305.〇三〇七二一OSK攻略戦 走馬灯
二二〇三年七月二十八日 一五五九 OSK 下層部 動力部区域
小和泉は、残っている兎女四匹により半円形に包囲されていた。正確には、自分からその様な位置に降り立ったというべきだろうか。
着地と同時に四匹の兎女を屠り、小和泉の動きの流れが止まった瞬間をアサルトライフルにて狙われていた。頭上は味方の光弾が無数に通り過ぎ、下方は既に中腰の低い姿勢である為、立体的回避は不可能だった。
―ここで僕の命が終わるのかな。奏の言う通り、無謀過ぎたのかな。まあ、大人しく死ぬつもり無いけどね。―
小和泉はもっとも近い兎女へと走り出す。銃剣を確りと右腋に引き込み、刺突の体勢をとっていた。
一歩一歩が重い。粘性の高いゼリーの中を走る様だ。
アサルトライフルの銃口の光はゆっくりと凝光し、発射間際へと近づいていく。
―あれれ、身体は重くないのに思考速度と一致しないな。意識だけが空回りする様に次々と色々な事を考えるよ。―
兎女のアサルトライフル四丁の銃口は、小和泉を捉えているが照準はバラバラだった。頭部、胸部、腹部二ヶ所だった。さらに引き金を引く瞬間もほんの少しずれている。
小和泉は目の前の兎女に体当たりする。銃剣は獣毛をかき分け、皮膚へ簡単に届く。筋肉の繊維の隙間を通過し、心臓を刺し貫く。この動きも空気が粘りつき、小和泉の動きを制限するが、思考速度だけはいつも通りだった。銃剣から伝わる兎女の鼓動は。ゆっくりと間延びし、完全に停止した。
―まず、一匹。―
刺し貫いた兎女の銃口をほんの少し、小和泉は左へと押しずらす。普段よりも重く泥の中で動かしているかの様だ。銃口はゆっくりと左端の兎女に向き、兎女によって引き金が引かれ光弾が発射された。心臓が止まっても数秒から数分は体中に酸素が残っており、肉体が停止することは無い。酸素を使い切り、酸欠になって初めて肉体や脳の死を迎えるのだ。
光弾が銃口から解き放たれる。それはそれは、ゆったりとした動きだ。人混みの中を逆流するかの様に光弾はゆっくりと狙われた兎女へ迫る。
同時に小和泉へは、三つの光弾がゆっくりと迫ってきていた。
飛んでくる光弾は、頭部、胸部、腹部の三か所だった。
―頭は駄目だ。即、戦闘不能になる。―
その考えに呼応するかの様に九久多知の背部の補助腕が動き始める。
―胸は大丈夫だ。着弾点の装甲は強固だ。十分耐えられる。―
この思考には九久多知は何も反応しなかった。
―腹部は不味い。柔軟性を考え蛇腹構造になっている。今後の動きに支障が出る。―
この予測には、九久多知の尾銃が反応した。腰に回っていた尾銃がとぐろを巻き、小さな円形の盾を出現させた。
―これなら、光弾に耐えられるか。―
光弾はゆっくりと小和泉に近づく。九久多知の防御もゆっくりとしたものだ。
着弾が先か、防御が先か、小和泉には判断がつかない。
―ここは九久多知に任せるよ。九久多知を信じて、僕は次の敵を狩りますか。―
銃剣は深く深く貫き過ぎていた。銃剣を抜くよりも己の武術の行使が早い。小和泉は右端の兎女との間合いを詰め、足に力を入れ敵の間合いへと飛び込んだ。
次の瞬間、三発の光弾は小和泉に着弾した。回避は間に合わなかった。九久多知の防御性能を信じるしかない。
頭部の光弾は、補助腕が弾く。
胸部の光弾は、九久多知の複合装甲が衝撃を吸収し、黒体塗装の塗料が剥がれ飛ぶ。
腹部の光弾は、尾銃の盾に命中し盾のとぐろが衝撃で弛む。
三発の光弾は、小和泉に損傷を与えることは出来なかった。
―九久多知じゃ無ければ、命を取られていたかな。別木室長に感謝。は、あまりしたくない無い様な。人体実験が上手くいっただけだよね。―
と思いつつ、両手を広げ、兎女の首を抱きしめる様に抱え込む。敵の防御は緩慢だ。敵も泥の中に沈んでしまったかの様に緩やかな動きしかしない。それは小和泉も同様だ。
小和泉は深く考えない。自分と敵がどの様な事態に陥っているかはどうでも良い。何が出来て、出来ないのかが重要なのだ。
小和泉は泥の中を泳ぐ様に兎女の首に腕を回す。兎女の緩慢な動きは、アサルトライフルから手を離したばかりだった。
