295.〇三〇七二一OSK攻略戦 死の宣告
二二〇三年七月二十八日 一四一〇 OSK 下層部 イワクラム発電所 制御室
「さあて、次、行きますか。」
小和泉は、機関部を失い銃としての機能を失い、銃剣のみが武器となったアサルトライフルを構え直した。次の獲物を探す。
―正面の敵かな。桔梗の援護に回ろうかな。よし、桔梗を援護しよう。―
狙撃手である桔梗にとって、乱戦では実力が発揮できていない様に見えた。ある程度の交戦距離があってこそ桔梗の能力は発揮されるのだろう。
一方、カゴは悠々と敵を捌き、余裕を感じさせた。
鈴蘭は最小限の動きで敵を食い止めることだけに専念していた。衛生兵ゆえに無事でいてくれれば良い。敵を撃ち倒すことは望んでいなかった。
ゆえに小和泉は桔梗を助けることとした。
だが、その小和泉の考えは打ち消された。
「警告。火災を確認しました。二酸化炭素消火を開始します。ガスの吸い込みは、死傷する可能性があります。所員は直ちに空気マスクを着用して下さい。
繰り返します。二酸化炭素消火を開始します。所員は直ちに空気マスクを着用して下さい。」
頭上より中性的で聞き取りやすく感情が籠っていない合成音声がした。
発電所の火災検知器が、拳銃の暴発による熱、炎、煙のどれか、もしくは全てに反応したのだろう。
散水機による消火は、電気機器が多い場所では使用できない。感電、短絡などの危険があるからだ。そのため、発電所では水の代わりに二酸化炭素ガスを部屋に充満させ、消火させる方法が普通であった。ここも同じだった。
水と違い二酸化炭素は有毒ガスだ。特に消火用の二酸化炭素ガスは濃度が三十五%もあり、一呼吸吸っただけで即座に意識を失う。さらに呼吸中枢が麻酔されることにより呼吸が止まり、酸素欠乏となって死亡する非常に危険な気体だった。
「傾注。内気循環に切り替え、気密確認。気密確保するまで息を止めよ。絶対に吸うな。死ぬぞ。気密作業を急げ。」
二酸化炭素の危険性を熟知する鹿賀山は、即座に指示を出した。その声はやや甲高かった。
命の危機をヒシヒシと実感しているのだろう。
だが、月人と入り混じっての戦闘中である。悠長に気密確認をする暇は無い。
小和泉は兎女の長剣を避けながら、シールド表面のタッチパネルを操作し、外気導入から内気循環へと切り替えた。
ヘルメットのシールドに表示されている気密表示を一瞥する。
<気密確保中>
と表示されていた。
内気循環への切り替えに成功した。野戦服やヘルメットに隙間や破れは無いということだ。
小和泉は、応戦中の桔梗の元へと駆けつけようとするが邪魔が入った。
攻撃してきた兎女の口に銃剣を差し入れ、延髄を掻き回す。丁度、鈴蘭と相対していた相手だった。これで鈴蘭が自由に動けるようになった。
「鈴蘭、全員の気密確保を。分隊のみで良い。」
「了解。」
小和泉はアサルトライフルを手放し、兎女が手にしていた長剣を奪い、死体を蹴り飛ばす。
そして、小和泉は珍しく防御の構えをとった。
「みんな気を付けるんだよ。敵はガスだからね。月人へは守備に徹すれば良いよ。ガスが始末してくれるからね。」
『了解。』
小和泉は分隊無線で注意喚起を促し、8312分隊の三人は即答した。
今からの敵は月人ではない。消火ガスなのだ。複合装甲を着込む小和泉は剣や牙が多少かすったところで複合装甲に弾かれるだけで済む。全身を完全に覆うため、野戦服が破れることは無い。
促成種である部下の桔梗達は複合装甲をまとっていない。急所と関節を守るプロテクターを野戦服の上に装着しているだけで野戦服はむき出しとなっている。
野戦服の気密性を保つためには、剣や牙によって穴を開けるられる訳にはいかない。
全ての攻撃を弾かなければならなかった。
鈴蘭は、この戦闘により野戦服の穴が開いた部分を医療用フィルムで巻き、手早く塞ぐと桔梗の元へと向かった。
「こちらカゴ。気密を確保しました。援護不要です。」
鈴蘭が確認に行く前にカゴが報告を上げた。
これにより8312分隊で確認できていないのは、桔梗と鈴蘭の二人となった。
カゴは月人による爪や長剣の攻撃を完全に見切っていた。ゆえに野戦服が切り裂かれることなく戦闘を継続していた。右手でアサルトライフルを撃ち、左手の銃剣にて敵の攻撃を捌く。
831小隊の中では、小和泉の次に余裕のある攻防一体の技を見せていた。
「桔梗、気密確保しました。」
「鈴蘭、気密確保。」
二人から気密確保の報告が入った。
