307.〇三〇七二一OSK攻略戦 それぞれの気持ち
二二〇三年七月二十八日 一六〇九 OSK 下層部 動力部区域
小和泉を殿に残した831小隊は真っ暗な通路の中、音を立てぬ様に極力早く移動をしていた。
向かう先は第八大隊本隊が目的とした原子力発電所だった。
大隊長である菱村に831小隊を援護する気があれば、途中で合流できる可能性があった。
作戦を完遂し、計画通り撤退をしていれば、831小隊は無人区域を彷徨っていることになる。
下手をすれば、月人が待ち構えるところに飛び込んで仕舞うかもしれない。
先行きが見通せない状況のまま、静かに走っていた。
奏は警戒と状況報告を的確に行いながらも、別のことに思考を裂かれていた。
―錬太郎なら大丈夫。錬太郎なら勝てる。錬太郎なら追いつく。錬太郎なら笑顔で現れる。―
奏は、何度も何度も同じことを繰り返し繰り返し考えてしまう。
―結婚したばかりだけど、新婚生活らしきことは一切何もしていないよ。
仕事帰りに一緒に夕食の食材を買ったり、夕食を他愛のない会話で弾ませたり、今後の家事の分担をどうするとか、皆で楽しく話し合うことを楽しみにしていたのに。―
だが、結婚式の後、すぐに戦場に送られた。甘い生活などは存在しなかった。
―ごめんね、桔梗。ごめんね、鈴蘭。―
同時に小和泉の妻となった桔梗と鈴蘭への詫びも幾度と繰り返す。
別れ際に小和泉と声を交わせたのは、奏だけだった。桔梗達は声を交わすことが許されなかった。
抜け駆けの様な、副長という立場を利用したことに対し、自己嫌悪に陥っていたのであった。
桔梗は一心不乱に駆ける。
余計なことは考えたくとも促成種には許されない。その様に設計されている。人工生命体ゆえの悲しさだ。
促成種は、作戦遂行を優先させることを刷り込まれている。他の事、つまり小和泉の安否は作戦遂行の優先度が低いため、思考から自然と隔離されてしまうのだ。
生まれる前に遺伝子を操作され、誕生と同時に脳内を弄り倒され、成長とともに肉体を強化され、最終出荷までに日本軍への絶対的忠誠を刷り込まれ様とも、桔梗の愛する人を心配する気持ちは消せなかった。
思考を切り替える刹那に小和泉の笑顔を思い出す。
その笑顔は、純真無垢な笑顔だったり、夜に見せる悪魔的笑顔であったりするのは仕方がないだろう。
どちらも小和泉の本当の姿であり、偽りでは無い。桔梗が心から愛する人だ。
小和泉の顔が脳裏浮かぶ度に前頭部に軽い頭痛を感じた。
額に埋め込まれている情報端子から接続する脳内の情報端末が、その思考を作戦遂行への思考へと強制的に上書きさせていた。
痛みを感じる度に小和泉の記憶は隔離され、作戦遂行の為の思考へと置き換えられる。
―この痛みは、錬太郎様への想いの証。絶対にこの痛みに負けない。錬太郎様に生きてお会いします。―
想いと思考が相反する痛みに耐えながら、桔梗は暗闇の中を静かに走る。
援軍と合流し、早急に小和泉の元へ戻る為に。
鈴蘭の心は平穏だった。感情が無いのではない。完全に抑制されているのだ。
―隊長、危険。命令は遵守。小隊長の判断は正しい。だから急ぐ。―
鈴蘭の心は、小和泉への愛情に溢れている。
だが、それを邪魔する存在があった。
衛生兵にのみ体内に埋め込まれた薬剤が体調に合わせ、自動的に投入されるのだ。
衛生兵は、日常的に激しく損壊した肉体を仕事として注視し治療する。
その怪我人は同じ隊の戦友であり、友人や恋人であることは当たり前にあった。
初期の衛生兵は、精神的衝撃により心を壊し、使い物にならなくなることが見受けられた。
少ない戦力を有効活用する方法を検討した日本軍総司令部は、衛生兵を促成種に限ることを決定した。
遺伝子操作によりある程度の精神的耐性を得ることに成功したが、総司令部が求める基準には達しなかった。そこで、要求基準を満たすために、体内へ薬剤を仕込み、状況に応じて静脈へ投入する方法が生み出された。
これにより、いかなる状況においても精神を強制的に安定させることに成功した。
その弊害として高揚した気持ちは薬物により抑圧され、感情の起伏が乏しくなった。乏しくなったとはいえ感情が無い訳では無い。普通の人間と同じく喜怒哀楽は有る。ただ、興奮状態にならないのだ。
これは総司令部が歓迎した。感情が激しい兵士など不要だ。
