281.〇三〇七二一OSK攻略戦 蛇喰、認められる
二二〇三年七月二十八日 〇九二九 OSK 下層部 イワクラム発電所 除染室
831小隊と月人の攻防は、831小隊は気力を、月人は人数を消耗させながら、際限なく続いていた。
―月人の大群が尽きるのは何時だろうか。―
―終わりはあるのだろうか。―
―先に持久力もしくは集中力がなくなり、月人に蹂躙されるのではないか。―
―ここで機甲蟲が現れ、現状をひっくり返されるのではないか。―
あらゆる負の要因が、皆の脳裏に浮かんでは消えて行く。
様々な心配、不安、不確定要素を心にしまっていた。
小和泉も例外ではない。ただし、自身の心配ではなく、部下達への心配だった。
そんな中、ただ一人、元気な者がいた。全く疲れを感じていない様だった。
何事にも例外は存在するようだった。
その者は、ここが己の舞台だと言わんばかりに元気溌剌であった。
「何をしているのですか。あの突出部分に火力を集中なさい。」
「そこです。足元を狙いなさい。転倒させれば、後続を止められます。指示しないと分からないのですか。」
「次は二時方向です。反応遅いですよ。私の指揮に即座に反応しなさい。死にたいのですか。」
「まだまだ序盤です。ここで日本軍の底力を見せつけておやりなさい。」
と一人矢継ぎ早に指揮をしていた。
8314分隊の蛇喰少尉である。
蛇喰は、月人の大群の急所を見出すと即座に部下にその部分への攻撃を命じていた。
状況確認、判断、命令と淀みなく蛇喰の脳は活発に動き続ける。興奮物質が脳内で大量に分泌されているのか、覚醒剤を投与したかの様だ。蛇喰が薬剤に手を出すことは無い。それは蛇喰の自負が許さない。薬に頼ることは己に負けることを意味しているからだ。
蛇喰は、戦闘開始から数十分経過してなお、この調子で指揮を続けている。
粘り付くような話し方は、相変わらずだったが、指揮内容は的を射ていた。
ゆえに部下も黙々と蛇喰の指揮に従い、月人の群れへ攻撃を加え続ける。
831小隊が現状を維持できているのは、鹿賀山の統率力でも無く、小和泉の個人的強さでもなく、蛇喰の屈折した自分を優秀だと見せたい自尊心の方が大きいのかもしれない。
蛇喰の張りきりは、小和泉達からしてみれば、いつものことだと最初の頃は気にしてなかった。
さすがにこの調子のまま、小隊無線で喚かれる続けられるのは鬱陶しいものがあった。
かといって、間違ってもおらず、正しい指揮を執っている為、止めさせるわけにいかなかった。
逆に言うとこの状況に蛇喰の全能力をもって対応している証拠でもあった。
つまり、正しく仕事をしているのだ。
性格に難はあるが、良き軍人、士官であろうとしていることは間違いなかった。
鹿賀山は小隊全員の体調管理に注意を向け、小和泉は大好きな格闘戦をあきらめ、つまらない射撃戦に戦う気持ちを萎えさせていた。
ゆえに真っ先に異変に気づいたのは蛇喰だった。
「警告。群れの後方に今までに無い動きを知覚。注意されたし。」
蛇喰の警告が831小隊に緊張が走る。
確かに群れの奥で一個分隊程の月人が、先程までと違う動きをしていた。
だが、何をするかまでは判別がつかない。
前に立ちふさがる月人により射線は通らない。残念ながら、先制攻撃を加え、月人の企みを潰すことができない。
「各員、状況の変化に備えよ。」
鹿賀山はそう命令するしかできない。具体的な指示を出せる根拠がなかった。
『了解。』
小和泉達もとりあえず、了解と返答する。
―了解って、何を了解したのだろうかね。―
と心の中で意味の無い反論をする。
誰も状況の変化を理解していない。月人の後方へ注意力の幾分かを割くしかできなかった。
月人の変化は、四匹の狼男が組体操の様に固まることから始まった。無論、831小隊には見えない。
四匹は向かい合い、両手を交差させ、しっかりと互いの手を組み合う。群れの背後から長剣を携えた一匹の兎女が走り出した。
兎女は軽く飛び上がると四匹の中心に着地した。そこは狼男の両手が重なり合った部分だった。狼男達が一斉に腰を落とし、兎女の跳躍と同時に跳ね上げた。この時にようやく831小隊の視界に入った。
踏み台の加速力が兎女の跳躍力に加算される。
兎女は月人達の頭上を飛び越し、長剣を小脇に構え空中を凄まじい速度で突撃する。
まるで目標までワイヤーに勢いよく引かれている様だった。
長剣の切っ先が向かうのは、一番目立つ人間だ。月人は野蛮ではあるが、馬鹿では無い。指揮官と思しき者が居れば、最優先で狙うのは当然であった。
そして、先程からの蛇喰の行動は、遠くから見ても指揮官の行動にしか見えない。
必然的に兎女の長剣が蛇喰へ急接近する。
兎女の跳躍力、加速力、落下する重力、そして質量が長剣の切っ先に集中する。
長剣へ凄まじいエネルギーが蓄積される。兎女は8314分隊の前衛三名の頭上を飛び越えた。
