313.〇三〇七二一OSK攻略戦 灼熱の腑
二二〇三年七月二十八日 一六五九 OSK 下層部 動力部区域
動かぬ肉塊と化した鉄狼を見捨て、小和泉は光の土俵の外に居る井守へと近づいていった。
その動きに緊張感は無いが、背中に貼り付く機甲蟲が何をするか分からない為、油断はない。
井守の正面に立つが、動く気配は全くない。
―筋肉に変化なしか。どれ、機甲蟲の様子でも見ておこうかな。―
小和泉は、背後へと回り機甲蟲の観察を始める。
機甲蟲は小和泉が見知った形の物だった。
やはり、蠍型の機甲蟲だった。八本の脚が井守の身体に喰い込み、しっかりと機体を保持している。二本の鋏は両肩を掴み、機体の支えに使用している様だ。激しい動きをしても背中から落ちることは無さそうであった。
口の部分にあるはずの銃口は、管に交換され、井守の首へと潜り込んでいた。
恐らく、管の中に幾つもの電気線が通り、井守の神経中枢に接続されているのだろう。人間の神経は、電気信号によって操作されている。同じことを機甲蟲が代行することは可能なのだろう。
機甲蟲の尾は力なく垂れ下がり、左右に力なく揺れている。どうやら、尾銃は機能していない様だ。人間を操ることに機能を集中させる為に、自身が操作することを放棄したのだろうか。
背中の透明のドームに覆われたセンサー系は活発に稼働している様だ。ドーム内よりカチカチと小さな切り替え音が聞こえてきた。
―銃口の代わりに人間を操る為の機械が詰まっているのかな。神経接続されているとしたら、力ずくで抜くわけにはいかないよね。抜いたら神経障害が出るよね。じゃあ、これはそのままにしておこうか。
機甲蟲単体の処理能力で人間を動かすことはできなさそうだよね。そんな高度な演算装置が小さな筐体に収まっていると考えにくいものね。
外部処理に委託しているのかな。そうなると、動かしているのは、人工知能のコツアイだろうね。
念の為、このセンサー部分は壊しておこう。ここに機甲蟲とコツアイを繋ぐ通信装置があるのかな。
通信できなければ、機甲蟲もただの鉄屑でしょう。―
小和泉は透明のセンサードームを握ると少しずつ握力を強めていく。ドームにひびが入り、砕け散る。
小和泉は握力を緩めることなく、そのまま剥き出しとなったセンサー系の機械を握り、同じ様に握り潰していく。ガツン、ボキン、ガリガリと言った音が聞こえてくる。確実にドーム内の機械は破壊されただろう。念の為、小和泉は握った部品の塊を捻じり、引き千切り、床にばら撒いた。
機甲蟲による防衛行動や反撃があるかと警戒していたが、それは杞憂であり、一切反撃は無かった。機甲蟲は小和泉にされるがままであった。
―ふむ、センサードームをここまで壊しておけば、少しは安心できるかな。―
小和泉は複合装甲の外部マイクを収束させ、耳を澄ます。センサー部から聞こえていたカチカチ音は消えていた。どうやら機能の破壊に成功したようだ。それが通信装置であれば良いのだが。
小和泉は井守から離れると放置していた装備の回収を始めた。
ここから撤退するのに、手ぶらほど怖いものは無い。少しでも戦力の回復が必要だった。
銃剣付アサルトライフル、コンバットナイフ、十手を点検し、再装備する。ついでに転がっている懐中電灯も拾い、九久多知の腰部の汎用ポケットに放り込んだ。ここには、し尿パックの予備や戦闘糧食などが入っていた。水は複合装甲にタンクが設けられ、ヘルメット内のストローへと繋がっている。
小和泉は井守の正面に戻った。離れる前と特に変わった様子はない。
―機甲蟲を壊して生体反応が不安定になるかもと思ったけど、心拍共に正常の様だね。
顔色も呼吸も変化無し。機甲蟲のセンサーを壊したのは正解だったのかな。―
小和泉は少し前屈みになると左肩に井守をひょいと抱え上げた。複合装甲の増幅装置であれば、大人一人を運ぶ位は造作もない。さらに九久多知には背中に補助腕がある。
補助腕に井守を固定させておけば、左手も自由に使え、小和泉の行動が制限されることはない。
俯きに担がれた井守は両手両足をぶらぶらと下げ、力が入っている素振りは見えなかった。同じく背中の機甲蟲の尻尾も一緒に揺れている
