326.〇三〇七二一OSK攻略戦 解ける幻想
二二〇三年七月二十九日 一三〇一 OSK 中層部 北東部資材搬入口
小和泉は血圧の低下による意識混濁の中から覚醒した。
自分自身が気絶していたことに驚いた。
―ああ、重傷を負っているから奏達が気を使って休ませてくれたのかな。感謝するよ。―
小和泉は、状況を把握する為、周囲を見渡した。
目の焦点が今一つ合わないが、かろうじて輪郭は分かる。
聴覚は、しっかりしている。良く聞こえている。
かろうじて使える視覚と聴覚をもって、状況の把握に努めた。
「静かだね。部屋の中で動く者は一切いない。言葉を発する者もいない。おかしいな。」
静かだと言っても配管の中を流れる小麦粉と水の音は、室内を騒々しく満たしている。
生き物の気配が無いことを、戦場のかしましさが無いことを小和泉は静かだと表現していた。
徐々に目の焦点が合い、周囲の状況が視覚情報として次々と入力されていく。
ここは部屋の片隅だった。この部屋に沢山ある小麦袋で作った狭い陣地の中だった。
五人も居れば、すし詰めに近い。
そんな陣地の中、目の前の床には、愛が仰向けに寝転がっていた。胸部から腹部において幾重もの刺し傷から流れ出した血が、床に血溜を作っていた。
その横には、鹿賀山が俯けに倒れていた。だが、頭だけは少し胴体から離れ、小和泉を土気色した顔で驚愕の表情を向けていた。
その奥では、奏が仰向けに倒れていた。四肢が有り得ない方向に折れ曲がり、首もあられもない角度に圧し折られていた。目を閉じ、口が大きく開いていた。まるで悪夢にうなされているかのようだ。
舞は、土嚢替わりの小麦袋を抱えるように倒れ伏していた。その首に見慣れた黒鉄色の金属が突き刺さっていた。兎女の長剣だ。前から後ろへと首を貫通していた。
自然種である鹿賀山と奏は、複合装甲の隙間と関節部を狙われた。
促成種である舞と愛は、野戦服に関節を守るプロテクター装備だった為、急所を狙われた。
なぜ、それが、どうして等の単語が、小和泉の頭の中に無数に大量に浮かび思考を奪っていった。
「待て。待て。待て。待て。待て。待て。
さっきまで僕は鹿賀山と会話していたよ。敵の襲撃があったのなら、気絶していようが、熟睡していようが起きるはずなんだよ。その様に修行を積んできたからね。
今までに、一度たりとも敵の襲撃に気づかなかったことは無かったよ。
仮に僕が自発的に起きなくとも、九久多知が警告音を発し、自動迎撃で動き出し筈だよ。そうなれば、嫌でも目が覚めるはずだよ。
どうして、どうしてこうなった。
なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ。」
小和泉は九久多知のヘルメットの中で喚きたてる。自身の声で耳が痛くなり、喚くことを止めた。
ふと、目線を下にやると自身の複合装甲が、一切開放されていないことに気が付いた。
「ヘルメットをしたままだ。僕は水を吐き出すために前を開けた筈だよ。
それに鹿賀山は治療の為に腹部の装甲を開放したじゃないか。なぜ、どちらも閉まっているのだよ。おかしいじゃないか。僕の身に何が。いや、831小隊に何があったんだよ。
くそったれが。訳が分からん。」
小和泉は、セラミックス製の床に拳を叩きつける。九久多知が行動を予測し、拳篭手が瞬時に迫り出し、繊細な機械と部品で構成される拳部を守る。拳篭手は強固なセラミックスの床にかすかな傷をつけた。
何も考えられない。言葉にならぬ奇声を発する。
目からは熱い粒が次から次へと飛び散り、ヘルメットのシールドを濡らしていく。
更に小和泉は拳を右、左と交互に振り下ろし始める。その度にドスン、ドスンと重低音が鳴った。
徐々に床の傷が広がり、拳篭手の形に床が抉れ始める。
床が低くなり、そこへ血が流れ込んできた。床の凹みに血が溜まるが小和泉は拳を撃ち込み続ける。
