287.〇三〇七二一OSK攻略戦 有り得ざる空間
二二〇三年七月二十八日 一二一二 OSK 下層部 イワクラム発電所 制御室
8312分隊は、何が待ち構えるか分からぬ制御室へ突入する。
小和泉達は素早く制御室を見回す。
正面、左右、上下を銃身と共に目視確認を素早く行う。
視線だけの確認では、敵を発見し射撃するまでに時間的余裕を敵に与えてしまうからだ。
発見、即射撃。散々訓練で叩きこまれた動きである。また、同じ場所には留まらない。
障害物、影、窪みなど利用できるものは何でも利用し、身を隠したいところだ。
だが、小刻みな動きをとる中でそれらは発見できなかった。
身をかがめ、四方の投影面積を減らす努力をするのが精一杯だった。
額から一滴の汗が流れる。拍動は普段と変わらない。その汗が緊張の為か、小刻みな位置移動による運動のものかは分からなかった。
索敵動作を行うが、小和泉達の視界に敵性体は見当たらない。
「状況報告。」
索敵が完了したと判断した小和泉は、皆に現状の報告を求めた。
誰も発砲せず、異変の報告を上げていない為、答えは既に分かっていた。
「カゴ、良し。」
「桔梗、良し。」
「鈴蘭、良し。」
「小和泉、良し。8312、敵を認めず。」
小和泉達は、無意識に背中合わせで四方向に銃を向けて集合していた。日頃の鍛錬の成果だった。8312分隊に死角は無い。安全を確保しつつ、鹿賀山へ異常無しの報告を上げていた。
「了解した。8313は入室し警戒を引き継げ。8312は室内を隈なく捜索せよ。」
鹿賀山は、小和泉達に制御室の更なる情報を求めた。
「8313了解。入室。8312と交替完了。」
「8312了解。捜索を開始するよ。」
オウジャ達は入り口付近に固まり、周囲を警戒する。
小和泉達は反時計回りに制御室の外壁に沿い、捜索を開始した。
反時計回りには意味があった。障害物に隠れ、先を見通す場合、アサルトライフルの銃身に付けられたガンカメラを突き出す。そうすれば、身を晒すことなく障害物に隠れたまま先を確認できる。
これはほとんどの者が右利きゆえに反時計回りとなった。
これが、時計回りとなると障害物から確認する場合、右手に持ったアサルトライフルを突き出すために、身体の半身を障害物から突出させるか、左手にアサルトライフルを持ち替える必要がある。
これは危険と無駄な行動であり、敵に発見される可能性が高まり、被弾する可能性がある。
左手に持ち替え、敵を発見した場合、不得手な左手での戦闘を強いられ、こちらが不利な状況であることは変わらない。
その点、反時計回りであれば、利き腕である右手でそのまま確認し、戦闘に入ることができた。
もっとも、この戦術が有効なのは敵が月人だからだ。
人間が敵であれば、こちらの行動を読まれる可能性が高い。だが、月人の学習能力はそこまで高くはない。この程度の戦術の有利性は、未だ日本軍が保有していた。
だが、その優位は絶対ではない。いつしか、学習した個体が現れるかもしれない。
日本軍の戦術を理解する月人が誕生する可能性はあった。
それは小和泉が痛い程、身に染みて良く知っている。
部下の菜花は、鹵獲されたアサルトライフルにより射殺された。
絶対に忘れ得ぬ後悔と教訓として、小和泉の心と記憶に焼き付いている。
ゆえに油断は絶対にしない。あらゆる可能性を考慮していた。
時折、月人を弄ぶのは安全性を確保している時だけだ。悪い癖だけは治せそうになかった。
小和泉達は、何ごとも無く、制御室を一周した。
敵の姿形どころか、痕跡すら見当たらなかった。
数十年使用されていない割に埃一つ無い清潔な環境が痕跡を残さなかったのだ。
違和感しかなかった。
小和泉は、昂ぶっていた心を落ち着かせ、制御室を改めて見渡した。
先程までは敵を探すことが最優先であり、部屋を俯瞰して見ていなかった。部分毎に記憶していた制御室の記憶を一つのものとして統合していく。
制御室は意外にも大きかった。縦二十メートル、横十五メートルの長方形の部屋だった。
入口の観音扉は制御室の北壁にあり、道路となっていた。反対である南壁にも同じ大きさの観音扉が取り付けられ、隣の部屋へと続いていた。
制御室の道路以外の床は、一メートルほど持ちあがっていた。トラックを横付けした時に荷台と同じ高さになり、荷物の搬入が簡単に出来るようになっているのだろう。
道路から緩やかなスロープが制御室のせり上がっている床へと繋がっている。スロープを上がると畳二枚を横長に並べた制御盤が部屋の中央に鎮座していた。
傍には背もたれのついた事務椅子が四脚並べられている。その正面の南壁には、壁一杯の大きなガラス窓が取り付けられていた。
その向こうには様々な機械やパイプ、ケーブルが接続された銀色に輝く巨大な球体が鎮座していた。
