314.〇三〇七二一OSK攻略戦 冷たい算数、再び
二二〇三年七月二十八日 一七三五 OSK 下層部 動力部区域
鹿賀山も奏と同じ気持ちを抱え込んでいた。
―小和泉の元に戻りたい。同じ死ぬならば、小和泉と共に死にたい。―
そんな思いを胸に抱きながら通路を走っていた。だが、司令官としての矜持がそれを許さなかった。小隊長として、その思いにはせることすら許されなかった。
鹿賀山の両肩には、831小隊の運命が圧し掛かっている。これを簡単に振りほどくことなど優等生である鹿賀山にできるはずも無かった。
―己の本分に意識を集中させ、小和泉のことを思い出さずに済むように仕事に専念する。
小隊を生かす。
KYTへ帰還させる。
そして、情報の宝庫であるコツアイを抱え込んでいる愛を日本軍総司令部へ収容する。―
それらを考えなければならない。
鹿賀山がただの一兵卒であったのならば、即座に踵を返し、小和泉の元へ走り出していたことだろう。
鹿賀山は、ヘルメットのシールドに表示させた戦術図を確認しつつ、小隊の針路を定める。
「次の交差点を右折。」
『右折、了解。』
進路を指示しながら、部下達の復唱を聞く。
まもなく、正面に原子力発電所が見える頃だ。鹿賀山は第八大隊本隊との合流を目指しつつ、遭遇しなかった場合に備え、原子力発電所へと向かっていた。
―ここまで第八大隊に出会わなかった。やはり、撤収したか。―
鹿賀山の楽観的考えは、既に消え失せていた。しっかりと現実を見据えなければならない。
―我々も地上への帰還に変更せねばならない。だが、中休止が必要だ。戦闘と走りづめだからな。休憩を取るならば、守りの堅い原発が良いだろう。―
鹿賀山のシールドに表示されている隊員の心拍数は、高い数値にて維持されている。
それだけ呼吸器系と循環器系に負担を掛けている証拠だ。
筋肉疲労や精神的疲労も蓄積されていることだろう。
「原発で中休止をとる。哨戒は、二名一組で行う。」
『了解。』
―第八大隊が居なくとも、原発であれば、四方は硬い壁に守られている。入口は一ヶ所。少しは安心して休息が取れるはずだ。緊張した神経を休まさねば、地上への長い帰還路を耐えることはできない。ここで立て直しだ。
もしかすると、中休止中に小和泉が合流するかもしれない。いや、考えるな。小和泉が生き残る可能性は低い。それが殿だ。意識をするな。―
鹿賀山は引かれる後ろ髪をバッサリと心の中で切った。その瞬間、心にヒビが入った様な感覚があった。
鹿賀山は原発への入口である観音扉を視認した。後、二百メートル程の距離だろうか。
「全隊停止。周辺警戒厳。各種探査開始。」
『了解。』
部下達がテキパキと各種探査を開始する。探査の邪魔にならぬ様に全員が静止し、沈黙を保つ。
己の鼓動が耳に響く。心臓は早く鼓動し、肺は新鮮な空気を欲す。
探査の間に兵士達は、ゆっくりと静かに深呼吸を繰り返し、心拍数を平常時へと抑えていく。
「音響探査、異常無し。」
「温度探査、異常無し。」
「光学探査、異常無し。」
舞、オウジャ、クジの順に報告を行った。
「情報を統合。周囲に敵影及び友軍を認めず。無人と判定。ただし、発電所内は隔壁が厚く探査不能。状況不明です。」
奏が探査情報を取りまとめ、鹿賀山へ報告を上げた。
「全隊前進。8313分隊は、発電所の観音扉を開け、状況を確認。」
「了解。内部の確認をします。」
人的損害により8314分隊は抹消され、再編成された8313分隊の分隊長となった蛇喰が答えた。
831小隊は、大型トラックがすれ違える程に観音扉に取り付くと、8313分隊を中心に円陣を組んだ。周囲を警戒し、敵の接近を許さぬ覚悟だ。
8313分隊は、観音扉をゆっくりと開き、隙間にアサルトライフルを中へと差し込む。
先端のガンカメラが、除染室兼荷卸し室を捉え、網膜モニターに表示させた。
中に照明は無い。暗視装置がノイズ交じりの画像を送る。上下左右にアサルトライフルを素早く降るが、異常は見当たらない。敵の死体や交戦の痕跡すら見当たらなかった。
「室内に問題はないようですね。戦闘の跡も確認できません。ですが、注意を要する気がしますね。」
と蛇喰は報告を上げる。
―何かが、おかしいですね。しかし、うまく言語化ができません。
これは、悪い予感と呼ぶべきものでしょうか。
ただの勘を報告すべきではありませんが、さて、どの様に行動を起こしましょう。―
腹の底に消化できぬ異物があるかの様な違和感に包まれていた。
しかし、鹿賀山は蛇喰の不安を感じ取ってはいなかった。大隊無線から伝わる言葉の強弱による違和感を読み取る余裕を持ち合わせていなかった。今は、831小隊の運用に必死であった。
