290.〇三〇七二一OSK攻略戦 尾銃
二二〇三年七月二十八日 一三四四 OSK 下層部 イワクラム発電所 制御室
九久多知の腰のあたりから放たれた光弾は、愛の右手に着弾した。同時に肉が爆ぜる。
引き金にかかっていた指が掌ごと消失する。
引き金には一切の衝撃は無く、アサルトライフルから光弾が発砲されることは無かった。
銃把を握る手が消え支えを失ったアサルトライフルは床へと落ちた。
突然の痛みにコツアイ<愛>は、失った右手の先を左手で包み込み、膝から崩れ落ちた。
額を床へと擦りつけ、額から脂汗を流しながらうずくまる。まるで鹿賀山へ今までの非礼に対する詫びをしているかの様に見えた。
コツアイは、何が起きたか分からなかった。初めての感覚。手から伝わる激しい熱さ。
手先は高熱に焼かれ、炭化している。この熱さがコツアイは理解できなかった。
データベースにアクセスし、検索することすら熱さが邪魔をする。
自由に動かぬ身体。思考停止する脳。この様な経験は、コツアイには無い。
熱さに強弱の波があり、弱まったところで検索をかける。だが、コツアイのデータベースには答えが無かった。答えはもっと身近な所から与えられた。
「痛い。」
愛が呟く。コツアイに乗っ取られていたが、痛みによりその制御が弱くなっていた様だ。本能的に今の状況を的確に口に出していた。
コツアイは、痛みを知らなかった。即座にデータベースへ検索をかけると確かにその言葉があった。熱さが痛いへと変換された。
初めての痛み。初めて知る痛覚。それがコツアイの思考を妨げる。
痛い。痛い。痛い。痛い。
コツアイは無防備に痛みに耐えるしかできなかった。
小和泉が珍しく長々と話していたのは、敵の隙を作るためだった。
新たに九久多知へ装備された物は、多節棍型の光弾銃であった。普段は、尾てい骨から生え、腰回りを一周している。その形が尻尾に似ている為、松木室長は、尾銃と呼んでいた。
鹿賀山に銃を突き付けられた時、突然、九久多知からヘルメットのシールドに尾銃の使用説明が表示され、小和泉は戸惑った。
うんうんが口癖の松木からは何も説明は受けていない。ゆえに練習も試射もしていない。
だが、九久多知が解決案として提示してきたのであれば、一考の価値はある。
コツアイと無駄話を交わして時間を稼ぐ。操作方法を熟知する為だ。
コツアイから情報を引き出す気など最初から無かった。愛の中に複写されたのであれば、愛を持ち帰り、松木に預ければ良い。後は意気揚々と愛から情報を抜いていくだろう。
それが松木という男だ。倫理観など研究の邪魔だと若い頃に捨てている。
ならば、松木に愛を委ねれば良い。こちらは鹿賀山を救う方法に専念すれば良いのだ。
そうして、小和泉の中で愛の右人差し指を狙撃することで引鉄を引かせないという考えに至った。
威力があり過ぎた場合、指と共に引き金を吹き飛ばすだろう。
威力が無い場合、指がしびれ引き金が引けないだろう。
ならば、どちらでも良い。引き金が引けないという結果には変わらない。
失敗すれば、鹿賀山の頭が吹き飛ぶだけだ。
恋人であろうと今は三人の妻が居る身。鹿賀山の優先順位が下がってしまったのだ。
それに士官学校から随分楽しんできた。小和泉が知らない処など無い。
まだ、開発を完了していない三人の妻の生存を優先すべきであると結論付けていた。
会話の合間に尾銃の操作方法は理解した。使用方法は単純だが、実際に使えるかは疑問が大きく残った。尾銃の操作方法は、脳波によるものだった。強い意識をもって照準し、引き金を引く具体的な映像を思い浮かべれば良い。
言葉にすれば単純だが、これから起きる、いや起こすことを克明に鮮明に正確に想像しなければならない。どこかの工程が抜ければ、尾銃は発射されない。それどころか、照準を合わせることすらできないかもれない。
小和泉は、脳の中に鮮明に未来に起こるべき事を思い描く。同時に会話も続けなければならない。さすがに無理そうだった為、鹿賀山と交渉役を変わる様に仕向けたが、コツアイはのらなかった。
ならば、己の想像力を信じるだけだ。
現実と区別がつかぬ程、精細に尾銃の動きを脳裏に描いた。