小和泉は両腕を兎女の首にしっかりと巻き付け、それを軸に隣の兎女へ蹴りを放つ。
丁度、兎女の首を基点とするスイングによる飛び蹴りだった。
急激な回転を首の一点に加えられた兎女の頸椎からブチ、ガキ、ゴキと鳴ってはならぬ音が腕を通じた小和泉に響く。同時に回転方向に合わせて、兎女の胴体はそのまま位置で頭部だけが左へと可動域を越えて回っていく。
同時に右足が左隣の兎女の顎先を捉える。蹴り足は顎先を掠める様に通過し、兎女の頭が大きく左側に傾く。予測しない方向からの重い一撃だったのか、下顎と上顎が開き、左右に大きく交差した。
小和泉は両手を離し、身体を力の流れに身を任せる。飛び蹴りの状態のまま、ゆっくりと小和泉は横へと移動していく。
すぐに重力につかまり、減速と落下を感じ、着地姿勢をとる。
やはり、思考と肉体の動きが一致しない。肉体の動きは遅く、重りを付けられているかのように素早く動けない。
小和泉は滑る様な姿勢で床へと着地する。その瞬間、身体の動きの制限が解除された。
身体に纏わりつく泥は通常の空気へと変わり、四肢に纏わりついていた重りは消え失せた。
一番左端の兎女は、仲間の銃撃により耳は吹き飛び、大量の血を流していた。小和泉が銃口を調整した為、頭部に着弾したのだ。
小和泉は胸のコンバットナイフを抜き、最初の光弾を浴びせた兎女の心臓を脇腹から突き上げ、大きく抉る。蹴り飛ばした兎女と首を圧し折った兎女は放置だ。
兎女は血走った眼を小和泉に向け、噛み付こうとするが血反吐を小和泉へ吐き散らかすだけで、そのまま床へと沈み込んだ。
小和泉は、コンバットナイフを引き抜くと止めをさしていない床に倒れ伏す二体の兎女に対し、防御の構えを取る。だが、敵の反応は何も無い。床に倒された時の状態のままだった。
小和泉は反撃を警戒しつつも早急に駆け寄る。
まずは、蹴り飛ばしによる脳震盪を起こし、床に倒れている兎女の心臓を刺し、しっかりと抉る。四肢の痙攣が始まるが放置しておいても反撃はされないだろう。まもなく、死ぬ。
次いで、首を圧し折った兎女にも同じ様に心臓を刺し捻る。こちらは何も反応が起きない。頸椎を折られた時点で致命傷だった様だ。すでに死んでいたのかもしれない。
小和泉の周囲には、八匹の兎女の死体が転がっていた。喫緊の危機は去った。
小和泉は膝をつくと深呼吸を数回繰り返す。体が重くなってから今まで呼吸を忘れていた。
心臓が激しい鼓動を始めていた。全身の細胞が酸素を欲しがっているのだ。
小和泉は、深呼吸を何度も繰り返し、酸素を身体に取り込み、力強い心臓の鼓動により体の隅々へと血流と共に送られていく。深呼吸を行う度に回収された二酸化炭素が排出され、心拍数は平常値へと戻っていった。
―やれやれ、走馬灯は見ずに済んだかな。いや、違うのか。良い方向に動いてくれたんだよね。ふう、良かったよ。―
一瞬だけ小和泉は気を緩める。頭上を光弾が通過して行く状況で敵の不意打ちは無いと判断したからだ。そして、急激に消費した体力を回復させる為でもあった。
走馬灯は、臨死体験にあった時に見るものとされる。様々な説があるが、小和泉は過去の経験から生き延びる方法を模索しているのではないかと考えていた。
例えば、車に撥ねられた時、地面に叩きつけられる時に受け身を取る。衝撃を逃がすため地面を転がる。などと空中に飛ばされている間に考え、それを実行できる体勢と心構えを準備する。
それにより、車との接触による圧力で骨折はしても、地面に頭を打ったり、衝撃を全身で受け止めたりなどの愚かな行動はせず、全ての致命傷を回避したという話を小和泉は知っていた。
恐らく、小和泉の身体や周囲の動きが遅くなったのは、同じ現象が小和泉に起きたのだろう。
生き残るために思考する時間は、極限まで引き延ばされ、身体の動きを最適化するための猶予を脳が作り出す。それが時間進行の遅延現象なのだろう。
たった今、小和泉はそれを経験した。生きるという強い意志が生み出した現象だった。
生存本能が強い者は生き延びる確率が上がる。逆に生存本能が弱い者は、すぐに諦め、死を受け入れてしまう。空中で走馬灯に楽しかったことや悔いたことを思い出して、死を受け入れてしまうのだろう。




