293.〇三〇七二一OSK攻略戦 蛇喰の弱音
二二〇三年七月二十八日 一四〇一 OSK 下層部 イワクラム発電所 制御室
鹿賀山の合図に合わせ、観音扉がゆっくりと開く。
「開扉中断。警戒。攻撃自由。」
鹿賀山は、約三十センチ開いたところで観音扉の開閉を止めさせた。
いきなり、全開した場合、敵が雪崩れ込む危険があるためだ。月人が通り抜けられず、扉の向こうを確認する為の隙間を開けた。
そして、予想通りであった。
隙間から人型の影が見えた。特徴的な兎型の耳が頭頂部についていた。兎女だ。
扉の隙間から長剣が振り下ろされる。長剣は凄まじい勢いで831小隊の前衛の目前を通り過ぎる。
即座に十字砲火が組まれ、その兎女は体中に穴を開け、扉の向こうで崩れ落ちた。
「月人、一個小隊以上を確認。」
前衛を張っていた小和泉が扉の向こう側に月人の集団を認め、報告を上げる。
「射撃自由。敵がこちらに侵入するまでに撃破せよ。」
『了解。』
鹿賀山の命令に皆がすばやく応える。扉から一歩離れ、長剣が届かぬ左右からの十字砲火を形成する。眩い光弾が次々と扉の隙間へと吸い込まれていく。
吸い込まれる度に発電室から、悲鳴や肉が床に叩きつけられる音が響く。
―このまま、月人が通れぬ狭い隙間を利用して戦闘を有利に進められると良いのだが。―
鹿賀山の希望は、次の瞬間に砕けた。
右側の扉の縁に狼男の太い指が掛けられたと認識した瞬間、その扉は発電室内部へと弾け飛んだ。
そこに立っていたのは、普通の狼男より一回り大きい肉体。鉄色をした堅そうな獣毛。血走った眼。見間違い様も無い日本軍の天敵だった。
咄嗟にそれの正面に立っていた蛇喰の部下であるカガチ兵長がアサルトライフルの光弾を叩き込む。普通の狼男であれば、獣毛ごと筋肉を抉るはずであった。
だが、鉄色の獣毛の毛先を少し焦がすだけであった。
アサルトライフルの光弾を弾く敵は、一種類しかいない。鉄狼だ。
「俺って、運がワリイな。」
それがカガチの最期の言葉となった。
鉄狼が振り上げた力任せの拳は、カガチが被るヘルメットの正面に振り下ろされた。
ガツンと響く重低音。ヘルメットはその強大な衝撃に耐え、吸収し、頭蓋を守った。
だが、首に防具は無い。衝撃が一点に集中する。
喉仏から首が裂け、そこから赤い噴流を周囲に撒き散らす。
半分に裂けた首が頭部の重量に耐えきれなかった。カガチの後頭部は折れ曲がり背中に密着した。そのまま、カガチの肉体は仰向けにゆっくりと倒れ、床に着地した衝撃で一度だけ弾み止まった。血だまりがどんどん広がっていく。
血の海の中、カガチの四肢は痙攣していた。生きている訳では無い。脊髄反射で筋肉の収縮が起きているのだろう。
即死した事実に疑いようは無かった。
「カガチ。こんなところで自分の部下を失うとは。自分が情けないですね。不甲斐無い。」
蛇喰が弱音を吐いた。
―あらら、蛇喰の弱音って、初めて聞いたのじゃないかな。―
小和泉はカガチの死に何の感慨も抱くことも無く、蛇喰の反応に少しばかり驚かされた。
戦死者が出るのは、軍では日常だ。ほとんどの者は、戦闘中の感情が凍りついている。
怒り、悲しみ等の感情が湧くのは、戦闘が終了し、落ち着いてからだった。
とくに促成種は、その様に調整されており、何事も無かったように戦闘は継続されていた。
自然種達も心を鬼にし、感情を動かさないように努力した。
「小和泉、頼む。」
「はいは~い。」
鹿賀山の一声が出る前に小和泉はすでに動いていた。
味方の射線を妨げることなく、最短距離で素早く無駄なく鉄狼へ向かう。鉄狼は小和泉の担当というのが、831小隊では暗黙の了解となっている。
銃撃が効かないことは、証明済み。ゆえに小和泉は、アサルトライフルに着剣している銃剣を袈裟斬りに振り下ろす。ただの狼男であれば、自身の強さに驕り、人間の攻撃など意に介さず、その身で受け、小和泉に切り裂かれていただろう。