「了解した。8313は突入、8312は援護、8311は周辺警戒だ。」
『了解。』
「では始める。突入五秒前。三、二、一、今。」
鹿賀山の号令と同時に二個分隊は観音扉を開け、除染室へと飛び込む。
除染室の造りは、イワクラム発電所と同じだ。
通路脇に置かれていた資材へ二個分隊は真っ直ぐに駆け寄る。止まることは無い。足を止めれば、標的になるだけなのだ。
四方から身を晒す危険よりも、少しでも障害物によって身を隠せる場所を本能的に選んでいた。
「状況、良し。」
「良し。」
「良し。」
と各隊員から異常無しの報告が入る。鹿賀山は蛇喰の最終報告を待った。
その報告をもって、8311分隊も合流するつもりであった。
「何かが気になりますね。囲まれている様な気がします。室外より援護を頼みますよ。」
蛇喰の士官としての最終報告は、他の兵士達と違った。
合流するな。その場に留まれ。
己の不安感を何かしらの形にて報告すべきだと判断したのだ。
杞憂であれば、何も問題はない。気のせいだったで済む。
だが、敵が忍んでいれば、損害が出る可能性がある。この場合、報告をしなかった蛇喰が無能扱いされるのだ。
その様な事態は、蛇喰の自尊心が許さない。
「8311は探査を強化。8312と8313は防御陣形。」
鹿賀山は蛇喰の言葉に素直に従う。迷いはない。
間違いや勘違いなどとは思わない。古参兵であり、幾度と死地を一緒に乗り越えてきた蛇喰の言は、探査装置よりも信頼できる。それだけの人間関係を築いてきている。
『了解。』
831小隊に緊張が走り、静まる。皆の気が研ぎ澄まされる。周囲の変化を一瞬でも早く感じようとしていた。
一秒、二秒と時計は進む。止まることは無い。だが、変化は起こらない。831小隊の緊張度だけが高まっていく。大隊無線に誰かの唾を飲み込む音が響いた。
「探査はどうか。」
鹿賀山は、光学、温度、音響探査を実施している奏と舞に声をかける。
「は、発熱体を確認。除染室内に点在。数、百匹以上。二個中隊相当。」
奏が悲鳴に近い報告を上げる。
「どうして見落した。」
「発熱量が通常の月人より低く、周辺機械などの発熱体に紛れていました。」
―くそ。こちらは損害により半個小隊の九人。二個中隊の敵に勝てる要素が無い。
コツアイという情報源である愛兵長だけでもKYTへ持ち帰るべきか。
この場合、除染室へ突入した蛇喰達を見捨てることになる。
それとも死を覚悟で全力攻撃をかけるべきか。
どちらが日本軍軍人として正しいのだ。―
奏の報告に納得しつつ、今後の方針までを一瞬で考える。
そして、鹿賀山は決断をした。結局は冷たい算数なのだ。それは日本軍人に課された鉄の掟。そこから逸脱できる者は、小和泉と似たような人物なのだろう。
「蛇喰少尉、お願いしたいことがある。」
鹿賀山の声は、低く暗いものであった。
「なんでしょうか。鹿賀山少佐。」
蛇喰の声は、普段と変わりない纏わりつくような声色だった。恐らく、これから出される命令を理解しているのだろう。それだけ、日本軍の冷たい算数は徹底されている。
「8312、8313分隊の六名で殿を頼む。8311分隊はこの区域を離脱し、重要情報であるコツアイをKYTへ届ける。この情報は、今後の日本軍の有り方に多大なる影響が及ぼすだろう。」
命令を無理やり吐き出したあと、大隊無線に歯軋りの音が響いた。それは、鹿賀山の苦渋の選択を表していた。そのコツアイを宿した愛は鹿賀山の足元に転がり、現在も気を失っている。
「ははは。私に頼るしかないでしょう。良いでしょう。私は頼りになる日本軍人ですから、任せて頂きましょう。この命尽きるまで、敵を一匹もこの部屋から出しません。見事、殿を務めてみせましょう。」
蛇喰は、死ねと言われたにもかかわらず快活に答える。普段の身体に絡みつく様な粘着さは無かった。
―日本軍より第八大隊のみでOSK深部の発電所停止命令を受けた時点で死刑宣告を受けたものと考えていました。最初から生還できるなど甘い考えはありません。
ただ、巻き込む部下だけは生かしてやりたかったですね。―
蛇喰の命令に対する感想は、それだけであった。命令受託後、すぐに己の中で死の覚悟を済ませていたのだ。
その死生観が、部下にも伝播したのだろうか。8312分隊の桔梗、鈴蘭、カゴ。8313分隊のオウジャ、クジから意見具申は何も上がらなかった。
残された8311分隊の鹿賀山、奏、舞、愛達に発せる言葉は無かった。
ただ一言、鹿賀山だけが大隊無線で告げた。
「済まない。」
それが殿への手向けの言葉となった。