恐らく、あれがイワクラム発電機なのであろう。
東側の壁一面には金属の骨組みに組み込まれた巨大な情報処理装置が五台整然と並んでいた。
一台の大きさは、横幅、高さ、奥行きは各二メートルあるだろう。温度探査に反応していたのは、この装置であった。内部に熱がこもっている。つまり、稼動中ということだった。
「ねえ、みんな。この部屋に入ったら埃が全く無いなんて不思議だよね。何者かが定期的に清掃しているのかな。で、その正体が怖いよね。月人が掃除する訳ないだろうし、機甲蟲には無理だよね。じゃあ、いったい誰だろう。手がかりとか、糸口とか、何かないかな。」
小和泉は、分隊無線で疑問を言葉にした。
「錬太郎様、この部屋は異常です。制御盤や椅子の上だけでなく、情報処理装置の隙間にも埃が溜まっていません。毎日、掃除しないとこの清潔さは保たれません。」
普段、小和泉の部屋を片付けている桔梗が述べた。
「獣毛一本も発見できず。月人、出入りしていない可能性有り。」
床に貼りつく様に何かの痕跡を探していた鈴蘭が相変わらず、管制官の様に報告を上げた。
「宗家、誠に申し訳ございません。私には何も見つけることができません。」
カゴが申し訳なさそうに告げる。
小和泉達は、捜索をしながら話を続けた。
「証拠は無くてもいいよ。何か、予測か想像できないかな。」
「錬太郎様のお考えの通り、月人や機甲蟲に掃除はできないでしょう。恐らくその様な概念は、持ち合わせていないと思われます。」
「仮に掃除できても、獣毛を残さないことは不可能。抜け毛は発生する。」
「掃除機では不可能な場所も綺麗になっております。奴らの指は太く、硬い爪が生えております。掃除は無理かと存じます。」
「じゃあ、皆は第三者の存在を疑っているということでいいのかな。」
「はい、人がいるのでしょう。」
「人間だと予測。」
「私の様な人類の生き残りでしょうか。」
三者三様にこのOSKには、生存している人がいると答えた。それは小和泉の考えとも一致していた。
「やっぱり、みんなもそう思うのだね。そっか。OSKに人が生き残っているのかあ。でも、どこに居るのだろうね。僕達の武装が怖くて隠れているのかな。」
「隠れているか、未知の区画に居るかでしょう。私たちはOSKの全貌を知っている訳ではありません。」
「そうだね。ほんの一部しか知らないのだろうね。他に何か報告事項はあるかな。」
「いえ、ありません。」
「報告事項なし。」
「何もございませぬ。」
「了解。では、鹿賀山達を部屋へ呼ぶよ。」
小和泉はそう言うと分隊無線から小隊無線へと切り替えた。
「こちら8312。捜索完了。脅威は無し。但し問題発生。見てもらった方が早いかな。まあ、おこしやす。」
二二〇三年七月二十八日 一二三二 OSK 下層部 イワクラム発電所 制御室
鹿賀山は制御盤の前に据え付けられていた椅子に座り、頭をかかえていた。
ここまで死傷者なく来られたのは、有難いことであった。
作戦開始前に、前半戦で戦死者の一人か二人は出る。覚悟しておけと大隊長である菱村から言われていた。
だが、その覚悟は空振りとなり、違う問題が目の前に立ち塞がっていた。
―制御室の清掃が行き届いている。これがKYT内の話であれば、何も問題は無い。
だが、他の区画や階層では、十年以上の埃が堆積していた。
ここだけ綺麗であるはずがない。誰の仕業だ。
月人。無理だ。その様な手先の器用さは無い。
機甲蟲か。部品交換をすれば有り得るか。だが、その場合、この部屋だけでなく他も掃除するだろう。それとも、制御室だけを掃除する様に命令が出されているのか。
やはり、小和泉の言う第三者の存在を疑うべきだろうか。
生存者がいる。まさかだな。月人は人類を生かさない。問答無用で殺す。機甲蟲も同じだ。両者の間に話し合いは存在しない。どちらかが生きるか、死ぬかだ。
それにOSKは人類が生き残れる環境では無い。現実性が乏しい。
水や食料も調達はどの様にする。製造工場から搬入するのか。だが、外にはそれらしい足跡やタイヤの跡は無かった。この発電所内部に食料が大量に備蓄されているとは考えにくい。
わからない。何をどうすれば、この清浄な環境が生まれるのだ。
このまま、作戦通り発電機を止めても良いものか。止めた場合の突発事項に、我々だけで対応できるのだろうか。
わからない。わからない。私はどうすれば良い。―
鹿賀山は、ほんの一分ほど苦悩した。時間は有限だ。無駄にはできない。
スクッと立ち上がり全員の顔を見回した。
皆が鹿賀山に注目している。この有り得ざる空間にどう対応するのか。
鹿賀山の瞳に迷いは消えていた。そこには、確固たる意志が宿っていた。