蛇喰のもっとも複合装甲が薄い首筋へと迷うことなく長剣が迫る。
蛇喰は、突進し兎女を体全体で受け止め、力一杯抱きしめる。
激突点がずれた長剣は、蛇喰の左肩の複合装甲を削る。
正面衝突による激しい衝撃が蛇喰を襲う。複合装甲が衝撃を吸収するが、溢れた力が蛇喰の首へ集中する。
むち打ちを患ってもおかしくない程に首が前後に揺れる。
衝撃を受け止めた両足からはギリギリと擦れる音がした。靴裏が床を滑り、床を削っていたのだ。
一メートル程、下がったところで蛇喰は踏み止まった。
首と共に頭を大きく揺さぶられた。が、脳震盪もむち打ちも起こすことなく、蛇喰は正気を保っていた。
「舐めてもらっては困ります。士官学校を次席で卒業しているのです。鹿賀山少佐に僅差で負けましたが、首席といっても過言では無いのですよ。さあ、私の胸に抱かれる喜びを感じながら死になさい。」
蛇喰は兎女の腰に回した両手を力一杯絞っていく。さらに全体重を上から圧し掛かる。兎女は床に足を突き踏ん張る。それは、蛇喰の体重、装備の重量と兎女自身の体重が両足の膝に集中することになった。
兎女が苦悶の表情を浮かべる。鳴き声は肺を圧迫され出すことができない様だ。
兎女の膝に数百キロの荷重が加わる。そして、バキッと乾いた音が響くと兎女の抵抗力が蛇喰の腕の中から消えた。
膝関節が質量に耐えきれず、破壊されたのだ。
蛇喰が使った技は、古くから伝わる相撲の鯖折だった。
鯖折は、腰回りを締め付ける技では無い。全体重と技をかけられた人間の体重を膝関節に乗せ、破壊する技だ。二人分の質量が掛けられた両脚は、地面から動かすことは適わず、その重さを耐えるしかない。兎女の敏捷性に特化した足に大きな負担がかかった。
鯖折は、若年層には禁じ手にされる程、危険な技だ。膝を壊し、その人の人生を大きく変えてしまう。壊れ方によっては、歩行困難や足の切断を招き、一生車椅子や義足の生活を強いる可能性があった。
見た目以上に危険な技である。
士官学校では教わるのは、日本軍格闘術であり、相撲の技は習わない。
狭い地下都市で走りこみをするのは楽しいものでは無い。景色は変わらず、同じ道を何度も周回することになる。それは蛇喰が苦手とすることだった。
その点、相撲は兵士にとって重要な足腰を重点的に鍛えるのに向いている。
武道としても、投げ、打つ、蹴る、極めるといった要素を備えている。人を壊すも殺すも術者次第だ。
蛇喰が相撲の技を習得していたのは、単純に趣味と実益を兼ねていた。相撲好きだったのだ。
蛇喰は兎女を解放した。兎女は、紐が切れた操り人形の様に床へと崩れ落ちた。蛇喰へ土下座をするかの様な姿勢で床にへたり込んだ。膝が壊された痛みに全身を痙攣させ、反撃を考えることすらできないようだ。歯を食いしばり、激痛を堪えていた。隙だらけの姿を蛇喰に晒していた。
蛇喰は肩から吊り紐でぶら下がっていたアサルトライフルを構えると、兎女の口へと銃口を突っ込んだ。
そして、引き金を絞る。三点射に選択されていたアサルトライフルから三発の光弾が吐き出され、兎女の頭部が吹き飛ばされた。周囲に肉片と血漿が飛び散り、部下三人の上に降りかかる。
部下達は戦場の常としてのことなので気にも留めない。射撃を続け、敵の接近を阻んでいる。
射線は計算され、光弾が味方に当たらぬ様には配慮している。
だが、肉片がどこに落ちるかなどには興味は無い。
「くくく、格闘戦ができるのは、小和泉大尉だけでは無いのですよ。伊達に様々な戦場を潜り抜けていません。私の勝ちですね。」
蛇喰は誇らしげに勝利宣言をした。
「分隊長が格闘に強いだと。」
「口だけ番長じゃなかったのか。」
「魂を取られたと思ったぜ。」
「あれ、無傷じゃん。」
などと、周囲から感嘆の声が漏れる。
無論、銃撃戦は行われている。弾幕が薄くなることは無い。背部カメラで確認したのであろう。
蛇喰がこの様な力を持っているとは、誰もが予想をしていなかった。
―蛇喰の重心移動から、何か武道をしているのだろうと思っていたけど、相撲だったとは。渋い趣味をしているよ。―
もっと鍛錬をつんだ相撲の技術を蛇喰が持っていれば、小和泉も相撲を会得していると分かっただろう。
だが、蛇喰の技は未だ拙い。鉄狼には、通じないことは明白だった。
蛇喰は、勝利の余韻から戻り、射撃戦に復帰した。そして、何ごとも無かったかの様に、8314分隊の指揮に戻った。
先程と変わらず、口うるさく、右だ左だと騒ぎたてる。
だが、部下達の動きは明らかに先程までとは違った。蛇喰の指示待ちから、蛇喰の思考を予測する動きへと変わっていた。分隊長として、初めて心から認められたのだろう。
これからは、蛇喰への評価が変わる。
恐らく831小隊にとって良い方向になるだろう。
日本軍では、強者は歓迎される。小和泉の様に性格が捻じ曲がっていてもだ。
831小隊の面々は、蛇喰の意外な一面を知ったのであった。