井守が固定されたことを確認すると小和泉は軽くを走り出し、運動性能と視界を確認した。―運動能力の低下は無し。左側方視界も肩部カメラで良好っと。じゃあ、桔梗達を追いますか。―
小和泉は暗闇に支配される通路を、831小隊が向かった方角へと足早に進み始めた。
五分後、小和泉の左脇腹に強烈な痛みが生じた。
脇腹に長剣を刺されたような感覚。激痛は一気に熱さへと変換された。
―痛い。熱い。何だ。―
さらにもう一撃同じ個所に同じ痛みが再び走る。
灼熱の鉄棒に腹の中を掻き回されている様だ。
「くはっ。なにが、おき、た。」
小和泉は、下半身に力が入らず、走る勢いに任せるまま、前方へと倒れ込む。受け身すらとれず無様に倒れ込む。
複合装甲のヘルメットには<警告:左脇腹損傷 破損度大>と表示されていた。
「敵、か。どこ、だ。隠れ、ない、と。」
全身から脂汗が噴き出る。だが、敵の攻撃であるならば、見通しの良い場所にいつまでも転がっている訳にはいかない。ただの良い的だ。
小和泉は力が入らぬ下半身を当てにせず、両腕だけで床を匍匐前進していき、近くの遮蔽物を目指す。
脂汗が目に流れ込み、視界が霞む。
一向に腹部の痛みが引く気配はない。下半身の感覚は既にない。
意識が覚醒していない井守が変な姿勢で一緒に引きずられていく。だが、その様な些末なことを気にしている余裕は小和泉には無い。
「熱い。腹が、熱い。痛い。意識が、刈られる。
駄目、だ。目が、霞む。身体に、指に、力が、はいら、ない。」
小和泉は、その言葉を吐くと意識を失った。
頑強な精神を持つ小和泉ですら耐えることはできなかった。それだけの深手であった。
暗闇の中、通路に横たわる小和泉と井守。周囲には月人も機甲蟲も何も見えない。
何が起きたか分からぬまま、小和泉は無防備な姿を晒していた。
二二〇三年七月二十八日 一七三二 OSK 下層部 動力部区域
「どうして出会わないのよ。」
奏はポツリと呟く。その声は悲壮感に溢れていた。
暗闇の中、第八大隊本隊が存在すると思われる原子力発電所へ向け、831小隊は走り続けていた。
殿を務める小和泉と別れ、数十分が経過している。
第八大隊が合流しようとしているのであれば、既に831小隊と出会っていてもおかしくなかった。
大隊無線が通じてもおかしくない距離まで接近している筈だった。
だが、先程から第八大隊へ何度も何度も呼びかけている舞の声に反応は無かった。
時折停止しての音響探査や温度探査も行った。残念ながら、第八大隊どころか、友軍の姿すら捉えることはなかった。一方でそれは敵も近くに存在しないことも表していた。
「父さん、父さん。どうして迎えに来てくれないの。錬太郎が死んじゃう。嫌よ。そんなのは嫌。お願い、迎えに来て。お願い、錬太郎を助けて。」
奏はヘルメットの中で小さく弱々しい声で、次々と溢れだし、募る思いを吐き出していく。
無論、無線送信は切っているので誰かに聞かれることは無い。
大隊無線、小隊無線、分隊無線は、受信専用に切り替えていた。
日本軍士官が、兵士の前で弱音を吐くことなど許されていないからだ。
奏の父は、姓は違うが第八大隊大隊長である菱村中佐だ。
姓が違うのは妾の子どもだからだ。認知はされており、第八大隊の人間は、奏と菱村が親子であることを知っている。
ゆえに、親子の情で菱村中佐が援軍に来るのではないかと831小隊に僅かな希望を抱かせていた。一方で日本軍の冷たい算数を実行できる指揮官であることも同時に理解していた。
二律背反。
肉親の情を優先し、部下の命を危険に晒してでも、少数の命の救援に向かうか。
肉親すら切り捨て、多数の命を守るため、作戦通り地上へ帰還をするか。
それが父である菱村の心を悩ませていることだろう。
己の父が肉親の情を優先する様な愚かな指揮官であるとは考えたくないし、思いたくもない。
だが、小和泉を救って欲しい気持ちに嘘偽りはない。
奏もまた冷たい算数を理解している。
だが、納得はしていない。今すぐにでも831小隊を反転させて小和泉の元に戻りたい。
けれども、士官学校で叩き込まれた洗脳に等しい教育は、日本軍の冷たい算数を優先させていた。奏の足が止まることはなかった。




