309.〇三〇七二一OSK攻略戦 戦友との再会
二二〇三年七月二十八日 一六二四 OSK 下層部 動力部区域
目の前にいる人間に対して、驚きと運の良さ、この場合は悪さと言うべきだろうか。
小和泉は、一瞬のことではあるが、そちらに気を取られてしまった。
全身脱毛による外見的特徴が失われていた為、その個人を特定するのに時間がかかってしまった。
―おいおい。本当かい。運が良ければ、死なないと思っていたけど、本当に生きていたよ。
でも、これって運が悪いのだよね。まさか、月人に取り込まれるなんてね。
君は苦労人なのだね。お疲れ様。しかし、全快して良かったね。僕達の目論見通りになって良かったね。井守。―
そこに立っている人間は、8313分隊分隊長の井守准尉であった。
井守准尉は、機甲蟲の光線に身体を貫かれ、内臓を焼かれ、重体になった。
その井守をOSKの育成筒に放り込んだのは一ヶ月ほど前だ。その時の判断では、連れ帰っても死亡することが目に見えていた。
一か八かの賭けだった。後日の再侵攻時に回収できればと甘すぎる目算にほんのわずかばかり、期待をしていた。
正直なところ小和泉は、死亡すると思っていた。生き残る条件が低すぎた。
育成筒で治療完了するまで月人に発見されない。
治療完了するまで整備されていない育成筒が故障しない。
放置されている地下都市が停電しない。
などの様々な条件を乗り越えて、治療が完了する。
その様な条件を乗り越える確率は、ほんの僅かしかないと皆が考えていた。つまり、育成筒に放り込んだ時点で戦死であると思っていたのだ。ただ、言葉には思いが込められる。ゆえに誰もその言葉を口に出さなかっただけだ。
だが、井守は死なずに小和泉の目の前に立っている。生きている。予定も予測もしていない戦友との再会だった。
腹部の傷は綺麗に癒え、傷跡一つ残っていなかった。
井守は、生と死の賭けには勝ったのだ。
それが幸せであるのか、それが良いことなのか、小和泉には全く分からなかった。
―ふむ。井守の命を救う為に敵地の育成筒に放置したのは成功だったみたいだね。
瀕死の重体から五体満足の復活おめでとう。
やっぱり、月人に見つかっちゃったか。でも殺されなくて良かったね。
さてと、僕はどうするべきだろう。井守を敵として殺すか、貴重な実験体として持ち帰るか。ああ、ダメだね。まずは逃げるべきだよね。逃げるならば身軽な方がいいよね。
とりあえず、全滅させますか。井守は戦力に数えなくてもいいかな。複合装甲を着てない真っ裸だしね。
さてと、戦力比は一対四になったけれど、怪我はしたくないよね。
何せ、ここは最下層。上層部に戻るには、五体満足でないと厳しいよね。はてさて、どの様にしたら良いものかな。―
井守を見た小和泉の感想は、さっぱりしたものだった。
日本軍の冷たい算数で831小隊から切り離された小和泉。同じく831小隊から切り離された井守。
つまり、日本軍的には死人同士の対面であった。
その様な状況で再会を心から喜ぶような感情を小和泉が持ち合わせている筈が無かった。
己が生き残るためであれば、井守をもう一度切り離す事など小和泉には造作もない。
鉄狼達は、まだガウガウ、オウオウと人には理解できぬ会話を交わしている。
今後の作戦を話し合っているのだろうか。
月人には、小隊を追う、小和泉を探す、撤退するなど幾つもの選択肢がある。
しかし、小和泉には撤退しか選択肢はない。無駄な戦闘は避け、この場を離脱することが生き残る確率が高かった。
小和泉は物音を鳴らさぬ様に静かに後退を始める。
網膜モニターに表示させた後方カメラの映像を注視する。床に落ちている欠片を蹴るだけでも危険だ。音が鳴り、鉄狼達の注意をひきつける事は間違いない。
床に落ちているゴミを避け、ジワリジワリと小和泉は後退する。方向転換はしない。背中向きのまま下がる。
後退の効率は悪いが、敵に背中を晒す愚か者では無い。敵の些細な動きも見逃すわけにはいかない。
見逃す事により捜索や攻撃の対処に遅れが出る可能性があるからだ。
小和泉が気付かれぬ様に後退する中、鉄狼達は鹿賀山達が撤退した通路を指差す。
どうやら、小和泉の捜索ではなく、鹿賀山達の追撃を選択したようだ。
―ふむふむ。ここに潜む正体不明の敵よりも確実に追跡できる一個小隊を狙うことにしたのかい。意外と堅実だね。見つけられるか分からない僕よりも小隊の方が組みし易しということかな。
