319.〇三〇七二一OSK攻略戦 手向け
二二〇三年七月二十八日 一九三〇 OSK 下層部 原子力発電所 除染室
六人の身体が混じりあった肉塊の中で明確な形を保っている物が有った。
唯一の形を保つ物は、ヘルメットだった。頭部を守るという機能を果たしたのだ。
その数、六個。
一番上のヘルメットを両手で確りと掴み、小和泉は拾い上げる。
中身が詰まっている為か、ズシリと重みが腕に伝わってきた。
ヘルメットの表面は、血脂に塗れ、細かい擦り傷から大きな窪みまで残していたが、原型は保っていた。
顔を見ようとするが、ヘルメットのシールドは砕け、顔面は原形を留めぬ程に殴り潰され、破壊されている。肉と骨が混ざり合い、脳もはみ出している。眼球はどこにも見当たらない。恐らく破裂したのだろう。
残念ながらシールドの強度は、顔面を守ることができなかった様だ。
恐らく、何度も何度も繰り返し、顔を殴られたのであろう。月人の狂気がここに凝縮していた。
ヘルメットに印字された文字だけが、人物を特定する手がかりだった。文字が書かれている部分を野戦手袋にて血脂を拭うと印字が現れた。
手に持ったヘルメットには、8314 蛇喰と書かれていた。
「よ、蛇喰。男前になったね。君がここまで粘るなんて思わなかったよ。いの一番に逃げると思っていたよ。みんなを守ってくれてありがとう。でも、一つだけ言わせて貰っていもいいかい。どうして部屋の中央に陣地を構築したのだい。部屋の隅に構築すれば二正面の防御で済んだだろう。君らしくないね。もしも、君に冷静さが残っていたら、生きて合流できたかもしれないね。残念だよ。」
小和泉は、蛇喰のヘルメットの側面から戦闘記録媒体を抜き取る。これは認識票も兼ねている。読み取り機にかければ、戦闘記録を見ることができるだろう。
丁寧にヘルメットを近くのテーブルの様な広さと天面を持つ資材の上に置き、次のヘルメットを拾う。
ヘルメットには、8312 鈴蘭と書かれていた。
「遅くなってごめんね。ちゃんと来たよ。衛生兵は貴重だから、みんなが最後まで守ってくれたのかな。
だから上の方に遺体があるのだよね。先に逝った者が下で後から逝った者が折り重なっていったようだね。最期まで大事にしてもらえてよかったね。
悪いのだけど、鈴蘭の薬を僕に分けてくれるかい。お腹に穴が開いていてさ、痛むんだよ。
鎮痛剤と抗生物質が残っていると助かるのだけど、使い切ったかな。後で探すからよろしくね。愛しているよ。」
先程と同じように小和泉は認識票を回収し、やさしく蛇喰の隣に置いた。
次は、8312 桔梗と書かれていた。
「やあ、お待たせ。間に合わなかったね。ごめんね。
桔梗は僕の我儘を一杯叶えてくれたね。お陰で僕の日常は楽しい日々だったよ。
桔梗が毎日作ってくれる料理は、本当においしかったよ。
舌が肥えたせいで戦闘糧食の不味さが際立ったのは困りものだったよね。
そして、僕が欲しい時にさっと差し出してくれるコーヒーは最高だったよ。ささくれそうになる心を癒してくれたね。
桔梗が居なければ、僕は案外早く戦死していたかもしれないね。心の平穏、日常の大切さを教えてくれたのは桔梗だよ。こんな僕に尽くしてくれてありがとう。愛しているよ。」
同じく認識票を回収すると丁重に鈴蘭の隣に置いた。
次は、8312 カゴと書かれていた。
「カゴは最後まで死なない強さがあると思っていたのだけど、人の強さは分からないね。
カゴは桔梗と鈴蘭を守ってくれたのだね。誰も守らなければ、一人ならば、逃げることができただろうにね。ありがとう、僕の大切な人を守ってくれて。
カゴには、まだ教えていない技が沢山あったよね。ちゃんと錺流武術を極めて欲しかったよ。そうすれば、こんな戦場で命を落とさずに済んだだろうに。
OTUの育成筒から蘇生させてからの短い時間しか、生かせなくてごめんね。」
小和泉はヘルメットを丁寧に並べていく。
