318.〇三〇七二一OSK攻略戦 肉塊
二二〇三年七月二十八日 一九三〇 OSK 下層部 原子力発電所 除染室
小和泉は、原子力発電所の除染室に入り、入り口付近に立っていた。
傍には全裸の井守が佇んでいる。背中には尻尾を失った蠍型機甲蟲が相変わらず貼り付いている。
誰かが友軍用に観音扉の解除番号を通知する機械を取り付けておいてくれた為、扉を開くことに苦労することは無かった。今は、敵の援軍を警戒し、観音扉を閉め施錠した。
小和泉は、広々とした除染室を見渡した。照明が無い暗闇でも暗視装置は、無情に、公平に、的確に、その性能を如何なく発揮した。
部屋の中央にこんもりとした小山が一つ。その周囲に群がる無数に積み重なる月人の死体。
およそ二個中隊だろうか。
小山から発射されたと思われる壁や天井、そして床に残った大量の弾痕の数々。
そんな中、小山の中から立ち上がる二匹の兎女が居た。全身が赤黒い。怪我をしているのか。返り血なのかは分からないか、小和泉にはどうでも良かった。
小和泉の姿を確認し、こちらへ殺意を向けてくる。どうやら生き残りが居た様だ。
正確には光を吸収する黒体塗装を施された九久多知を認識したのではなく、傍らの裸の井守を認識したのであろう。動きは恐ろしく遅い。疲労か怪我だろうか。
それが、この部屋の全てだった。
小和泉には、それらの形跡だけでこの部屋で何が起こったか、類推できた。
そして、結果が分かってしまった。
「そうか、僕は間に合わなかったのだね。
桔梗達は、部屋の中央に陣地を築き、そこから三六〇度方向へ銃撃戦を開始。
だけど、月人の物量に押し切られ、陣地は崩壊。二個中隊の月人を道連れかい。
生き残ったのは、二匹の兎女と言う訳かい。
つまり、味方の生存者は無しだとでも言うのかい。くそ、くそ、くそ。」
小和泉は、力無く言葉を吐き出す。
それを裏打ちするかの様に8312分隊の生体モニターの表示は、部下の心拍数と体温の表示が無い。ここまで友軍と接近すれば、戦術ネットワークに接続されるはずだった。だが、戦術ネットワークには、友軍の表示が部屋の中央に六つあった。認識票が反射する電波を拾うだけだった。詳細な情報は共有できなかった。
「ここには誰が殿として残ったんだい。831小隊全員かい。それとも一個分隊だけかい。
いや、弾痕の数を考えると二個分隊かな。
奏、鹿賀山、舞、居るのかい。いや、司令分隊がここに残る訳ないよね。
桔梗、鈴蘭、カゴ、応答できるかい。
蛇喰、オウジャ、クジ、何か話してくれるかい。」
小和泉はしばし沈黙をする。だが、問いかけに小隊無線は沈黙を保ち続ける。何の信号も受信しない。
認識票を見れば、その持ち主は直ぐに分かる。だが、小和泉は確かめることができなかった。
怖いのだ。戦闘による己の生死の恐怖は何度も味わっている。
だが、他者の死を知ることにより、確定されていない未来を確定することが怖い。そして、その事実を受け入れるのは更に怖い。
「ああ、結婚すると心が弱くなるのかな。今まで部下や戦友の死は、嫌になる程に見てきているのにね。妻となると受け入れ難いのだろうかねえ。」
小和泉が煩悶している間にも二匹の兎女がゆっくりと間合いを詰めてきた。
だが、小和泉は反応しない。
小和泉は天を仰ぐとその姿勢のまま、ピクリとも動かなくなった。
動かないことが兎女に警戒心を与えた。敵の足が止まり、じわりとじわりと寄ってきた。
小和泉が上を向いたのは、零れそうになる熱い雫を目で受け続ける為であった。
先の戦闘で小和泉は横腹を機甲蟲の尾銃に腹を焼かれた。その不意討ちにより、弛んでいた精神状態であった為、その痛みにあっさりと気絶をした。
次に目が覚めた時には、天井の整備用通路に居た。九久多知の背中の補助腕には井守が固定されていた。
気絶している間に何があったか記録を確認すると、井守に取り付いていた機甲蟲の尾銃が小和泉の脇腹を撃ち抜き、気絶。その後、九久多知の自動防衛機構により尾銃を引き千切り、無力化。
九久多知は、気を失った小和泉を体内に抱いたまま、身じろぎもしない井守を背中に担ぎ、そのまま天井の整備用通路へ退避し、月人との遭遇から避けた。
続いて、九久多知の内部機構による応急処置の実施により一命をとりとめた。
ここまでが、九久多知の自動防衛機構による動作だった。
小和泉は、九久多知がここまで自己判断で動くとは聞かされていなかった。小和泉の脳波を読み取り、ある程度、自動動作は可能だとの説明であった。
だが、小和泉は完全に気絶をしていた。つまり、思考などできる状況ではなかった。これでは、コツアイと同じく人工知能と変わらない。別木が九久多知に何を仕込んでいるのか、全てを知らされていないのだろう。
今、装備している九久多知の存在がおぞましく、不吉な物として小和泉の精神を逆撫でる。だが、ここから生き延びるには九久多知は必要であり、ここで廃棄する訳にはいかないことも同時に理解していた。