ビシャ。ビシャ。ビシャ。
拳篭手が血の中に沈み、血が大きく跳ねた。ヘルメットに血がかかり、視界が塞がれたことにより、ようやく小和泉は正気に戻った。
「この血は誰のだろう。愛か、鹿賀山か、奏か、舞か。いや皆の分なのか。どうしてこうなった。どうして。」
小和泉は窪みから両手で血を掬い、掌に溜まった血を見つめ続ける。まだ、ほんのりと温かい。死亡してから、それほど時間が経っていないのだろうか。
小和泉は、その状態で、しばし、うな垂れていた。
幸いに配管から発する騒音と室内ということもあり、小和泉が床に撃ち込んだ正拳突きの音は外部に漏れることは無かった。
小和泉は、ようやくあることに気が付いた。証拠を確認すれば良いのだ。それで事実が判明する。
「だが、信じたくは無い。今が幻であって欲しい。
九久多知、通信記録を再生してくれ。」
<了解。通信記録再生。>
シールドに文字が表示され、ヘルメットのスピーカーに通信音声が流された。
内容は一方的に小和泉が話すだけだった。
返信も会話も何も無い。小和泉が存在しない相手に向かって話し続けているだけだった。
「まぜ、鹿賀山の声が、奏達の声が一切無い。どうして。」
自分が幻覚に翻弄されていた証拠だった。
鎮痛剤は、麻薬でもある。使い方を間違えれば、こうなることは明白だった。
生きている四人は夢幻だった。小和泉は泡影と会話をしていたのだ。
「そうか。鎮痛剤のせいか。許容量を超えたせいで幻覚に呑まれたのか。
そして、時間経過により鎮痛剤の効果が低くなり、正気に戻ったのか。」
現実を突きつけられ、また一つ、己の無力さに打ちのめされる小和泉であった。
まだ残る薬の効果により平衡感覚が狂い、足元がおぼつかない。
それでも小和泉は立ち上がり、一番近い愛の元へとヨロヨロと辿り着いた。
そして、ヘルメットから認識票を引き抜いた。
愛の顔を覗き込む。綺麗な死に顔だ。顔には傷一つない。心臓や腹部をめった刺しにされただけだ。
桔梗達は最後の最期まで月人へ命を懸けた攻撃をし、月人の怒りと恨みを買った。
それゆえに怨みを買わなかったのだろう。月人は死体に興味は無く放置していったと思われた。
桔梗達とは対照的過ぎた。
愛は、薬で眠らされていた為だろう。己の死の瞬間すら知らなかったに違いない。
「君は自業自得だよ。仲間を裏切った。君にかける言葉は無い。」
小和泉は這うように鹿賀山へ近づいた。
複合装甲に無数の切り傷があった。兎女の長剣に斬られたのだろう。そして、最後に首を落とされ、命も落とした。
小和泉は鹿賀山の頭を拾うとヘルメットを覗き込んだ。
最後まで頑張ったのだろう。鹿賀山は歯を食いしばり、睨みつけていた。
食いしばった時に口の中を切ったのだろうか。口元から一筋の血が流れていた。
小和泉は認識票を回収すると瞼を閉じさせ、胴体へと繋げた。繋げたと言っても切断面同士を合わせただけだ。
「遅くなってすまない。隠密性を考えず走れば間に合ったかもしれないね。ごめんね。
鹿賀山と出会えた僕は楽しかったよ。
鹿賀山は、無味無臭な士官学校の生活に潤いを与えてくれた。学校生活の三年間が楽しかったよ。
そして、入隊後。奏、桔梗、鈴蘭、菜花に会わせてくれた。こんな戦争と荒廃した時代に、四つの大輪の花に会えるなんて思ってもいなかったよ。
心から感謝している。本当にありがとう。」
次いで、奏へと転がる様によたよたと寄った。
奏の肘と膝が逆方向に折られていた。複合装甲の硬さに長剣が弾かれ、効果が無いと判断した兎女に関節技へと持ち込まれたのだろう。
奏の格闘戦能力は拙い。皆無に等しい。抵抗も空しく、簡単に関節を折られたことだろう。
そして、運動能力を失った奏は、首を圧し折られた。首を折られる時に窒息状態になったのだろうか。酸素を求める様に可憐な口を大きく広げ、瞼を力一杯閉じていた。