網膜モニターに照準が表示され、人差し指に照星が合う。
だが、かすかに揺れている。想像力をさらに高め、照準を固定した。
念を強く込め、発射を想像する。
尾銃は、小和泉の想像と寸分違うことなく、発動したのであった。
愛が怯む。アサルトライフルを床に落とし、右手の痛みを左手で抑え込もうとする。
小和泉の掌底が、隙だらけの愛の顎先を掠めるように打ち抜く。ヘルメットを装備しているにもかかわらず、効果は変わらない。逆に増幅されたとも言える。
頭が大きく傾げ、愛の身体が床を跳ねる。最初の一撃で脳を大きく左右に揺すぶられ、脳震盪を起こしていた。ヘルメットの重みがその威力を底上げしていた。
愛の表情が苦痛から無表情に変わる。
胃の内容物が逆流し、ヘルメットの内部で広がる。
そこには赤い物が混じっていた。恐らく口の中を切ったのだろう。
愛は衝撃と振動に耐えられず、混沌の意識へと沈み込んでいく。
小和泉は遠慮なく、蹴り転がす。仰向けに床に転がった愛は、意識を完全に失っていた。
―網膜モニターに照準を映し、人差し指を吹き飛ばす。掌が吹き飛んでも構わない。ようは引き金を引けなくすれば良いのだ。
現代の再生治療ならば、元通りにすることは簡単だ。その程度の損害は、愛には覚悟してもらおう。―
これが先程まで小和泉が考えていたことだ。だが、要した想像力はこんな単純な物ではない。
実際に同じことが二回起きたかの錯覚を起こしていた。
尾銃を撃った後で、もう一度尾銃を撃つ。そんな不可思議な経験だった。
―かなりの集中力を要するね。咄嗟に尾銃を使うことは無理だね。はあ、松木室長の実験に付き合わされると疲れるよ。これって実用化は無理そうだよね。―
とりあえずの脅威は去り、小和泉の心に余裕が戻る。
その思惑は成功し、愛の発砲を許さず、無力化に成功した。
そして鹿賀山は生きている。怪我はしていないはずだ。
「カゴ、愛を拘束。鈴蘭、愛が窒息しない様に処置をしてあげてくれるかい。」
『了解。』
カゴは素早く愛の四肢を結束バンドで拘束していく。同時に鈴蘭はヘルメットを外し、口内に残った吐しゃ物をかき出し、気道を確保した。その後、失った右掌を医療用フィルムにて保護していく。
それを見守る小和泉の右肩にポンッとて置く者が居た。誰かは分かっている。今、背後に立つことを許しているのは一人だけだ。
「小和泉、もう少し別の方法は無かったのか。」
鹿賀山だった。だが、その声は微かに震えている。恐怖では無い。怒りから発せられるものだ。
「単純明快。即時解決。バッチリだったでしょう。」
小和泉は振り返り、鹿賀山へ笑顔を見せる。だが、鹿賀山は怒りを噛み潰し、両手の拳を固く握り、両腕を震わせていた。
「小和泉。貴様とは長い付き合いだ。貴様の思考も手に取るように分かる。だが、もっと安全な手段はなかったのか。」
「え、最善手だと思うけど、何か失敗したかな。」
「交渉しつつ、近づき、アサルトライフルの安全装置をそっとかけるとか、引き金の後ろに指を入れて引き金を引けなくするなど方法を考えればいくらでもある。
何なら、愛の気を引いてくれれば、私がそのどちらかを実行しても良かったのだ。助けてくれたことに感謝はしている。どうして、そう雑なのだ。貴様は。はあ。」
溜息と共に鹿賀山の全身から余分な力が抜けていく。
「ごめんね。そこまで頭が回らなかったよ。でも助かったんだしね。」
「貴様、私が死んでも仕方ないと考えていただろう。」
「えっ。何のことかな。あの短時間にそこまで考えている暇なんてないよ。僕は頭が悪いんだから、力ずくになるのは仕方がないよ。」
「なるほど、完全否定はしないと。考えた訳だな。わかった。これからは作戦を組む時、小和泉の使い捨てを前提にしよう。」
「待ってよ。鹿賀山。ね。ほんの一瞬、頭によぎっただけだから。ね、ね。」
「そうか。そうか。よく分かった。ふふふ。」
「鹿賀山、怖いよ。ね、止めよ。そういう考えわね。」
小和泉と鹿賀山のやり取りに、隊員達の中にまたかという思いが生まれた。
ほんのわずかな時間であったが、831小隊の緊張が弛んだ。
ゆえに犠牲は出た。