だが、鉄狼は違った。その攻撃が自身を害するものだと直感していた。味方を撥ね飛ばしながら半歩下がった。そこへ小和泉の銃剣が通過する。
「甘いよ。」
そこまでは小和泉も織り込み済みだった。
床に触れる前に銃剣を上へと大きく跳ね上げる。
狙うは、鉄狼の股間。獣毛が薄く、生殖器という弱点が存在する。真っ直ぐに刃先が生殖器へと向かう。
だが、目前で銃剣が弾かれた。鉄狼は、銃剣の側面を拳で叩きつけ軌道を逸らせた。
鉄狼の太腿を銃剣が掠るが、毛並みに沿って銃剣が流される。その後から一筋の赤い血が流れた。それは微々たる量だった。皮膚の表層を裂いただけであろう。鉄狼の動きが鈍る様な怪我では無い。
小和泉は、追撃が来る前に鉄狼の間合いから離れた。仕切り直しである。
小和泉と鉄狼の周囲は、光弾の嵐と長剣の煌めきが乱舞していた。
観音扉の半分が壊されたことにより、月人が押し込んで来たのだ。射撃戦と格闘戦が入り乱れる混戦となった。
鹿賀山自身も射撃戦に参加し、愛を確保するオウジャとクジも一段高い制御盤から援護射撃を繰り出す。
もっとも日本軍が嫌がる乱戦と化してしまった。死傷確率が格段に跳ね上がるからだ。
だが、小和泉と鉄狼の周囲だけは、空気が違った。鉄狼が発する殺気が他の月人を寄せ付けなかった。月人は、己の邪魔となる存在であれば、味方殺しも躊躇わない。特に鉄狼はその傾向が強い。ゆえに味方であるはずの月人も戦闘中の鉄狼には近付かなかった。
小和泉の周囲には、8312分隊が邪魔にならぬように控えていた。小和泉の死角を守り、鉄狼との戦いを一騎討ちとなる状況を作っていた。
その中でも小和泉の格闘戦についていけるカゴは、小和泉の指示に何時でも従えるように鉄狼に飛びかかる心構えはしていた。
無論、他の月人との戦いを継続している。待機が許される状況ではないからだ。
小和泉は乱戦になっても支障は無かった。殺し合いに作法や行儀など無い。
弱点を狙い、数で勝るべきなのだ。それは戦いの基本だ。
ゆえに小和泉が指示しなくともカゴが最初から助力してくれても一向に構わなかった。
一方で一対一の戦いを楽しみたいという気持ちもある。
小和泉は、戦いが好きだ。己の力を存分に発揮するのも好きだ。弱兵を蹂躙するのも好きだ。強者と死闘を繰り広げるのも好きだ。
つまり、戦うことに存在意義を見出す狂人であると言えた。ゆえに狂犬と呼ばれる。
鉄狼は、間合いを気にせず距離を無造作に詰める。今まで渾身の一撃で屠れぬ人間はいなかった。大きく右腕を引き、小和泉の顔面へ真っ直ぐに拳を打ちつける。
そんな動作と狙いが見え見えの攻撃が通じる訳が無かった。小和泉が垂直に立てた銃剣は、拳の小指と薬指の隙間に吸い込まれていった。
鉄狼は銃剣の存在に気が付くも歯牙にもかけない。拳の速度を緩めることも無く、さらに力を込める。己の鉄の獣毛と拳が銃剣如きに負けるとは考えない。
そうやって、人間を先程、殴り殺した。
小和泉は銃剣の位置を変えることなく、半歩前進し、鉄狼の拳がヘルメットを掠めるように避けた。無論、接触はさせない。自然種の複合装甲は全身を覆うとはいえ、首の装甲に鉄狼の力が集中すればカガチと同じ終焉を迎えるだろう。
小和泉は、鉄狼の胸の中へと飛び込むような形になった。
小和泉の真正面に鉄狼の口があり、それが大きく開く。周囲からは鉄狼による噛み付き攻撃の様に見えた。
だが、実際は真逆だった。強烈な痛みによる咆哮だったのだ。
今まで鉄狼が経験したことが無い感覚。熱く、骨身が軋み、力が吹き出す血潮と共に抜けていく。
小和泉の銃剣捌きを舐めた鉄狼の小指は、赤い血を伴って宙を舞っていた。
獣毛の生え方の流れに沿えば、獣毛は鎧とはなりえない。櫛を梳くかの様に銃剣は小指を掌ごと斬り落とした。
その痛みに鉄狼は、叫んでしまった。大いに痛いと叫んだ。生まれて初めての痛みに何が起きたか理解していない。その様な雰囲気だった。戦闘中であることすら、鉄狼の意識から消えていた。




