280.〇三〇七二一OSK攻略戦 凪を信じて
二二〇三年七月二十八日 〇八五八 OSK 下層部 イワクラム発電所 除染室
狼男と兎女が群れから飛び出し、同時に小和泉へ襲い掛かる。
二匹の目には、小和泉しか映らない。同胞の頭蓋を無碍に蹴ったのが、彼らの怒りに火をつけたようであった。沸々と生まれくる憎悪のあまり、周囲が見えなくなっていた。
しかし、小和泉へ近づく前に鈴蘭とカゴの銃撃に撃ち倒されてしまう。
再び先頭の数匹が小和泉へ襲い掛かるが、桔梗達の銃撃に撃ち倒されてしまう。
月人達は、簡単に小和泉に近づくことはできなかった。小和泉と月人が接触すれば、嬉々として格闘戦を始めるだろう。それは味方の射線妨害だけでなく、攻撃の穴ができることを意味する。
それを理解している桔梗達は、小和泉が格闘戦を挑まぬ様に近づく個体を制圧するのであった。
それを何度も繰り返す。中には味方を盾にし、肉薄する個体もいた。
だが、小和泉の銃剣に喉を貫かれ、眼窩から脳を抉られ、斃されていく。
小和泉へ一撃を加えることに成功する月人はいなかった。
桔梗は、遠距離から長剣を投擲しようとする兎女を撃破することで、小和泉を護り、同時に戦線を維持していた。
831小隊は、一歩一歩、確実に除染室の角へとゆっくり近づいていく。
百八十度から攻撃を受けるのと、九十度から攻撃を受けるのでは大きく違う。
少ない人数で防御と攻撃を分厚くできる唯一の方法だった。
欠点は、逃げ場がないことだ。もっとも致命的な欠点だ。
除染室の扉を閉塞した時点で831小隊は逃げ道を失った。
観音扉の閉塞を解除し扉を開ければ、外にいる月人の増援を招き入れるだけでなく、挟み撃ちになる。
扉を開けず、除染室にいる月人の群れを排除し、前進するしか生き残る道はない。
ゆえに致命的欠点すら許容するしかなかった。
殿を務める小和泉は体術を駆使し、月人を引き付ける作戦へと変更した。
包囲される危険性が高まったのだ。
敵が肉薄する。人口密度が濃くなる。周囲三方を敵に塞がれようとしていた。このままの状況を維持することは、小和泉の孤立を意味していた。
それは、第三者からの視点ではそうなるのだろう。
―よしよし。密着に近い状態に持ち込めたぞ。これで一対多から一対三までに減らせた。
攻撃も隣とぶつかって有効打が来ない。後続からの攻撃の肉壁にもなってくれる。正面と左右の雑魚三匹なら対応も楽だよね。―
などと、小和泉は楽観的に考えていた。皆の意見とは対極であった。やはり、精神構造が常人とは狂っているのだろう。
小和泉は月人の拳、噛み付き、剣戟、引っ掻きをアサルトライフルによる受け流しで対抗する。
無論、足は止めない。背部カメラの画像を確認しながら、小隊の後退に速度を合わせる。
月人へ止めを狙えば、別の月人に隙を晒し、致命傷を喰らうことになる。
―小和泉ですら、月人を足止めするのが精一杯か。―
鹿賀山の目にはそう見えた。
だが、現実は不可思議なことが起こっていく。
足を止めさせられた月人は、桔梗達が銃撃により無力化していく。
無理して急所を狙う必要は無く、殺す必要が無いのだ。
動けなくすれば良い。
下半身に光弾をバラ撒き、膝や腿を撃ち抜き、崩れ落ちたところを後続の月人に踏み潰させればよかった。
敵は怒りに染め上げられ、理性は消えている。
小和泉も致命傷を狙うことなく、床へ次々と転ばせていく。
都合の良いことにアサルトライフルの銃身は、高熱を帯び、敵へ押し付けるだけで重度の火傷を負わすことが可能だった。
手を伸ばしてくる月人をアサルトライフルで払いのける。
ジュッという音共に獣毛が焦げ、皮膚と筋肉を焼く。食欲を誘う香ばしい薫りがした。
思わぬ痛みに月人の足が止まる。それは悪手だ。後ろから押し寄せる月人に床へ押し倒され、その月人は踏み潰された。後続の月人は、前線の状況を把握できない。何が起きているか知る術をもっていないのだ。
潰された体から血と脂が飛び散り、床を汚した。そこに踏み入れた月人は足を滑らせ、急所を831小隊の前に大きく晒す。
すかさず、誰かがそこへ攻撃を加える。
月人の獣の咆哮が止まらない。人間で言う断末魔に相当するのだろう。
理性が働いていない月人は、小和泉の敵とは成り得なかった。
小和泉が月人の突進力を受け流し、味方と敵に殺させる。
油断して転ぶ者は、敵が踏み潰す。
小和泉に攻撃を受け流され、体勢を崩したものは戦友に撃ち殺される。
次々と小和泉を基点として死を量産していた。
