324.〇三〇七二一OSK攻略戦 一縷の望み
二二〇三年七月二十九日 一一三一 OSK 中層部 工場区
奏達は、複合セラミックスの壁に囲まれた工場の中に居た。
8311分隊は健在であり、ここで中休止をとっていた。
鹿賀山が指揮を執り、奏は周辺警戒を行い、舞は薬で眠らせた愛を肩に担ぎここまで運んでいた。
運が良いことに月人との遭遇戦は無く、何とかここまで逃げ延びていた。
奏達が忍び込んだ工場は、戦闘糧食の工場の様であった。
現在も大型機械の排出口から見慣れた戦闘糧食が吐き出され、ベルトコンベアに乗って包装工程へと送られている。完全無人運用の様であり、周囲に人や敵の気配は無かった。
「月人も同じ戦闘糧食を食しているのかしら。ただ、中身の材料に関しては違うものが入っていると考えるべきなのでしょうね。」
そんな疑問を奏は口に出し、舞へとたずねた。
本来は士官である鹿賀山と意見交換を行うべきなのだろう。
だが、この程度の質問、いや世間話を交わすならば、同性で同年代の舞の方が話しやすかったからだった。
「ねえ、舞曹長。狼男用なら肉食よりよね。だとすると何の肉が入っているのかしら。」
「兎女や人間の死体じゃないでしょうか。共喰いは脳組織の異常に繋がると聞いたことがあります。」
「そうね。狼男用の戦闘糧食を食べるのは止めておきましょう。
なら、兎女用なら草食よね。これなら食べられそうじゃないかしら。」
「これも雑草とか余分な物が入っていそうです。私達は、雑草を消化できませんから、食べるのは止めておいた方が良いのではないでしょうか。腹痛を起こすと思われます。」
「そうね。私たら、どうしてそんな簡単なことに気づかないのかしら。」
「少尉はお疲れなのでしょう。周辺警戒で神経をすり減らしているのではないでしょうか。自分は愛の運搬だけでしたから元気であります。今は自分が警戒をしますので、少尉はお休みになって下さい。」
「ありがとう、舞曹長。お言葉に甘えるわ。では、警戒を任せる。」
「了解。舞曹長、これより周辺警戒にあたります。」
奏と愛の会話が終わるとすぐに奏は寝息を立て始めた。
目に見えぬ敵からの逃亡に精神的疲労が溜まっていたのだろう。
「何か、少尉の話し方がいつもと違ったな。精神的にきついよね。
新婚で、旦那様と新しいご家族と離れ離れになって。そして、現在、生死不明。
私達の未来も真っ暗闇。
ふう。クジ君、元気かな。分隊長は、慎重な蛇喰少尉だし、無事だよね。無茶していないよね。それに、無茶は小和泉大尉の担当だもんね。後で会えるよね。」
恋人のクジの最期を知らぬ舞は、生きて再会できることを信じ、周辺警戒の任務にあたった。
現況は、たった四人の一個分隊による撤退戦である。
その内の一人である愛は、コツアイに乗っ取られ間諜と化していた。貴重な情報源である愛を本部に連れ帰る為、舞が運搬に割かれていた。その愛は、睡眠薬により眠らされ、当分の間、起きることは無いだろう。
8311分隊は、鹿賀山と奏の二人だけが哨戒と戦闘を担っていた。
小隊長と副小隊長である二人の士官は、頭脳労働者である作戦参謀に近かった。
つまり、白兵戦要員としての戦闘力は、二人には期待できなかったのである。
それを自覚している鹿賀山が選んだ撤退路は、工場区を通ることであった。
―よし、思惑通りだ。工場区ならば機械の駆動音や振動が我々の音を消してくれている。
機械油、様々な原料、完成品の匂いにより人間の体臭を誤魔化すこともできていそうだ。
照明があるのもありがたい。遠くに居る敵も発見しやすい。逆に言えば、こちらも発見されやすいということだが、暗視装置よりは視認性が良い点は大きい。
そして、障害物が多いため、隠れる場所に困らない。このまま工場区を抜け、地上を目指すことができればよいのだが。
さて、次の階層へはどこから上がるべきか。―
鹿賀山は記憶に焼き付けた地図を思い出しながら、安全であろう撤退路を考える。
―戦闘予報でも聞くことができれば、死傷確率75%でも言われるのだろうか。つまり、四人中一人助かれば上出来ということか。
いや、駄目だ。指揮官として死傷確率はもっと下げねばならない。小和泉と合流できれば、前衛や斥候を任せることができ、死傷確率を大きく下げられるのだが、奴は今どこで何をしている。蛇喰達後続はどうした。何故誰もついてこない。連絡をよこさない。
