周辺警戒厳。」
<了解。隠密動作、実行。>
九久多知は、近くの影へと潜み、手近な障害物を周囲に積み上げ、身を隠した。
「音響探査、温度探査、光学探査を高精度で実施。」
<了解。複合探査、開始。精度=高。>
小和泉は、荒い息を極力鎮め、探査結果が出るのを待った。
―嫌な予感しかしない。囲まれたか。―
小和泉の額の脂汗が増えていく。痛みが強くなるだけでなく、体温も先程よりも上がっている。
ヘルメットのスクリーンには、体温38.2℃の表示とあった。だが、熱があるから戦えないなど言えない。
戦えなければ、ここで野垂れ死ぬだけだ。小和泉は目的を達成するためにKYTへ帰還せねばならない。
隠れている間にスクリーンの発熱体の表示が一気に増えた。全て赤い点だった。
赤い点は敵を表す。友軍であれば青い点のはずだ。
赤や青に色分けできる理由を小和泉は知らない。興味も無い。士官学校で習っただろうが覚えていない。
世間話で誰かに問い掛ければ、鹿賀山、奏、桔梗ならば説明をしてくれただろう。
思わず強く歯を食いしばる。
世間話も問い掛ける相手も居ないことを再確認させられた。
小和泉は改めて己の無力さと今までの間違った自己評価の高さに苛立ちも感じていた。