これって、狩るものの本能なのかなぁ。ならば、僕は背後から一人ずつコッソリと屠りましょうか。―
鉄狼達は、小和泉の捜索を止め、鹿賀山達が撤退した通路へと足を踏み入れようとした。
小和泉は足を止め、追撃態勢へと移行した。
その時、ここに居る誰もが想像しない事態が発生した。
突然、井守が床に散乱する障害物に躓き、無様に床へと大の字に倒れる。裸足の小指に物が当たれば、さぞ痛いだろう。井守は苦痛の悲鳴を上げ、丸まり、足の小指を押さえている。
右手に持っていた電灯が手から離れて転がり、止まる。電灯は真っ直ぐ小和泉へと向いた。
目の前の鉄狼達が殺気立つ。光は通路一杯に広がり、不自然な程光を反射しない、平面な黒い黒い闇を浮かび上がらせたのだ。
一斉に鉄狼達がこちらに駆け出す。狙いは小和泉しかいない。その平面な黒い闇が敵だと本能が叫ぶのだろう。
―ええい、井守の奴め。こんな時にまで迷惑を。―
小和泉は十手を抜き、最初に辿り着いた狼男の切り裂く爪を受け止める。力が強く、柄を握る右手だけでは耐えられず、十手の先を左手にて強く握り、強力な斬撃を両手で受け止める。
その右横を潜り抜け、二匹目の狼男が下から貫手を小和泉へ放つ。狙いは小和泉の右脇。そこは複合装甲で覆われていない。両手は塞がり、両足も体を支えるのに必死だ。
小和泉自身は、回避も受けることもできない。
―危ない、危ない。頼む。―
九久多知の尾銃が丸盾を形成し、貫手を受け止めた。狙いが明確であれば、防御は容易い。ここで攻撃は一旦止まった。小和泉と狼男二匹との力比べが始まり、動きが止まった。
小和泉の額から冷汗が流れた。
―今のは危ない。上手くいって良かった。―
通路の幅は狭く、二匹が横並びに戦うのが精一杯だった。ゆえに月人の追撃の気配はなかった。
狼男達の小和泉を押し潰そうとする力は、益々増加していく。狼男の筋肉が大きく膨れ上がる。
十手にかかる圧力と尾銃の丸盾にかかる圧力により、小和泉の身体はズリズリと足裏が滑り、ジワリとジワリと後退させられる。
―靴裏のスパイクを打ち出してこの場に耐えようか。―
ヘルメットのシールドに複合装甲の関節部に負荷増大の警告が表示される。
―複合装甲の関節と人工筋肉の負担が激しいね。スパイクは無し。受け流そう。―
小和泉の身体は二匹の狼男に押され更に背後へと滑る。
その時、電灯の光源が一瞬遮られた。月人が動いたのだ。
―やっかいだね。飛ばれちゃったよ。―
小和泉の眼はその瞬間を捉えていた。目前の狼男二匹だけでなく、背後の鉄狼達へも注意を払っていた。
三匹目の狼男が脚力を活かし、小和泉の目の前の狼男達の頭上を飛び越えた。
ここの天井は高い。狼男が高さ二メートル程の肉壁を飛び越える事など造作もない。
着地点は小和泉の背後だった。だが、小和泉にそれに対応する術はない。迎撃はできない。
―くそっ。できるかな。頼むよ、九久多知。―
狼男は小和泉の背後に着地するとすかさず反転し、その勢いを乗せた剛腕を振るった。小和泉の頭部を吹き飛ばす勢いだ。
小和泉の身体に強い衝撃が走る。だが、どこにも痛みは無い。体勢も崩していない。
背中の補助腕が、三匹目の狼男の剛腕を受け止めていた。
―ああ、頭痛がするよ。脳波操作は面倒だね。―
脳波にて複合装甲はある程度、操作できる。明確な意思と動作を思わねばならない。この想定が難しい。
尾銃と補助腕を同時に操作することは、二つの事柄を同時に思考することを意味する。
そこへ己自身の肉体の操作が必要となる。つまり、この時点で小和泉はこの状況に対して思考を三つに分割し、並行して考えなくてはならなかった。
慣れぬ並列分割思考に小和泉の脳は悲鳴を上げる。脳は、声を上げることはできない。代わりに頭痛となって表れた。
―くうぅ。痛たた。脳に痛みを感じる器官は無い筈なのに、どうしてこんなに痛いんだよ。
僕はそんなに器用じゃないよ。自分の身体の動きの合間に脳波操作するのが精一杯なのに、もう。とりあえず、九久多知、よくやったよ。上出来、上出来。―
だが、脳波操作を止める訳にはいかない。一対三で押し込まれている状況でどの攻撃も直撃させるわけにいかない。
小和泉の装備である九久多知の本領を発揮させねば、生き延びることはできない。
沸騰する様な熱さと脳の痛みを堪え、小和泉はさらに九久多知へ脳波を強く送り込んだ。