くそ、戦力が欲しい。831小隊が集合できる方法はないものか。戻るか。いや、無理だ。ここまで無傷で来られたことは奇跡に近い。私達の力では、戻るという選択肢は無い。
小和泉か蛇喰が居れば、偵察に出せるものを。
ええい、無いものをねだってどうする。現状での最適解を出さねばならない。それが指揮官の務めだ。鹿賀山清和。しっかりしろ。現実を見ろ。お前の肩には部下三人の命がかかっているのだぞ。前を向け。振り返るな。地上の友軍と合流しろ。
それが、今の最善手だ。―
鹿賀山は、長い葛藤の中、決断を下した。
―合流できるかどうか分からぬ戦力をあてにはできない。時間は味方では無い。敵なのだ。
時間の経過と共に食料が尽き、疲労が溜まるばかりだ。そうなれば、空腹と疲労でいざという時に動けない。
この四人だけで前へ進む。後続は待たない。中休止終了次第、出発だ。目標は北東部の資材搬入口。まず、そこを目指す。ここから上層部へ上れるだろう。―
ぼやけていた鹿賀山の視界がクッキリとする。目標を定めれば、それに対し全力を尽くせば良いのだ。そうすれば、行軍中に余計なことを考える余裕も無くなる。
鹿賀山はヘルメットのシールドのタッチパネルを操作して、北東部の搬入口への地図を各員へ送信した。これで隊からはぐれていても合流できるであろう。
今、受信できなかった者の為に定期的に同じ信号を発する発信機もここに置いておく。電波強度は低いが何もしないよりは良い。これで後続の者へ鹿賀山の命令を伝えることが可能だ。
後続への道しるべを置くことができ、鹿賀山の心にほんの少しのゆとりが生まれた。
鹿賀山は、気が昂ぶっているが、身体を少しでも休める為に目を閉じる。
地上まで何日かかるか分からない。今は休むべきなのだ。目を閉じ、瞑想に耽る。
心を無にすることで精神的疲労を和らげるのだ。
目を閉じることで肉体的疲労を和らげるのだ。
そうやって、鹿賀山は中休止を過ごした。
二二〇三年七月二十九日 一三〇二 OSK 中層部 工場区
小和泉は、照明が煌々と点る工場区へと辿り着いた。
ほんの偶然だった。一瞬だけだったが、複合装甲の通信が回復し、信号を受信したのだ。
即座に返信を試みたが、圏外表示に阻まれ、新たな通信はできなかった。
無線の復旧は、ほんの一瞬でしかなかった。
発電所の壁は、放射線を防ぐ為に電波も遮蔽していた。ゆえに通信を試みることは最初から選択肢に無かった。だが、この工場区であれば、機械から出る電磁波が干渉するかもしれないが、通信が回復する可能性があった。
小和泉はその希望に縋り、情報端末の無線設定を色々と弄り倒す。
―奏の声が聞けるかもしれない。鹿賀山の目的を確認できるかもしれない。―
だが、一度たりとも無線が接続状態になることはなかった。小和泉の僅かな希望は断たれた。
小和泉は、無線の復旧を諦め、初期設定に戻した。この状態で一度は受信したのだから。
さらに奏達に接近すれば、無線が回復するかもしれないからだ。
受信した信号は命令書だった。
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二二〇三年七月二十九日 一二三〇
発 第八大隊第三中隊第一小隊 小隊長 鹿賀山 清和少佐
宛 第八大隊第三中隊第一小隊 各分隊
題 行動指針
831小隊所属の各分隊は添付地図の資材搬入口へ集合せよ。
集合地に8311分隊がいない場合、もしくは目的地に到達できぬ場合は、地上の友軍との合流、もしくは地下都市OSKから離脱しKYTへの帰還を優先せよ。
なお、8311分隊の四名は健在である。
以上。
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命令書に添付されていた物は、工場区の北東部の資材搬入口へ至る手書きの地図だった。
小和泉が士官学校時代から見慣れた鹿賀山の筆跡だった。
角ばった真面目さを表す鹿賀山らしい文字だった。
―鹿賀山が生きていたよ。8311分隊の四名も健在だよ。絶対に合流を目指さなければならないよね。この好機は二度とないよ。地図もありがたいね。
この場所は、比較的近そうだね。これならば、早急な合流を目指せるかな。―
小和泉は手書きの地図を頭に叩き込むと行動を開始した。愛する者の元へと辿り着くために。