831小隊は、流れ作業の様に敵を滅ぼしていく。
どこかで歯車が狂えば、小和泉は月人の群れに飲み込まれ、殺されるのだろう。
もしくは月人が冷静さを取り戻せば、足場に注意し攻めて来るだろう。
そうなれば、転倒せず隙を見せることなどなくなる。
831小隊は、数の暴力に押し潰されるだろう。
誰も声を出さない。
黙々と、淡々と、静々と、粛々と敵を狙い、引き金を引き続ける。
思考する暇はない。条件反射で敵を屠り続ける。
831小隊は、ようやく除染室の角に辿り着いた。
「陣形を整えよ。耐え、敵を殲滅せよ。それが我々の生き残る道だ。」
鹿賀山が沈黙を破り、部下を励ます。
即座に二面に二個分隊が配置され、攻守が堅くなった。二方向のみに戦力集中できることは、大きく状況を好転させた。
銃撃の密度は濃くなり、敵との接敵面積は激減した。
831小隊へ肉薄できる月人が一気に減る。
正面から敵の攻勢を受けていた小和泉への圧力も消え去った。
―あらら。こうもこちらの思惑通りに進むのかな。折角、盛り上がってきたのに、休憩時間と思えば良いかな。でもなあ。よし、前に出よう。僕が前に出ると味方が撃てなくなるけど、それも避けたらいいよね。少しちょっかいを出してこよう。―
小和泉がアサルトライフルを握り直した瞬間、桔梗に声をかけられた。
「錬太郎様。前に出ては×です。ここに居て下さい。」
小和泉の行動を読まれた様だった。
「だって、ここから撃つだけなんて、面白くないよ。」
「×です。私達が撃てません。」
「僕が避けるし、九久多知なら多少当たっても大丈夫だよ。」
「そういう問題ではありません。大人しく、ここから数を減らして下さい。」
「ちょっとだけ、あの筋肉質の奴だけ。少し、捻ってくるだけ。」
鉄狼までとはいかないが、一匹だけ周囲の狼男より引き締まった筋肉質の狼男がいた。
「このまま育てば、鉄狼として日本軍に分類されるよね。育つ前にその命を刈り取りたいなあ。
みんな僕を狂犬と呼ぶけど、ちゃんと理性もあるんだよ。」
「それでも×です。あの程度であれば、分隊で対処できます。錬太郎様が前に出る必要はありません。」
「はあ。分かったよ。ここでちまちましているよ。」
小和泉はアサルトライフルを立射で連射する。光弾が月人の群れに吸い込まれ、数匹が倒れた。
同じ様に他の者も月人を斃していく。
確実に部屋の隅に移動してからの戦況は、小和泉達の有利へと変化していた。
濃い火線と少ない接敵面積は、月人を確実に削っていく。
だが、終わりは見えない。いつ果てることなく月人が襲う。
時間の経過とともに疲労が小和泉達を襲い、堤防が決壊するかのように、小さな戦線は崩壊するのだろう。
そして、決め手を831小隊は持ち合わせていなかった。
確実に月人の群れを一気に消失させる武器も無い。
月人が迫る。撃つ。斃す。
ひたすら削る。削る。削る。
小和泉達の精神力も削られる。ひたすら、命をかけた反復作業を行う。
誰一人して気が抜けない。気を抜いた瞬間、この陣地の穴となり、そこから月人が流れ込んで来るだろう。
「撃て。撃て。休むな。確実に敵は数を減らしている。我々が優勢だ。勝てる。いや。勝つ。気を緩めるな。皆で勝利を掴む。」
鹿賀山が皆を励ます。だが、その声は皆の心に沁みただろうか。恐らく、誰も聞いていないだろう。
終局が見えぬ戦い程、精神力を要するものはない。
戦闘開始から五分経過したのか、一時間経過したのかもわからない。
時計を確認する余裕、いや時の流れを気にする余裕がないのだ。
目の前に途切れることなく襲い掛かる月人から目が離せない。
口の中が乾き、舌が口の中にへばり付く。だが、喉の渇きも癒せない。
水分を補給することすら、恐ろしい。月人から目が離せない。
一瞬でも目を離せば、数メートルある空間を一気に跳躍して詰めてくるかもしれない。
ひたすらにアサルトライフルの引き金を引き続けるしかない。
通常の月人であれば、獣毛を焦がし、皮膚を焼き、内部を破壊することができる。
毛皮で光弾が弾かれるのは鉄狼だけだ。
鉄狼さえいなければ、現状維持ができる。
発電所の出入口は、この除染室のみにあった。ゆえに月人が無限に湧くことは無い。この部屋にいる月人を斃し切れば、831小隊の勝利が確定する。
831小隊は、時の流れが分からぬまま、引き金を引き続ける。
今は毛玉の大波だが、いつしか凪になるはずだ。
それを信じ、831小隊の面々は静かに引き金を引き続けていた。