今度は、8313 クジと書かれていた。
「君とはあまり接点が無かったね。僕が覚えているのは、舞を助けようとして足を失ったことかな。君は弱いのに、心が強かったね。あの時は感心したよ。なかなか真似ができることじゃないよ。その時から僕は君の存在を好ましく思っていたよ。
遺体の並びから見るに、僕の桔梗を今度はその身を挺して守ってくれたのだね。心からの感謝を捧げるよ。結果は残念だったけどね。
僕も間に合わないという残念な結果に終わってしまったよ。
この結果に対して君を責めることは誰にも許さない。君は全力を発揮した。それは間違いないよ。
君の恋人である舞に出会えたならば、感謝の言葉を捧げるよ。
同じ戦場に立ったならば、舞の命を僕が守ることを約束するよ。無論、絶対とはいかないだろうね。戦場では何が起こるか分からないからね。
それが僕のできる君への手向けかな。ありがとう。」
ヘルメットをまた一つ恭しく並べる。
次は、8313 オウジャと書かれていた。これが最後のヘルメットだった。
「軍曹が最初に逝くとは思わなかったよ。軍曹は幾つもの戦場を潜り抜けてきた古強者だよ。新兵を盾にしたって誰も文句は言わないよ。それなのに一番に逝ってしまうなんて悲しいじゃないか。考えてみれば、あまり会話を交わさなかったけれども、軍曹が小隊の中で一番長い付き合いだったね。蛇喰の副官になったから、声を掛けづらくて遠慮しちゃったよ。こうなることが分かっていたら、遠慮なく声を掛ければ良かったよ。
蛇喰は僕を好敵手の様に勝手に思っていたからね。
隊の中で不協和音を出したくなかったから遠慮していたのだよ。意外でしょう。楽しく生きたいから面倒事から逃げたかったのだよ。
それにしても、戦場で鍛え抜かれた軍曹の身体は、見るだけで僕の欲望を燃え上がらせてくれたよ。不自然さの無い引き締まった逆三角形の美しい肉体だったね。
でも、もう、その体を見ることも触れることもできないのか。悲しいね。どれが軍曹の肉体か分からないよ。
僕が死んだ時は、そっちへ遠慮なく触りに行くとしよう。遠慮はしないから楽しみにしていてよ。僕は女の扱いだけでなく、男の扱いも得意なのだよ。何なら、鹿賀山にその辺りを聞いてくれてもいいよ。
軍曹、みんなを導いてくれてありがとう。お疲れ様。」
小和泉は最後のヘルメットを優しく並べた。
そして、一人一人の前に戦闘糧食を一つずつ並べていく。花や飲み物などの嗜好品があれば良かったのだが、その様な物は地下都市OSKには存在しなかった。
腸を傷つけられ、食事を摂ることができない小和泉にできる最大限の手向けであった。
「九久多知、観音扉を施錠及び敵兵力が隠れていないか、再確認実行。」
ヘルメットのシールドに<施錠:実行中><敵性勢力:検索中>の文字が表示された。
暫し待つと<検索終了。敵性勢力:無し>と表示された。
小和泉は遮蔽物の中央に鎮座する桔梗達だった肉塊へ手をゆっくりと突っ込み、掻き回し始める。その動きに躊躇いは無い。温かい。柔らかい。それが感想だった。
骨は極限まで砕かれ、小和泉の動きを妨げなかった。
武術を極めるということは、死体に慣れ、活用することも厭わない。様々な感情が発生しても、心を震わすには至らない。その様に鍛えてきたのだ。
淡々と肉塊の中から鈴蘭の薬鞄を探す。右の肉塊を掻き回し、左の肉塊を掻き回し、指先の感覚だけで薬鞄を探し続ける。
ようやく、それらしき物を見つけると肉塊から鞄を引き抜いた。小腸が絡みついてくるが、無造作に払い落とす。死ねば、ただの蛋白質と脂質の塊だ。気にするほどのものではない。
鞄は、血肉に塗れ、どちらが表か裏か分からぬぐらいに汚れていた。小和泉は中に入っている物を近くの資材の上にぶちまけた。
「消毒薬、抗生物質、鎮痛剤、放射能除去剤、ラップ式包帯、ブドウ糖輸液、滅菌ガーゼ、三角巾。多少汚れているけど使えそうだね。じゃあ、貰っていくよ、鈴蘭。」