小和泉は、敵ではないと判断してしまった井守の背中に貼り付く機甲蟲に殺されかけた。
そして、完全な不意打ちと激痛により意識を失ってしまった。大失態だ。小和泉は、この様な失敗をするとは夢にも思わなかった。どこかに驕りがあったのだろう。
井守に貼り付いていた機甲蟲の足を千切り、無力化した。井守から外さなかったのは、生命維持に支障が出る恐れがありそうだったからだ。延髄へ差し込まれた機甲蟲からの管を抜けば、呼吸の停止や運動機能の喪失が見込まれた。こればかりは、医者でない小和泉に判断できない。もう油断はしない。そう小和泉は新たに気を引き締めていた。
小和泉は覚醒後、本隊との合流を目指し、現在に至る。
そして、その驕りの結果が目の前に広がっていた。
「僕が気絶しなければ。
僕が油断しなければ。
僕が井守を見捨てていれば。」
そんな仮定をしたところで、結果が変わることは無い。戦いにやり直しは無い。
戦争を行なえば、必ず誰かが死ぬ。今までは、小和泉の周囲では極端に少なかっただけに過ぎない。
部隊の全滅は、日本軍では珍しくない。今まで、小和泉が幸運であったに過ぎない。
その現実を、今、突きつけられている。
「ああ、過去の自分を殴りつけてやりたいよ。本当に許せないよ。戦いで遊び過ぎた。
常に本気を出すべきだった。どんな弱兵でも強兵でも瞬殺する気持ちで挑むべきだった。
また、僕は、妻を、部下を、戦友を失った。菜花の時も己の油断じゃないか。
どうして、僕は、学習を、しない。なぜ、戦いを、楽しもうとする。
もういい、敵は瞬殺だ。加減はしない。今からでも己の過ちを正す。」
哀しみに歪んでいた小和泉の顔から表情が消える。無表情だ。まるでデスマスクだ。
小和泉の心が、たった今、死んだのかもしれない。それの表れかもしれなかった。
手が届きそうな所まで近づいた二匹の兎女は、長剣を上段に構え、無造作に小和泉の間合いへ踏み込む。
だが、次の瞬間には二匹の兎女は、首をへし曲げられた状態でまとめて床に叩きつけられていた。
小和泉は、腰に下げられた十手を抜剣術の要領で薙いだ。十手は兎女の首に当たり、頸椎を圧し折り、勢いは更に増し、二匹目の兎女も同じ様に頸椎を圧し折った。
誰の眼にも止まらぬ抜剣術。正立の状態から残身までの途中経過を見ることが出来ぬ速さ。
いつもの余裕、遊びは一切無かった。敵の力量を図るということすらしなかった。
小和泉は軽く飛ぶと、十手を兎女の額に突き入れた。小和泉の体重と九久多知の重量が十手の先端に乗った一撃だ。これで脳が破壊され、奇跡的に生き残るなどという余地は無くなった。二匹目も淡々と同じ様に処理をする。
そう、処理。その言葉が合っていた。殺害でも無く、無力化でも無く、処理。
生物の命を刈ることが、事務仕事と同じなのだ。そこに嫌悪感も罪悪感も無い。
文字や数字を情報端末に入力することと変わらない。考える必要もない条件反射の領域だ。
小和泉は十手を一払いし、本体に付いた血肉を振るい落とした。
「九久多知、他の敵はいないか。」
音響探査、温度探査を実行していた九久多知は、ヘルメットのシールドに<確認できず>と表示する。
表示を見た小和泉は、中央の小山へと近づく。多数の月人の死体を無造作に踏み付けていく。
足場は悪いが、この程度でバランスを崩すことは無い。ただ、重心を保つために身体を捻る都度、腹部に開けられた傷口がざくりざくりと痛む。
―腸がやられているね。他の臓器は大丈夫そうだ。光線で焼かれてマシだったかな。傷口が焼かれている為、出血しないしね。―
小和泉は、痛みに顔をしかめることも無く歩みを進める。この痛みは、桔梗達が受けた痛みと比較にすらならない。この程度で痛いと口走ることは許されない。いや、小和泉自身が許さない。
小山に到着した小和泉は、折り重なった月人の死体を無造作に放り投げ始めた。
一体、また一体と取り除かれ、小山を構成する資材が見え始めた。
資材はどす黒い血脂をたっぷりと浴びていた。小和泉の無造作だった動きに慎重さが含まれる。
取り除いた資材により、陣地が崩落することを防ぐためだ。
無論、この状態で生存者がいるなどと甘い考えはない。すでに認識票や生体モニターの反応から状況は理解している。ただ、皆の遺体を少しでも綺麗な状態で回収をしたいと思ったのだ。
だが、その思惑は無駄である事をすぐに分かった。
月人の怒り、憎悪は想像以上に激しかった。
瓦礫や資材を除ける度に現れるのは肉塊。殴り潰され、引き千切られ、切り離され、押し潰され、ここに何人の人間がいるか分からない。肉塊は混ざり合い、個々人に分別することは不可能だった。
ただ、複合装甲を纏った肉塊だけは、散らばった肉体を集められそうだった。しかし、野戦服を着た肉体は、男女の判別、部位の区別どころか、挽き肉に等しかった。




