311.〇三〇七二一OSK攻略戦 泥臭い戦い
二二〇三年七月二十八日 一六四〇 OSK 下層部 動力部区域
小和泉は難関の一つを乗り越えた。九久多知の脳波操作という難関を。
―これが九久多知の実力なのかい。訓練の時よりも凄いよね。これは相棒と言っても良い程の安心感があるね。背中を任せられるよ。
さてと、九久多知の自己診断を開始しないとね。大分、無理させたからね。どこも壊れていないと良いけど、どうかな。―
鉄狼の準備を待つ間に、九久多知の自己診断を開始する。
本来ならば、敵の準備を待つことなく攻めるのが定石なのだろう。
しかし、小和泉も筋肉に過負荷をかける無酸素運動により、筋肉に蓄えられた酸素を使い切り、やや呼吸が荒れている。万全な状態に整えるのに良い機会だった。
―しかし、上手くいったのは、別木室長のおかげなのだよね。
九久多知の開発で散々訓練させられたものね。
頭が痛くなるのは欠陥ですと言っても、「仕様です。うんうん。」で済ましちゃうからね。
まあ、訓練の成果が出たということかな。今だけは別木室長に感謝しようか。
ああ、脳波操作は多智の管轄だったね。友人で狂的主治医の多智にも感謝っと。
さてと、九久多知。もうひと踏ん張りをお願いするね。生きて皆に追いつくよ。―
ヘルメットのシールドに自己診断完了と表示され、続いて詳細が表示されていく。
―ええっと、診断結果はどうかな。動力部 異常無し。人工筋肉 増幅値一割減少。間接部 異常無し。視野索敵系統 異常無し。装甲板第一層の剥離多し。気密確保中。空気清浄機能 異常無し。尾銃 異常無し。補助腕 異常無し。外部装備は一つ。イワクラムは八割以上有り。補充の必要は無し。し尿パックの交換不要。九久多知 中枢部 異常無し。継戦能力、充分有り。
そうですか、そうですか。君って頑丈だね。頼もしいよ。
敏捷性重視だから、従来型の複合装甲より装甲が薄い筈なのにね。
装甲が薄い分、可動域が広いから動きやすいんだよね。思い通りに身体を動かせるからね。
いいよ。ますます気に入ったよ。
さてと、相棒。もう一戦。いや、決勝戦といきますか。―
九久多知に異常がないことが分かった。ならば、何も心配する必要は無い。戦闘中に機能不全を起こすことが無いからだ。
お互いの戦闘準備は整った。見計らった様に、小和泉と鉄狼が間合いを測り、じりじりと接近を始める。
戦いの火蓋が静かに切られた。次にこの場に立つのは、小和泉か鉄狼かのどちらか一方か、それとも勝者は居ないのか。
そればかりは分からない。だが、小和泉は相討ちなど狙わない。どんな無様な手段をとろうが、目標を斃し、生き残ることが錺流武術の絶対の目的である。
今はまだ三メートルほど離れているが、あと数十センチで小和泉の間合いとなる。ただ、距離がある為、発揮できる技の数は少なく、威力も低くなる。
鉄狼には最大威力に近い技でなければ通用しない。分厚く硬い獣毛が弱々しい攻撃を弾く。
反撃をさせず、一気に畳みかける事を考えるともっと近づいた方が良い。
鉄狼の間合いは、基本的には狭い。手を伸ばした範囲が攻撃範囲であることが多い。
そして、密着すると何もできないことが多い。格闘術や武術を修めていないからだ。
単純な暴力しか行使できない。だが、単純ゆえに攻撃は最適化され、早く強い。
―この鉄狼は、どの距離が得意なのだろうかね。―
小和泉は、鉄狼の筋肉の動きを読みながら、間合いを詰めていた。
真っ暗闇の中、電灯から放たれる一筋の光が戦場を照らし出している。
その照らされている場所が今回の土俵である。
無論、その場所に拘る必要は無い。小和泉には黒体塗装を施された九久多知がある。黒体塗装の特長である光の吸収率九十九%以上の性質を発揮させ、闇に潜むのも戦術の一つとして有効である。
己から戦術の幅を狭まる様なことはしない。だが、目の錯覚を起こさせることは可能だった。
光を吸収する為、九久多知の凹凸に影が出来ず、平面な影にしか見えない。遠近感を惑わすには十分だった。ゆえに光を浴び続けることも戦術として間違っていない。
小和泉は光の土俵の中で、鉄狼への攻撃の機会を窺う。
だが、鉄狼は慎重だった。今までの鉄狼と違い、闇雲に突進をしてこなかった。
お互いが近づくのを止め、光の土俵の縁にて、睨みあいを続けている。
ちなみに鉄狼の背後にいる全裸の井守は呆けていた。力なく両手をだらりと下げ、佇んでいる。戦闘の意志は全く感じられなかった。背中の機甲蟲自身も攻撃体勢をとらない。井守を積極的に操作する気は無い様だ。恐らく、攻撃には参加してこないだろう。
―この鉄狼は、経験値が高いのかな。自分の力を過信せず、確実に狩れる瞬間を待っているね。これは楽しみだね。―
小和泉は乾いた上唇を舐める。
戦闘に対する期待値が上がっていく。さぞ、楽しませてくれることだろう。
このところ、831小隊として苦戦を強いられていたが、射撃戦ばかりで格闘戦に飢えていたのだ。
