317.〇三〇七二一OSK攻略戦 肉盾
二二〇三年七月二十八日 一七五八 OSK 下層部 原子力発電所 除染室
桔梗は、鈴蘭とカゴが持ち寄る資材を巧みに組み上げ、持久戦に備えたトーチカを着々と構築していた。同時に8312分隊分隊長として戦局を広い視野で見なければならない。
周囲を見渡して状況を把握し、手元に注視してトーチカを万全に組み上げる。
さらに接近する月人の排除という戦闘もそこへ加わる。手にする資材で月人の攻撃を受け止め、殴り返す。地面に倒れた月人の頭部を資材で叩き潰し、頭部を破壊する。
そして、再びトーチカの構築を行う。
広い視野と細かい作業の相反する作業に月人との戦闘が加わり、桔梗の精神がゴリゴリと削られていく。精神的疲労の蓄積は、今までに経験したことが無いくらいだった。
だが、しばらくして桔梗は気づいた。自分への月人による攻勢圧力が減少しているのだ。
理由は明白だった。月人との直接戦闘が絶えた。
周囲の月人は減っていないが、重傷者の山が積み上がっていた。
いつからだろうか。気付かぬうちに桔梗は援護されていた。援護の主はオウジャであった。
桔梗の負担は、大きく減った。直接戦闘が無くなった。
―これならば、戦況の把握とトーチカの構築に専念できます。―
桔梗は落ち着きを取り戻すともう一つのことに気が付いた。それは、戦況の把握をオウジャが一部代行してくれたことだ。
桔梗の見落としや注意が回らなかったところを的確に補佐していた。
トーチカの構築と援護射撃をしながら、全ての戦況を把握することは難しい。その桔梗が行なっていたことの半分を肩代わりされるだけで、負担は大きく減る。
―オウジャ軍曹、ありがとうございます。援護に感謝致します。さすが歴戦の古強者です。先任軍曹を長く務めておられるだけのことはあります。局地戦では部類の強さを発揮なされますね。
では、その意志を汲みまして、私はトーチカの構築を急ぎます。錬太郎様が追い付いてこられる様に、固く、壊れぬトーチカにてお待ち致します。
お早い再会を望んでおります。―
残念なことに、感謝の気持ちを声に出せない。士官は、下士官が命令無しに指揮を執ったことを褒める訳にはいかない。逆に叱責すべきとされている。これが軍の縦社会の弊害だ。
ゆえに感謝の気持ちを心の内に留めた。そのことはオウジャも理解しており、桔梗から感謝の言葉をもらえぬことは当然であると考えていた。
また、桔梗は小和泉とこの場で再会することに疑念を一切もっていなかった。
小和泉が観音扉を開き、無傷の姿を見せることは決定された事実であった。
そして、月人二個中隊の敵を蹴散らすことを桔梗は夢見ていた。
その夢がどれだけ可能性が低く、叶わぬ夢だと一欠けらも思いもしない。
ただ、心より愛する旦那様が迎えに来る事だけを信じていた。
二二〇三年七月二十八日 一八一一 OSK 下層部 原子力発電所 除染室
「トーチカ、構築完了。」
桔梗は大きく叫ぶ。オウジャの援護のお陰で予定より早く堅固な物ができたと思われた。
「全員、トーチカへお入りなさい。」
すかさず蛇喰が指示を出す。
『了解。』
一ヶ所だけ開いた隙間へ近くの者から順番に素早く飛び込んでいく。
部屋の中央に構築されたトーチカは、完全に四方と天井を塞ぎ、半球形に近い形をしていた。そして六方向に銃眼が開いていた。
まるで将棋の穴熊の様に硬い防御陣地であった。
それは将棋の穴熊と同じく、一度崩されると逃げ道はない。
強度はあるが、逃げることは許されない防御陣地だった。
最後に蛇喰がトーチカに飛び込むと唯一の出入口であった隙間は即座に閉鎖された。
皆、横に細長い銃眼からアサルトライフルを突き出し、月人へ光弾を浴びせ続ける。
広々とした除染室に人類の陣地は、この六人が入れば腕が触れ合う様な狭い空間だけだった。
この防御陣地がどこまで耐えられるか分からない。
桔梗達に反撃の手段がなくなるのが先か、月人にトーチカを崩されるのが先か、死への我慢比べが始まった。
結果は一つしかない我慢比べ。反撃手段を無くせば死。トーチカを崩されても死。
いずれも死が待っている。徹底抗戦するか、無条件降伏するかの選択肢はある。
だが、どちらを選択しても結果は一つ。
幾つもの途中経過にて様々な選択をすることはできるが、結果は死へと収束する。
これが殿である。生き残る方が稀なのだ。
桔梗達は、アサルトライフルの連射を止めることなく引き金を引き続けている。つまり、徹底抗戦を選択した。無条件降伏を選択したところで、即座に殺されるだけだ。
アサルトライフルの銃身は、荒野迷彩から橙色に光り始め、高熱を周囲に撒き散らし始めていた。野戦服越しに熱を感じ、汗ばみ始めた。ただでさえ狭い空間だ。現在の気温より更に上昇をするだろう。ただでさえ、落ち始めた集中力が更に落ちるかもしれない。
皆の額にうっすらと汗が浮き始める。
「銃身を交換しなさい。オウジャ軍曹から順に時計回りです。無論一人ずつですよ。当たり前のことですが、交換中は左右の者で援護なさい。よろしいですね。」
蛇喰が銃身交換の命令を下した。その声に疲労が混じり始めている。いつもの粘り付くような声色が感じられない。喉が渇き、口の中が乾燥していた。