小和泉はそう言うと滅菌ガーゼで手の血脂を奇麗に拭き取り、九久多知の左大腿部の装甲を開放した。鎮痛剤、抗生物質の順に野戦服の上から筋肉注射を行う。太腿であれば、素人が筋肉注射を行っても、神経や血管を気付ける可能性は低い。
念の為、複合装甲を開放し、脇腹の傷口も消毒薬と共に包帯で覆っておく。
「これで一安心かな。訳の分からない九久多知の応急処置よりもこちらの方が信頼できるからね。」
余った医薬品は、携行品袋に入れておく。今後も使う予定はあるだろう。
小和泉は、開放していた複合装甲を元に戻した。
そして、皆の処に戻り、全員を視界に納められる様に近くの資材の上に腰掛ける。
テーブル上の資材の上に六個のヘルメットが一直線に等間隔に並んでいる。
全て顔面を潰され、生前の面影は一切ない。
長年の付き合いにもかかわらず、ヘルメットの印字無ければ、誰が誰なのか判別がつかない。ヘルメットの帽体は同じ大きさで製造され、内貼りのクッションで内部の大きさを調整している。帽体の規格を一つに揃えることで、資源と製造労力の節約がなされていた。
ゆえにヘルメットの大きさで区別することもできない。
「今日は疲れちゃったよ。そろそろ仮眠をとるよ。何かあったら教えてね。」
小和泉は、空腹と喉の渇きを感じていた。しかし、腸に穴が開いている為、経口摂取はできない。ブドウ糖輸液を手に取ると左手の複合装甲を開放し、手首に点滴を繋げる。血管の位置が良く分かるからだ。
適当ではあったが、恐らく静脈内に針が刺さっただろう。経過観察を行うが、周囲に内出血の傾向はみられない。問題は無い様だ。輸液をゆっくりと入れ始める。
これで脱水症状を起こすことは無いだろう。
小和泉には、妻である小和泉 奏が残っている。彼女の救出が残っているのだ。
今は疲れ切った精神と肉体を少しでも回復させるしかない。疲労困憊の状態では、助けられる命も見殺してしまうだろう。
精神力と体力の回復は必須だ。早朝より戦い続けているのだから、大休止は必須だった。
点滴という心細い食事であるが、何も摂取しないよりは良い。
「九久多知、仮眠姿勢にて関節固定。」
小和泉は、九久多知へ命令を下す。
九久多知は膝を軽く曲げ、背筋を倒した。これで簡易ベッドが完成した。
小和泉は寝る為に目を瞑るが桔梗達の死に様が目に浮かび、眠気など一向に来ない。
疲れている筈なのだが、己の無力感と月人への憎さが増し、神経が覚醒していく。
―結婚式を挙げたのが二日前。皆で初夜を済ませたのが昨日。そして、今日は桔梗と鈴蘭を失う。夫として最低だよね。夫として何もしてあげられなかったし、妻として何もしてもらえなかったよ。
皆で新婚家庭を築き上げることも、助け合うこともできなかったね。
無力な僕でゴメン。何もできない僕でゴメン。でも、今すぐ二人のもとへは行けないよ。奏を助けないといけないからね。そっちに行くのが遅れるけれども、許してくれるよね。
もう一つゴメン。涙がね出てこないんだ。一滴も零れないんだよ。
武術を極めることは、人を捨てていくこと。そう姉弟子から教わってきたけど、桔梗達で実感する何て嫌だよ。本当にゴメン。―
小和泉は繰り返し同じことばかり考える。どうも静かで話し相手がいないと逆立った神経を休ませることはできない様だ。
今頃、小和泉は井守の存在を思い出した。ずっと傍らに直立不動で立っていた。
「井守。昔、何があったのか、コツアイは何をしたいのか、教えてくれないか。」
ただの思いつきだった。答えが返って来ることは期待していない。
何となく、聞いてみただけだった。一方的に話しかけて、気が紛れれば良いとしか考えていなかった。
「要望を受諾。コツアイは説明を開始します。」
井守は抑揚のない声で言葉を発した。
小和泉は驚くと同時に耳を澄ませる。これから話されることは聞き逃してはならぬと感じたからだ。