―よし、僕の隊は間に合ったか。奏は大丈夫かな。―
小和泉の妻である奏の心配をするが、今は確認を行う状況ではない。それは直属の上司である鹿賀山の仕事だ。立ち直った鹿賀山であれば、問題無いはずだ。小和泉は信じるしかない。
状況は変化していく。小和泉達の都合には合わせてくれない。
「十秒後に二酸化炭素ガスを放出します。ご注意下さい。」
合成音声による死の宣告だ。
「五、四、三、二、一、零。散布を開始。」
合成音声が秒読みを開始し、即死ガスを撒き散らす。
天井より乳白色のガスが凄まじい勢いで噴出する。数秒で視界はガスに覆われ、濃い霧の中に居るかの様だ。自身の掌すら見通すことができない。
周囲からドスン、バタン、ガチャンと様々な音が次々と聞こえる。
二酸化炭素ガスを吸い込んだ月人が次々と気を失って倒れていく音であろう。
月人は、人間と同じ空気を呼吸する生物だ。二酸化炭素に特別な耐性をもっているとは考えにくかった。数秒後には、ガスの噴出音だけが聞こえるようになった。他の音は一切聞こえない。
戦友達もこの濃霧に警戒し動けないのであろう。
「鎮火を確認。ガスを停止します。」
数十秒でガスの噴出音は途切れた。
しかし、視界がすぐに晴れることは無い。乳白色の濃い霧だけが目の前にある。
小和泉は、視界を温度探査に切り替えた。ヘルメットのシールドに温度分布が表示される。
目の前に立っている発熱体は居ない。多数の人型の発熱体が床に倒れていた。
小和泉の周囲に立っている複数の発熱体は、831小隊の隊員だろう。どうやら、気密の確保に成功していた様だ。
小和泉は、シールドに表示される部下三名の体調を確認した。
三人共、心拍数、体温等は正常値を表していた。
―やれやれ、桔梗達は無事か。良かったよ。僕の権限だと他の分隊の様子は確認できないんだよね。奏と鹿賀山は無事かな。―
などと思いつつも無線は控える。ガスの噴出が終わっても、未だに視界はゼロだ。視力を奪われている状態では聴力に頼るしかない。
外部マイクが拾う音に耳を澄ませている。誰一人動かない。音を出せば敵に気づかれる。
そのことを皆が理解していた。ゆえに静かだ。誰一人、物音を立てない。
敵が全滅したと考える者はいない。機甲蟲が潜んでいる可能性が残っているからだ。
月人に二酸化炭素ガスは有効だろうが、機甲蟲には効果は無い。
機甲蟲の駆動音、もしくは発熱を警戒していた。
カガチが逝ったばかりだ。手放しに警戒を緩める愚かな者は、831小隊にはいなかった。
鹿賀山は小隊全員の身体状況を確認した。
戦闘前と比べ心拍数の上昇は見られるが、正常値であった。
どうやら全員無事の様だ。気密の確保に失敗する愚か者はいなかった。
―さて、次はどう動くべきか。靄が晴れる前に銃撃による発電機の破壊をしてしまおうか。この場合の利点と欠点は何になる。―
鹿賀山は次の行動を考えていた。だが、その時間は与えられなかった。
「コツアイは、規定値の超過を確認しました。対処の必要性があります。鎮火を確認。強制排出を開始します。」
先程の合成音声と違う落ち着いた女性の音声が天井より流れた。
―コツアイだと。奴は愛の中に入り拘束中のはずではないのか。どういうことだ。―
鹿賀山は愛の身体状況を確認するが、失神したままであり、拘束中と表示されている。
―コツアイは別にもいるのか。規定値とは何だ。何を排出するのだ。私達か。それとも別の何かなのか。―
天井より空を切る音が響いた。換気扇が最大風量にて動作したようだ。視界を塞ぐ白い靄が換気扇へとみるみる吸い込まれていく。足元から視界が戻っていく。
手元が見えるようになり、続いて近くの部下の姿が見えた。
さらに時間が進むと床に倒れる月人の群れが見えた。月人に外傷は無く、眠っているかの様だ。
だが、身動きする者は一匹もいない。折り重なり、苦しい体勢である月人もピクリとも動く気配は無かった。
ドスン等と聞こえていたのは、やはり月人達が気絶し倒れる音だったのだ。
「濃度を確認。基準値0.04%になりました。強制排出を終了します。」
完全に白い靄は晴れ、元通りの視界となった。
「コツアイと言ったか。説明を求む。」
鹿賀山は苦し紛れに言い放った。
―返事があれば良し。恐らくないだろう。早急に発電所を破壊し撤退すべきだな。分からぬことばかりだ。この戦場は。―
「権限を確認します。しばらくお待ち下さい。」
鹿賀山の予測は外れた。コツアイは鹿賀山と会話をする意思を見せた。