すでにヘルメット内のストローからは水は出ない。水筒の水を飲み切っていた。
『了解。』
皆が即座に返答する。こちらの声に張りが無かった。疲労が蓄積されつつある。
「オウジャ、交換に入る。」
宣言と同時に、すかさずオウジャは銃身の交換に入った。躊躇うことは時間の無駄だ。即座に銃身の交換を終わらせることが重要だ。
―この狭い場所での暴発は自殺行為だ。多少の危険はあるが、少尉の判断は正しい。人数が居る内に済ますのは良い判断だ。蛇喰少尉を死なすのは惜しいな。―
オウジャは、交換しつつその様な思いが浮かんだ。
「オウジャ、交換完了。射撃開始。」
「桔梗、交換に入ります。」
オウジャの言葉に続きに桔梗は手早く慣れた動作で銃身の交換を行う。焼けた銃身はトーチカの壁に付ける様に転がしておく。不用意に触れて怪我する事を防ぐためだ。
そうして、順番に銃身を交換していく。今まで散々してきた手慣れた作業だ。ものの数分で全員が交換を終える。
交換中に銃撃が弱まり、鉄狼の包囲が狭まっていた。つまり、桔梗達の陣地が奪われたことになる。
狼男達は障害物の影から重量物をトーチカへぶつけ、破壊を試み始める。
重量物がトーチカに衝突する度、重低音が室内に響く。それは地獄の門が開く合図の様にも聞こえた。
今のところ、トーチカに綻びは見られない。だが、いつ崩れるか分からない。
障害物から突然飛び出し、長剣を振りかざす兎女を素早く撃ち倒し、接近させないように桔梗達は粘る。
だが、狼男達が重量物を投げ込む毎に月人とトーチカの間に障害物ができてしまう。
月人は新しくできた障害物を盾にさらに接近してくる。
それを阻止すべく、桔梗達はアサルトライフルを撃ち続ける。
そんな中、一匹の狼男が床で桔梗達に腹を撃ち抜かれ、呻き苦しむ兎女の首を持ち正面へ突き出した。腹の傷口から小腸から零れ落ちた。さらに兎女は新たな痛みに苦しむ。
それは盾だった。肉の盾。光弾は肉盾に吸収され、背後にいる狼男まで届かない。狼男の口角が上がる。有効な手段であると気付いてしまった。
狼男は、重傷の兎女を肉の盾とし、トーチカへ肉薄する。
三丁のアサルトライフルが狼男へ集中する。だが、肉の盾が光弾を受け止め、血肉を撒き散らし効力弾が発生しない。肉盾を掠った光弾が、狼男の獣毛の表面を炙るだけだ。軽傷にすらならない。
接近した狼男は、トーチカの銃眼へ兎女の頭部を力一杯に叩きつけた。
銃眼の狭い隙間に兎女の頭が捻じ込まれ、圧力に負けた頭蓋骨が破裂する。トーチカ内部に脳漿と血を撒き散らす。そこに居た桔梗の前面を赤黒く染め上げる。
断面からは大量の血が流れ、トーチカ内に流れ込む。床に溜まった血は、熱をもった銃身に触れ、蒸気を上げる。トーチカ内の気温が上昇した。
銃眼の一つが潰され、外壁には兎女の死体が垂れ下がっていた。
狼男は、隣の銃眼へ鋭い爪を貫手の要領で剛腕を突き刺す。狼男は何も考えていない。敵がそこから覗いているのならば、敵の顔がそこにある。そう思っただけだ。
狼男の鋭い爪は、オウジャのヘルメットのシールドを砕き、顔面に深々と突き刺さる。
オウジャは一度だけ痙攣をするとアサルトライフルを床へと無造作に落とした。
蛇喰と桔梗がその剛腕の持ち主へ左右から集中砲火を浴びせる。至近弾を喰らった狼男は仰向けにゆっくりと倒れる。オウジャの身体もその動きにつられ、トーチカの壁面に引き寄せられる。狼男はまだ倒れていく。オウジャの顔面は壁面に押し付けられたままで動かない。そのまま狼男の貫手が顔面から抜けた。オウジャはその場に壁面に沿って崩れ落ち、狼男も床に斃れた。
桔梗は、オウジャの死体を踏み付け、射撃を再開する。自分が担当していた銃眼が兎女の肉塊で塞がれたからだ。今は、死体を丁寧に扱う余裕は無い。
どう見ても致命傷だ。かろうじて、オウジャが生きていても戦闘能力が無いのであれば同じだ。助けることも手当てをする事も出来ない。その様な余裕は無い。それは死体なのだ。
どうせ、遅いか早いかの違いだ。誰が斃れても同じ扱いをされるのは間違いない。
この狼男の行動が戦闘の潮目となった。月人は、次々と近くに転がる死体や重傷者を肉盾として構えた。
そして、四方より一斉に走り出す。
懸命に反撃をする桔梗達。だが、光弾は肉盾に阻まれ、成果が出ない。
トーチカに接触されると狼男は貫手を、兎女は長剣を銃眼から差し入れ、内部を掻き回す。
桔梗達は、初見は回避できなかったが、一度月人が何をするか見れば、攻撃は予測できる。一時的に銃眼から離れ、貫手や長剣を躱し、アサルトライフルを連射する。
桔梗達はトーチカの中央に必然的に集まり、背中合わせになった。トーチカの中を鋭い爪と長剣が乱舞する。
時折、ヘルメット、野戦服、複合装甲を掠める。
「私は、ここで死ぬような人間ではないのです。元帥となりて、日本軍を導く存在となるのです。我が栄光を阻ませんよ。」
蛇喰が叫ぶ。
「錬太郎様、必ずお会いします。」
「隊長、信じる。」
「宗家、お待ちしております。」
「嬢ちゃん位は守ってやるよ。」
「舞、ごめん。ごめん。」
蛇喰の叫びに呼応し、皆が叫んだ。