兵士は黙々と与えられた命令を遂行すれば良い。
総司令部はこの施術を全兵士に施す事を目論んだ。戦場で黙々と月人を狩る兵士。それが総司令部の理想でもあった。
しかし、予算と資源の都合により、それは実現しなかった。
鈴蘭が常に落ち着き、感情を表に出せないのはこの為であった。
これは鈴蘭が感情を失ったということではない。感情が生まれた瞬間に消されているだけなのだ。
それを表すかのように無表情であるにも関わらず、鈴蘭の瞳から光る物が数滴、零れていた。
カゴはあまりにも単純だった。
小和泉が全てだった。
育成筒より発見、目覚め、教育に小和泉が関わった。命の恩人であり、親、いや年齢的には兄の様に親しみを感じ、敬慕している。
カゴの生育を行なったのは、主に小和泉だ。小和泉が己の好みに仕上げるのは、当然のことであった。
小和泉自らカゴには錺流武術の手解きを行った。柔軟な体と気配察知に優れ器用さを重視した遺伝子改造は、表向きの金芳流空手道より本来の錺流武術を会得するのに最適であった。
特に生物を殺すことに何の躊躇いも忌避も感じないことに気が付いた時、小和泉は良いオモチャを手に入れたと小躍りした。
小和泉に軍務がある時は、姉弟子である二社谷に預け、日本軍に所属させるまでの間、錺流武術の技と考え方に染め抜いた。
既に奥義の伝授が始まり、奧伝の域に達している。全ての奥義を習得し、皆伝となるのに時間はかからないだろう。
ゆえに、カゴは武術の師範であり、義兄でもある小和泉の言葉は絶対であった。
奏との短いやり取りであったが、小和泉が後で会おうと似た言葉を放ったのであれば、それはカゴにとって確定された未来であった。
―宗家とお会いするには、私が死なないこと。つまり小隊の死傷確率、いえ、死傷率を下げることです。宗家の代わりとはなりませんが、このカゴ、宗家の為、小隊の為、奮闘致しましょう。―
カゴは右手に十手を握り、左手にアサルトライフルを構える。敵の攻撃を十手で受け、空いた弱点をアサルトライフルで撃ちぬく。武術らしからぬ行為だが、錺流では認めている。むしろ推奨している。
正拳突きがライフルに変わっただけだ。殺せるのならば、手段は問わない。
手にある物を活かして、敵を速やかに屠る。それが錺流武術の本質だ。
時折、出会う哨戒中の兎女の長剣を十手で受け、兎女の臍へアサルトライフルを捻じ込み、引き金を絞る。内臓を沸騰させられた兎女は直ぐに戦意を失い、十手で頭部を叩き潰される。
カゴは考えない。小和泉に仕込まれた通りに身体が勝手に動く。
結果、小隊の壁として貢献をしていた。
鹿賀山の心は乱れに乱れにきっていた。
―愛する男が結婚し、自分の手から離れていった。
私自身もそろそろ婚約者であり幼馴染の多智と身を固める年齢に近づいている。
何かある前に、両親からは子供を、孫を残して欲しいとも言われている。
親には内緒で凍結精子を多智に預けている為、子孫はどの様な方法でも残すことは可能だ。
多智は凍結精子をどの様に扱ってくれるだろうか。
いや、どうでもいいことか。
小和泉であれば、今でも浮気の一つとして私を愛してくれるだろう。
だが、それは多智への裏切りとなる。私は二人の人間を同時に愛することはできない。そんな懐の広さは無い。
家事手伝いのウネメの様に愛玩種であれば、ペット同様に可愛がることはできる。
いや、愛玩種であれ人は人だな。私は最低だ。作戦中にこの様な事ばかり考え、現実から逃げている。
敵との接触と戦闘は、部下任せ。進路ですら、部下の提案を承認するだけだ。
こんな小隊長で申し訳ない。だが、私は小和泉が気になるのだ。
奴が五体満足で私の前に現れて欲しい。いや、今すぐ引き返して、合力すべきではないのか。
戻れば小和泉は怒るだろう。そんなことは分かっている。
理性と心を上手く調整できない。苦しい。早く苦しみから抜け出したい。誰か、誰か、私を助けてくれ。―
鹿賀山は追い込まれていた。
誰にも知られぬまま、正常な判断力を有しない小隊長であった。
831小隊の命運は、奏と蛇喰の判断に託されていた。
それでも正常に小隊が動いていたのは、日本軍が構築してきた小隊運用方法が正しかったのであろう。
暗闇の中、831小隊は進む。文字通りの暗中模索であった。