―やっぱり殺し合いは、格闘戦が楽しいよね。戦場では、滅多にできない格闘戦を楽しませてもらおうかい。でも、こんなこと言えば姉弟子に怒られるよね。標的にも周囲にも気付かれずに仕留めて帰れってね。正論なのだけど、やっぱり正面からの殴り合いって楽しいよね。―
鉄狼に動きが無いため、小和泉は姉弟子である二社谷のことを思い出していた。
―そう言えば、結婚式の時、笑顔だったけど何か物悲しい気配を漂わせていたっけ。何でだろう。子離れするのが寂しかったのかな。―
小和泉の両親は九歳の時に亡くなっている。小和泉をここまで育てたのは二社谷だ。小和泉より三歳だけ年上なだけで同年代と言える。だが、九歳と十二歳では肉体も精神構造の成熟度は大きく違う。
二社谷は、道場の経営収入もあり、二人で生活は成り立つと考え、保護施設に入ることを拒んだ。
そして、受け継いだ道場を師範代達に指導を任せ、すでに免許皆伝を受けていた二社谷は、錺流武術を小和泉へと叩き込んでいった。
二社谷は一人で小和泉を日常生活から武術に至る全ての面倒を見、手解きし、一人前と育て上げた。まさに母であり、姉であった。
今、小和泉がここに立ち、生き残っているのは二社谷のお陰でもあった。
ゆえに小和泉は二社谷の言葉に歯向かうことができない唯一の人間であった。
―井守は相変わらず呆け中。意識あるのかな。機甲蟲が操作しているのだろうね。となると、先程の動きが偽りでなければ、戦力外で間違いなし。念の為、尾銃に警戒をさせておこうかな。
それから、周辺警戒を九久多知に任せているけれども、温度探査、音響探査にも反応無しだね。
さてと、どうやって勝ち筋を組み立てようかね。にしても、これだけ隙を見せても鉄狼は反応無しなのね。こちらの考え方を見透かされているのかな。
井守の記憶でも吸い出して学習しているのかな。だとすると、僕の手の内もばれている可能性がある訳か。まあ、井守が知っている僕はほんの一部だし、気にしなくても良いか。―
と考えている間中にも小和泉と鉄狼は距離を緩やかに詰める。
光の土俵の中央に近づきお互い手を伸ばせば、身体に触れんばかりの距離まで詰めていた。
既に決死の間合い。お互いが致命傷を与えられる間合いだ。しかし、両者とも攻撃に転ずることなく、更にお互いの間合いの中へ踏み込んでいく。
互いの距離が、約五十センチまで接近したところで両者は止まった。
初手は鉄狼だった。右のパンチ。小和泉は左手で搦める様に力をいなし、あさっての方向へ弾く。小和泉の反撃は右掌底。鉄狼の左脇腹の肋骨の最下層部を狙う。そこにあるのは浮遊肋骨。背中から延びた浮遊肋骨は、胸の中心に走る胸骨と固定されていない。つまり、片持ちの状態である。
硬い獣毛が有ろうとも上から叩きつければ折ることは容易い。力はそれ程いらない。角度と正しい位置を叩けば良い。非力な者でも簡単に折ることができる急所だ。
更に折れた骨が心臓や肺に刺されば、致命傷に至ることもある。
だが、鉄狼は左腕で掌底を迎える。鉄狼の二の腕に阻まれ、脇腹を打つことはできなかった。
そこからは、泥臭い戦いが始まった。
お互いが足の裏で床をしっかりと掴み、下半身を固定する。
上半身は反対に脱力し、殴り合いを行う。
お互いの手数が多く、一撃に力が入っていない様に見えるが狙いは急所ばかりだった。
小和泉の放つ一撃を鉄狼は自慢の筋肉で受け、鉄狼の放つ一撃を小和泉は巧妙な捌きで無力化する。
お互い一歩も移動する事無く、その場での壮絶な殴り合いが続く。
一瞬たりとも休まない。止らない。ひたすらに殴り、受け、殴り、捌く。
小和泉の拳を鉄狼の肉体が受けるドスンドスンと響く低音。
鉄狼の拳を捌くズリッと複合装甲の表面を滑る高音。
その二つの音が十字路を中心に四方へと広がっていた。
九久多知の両腕に細かい直線の傷が増えていく。塗布されている黒体塗装が捌く度に削れ落ち、粉塵が周囲へ黒い粉として舞う。
鉄狼は、獣毛の隙間から汗を流し始め、身体の動きと連動して周囲に汗を撒き散らす。
無論、小和泉も九久多知の中で汗をかき、野戦服をびっしょりと濡らしている。
一瞬でも気が抜けない。鉄狼は小和泉の防御網の綻びを見つけそこを狙う。
それは小和泉が意図して作った綻び。予測される攻撃を捌き、それにより生まれた鉄狼の隙を狙い打つ。だが、生来の野生の勘と肉体が堅固な筋肉と獣毛に覆われた両腕が受け止める。
小和泉の脳内に興奮物質が過剰分泌されていく。
脳だけでなく、下腹部にも血が集まり突起状に隆起する。
「いいよ。いいよ。さあ、もっと見せておくれ。君は最高だ。僕を満足させる戦いを知っているのだね。さあもっと殴りあおう。」
今の小和泉には、泥臭い殴り合いが全てだった。桔梗、鈴蘭、奏達のことはすっかり脳内から消えている。
目の前の鉄狼だけを考え、感じ、理解しようとしていた。
この瞬間、鉄狼は小和泉を独り占めしていたのだった。