小和泉は、折れ曲った四肢を正しい位置に戻し、有り得ない方向に曲がった首を正面へと優しく戻した。そして、大きく開けた口を優しく閉じてやり、苦痛の表情を元の美しい表情に整えた。死後硬直が始まる前だからこそできた。つまり、死後に時間を経過していない。
その事が小和泉の心をさらに締め付ける。
「ごめんね。僕が弱いせいで間に合わなくてごめんね。急げば、間に合ったよね。
あのね。桔梗と鈴蘭がね。先にね。先にね。」
小和泉の喉が詰まる。次の言葉が出ない。熱い雫を数滴こぼし、改めて話かける。
「二人がね。先にね。逝ったんだよ。だからね。あっちでも、寂しくは無いと思うよ。
でも、僕はとても寂しいよ。悲しいよ。苦しいよ。
たった数時間で花嫁三人、全員を失ったよ。この手で守ると決めていたのに、僕の掌から三人共、零れ落としてしまったよ。
花婿失格だよね。本当にごめんね。
四人で仲良く新婚生活を過ごしたかったよ。
奏が僕達の子を産んで、四人で育てるのがね、僕の夢だったんだよ。
言葉に出して、ちゃんと伝えるべきだったね。伝えたいことが一杯あるよ。
僕は、小さい時に両親を亡くして家族は姉弟子しか知らないんだ。
姉弟子って苛烈な人でしょう。だから、温もりを知らないんだよ。家族って何か分からないんだよ。
だからね。家庭の温かさに憧れていたんだよ。照れくさくて、言えなかったけどね。
奏なら両親がいない僕達三人に教えてくれると信じていたんだ。
温かい家庭を楽しみにしていたんだ。
ごめんよ。こんな結果になって。僕が、僕がもっともっと強ければ。
僕もそう長くは無いよ。ちょっと血が足りないみたい。待っていてくれるとうれしいな。
でも、僕がそっちに行くと三人共、怒るのかな。怒るんだろうなあ。でも、手加減はしてね。」
小和泉はヘルメットのシールドに落ちる熱い水滴に視界を遮られながら、認識票を回収した。
小和泉は土嚢替わりの小麦袋に倒れ込んだ。すぐ横には舞がいた。
小和泉は、俯き、首の後ろから飛び出している長剣を正面から抜いた。そして、ゆっくりと仰向けに転がした。舞の全面は切り刻まれていた。無事な面は、ヘルメットの中だけだった。
野戦服は血で身体にへばり付いた端切れと化し、原型を留めていなかった。たった一人で兎女の猛攻を自身を盾として受け止めたのだろう。
舞の表情は、痛みに堪えたままで固まっていた。
「すまない。君の恋人を救えなかったよ。辿り着いた時には終わっていたよ。
でもクジは凄い奴だね。ただの促成種に過ぎないのに僕の大事な人達を最期の瞬間まで守ってくれたよ。ありがとう。優しい奴だったんだろうね。
そして、舞もすごいよ。鹿賀山と奏を護るために頑張ってくれたんだね。
そうじゃないと、こんなに切創がつくわけないものね。クジも舞もすごいよ。
促成種は自然種の盾になれと刷り込まれていても、ここまでのことはできないよ。
二人とも心が強いんだね。尊敬するよ。
こんな強く真っ直ぐな心を待っていると知っていたら、君達二人と仲良くしておくべきだったね。僕は人を見る目が無いね。悲しいよ。
仲良くなれば、錺流武術を教えることができて、生き残る可能性が数%でも上がったかもしれないよね。ごめんね。
そして、ありがとう。ほんとうにありがとう。」
小和泉は舞が生きた証しとして、認識票を回収した。
そして、そのまま小麦袋にもたれ、天井を仰ぎ見、呆けた。
この数時間で起きた事態は、あまりにも大きく深く小和泉の心を抉ったのであった。
幾ら武術で鍛えようとも傷はつく。素人よりは傷が浅いかもしれないが、悲しみを感じない訳では無い。ただ、悲しみという感情を情報として処理できるに過ぎない。
戦闘中は、如何なる悲しみ怒りも情報として処理し、精神を揺るがせることは無い。
だが、この感情は情報化するには、あまりにも重すぎた。




